昨夜、サッカーW杯のブラジルとオランダの試合を見ていた。と言うよりも、試合開始早々にブラジルが1点を取ったところまで見て、やはり圧倒的にブラジルの勝ちだと思って眠ってしまった。ところが今朝のテレビニュースで、オランダがブラジルに勝利したと知った。一発勝負のトーナメントではどんなに強いチームも負ければそれで終わりである。人生はやり直しができるけれど、スポーツの試合ではそういかないから面白いのだろう。全戦全勝のチームがあるはずはなく、どんな強豪のチームでもどこかで何かが作用して負けてしまうこともある。だから逆に、大番狂わせも生まれることがあり、それが人々を惹きつけるのだろう。
ギャンブルが好きな人がいる。パチンコにしても競馬や競輪にしても、宝くじにしても、買う人の中のわずかな人しかお金を獲ることはない。もし、お金を得る人の方が多いようならそれを主催する側は破産してしまう。主催する側になれば、必ず大金持ちになれるだろうけれど、主催する側は国や地方自治体の許可と援助の下に行なっているので、にわかに主催者なれるわけではない。相撲界を揺るがした野球賭博も公に認められたものではないので、勝った金をよこせだの負けた金を払えだの、トラブルがつきまとう。だから暴力団が存在できる。
私は兄がギャンブルに溺れ、ヤクザまがいの男たちが我が家にやってきた時に丁度家にいた。怖いと思わなかったけれど、何と馬鹿馬鹿しいことに巻き込まれたのかと思った。自分は絶対にギャンブルはしないと決めた。ギャンブルは負ける人が多くいなければ、勝つことは出来ない。こういう馬鹿げた仕組みに組み込まれることが許せなかった。もし仮に、何万分の1なのか何百万分の1なのか、そういう幸運の持ち主になったとしても、そのためには何万のあるいは何百万の人の犠牲が必要である。これは私には許せない生き方である。
好きな人が好きなことをやるのは勝手だけれど、少なくとも自分はやらない、それが私の信条である。議員をしていた時、よく証券会社とか先物取引会社から電話が入ってきた。「絶対に儲かります」と言う。「儲ける気持ちはない」と答えると、中には「そんな人はいないはずだ」と決めてかかってくるからビックリする。「世の中には、お金を儲けたいと思っている人もいれば、お金を儲けようと思わない人もいるんだよ」と教えるけれど、全く聞く耳を持たない。「そんな人はいないと言うならば、それでいい。否定する気もない。それでも私はお金儲けがしたいとは思わない。そんなヘンな人が世の中にはひとりくらいはいてもいいでしょう」。
電話をかけてきた若い男の言うように、「お金がいらない人はいない」と私も思う。だって、お金がなければ生きていけない。それが資本主義社会なのだから当然のことだと思う。けれど、そこそこ生きて行ける範囲でいいと思う人はいるだろう。もちろん、お金がいらないと思っているわけではないが、たとえばギャンブルで儲けようとか、先物取引で儲けようとか、要するに労働もせずにお金だけを得ようとは思わない人である。人は働いて、その対価として賃金を得る。それを「働かなくてもお金儲けができますよ」と言われて、乗っかるほど私はお金に余裕がないということでもある。
ギャンブルが好きな人がいる。パチンコにしても競馬や競輪にしても、宝くじにしても、買う人の中のわずかな人しかお金を獲ることはない。もし、お金を得る人の方が多いようならそれを主催する側は破産してしまう。主催する側になれば、必ず大金持ちになれるだろうけれど、主催する側は国や地方自治体の許可と援助の下に行なっているので、にわかに主催者なれるわけではない。相撲界を揺るがした野球賭博も公に認められたものではないので、勝った金をよこせだの負けた金を払えだの、トラブルがつきまとう。だから暴力団が存在できる。
私は兄がギャンブルに溺れ、ヤクザまがいの男たちが我が家にやってきた時に丁度家にいた。怖いと思わなかったけれど、何と馬鹿馬鹿しいことに巻き込まれたのかと思った。自分は絶対にギャンブルはしないと決めた。ギャンブルは負ける人が多くいなければ、勝つことは出来ない。こういう馬鹿げた仕組みに組み込まれることが許せなかった。もし仮に、何万分の1なのか何百万分の1なのか、そういう幸運の持ち主になったとしても、そのためには何万のあるいは何百万の人の犠牲が必要である。これは私には許せない生き方である。
好きな人が好きなことをやるのは勝手だけれど、少なくとも自分はやらない、それが私の信条である。議員をしていた時、よく証券会社とか先物取引会社から電話が入ってきた。「絶対に儲かります」と言う。「儲ける気持ちはない」と答えると、中には「そんな人はいないはずだ」と決めてかかってくるからビックリする。「世の中には、お金を儲けたいと思っている人もいれば、お金を儲けようと思わない人もいるんだよ」と教えるけれど、全く聞く耳を持たない。「そんな人はいないと言うならば、それでいい。否定する気もない。それでも私はお金儲けがしたいとは思わない。そんなヘンな人が世の中にはひとりくらいはいてもいいでしょう」。
電話をかけてきた若い男の言うように、「お金がいらない人はいない」と私も思う。だって、お金がなければ生きていけない。それが資本主義社会なのだから当然のことだと思う。けれど、そこそこ生きて行ける範囲でいいと思う人はいるだろう。もちろん、お金がいらないと思っているわけではないが、たとえばギャンブルで儲けようとか、先物取引で儲けようとか、要するに労働もせずにお金だけを得ようとは思わない人である。人は働いて、その対価として賃金を得る。それを「働かなくてもお金儲けができますよ」と言われて、乗っかるほど私はお金に余裕がないということでもある。