梅雨が明けたのだろうか、さわやかな日差しが戻ってきた。日中は汗ばむほどであったけれど、夜になると涼しいと感じる風がさわさわと吹いてきた。雷が鳴り、突然の雨が降り注ぐと、いよいよ梅雨明けだと子どもの頃は思っていた。最近は少し様相が変わってきたけれど、それでもいよいよ本格的な夏がやってくることは間違いないだろう。
何度も書いたけれど、夏休みは苦手だった。宿題が出来ないのだ。高学年になれば当然にも失敗しないぞと言う自意識が働くようになる。にもかかわらず、相変わらず夏休みの終盤になると宿題や課題が残っていた。今年こそは計画を立てて、キチンとやるぞと夏休みが始まる時は決意するのに、どういうわけか出来なかった。中学3年生の時はもう諦めた。
そもそも、夏休みに宿題や課題を出すこと事態が間違っている。夏休みがあるのは、学校では出来ないことをやりなさいということなのに、なぜわざわざ宿題や課題を出すのか、これでは子どもたちが夏休みだから出来ることに挑戦できなくしている。そういう大人が悪いのであって、自分は課題や宿題に束縛されることはないと、全くわけの分からないようなヘリクツを考え、これに従った。
9月になって新学期が始まり、担任は当然にも宿題や課題の提出を求めた。私は一切やらなかったことを担任に告げた。担任は一瞬戸惑ったけれど、「そうか」と言って、それ以後は何も言わなかった。あの時、担任は何を思ったのだろう。1年前の中学2年の時、転校していった女の子に呼び出されて、その子から縦笛をもらったが、その時、たまたま同じ中学校の先生に目撃され、翌日は職員室に呼び出された。
私の担任はそんなことに目くじらを立てることはしなかったのに、女の子の担任であった先生(その先生が3年生の担任である)は、無茶苦茶に感情的で何としてでも許さないという雰囲気だった。それからどうなったのか、今ではすっかり忘れてしまったけれど、不良のように言われたことだけはよく覚えている。中学時代から日記は書いているので、探せばこの日の出来事もどこかに書いているかもしれない。
そんな風に厳しい先生だったのに、夏休みの宿題も課題もやらなかったことに対して一言の注意もなかった。1年の時に担任だったという女の子は、先生の余りの横暴さや暴力的な立ち振る舞いに恐怖を感じ、母親に頼んで担任を変えてくれるように校長に話してもらったと言っていた。私が始めて担任として先生と接してみた時は、そんな風に嫌な先生ではなかった。確かに熱血漢ではあったけれど、思いやりは深く、子どもたちのひとりひとりをよく見ている先生だった。
私が教師になってもいいかと思ったのは、この中学3年の時の担任によるところが大きい。自分が教師になってみると、担任だった先生と全く同じことをやっていた。先生はもういないけれど、私が宿題や課題を出さなかった時、先生は何を考えてみえたのだろうと思う時がある。
何度も書いたけれど、夏休みは苦手だった。宿題が出来ないのだ。高学年になれば当然にも失敗しないぞと言う自意識が働くようになる。にもかかわらず、相変わらず夏休みの終盤になると宿題や課題が残っていた。今年こそは計画を立てて、キチンとやるぞと夏休みが始まる時は決意するのに、どういうわけか出来なかった。中学3年生の時はもう諦めた。
そもそも、夏休みに宿題や課題を出すこと事態が間違っている。夏休みがあるのは、学校では出来ないことをやりなさいということなのに、なぜわざわざ宿題や課題を出すのか、これでは子どもたちが夏休みだから出来ることに挑戦できなくしている。そういう大人が悪いのであって、自分は課題や宿題に束縛されることはないと、全くわけの分からないようなヘリクツを考え、これに従った。
9月になって新学期が始まり、担任は当然にも宿題や課題の提出を求めた。私は一切やらなかったことを担任に告げた。担任は一瞬戸惑ったけれど、「そうか」と言って、それ以後は何も言わなかった。あの時、担任は何を思ったのだろう。1年前の中学2年の時、転校していった女の子に呼び出されて、その子から縦笛をもらったが、その時、たまたま同じ中学校の先生に目撃され、翌日は職員室に呼び出された。
私の担任はそんなことに目くじらを立てることはしなかったのに、女の子の担任であった先生(その先生が3年生の担任である)は、無茶苦茶に感情的で何としてでも許さないという雰囲気だった。それからどうなったのか、今ではすっかり忘れてしまったけれど、不良のように言われたことだけはよく覚えている。中学時代から日記は書いているので、探せばこの日の出来事もどこかに書いているかもしれない。
そんな風に厳しい先生だったのに、夏休みの宿題も課題もやらなかったことに対して一言の注意もなかった。1年の時に担任だったという女の子は、先生の余りの横暴さや暴力的な立ち振る舞いに恐怖を感じ、母親に頼んで担任を変えてくれるように校長に話してもらったと言っていた。私が始めて担任として先生と接してみた時は、そんな風に嫌な先生ではなかった。確かに熱血漢ではあったけれど、思いやりは深く、子どもたちのひとりひとりをよく見ている先生だった。
私が教師になってもいいかと思ったのは、この中学3年の時の担任によるところが大きい。自分が教師になってみると、担任だった先生と全く同じことをやっていた。先生はもういないけれど、私が宿題や課題を出さなかった時、先生は何を考えてみえたのだろうと思う時がある。