夏祭りの準備のために買出しに出かけた。その道中はおしゃべりの会である。私よりも5つ年上の女性が「人生って結局は必然だったのよね」と哲学的なことをおっしゃる。イヤだとか、違う道があったはずだとか、いろいろと思ったけれど、「なるべくしてなった」のだから、「自分が生きてきたことは全て必然であった」というのである。なかなか含蓄に富んだ言葉なので、すぐに返事ができなかったけれど、彼女は「人生は必然の積み重ね」と決めているわけだから、今更私がどうこう言うことはなかった。
彼女は末っ子で、幼い時に母親をなくしている。姉はふたりいたけれど離れていて、彼女が10代の頃には皆嫁いでしまっていたようだ。家には父親をはじめに男ばかりで、家事の一切を「押し付けられた」。こんな辛い青春はないとばかりに、学校帰りに映画館に寄って、家事をサボったことがあったそうだ。「早くこの家から出たい、ずっとそればかり考えていた」と言う。確か、彼女が高校生の時に定期券を落として男の子が拾ってくれた話を聞いたことがある。まだ、10代の男女がデイト出来る時代ではなかったから、「兄にひどく叱られた」と言っていた。
ダンナになる人との出会い、そして結婚。初夜は怖くなって、女中部屋で寝かせてもらった話も聞いた。子どもがふたりできた。シンガポールへ旅行した時、カードで100万円も買い物をしてしまった話も聞いた。ダンナが亡くなって、塞ぎ込んでいた時に私たちと出会い、食事会をするようになった。一緒に韓国へも行ったし、イタリアへも行った。アメリカへは6家族で出かけた。「素晴らしい旅行だったわね」と言う。もうすっかりトラブルのことは頭から消えている。全ての時間が彼女の思うままに過ぎてきたのかもしれない。
それでいいじゃないかと私は思う。私は、たとえば私自身がこの世に生まれたことは偶然なことだと思うけれど、自分の力では動かすことの出来ないほとんどの中にあって、自分で選択してきたことは多いのだから、人は誰もが偶然の中にあるけれど必然の中にもあるという2重の中に置かれている気がする。今日、こうあるのは誰のせいでもなく、神様のいたずらでもなく、私自身が選択してきた道だと思う。けれどもそれは、大きな偶然の中にある自分が選んだ道であることには変わりなく、運命と言ってもかまわない。
カミさんがゴルフ教室で出会った夫婦のことを話していた。「男のような奥さんと女のようなご主人と言われるんだけれど、奥さんは凄く積極的な人で、ご主人はおとなしい人なの。ご主人は心臓の病気で手術して、それで元気になられたのだけれど、それが3年前なのよ。3年間でよくあんなにうまくなられるものね」。私はその方を知らないからなんとも言えない。しかし、私たちくらいの年齢になってふたりでゴルフ教室に通ってこられるのだから、仲がいいのではないか。生きているのだから価値があるのではないか。人生の最後をふたりで共通するものをと思われたのかもしれない。
出会いは偶然なのだろうけれど、それを継続するならば必然と言っていいだろう。彼女が言うように「人生は必然の積み重ね」なのだろう。
彼女は末っ子で、幼い時に母親をなくしている。姉はふたりいたけれど離れていて、彼女が10代の頃には皆嫁いでしまっていたようだ。家には父親をはじめに男ばかりで、家事の一切を「押し付けられた」。こんな辛い青春はないとばかりに、学校帰りに映画館に寄って、家事をサボったことがあったそうだ。「早くこの家から出たい、ずっとそればかり考えていた」と言う。確か、彼女が高校生の時に定期券を落として男の子が拾ってくれた話を聞いたことがある。まだ、10代の男女がデイト出来る時代ではなかったから、「兄にひどく叱られた」と言っていた。
ダンナになる人との出会い、そして結婚。初夜は怖くなって、女中部屋で寝かせてもらった話も聞いた。子どもがふたりできた。シンガポールへ旅行した時、カードで100万円も買い物をしてしまった話も聞いた。ダンナが亡くなって、塞ぎ込んでいた時に私たちと出会い、食事会をするようになった。一緒に韓国へも行ったし、イタリアへも行った。アメリカへは6家族で出かけた。「素晴らしい旅行だったわね」と言う。もうすっかりトラブルのことは頭から消えている。全ての時間が彼女の思うままに過ぎてきたのかもしれない。
それでいいじゃないかと私は思う。私は、たとえば私自身がこの世に生まれたことは偶然なことだと思うけれど、自分の力では動かすことの出来ないほとんどの中にあって、自分で選択してきたことは多いのだから、人は誰もが偶然の中にあるけれど必然の中にもあるという2重の中に置かれている気がする。今日、こうあるのは誰のせいでもなく、神様のいたずらでもなく、私自身が選択してきた道だと思う。けれどもそれは、大きな偶然の中にある自分が選んだ道であることには変わりなく、運命と言ってもかまわない。
カミさんがゴルフ教室で出会った夫婦のことを話していた。「男のような奥さんと女のようなご主人と言われるんだけれど、奥さんは凄く積極的な人で、ご主人はおとなしい人なの。ご主人は心臓の病気で手術して、それで元気になられたのだけれど、それが3年前なのよ。3年間でよくあんなにうまくなられるものね」。私はその方を知らないからなんとも言えない。しかし、私たちくらいの年齢になってふたりでゴルフ教室に通ってこられるのだから、仲がいいのではないか。生きているのだから価値があるのではないか。人生の最後をふたりで共通するものをと思われたのかもしれない。
出会いは偶然なのだろうけれど、それを継続するならば必然と言っていいだろう。彼女が言うように「人生は必然の積み重ね」なのだろう。