友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

先輩たちの戦争体験

2010年07月23日 22時46分16秒 | Weblog
 朝日が差し込んでくると、鳥の鳴き声が聞こえてくる。鳴き方が違うので、鳥も2種類か3種類はいるようだ。NHKラジオの夏休みに子供向け番組を聴いていると、野鳥も天敵から子どもを守るために、人間の近くに巣を構えるようになった話をしていた。人間の身近にいることで、カラスなどからタマゴやヒナが襲われることがないのだそうだ。「私の子どもの頃は、パチンコで野鳥を狙ったりしたものですが、今の子どもたちはそんなことをする子は一人もいません」。そんな話をしていた。

 今日の大和塾の例会で、終戦を10代半ばで迎えた人たち3人が、戦争体験やその前の世代の人たち、つまり実際に戦地にいた人たちの話をしてくれた。私を含めて、塾生のほとんどは戦争を知らない。私たちが知っている戦争は小説や映画あるいは人の話でしかない。私も小学校4年生の時に、友だちの家に遊びに行って、その友だちから、彼のお父さんが持って帰ってきたという写真を見せてもらった。彼のお父さんは軍人で満州へ行って行った。お父さんの話では、「その馬賊を成敗した時の写真だ」そうだ。日本軍の人が中国人を日本刀で首を切り落としている。あるいはその首を縄でつないでつるしている。そんな写真がたくさんあった。

 友だちの話では、こういう写真は持って帰ることは出来なかったそうだ。けれども彼の父親は持ち帰ってきたのだから、どうやって持ち帰ったのか疑問であったけれど、写真は確かに中国の地で撮られたものであった。中国人の首が宙に浮いた瞬間の写真もあったから、相当な腕の人が撮ったと思われる。今、この時の写真を公にしたなら、雑誌社ならきっと飛びつくと思う。戦争で勝っている時は、負けた人々は虫けらと同じ扱いだなと思う。映画『シンドラーのリスト』を観たけれど、ここでのユダヤ人は人間扱いではない。持っているすべてを剥ぎ取られ、ガス室へと送られる。

 たまたま今日、義弟のところへ桃を届けに行ってきた時、義弟夫婦は6月にポーランドへ行って来たと言う。アウシュビッツのガス室やユダヤ人収容所の話を聞いたけれど、全くどうしてこんな風に淡々と人殺しができたのだろうかと思う。映画『シンドラーのリスト』でもそうだったけれど、ユダヤ人を扱う人々は自分たちがとんでもない過ちを犯しているのではないか、そういう意識は全くないようだった。人は立場で、やることはもちろん考え方も変わるというけれど、実際にその通りだなと思った。

 人は知らず知らずの内に、弁護や責任を回避しようとする。中国における日本人の振る舞いは写真でしか知らない。ユダヤ人に対するドイツ人の行為は映画でしか知らない。だからそんなものは本物ではないと言う人がいるかも知れないが、本物かどうかではなく、人を物のように平気で殺してしまうことに対して、許せるかどうかだと思う。「国のため」と言われると、どうして人は平気で同じ人を殺せるのだろう。そこが一番の問題点ではないだろうか。先輩たちも戦争体験を話し、その悲惨さを伝えるだけでいいのだろうか、戦争を無くすためには何をすればいいのだろうと言う。全くそのとおりだと思う。
コメント
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