友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

雨降りと私たちの美意識

2010年07月14日 15時05分09秒 | Weblog
 シトシト降る雨の音を聞いていると、日本人の美意識っていいなと思う。けばけばしい派手さはないけれど、しっとりとした色合いや音階を好む。仏教や中国の古代思想が日本に伝わって来て、日本人はこれを自分たち流に解釈し、そればかりかむしろ昇華させたと思う。釈迦や孔子の言葉を元に、深みと高みを加え、思想化していった。

 日本の伝統芸能といわれる能や歌舞伎、雅楽や囃子や民謡は、よくわからないのにしっくりとなじむものがある。高校の教員になったばかりの頃、男子が圧倒的に多いこの学校で、できたばかりの体育館に生徒を集めて能を見せたことがあった。あの悪ガキどもはきっと、ブーブー言って落ち着いて舞台を観ることはないだろうと思って、生徒たちの後に立っていた。

 初めは確かにざわついていたが、そのうちシーンと静まり返っていた。生徒を見ると、舞台の役者の一挙一動に釘付けになっている。人の心を捉えるということはこういうことかと思った。怒鳴りつけたり、時には叩いたり、あるいは脅して授業を引っ張ろうとする先生がいる。それは自分に力がないのだ。能の役者のように、ほとんど何も語らなくてもその動作だけで、観るものを従えてしまうような先生こそが力のあると納得した。

 この四季折々の中で、暑いとか寒いとか言いながらも、何か共有する感覚のようなものが私たちにはあり、だから、よくわからない能舞台を始めて見た者ですら、なんとなく惹きつけられてしまうのだろう。日本の古い町並みや木と石の複雑なようで単純な配置の庭を見ても、なんとなく懐かしさを覚えるのもそんな感性が働くせいなのかもしれない。

 いつだったかパソコンに、題名は忘れてしまったけれど、「そんなに草食系を叩いてなんになるのですか」といった内容の記事があった。会社を愛していないとか、恋愛を怖がっているとか、草食系といわれる男の子たちが槍玉に挙げられることは多い。それに対する反論だが、なかなかいいことを言うねえと私は思った。いつの時代も年寄りから見れば若者は物足りなくて、批判の的となる。若者たちを批判しているおじさんたちも若い頃は、お年寄りに自分勝手な連中だとか常識が足りないとか、言われてきた。

 若者たちは批判している世代の子供かあるいは孫に近いかもしれない。オヤジたちが生み育ててきた若者たちなのだ。だから若者はオヤジたちの鏡というか、ある意味では分身と見てもいいはずだ。鏡や分身と思うからこそ、つい叱咤激励が飛ぶのかもしれない。まあ、こんな風にして親から子へ、世代から世代へと受けつながれていくのだろう。今日は名演で、前進座の『五重塔』である。久しぶりの時代劇だが、どんな芝居なのだろう。人情もの?前進座の芝居は今ひとつ面白くないけれど、今日はどうかなー。
コメント (1)
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