常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大雪

2023年12月09日 | 日記
昨日、24節季の大雪。雪が降る季節ではあるが、小春日和の温かい一日だった。霙のような雪が降っても、平地に積るゆきではない。ただ、気温の変動が大きく体調に影響がきている。どうも胃の調子が悪く、普通に食べるともたれるような感じで、身体全体が重い。陽を求めて外を歩いた。公園の木々も葉を落とし、そのシルエットを見せてくれる。いつも感じるのだが、枝を伸ばす木の姿は美しい。樹種によっても異なるが、細かい枝が密生して形づくられる樹冠は、まさに造形美というべきだ。春になって開く葉芽は、寒さに耐えるように固く結ばれている。木の営みは、そのまま人に冬の過し方の見本である。

冬籠なべて妻子に逆らはず 金子星零子

ウエブのデザインツール、キャンバの扱いにも馴れてきた。テスト版だが、趣味の会の新聞も作ってみた。表題の写真も、キャンバで作ってみた。この冬は、ウエブのAIを活用して、ブログを書いたり、SNSのデザインの世界にも入ってみたい。キャンバにある画像生成機能を使ってみた。冬ごもり、雪の田舎の一軒家、炬燵などの言葉を入れて生成した画像ができた。この冬はこんな遊びで冬を過してもいい。







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熊野山

2023年12月08日 | 登山
山の会の今年の締めは長井の熊野山。天気予報は雨と突風が来そうで迷ったが、午前中の晴れマークを信じて実行した。登山口の「学び館」に着いたときは、青空が広がった。スキー場のゲレンでにある間違い安いコースを取って、尾根に登る。近くに雨が降っているらしく、ダムが見える見晴らし台では、虹が見えた。この山は標高」669mだが、熊野山神社までの尾根道はしっかりしていて歩き易い。尾根道の脇は切れ落ちた斜面になっているが、イワウチワの群落が広がっている。春の花を見たいとの声も上がる。

尾根道でたくさん見たのは、熊の糞。この季節でも、冬眠に入らない熊の目撃情報が出ている。暖冬と熊の冬眠にはどんな関係があるのか。もう20年も前に出版された熊研究家の米田一彦さなの『山で熊に会う方法』に当ってみる。熊は冬眠すると言われれが、米田氏によると熊は冬眠すると言われるが、冬ごもりが正解だ。北の厳冬期の冬ごもりは長いもので6ヶ月、暖かい広島では60日から70日。気温と越冬に関係があるが、栄養の多寡も関係がありそうだ。「冨栄養の穴持たず」という言葉がある。十分に食べた熊は、冬になっても動き回り、なかなか越冬穴に入らないケースがあるという説だ。越冬のために、十分食べられないで、越冬しないということではないらしい。

熊はブナなどの大木にできたウロ、倒木でできた穴などに越冬穴を作る。ウロは入り口がたった14㌢と狭いものもある。熊の足跡を辿って穴を探しても、知恵を働かせて、足跡を消す工夫もしている。穴から出て来るのは、4月半ばであるが、気温の上昇とととも動きが活発になり、穴の周辺の齧ったり、身体を動かして、外へ出る準備が始まる。

こんな里山ににも熊の糞があるということは、この山中のどこかに熊の穴があるかも知れない。登山者と熊との遭遇はあまり聞かないが、注意するにこしたこはない。新年の登山は1月13日になる。

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虚空蔵山、城山

2023年12月04日 | 登山
上山の虚空蔵山に登った。月岡の上山城の駐車場に車を置いて、西の山地へ徒歩15分ほどで、この山の登山口に着く。茂吉も帰郷の折、弟の住む山城屋で温泉を楽しみ、弟とこの山を散策するのが好きであった。三角錐のこの山は、市街地や正面に見える蔵王山の眺望もすばらしい。寒気の中休み、蔵王は雲に閉ざされていたが、茂吉が見た上山の市街や田畑がよく見えた。

眼下に平たくなりて丘が見ゆ丘の上には畑がありて 茂吉

かつて上山市長を務めた鈴木啓蔵は、上山の茂吉の歩いた跡を訪ねて、『茂吉と上山』を著したが、そのなかで虚空蔵山にふれ、「昔は高館という山城だった」と書いている。山の会には、古墳や城を研究する郷土史家のmさんがいる。mさんの案内で、この山が長谷堂城の戦いで攻め寄せる上杉軍を、退けた唯一の山城であることを知った。

山道に入ると間もなく、ジグザグの細い道に入る。帯曲輪といものがあって、ジグザクの通路に設けられた狭い平地の先に、曲輪と呼ばれる平地がある。ここに、山城に詰める兵を配置し、空堀や竪堀に沿って攻め入ってくる敵の兵を矢や鉄砲で狙い打ちする場であった。空堀は山に凹凸を作って自由に動き回ることを防ぎ、敵兵を縦に並んで侵入させ、掘った土は盛り上げて土塁を築いたり目隠しの地形を作るのに使用された。

切岸はなだらかな地形を削り、登ることのできないようにした人工の崖である。ジグザクの道にから随所に作られている。400年前の戦が、つい最近のことであったように感じさせる山城跡。実に生々しい。初冬の里山歩きに、こんな郷土史の詰まった里山歩きも楽しい。参加者19名、内男性5名。




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