常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬至

2023年12月22日 | 日記
冬至の朝、東のそらに青空が見えた。気温は朝方、零下になり、昼間も2℃ほどだ。北陸や北海道で大雪のニュースが流れている。冬至は昼が最も短く、夜が最も長い。この日を境に、日は次第に長くなっていく。「冬至、冬中冬初め」といわれるように、本当の冬はこれから始まる。暦の24節季は、当時を起点にしている。暦の始まりは冬至ということになる。この日、カボチャを煮て食べる習慣は、中国から伝わってきた。「ん」のつく食材は邪鬼をはらうものとして重用されてきた。カボチャは昔、ナンキンと呼ばれ、うどん、ギンナン、ニンジン、キンカン、レンコンなどは縁起のいい食材とされた。どの食材も、カロテンなど体にいい成分が含まれ、理にかなったものだ。

さむざむと日輪あそぶ冬至かな 飯田蛇笏

先月らやり始めた、キャンバを使う「手作り新聞」が完成した。反省点は、使った文章が長すぎて、高齢者の目に見づらいことだ。チャットgtbも活用して要約を試みたが詰めきれていない。要点はいれつついかに簡潔で親しみやすものにするか、勉強が必要だ。

急に寒くなって、外に出る時間が短くなった。夏の間気になっていた睡眠は、寒さのなかでとれるようになった。だが気温の変化で、体調に気をつましょう、と言われる意味が分かってきた。とくに胃腸が弱くなった気がする。時間とともに訪れる空腹感がやってくるのが以前にくらべると遅い。便秘が気になることが多い。医院から整腸剤をもらってくるようになった。どれも、今年ななって感じることばかりだ。
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雪景色

2023年12月19日 | 日記
雪は一夜で戸外の景色を大きく変える。立ち並ぶ家々の屋根に雪が積もり、近くの山の樹々も雪を被った。12月にしては異常とも思われる高温が続いたが、一たん寒気が降りてくると市街は一面の雪景色だ。スキー場にも雪が降って、スキーを楽しむ人々の季節がきた。肘折の積雪が54㌢であったということで、朱鞠内、酸ヶ湯に続いて豪雪地の肘折も遅ればせながら登場である。やっと御三家が顔を並べた格好だ。

はじめての雪闇に降り闇にやむ 野沢節子

低気圧が抜けていくのか、夜ガラス戸を震わせる風が吹いた。イヤホンで聞く眠りを誘う朗読は「メリークリスマス」であった。作家の書いたショートだが、作者名は失念している。秋の名月の夜に、高層マンションのベランダで月を見ていた主人公に笑いかけてきたのは、マッチ棒ほどの小さな女だ。近づいて手のひらを差し出すと、小さな女がひらりと乗ってきた。女はじっと主人公の目を見つめ、眼で話そうという。目を見つめていると、自分の考えが相手に伝わる。その反応、女の子の考えも理解できる。深いコミニケーションだ。妻との間には失いかけているつながりが、この子と間に生まれる。この関係を失いたくない。

主人公は柔らかいハンカチでベッドを作り、タンスの引き出しにこの子を寝かせる。幻想だ、明日になれば、そこにこの子がいるはずもない。ところが、うれしいことに、次の日タンスの中にその子はいた。このふつりあいな二人の交流は次第に深まっていく。妻との間は、さらに強い隙間風が吹く。クリスマスの夜、突然、小さな女の子が宣言する。私の休暇は終わったわ、帰るね。別の星に行って、そこの生きものに教えなければならないのよ。そこでは私は神なの。そして、もう一人イケメンの小さな男の子が現れる。こちらの子は、同じ時期の主人公の妻の話相手になっていた。クリスマスの夜、地球に残された二人は、隙間をうめ、新しい夫婦の形をつくっていく。

おしまい。と数秒が流れ、別の話が始まる。「眠れる森の美女」。その話が始まると、睡魔が訪れる。いつ寝たのか、分からないまま眠りについている。
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寒波

2023年12月16日 | 日記
ベランダの障子を開けると空に青空が見えるが、山は厚い雲に隠れている。予報では、寒波の襲来で明日にかけて平地でも雪。ガスが低山にかかり、山の上から雲海が見えることだろう。昨日、赤穂浪士の討ち入りの日。江戸の理不尽への抵抗は、今日でも映画やドラマで再現されている。権力者の沈黙、それは今日の疑獄事件でもその本質は変わらない。蕪村の句に

