友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏祭りの思い出

2010年07月25日 22時09分50秒 | Weblog
 梅雨明けから、この1週間は本当に毎日暑い日が続いた。それでも、午後になると結構風が出てくるので、クーラーをつけて眠ることはない。我が家の朝は快適で、近頃ではルーフバルコニーにテーブルとイスを出して、ここで食事をしている。鉢植えではあるが、木々や草花に囲まれての食事は気持ちがいい。食事の後、コーヒーをたっぷりと入れて、新聞を読む。昨日も今日も、朝の風が冷たくて、思わず長袖のシャツを羽織った。ちょっと贅沢なくらいの朝の時間である。今朝は、カミさんがゴルフの練習でいないから、ひとりで朝食をすませた後、長々とコーヒータイムを楽しんだ。

 今日の午後は風が強く、窓を全開にしておいたら、飾り物のお皿がひっくり返ってしまった。「こんなに強い風が吹いているのに、何をやっているの」と、カミさんからお叱りを受けた。そんな強い風も陽が沈む頃には止んで、そよそよとした気持ちのよい風に変わった。この風が続いていてくれれば、気持ちよく眠れる。どこかで和太鼓の演奏が行なわれているようで、ドンドンと威勢のよい音が響いてくる。もう夏祭りが始まっている地区があるようだ。今日、夕方に訪ねて来た友人も「午前中は夏祭りの準備でした」と話していた。真夏、昼間は意外なほど静かだけれど、夕方とともに各地から歌声や太鼓の音が聞こえ、人々が動き出す。

 私は子どもの頃から「宵っ張り」の方で、夏だからといって昼寝をする習慣はなかったが、夏祭りは興味津々だった。幸いというか不幸にというか、住んでいた地域は盆踊りがあるくらいだったけれど、越境通学していた地域は江戸時代からの伝統のお祭りが夜通し行なわれていた。小学校6年の時は、子ども会に参加しなければならなかったので、家に一番近い町内の子ども会に編入させられた。6年生は町内の若衆の見習いのような存在で、若衆の中のボスのような人が私を可愛がってくれ、祭りの間中、面倒を見てくれた。徹夜をしたのもこの夜が初めてだった。朝方、疲れて道路のアスファルトの上で横になった。ひんやりとした感覚だったのか、いやまだ、ぬくもりが残っていたのか、今になってみると思い出せない。

 中学1年の時は、市内総出の盆踊りが行なわれるというので、密かに好きだった女の子の姿を求めて見に行った。けれども、人出が多すぎて、どこにいるのかさっぱり分からなかった。何千人もの人がいるのだから、見つけられるはずがなかったのに、自分ではすぐに見つけられるつもりでいたのだから、今から思えば笑ってしまうような話だ。女の人の浴衣姿は、よく考えれば手と足が見える程度なのに、なぜかドキドキして眺めていた。浴衣からはみ出した手先や下駄を穿いた足の白さを目で追っていた。

 日本の夏祭りは開放的で、この夜の出来事は何があっても咎められない。男も女もそんな夏の夜の冒険を楽しんでいたのだろう。だからこそ、女の子はひとりでは出かけてはいけないと言われていた。だからなのか、女の子は集団で男の子を辛かったりしていた。こういう開放的な夏祭りがなければ、男と女が出会う機会が昔は少なかったのだろう。夏祭りが出会いの場であった時代は遠い昔話になってしまった。
コメント
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