10月3日は「KOBE観光の日」で、神戸市内の博物館や美術館、異人館などが入場無料や割引になる日。しっかりもののミモロは、その日に神戸を訪れました。
京都から、JR新快速で三ノ宮まで約1時間。「思ったより京都から近いかも~」と。朝出かけたら、夕方には戻れます。
パンダに会いに来た「神戸市立王子動物園」、その中に、「旧ハンター住宅」という洋館があり、そこも公開されています。
もともと神戸の異人館街の北野地区にあった建物を、昭和38年に、保存のため、ここに移築。現存する異人館の中でも規模の大きなもの。
建築年月日は、明らかではありませんが、明治22年ころに、ドイツ人A グレッピー氏が英国人技師に依頼して建てられたそう。その後、この家の主となったのが、英国人実業家のE.H.ハンター氏で、さまざまな改造を経て、現在の姿になったとか。
ハンター氏は、1843年ロンドンデリー市に生まれ、慶応元年(1864)に21歳で横浜の商社員となって、神戸港開港に伴い神戸に移り住みます。小野濱の造船所で働き、その後独立し、日本の造船、鉄鋼などの事業を手掛け、「日立造船」の前身の会社を興した実業家です。
館内にあった当時の写真。「ここで結婚式やったんだ~」ハンター氏は、日本人の愛子さんと結婚。夫人も慈善事業などに大きな働きを果たします。
ハンター氏のお嬢様の結婚式です。日本の産業の発展に貢献し、多くの日本人から尊敬されたハンター氏。75歳で永眠。神戸の地に眠っています。「日本と神戸を愛した人なんだね~」とミモロ。
「ねぇ~そういえば、北野を歩いているとき、ハンター坂ってあったね~。きっと昔はそこにあったんだ~」と思い出したミモロです。そう坂に名前が付くほど、神戸の人たちに愛されいたのです。
さて、1966年に国の重要文化財になっている建物の1階、2階とも270㎡というゆったりとした広さ。木骨れんが造り2階建、外壁は、モルタル櫛目引、寄棟石渡スレート葺です。
1階には、応接室、食堂などがあったそう。、
ミモロは、広い廊下のようなスペースを進みます。
「なんでここに窓があるの?」と板張りのスペースの内側に窓があるのに気づきました。
そう、この家は二重構造になっています。実は、板張りのスペースは、家の周りにめぐらされたベランダだったそう。でも日本の風土に合わないと感じ、外側に窓が作られ、サンルームのようになったのです。
「なんか素敵な雰囲気になったね~ここで子供達遊べるもの~」と、走りまわりたくなるスペースです。
階段やドアなど、美しいデザインが施されています。
今は、展示用の家具の配置になっていますが、2階は、寝室などプライベートスペースだった場所。
「こういうおうちいいね~」と憧れるミモロ。
当時の富裕の外国人の暮らしが想像できる住宅です。
阪神淡路大震災では、さまざまな部分が崩壊する被害を受けました。でも、多くの尽力により、見事に復興。
帰り道、ミモロはふと…「ねぇ~阪神淡路大震災の時、動物さんたちも怖かっただろうね~」とポツリ。
もちろん動物園の被害も大きく、動物園のスタッフの方々は、動物の命を守るために大変なご苦労をなさったことでしょう。
近年多くなっている大規模な自然災害。物言わぬ動物たちも、人間同様に命の危険にさらされることに。
各地の動物園や水族館では、災害に備え、自家発電システムの整備や水やエサの確保などをしていると言われます。
「でも、狭い場所から移動できない動物さんたち、怖い思いしてるよね~」と、思ってしまうミモロなのでした。
「またパンダさんに会いに来たい~」と、思うミモロでした。
尚、「旧ハンター住宅」の公開は、春と秋。詳しくは「神戸市立王子動物園」のホームページで
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