易水にねぶか流るる寒さかな 

という句ある。さらに遠い歴史の、しかも中国にも語り継がれる暗殺事件があった。権勢を振るった秦の始皇帝を狙った事件だ。詩に映画に、いまなお詠い、語り継がれている。刺客は荊軻、遊侠と呼ばれる壮士である。燕の太子丹は、人質となって始皇帝の囚われの身であったあ。そこから燕に逃げ帰った丹は、強国秦と戦う術もなく、始皇帝暗殺で事態を開こうとする。推挙された荊軻は寒い冬、易水のほとりで送別の宴があった。

この地燕の丹に別る
壮士髪冠を衝く
昔時人既に没し
今日水猶寒し

唐の詩人駱賓王がその送別を詩にしている。これを日本に親しめるようにした歌もある。「風飄々として易水寒く壮士一たび去って復帰らず」このとき、荊軻は始皇帝の気を引くため、献上する地の地図を持参した。その地図に目をやった隙をついて刺殺しようとした。しかし、隠し持った剣がみつかり、この事件は失敗に終る。人々の記憶には、送別の宴の寒さだけが記憶に残った。

この度の寒波は、そんな易水の寒さを想起させる。ほぼ1週間寒波は居座るようだが、南から暖気が入る可能性もある。

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枯野幻想

2023年12月14日 | 日記
この師走は、驚くようなニュースの連続だ。藤井聡太の8冠から、大谷翔平のメジャーリーグのFA大型契約。政界ではパーティー券のキックバック、裏金問題で大揺れである。縁のない巨大な舞台を見せられているようで、落ち着いた年末からかけ離れてしまった。パー券を売り歩く、政治家の背中を想像するとこの世界に広がる寂しさが押しよせてくる。吉井勇「寂しければ」

寂しければ人にはあらぬ雲にさへしたしむ心しばし湧きたり
寂しければせめて昔のおもひでの華奢風流の夢をしぞ思ふ
寂しければ御在所山の山隈に消残る雪もなつかしとみつ
寂しければまだ夜明けぬに戸を繰りぬ猪野々の里の深霜のいろ
寂しければ深山の石を庭に据え腰うちおろす阿羅漢のごと

「寂しい」の対極にあるのは「楽しい」。楽しい気持ちを増殖することによって寂しい心を脱却することができる。これからは、一日どれだけ楽しい時間が過ごせるか。残り少ない人生を生きがいのあるものしていく方法だ。ブログの画像を、心にそったものする時間が楽しい。朝アロマ精油を温めて部屋にくゆらす。一杯のコーヒーの香り。朝日を浴びながらの散歩。妻がつくる朝のみそ汁。次に読む本を探すとき。朝のラジオ体操。日めくりの歌のページを繰る。昨夜の睡眠の質をウォッチで確認するとき。歯を時間をかけて磨く時間。朝の楽しみだけでもこんなにある。最近、食べた食器や鍋をきれいにすることもたのしくなった。寂しい心のなかを見つめることも、見えなった自分に会う楽しみでもある。
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おいしい冬

2023年12月12日 | 日記
詩吟の仲間から、今朝掘った大根をいただいた。いつもなら雪の中から掘ってもらうのだが、大雪を過ぎても、雪がない。そのせいか、キャベツやニンジンも寒くなって甘さが増している。店に並んだ野菜たちが、手頃な値段になってきた。寒のブリもアラが出回るようになり、脂ののったブリで炊く大根は、冬の味覚だ。そういえば、フジりんごもぐっと甘味が増しておいしい。

大根鍋というシンブルで手間のかからない料理がある。大根を厚さ2㌢くらいの輪切りにする。土鍋に大根を入れて、カツオ節や昆布でとっただし汁をかぶるくらいに入れて、中火で煮ていく。ほぼ火が通ったところで3㌢角に切った厚揚げを入れて、酒、塩、ショウユを少量加え、煮ながら大根を食べていく。煮えたてを食べると、大根自体の味が口に広がって、恵んでくれた人の顔を思い浮かべながら食べるのが楽しい。

枕元に本を置いてページを繰りながら、眠りに入るのが自分のスタイルだったが、最近スマホのユーチューブで童話聞きながら眠るようになった。一休さんの頓智ばなしやアルプスの少女ハイジなど、懐かしい童話を静かに聞かせてもらうと、いつの間にか眠っていることが多い。モーツアルトのクラシック音楽でもいい。
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