友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

電車の中の出来事から

2010年07月05日 21時52分33秒 | Weblog
 電車に乗ると、乗客の半分は携帯電話を触っている。確かにケイタイがなくなったら、困ってしまうだろう。ある人にとっては唯一の連絡手段であり、ある人にとっては唯一のつながっている道具なのだろう。中学時代からの友だちのブログを見ていたら、そんな車内の事件が載っていた。今日はブログのネタが浮ばないので、ちょっと拝借する。

 「私の後ろの座席に座っていた80歳を超えたと思われる男性が、私の反対側の優先座席でケイタイをいじっている20代前半の女性のところに、ツカツカと寄っていき、盛んに何かクレームを付けている。ご老人の余りの剣幕に私は事情を把握しかねていたが、20代の女性が反論している様子で多少事情が分ってきた。つまり、混んだ列車で先の停車駅からお年寄りが乗ってきてずっと辛そうに立っているのに、優先座席にただノホホンと座っていて、なぜ席を譲らないんだと20代の女性にクレームを付けていたのだ。

 20代の女性が急にムッとして黙りこくってしまったのが、さらに気に入らなくなったのか、「君らはこの席にはペースメーカーを入れてる人が座っているかも知れないのに、なぜケイタイの電源を切らないんだ」と興奮気味に喰って掛かっている。列車のドアーが開き、20代の女性が無視して出ようとするとご老人は20代の女性の二の腕あたりに平手打ちを食らわした。さすがに20代に女性は声を荒げて、『何をするんですか?』と目を吊り上げて、そのご老人に抗議を開始する。ご老人は『君らは口で言っても分らないから、叩いたんだ』と開き直る。

 外観上は、まるで祖父と孫に喧嘩である。周囲に人の輪ができ始める。20代の女性は精一杯、ご老人に蔑みの眼差しを浴びせながら、足早に階段方向に向かって行った。20代の女性の二の腕に平手打ちをしたのはまずいが、自分が年寄りになってきたせいか、どうしてもご老人の方の肩を持ってしまう。少なくても20代の女性には混んだ列車の中でお年寄りが立っていれば、ぜひとも譲ってほしいと思うのである。」

 そうか、あなたはご老人に味方するのか。あなたの文章を読んでいると、私はご老人に「やめなさい」と声をかけてしまいそうだ。確かに、思いやりが足りないなと思える若者が多いけれど、ご老人も優先席に座る権利があるのだと思い込んでみえる。誰もが同じ料金を払って乗っているのだから、やはりそこは年の功を発揮して欲しかった。「申し訳ないけれど、座らせていただけないか」とか、「悪いけれど、座らせてもらっていいかな」とか、へりくだって言葉をかけることはできたはずだ。

 けれども、そのご老人は優先座席にノホホンと座っている20代の女性に腹を立てているから、「なぜ席を譲らないんだ」という気持ちの方が強く出てしまっている。ご老人が本当に立っているのも辛いようであれば、若い女性もきっと席を立ったかもしれない。けれども、ご老人の「君たち若いもんはダメだ」という気持ちが余りにも前面に出ていたから、反抗心が先に立ってしまったと思う。そこでさらに悪いことは、ご老人が若い女性に暴力を振るい、「口で言っても分からないから、叩いた」と平気で言ったことだ。こうなってはご老人の肩を持つのは難しくなる。

 こうなる前に、「まあまあ」と割ってはいることができるのは、同じ年寄りの役割だ。嫌な思いをするかも知れないが、それこそが思いやりというものだと私は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする