暑い。午前中に終わるだろうと思っていた作業が午後まで続いた。昨日同様に午後3時ごろになって一段落した。暑い。頭から顔から、汗が流れ出してくる。熱中症にならないように、水分補給をと依頼主さんが気を遣う。市営プールから子どもたちのキャーキャーという叫び声が聞こえてくる。隣の児童公園では、何組かの子どもたちがこの炎天下で走り回っている。大人は暑さでヘトヘトなのに、本当に子どもは元気だ。子どもは暑さなど気にならないのだろうか。
暑さの中でも、スポーツに熱中している人たちもいる。高校野球は各地で予選が行なわれ、汗まみれ砂まみれで頑張っているし、小学校の運動場でもサッカーの試合が行なわれていた。高校1年の孫娘は水泳部だから、学校のプールは屋外型だけれど、部活ではない水泳練習はこれまでどおりスイミングスクールへ通っている。それも朝と夕の2回泳ぐ。いくら室内とはいえ体力の消耗は大きいだろう。よくやるねえーと感心する。その孫娘に「成績はどうだった?」と聞くと、「数学はいいけど、国語がダメだった」と言う。私とは真反対の答えだ。
長女の一家は新聞を購読していない。やはり新しい世代である。情報はパソコンやケイタイで私よりも早く正確にしかも大量に入手している。新聞がなくなる時代が来るのではないか、新聞関係の人たちが心配していた前兆なのかもしれない。だから、孫娘の場合は当然だけれど、文字を読む量は少なくなっている。ケイタイでのやり取りは同世代が多いわけだから、同世代言葉は見ることがあっても、大人の言葉に接する機会は少ない。「国語の力はとにかく読むことだよ。新聞が一番いいとは思うけど、あなたが好きな小説でもいいから本をたくさん読む、これが一番だね」と言うのだが、孫娘がどこまでやるかは疑問だ。
それならと、私が孫娘に読ませたい新聞記事を切抜き、今、ファイルしている。孫娘が読むか否かは彼女が決めればいい。少なくとも人は何かのきっかけがないとなかなか動くことは出来ない。高校1年の時、新聞部に在籍していた。上級生で記事を書く人がいなかったので、1年生なのに記事を書き、割付をし、印刷会社に入稿していた。けれども学校新聞では書く記事にも限界があった。一般新聞の「読者の広場」に投稿した。その内容は「高校は予備校化している」というものだった。記事は採用され、新聞社から図書券が送られてきた。自分の書いたものが一般新聞に載ったのはよかったけれど、生徒会の先生からは嫌味を言われた。
文章を書くことは好きになった。文芸部の友だちに誘われて、詩や小説のようなものも書いた。新聞は客観性に縛られるけれど、詩や小説は主観的でかまわないので、当時好きだった女の子への気持ちを伝える手段として書いた。国語の先生は「こんなものはダメだ」と言う。新聞記事は書けても文芸作品は書けないと思ったが、私の父は「面白いじゃないか」と言ってくれた。私の目は社会に向いていたので、生きていることに関心はあったけれど、新聞記者になりたいとは思ったが、小説家になりたいとは思わなかった。
孫娘は何に関心があるのだろう。彼女が好きなことができるために、私は何ができるのだろう。
暑さの中でも、スポーツに熱中している人たちもいる。高校野球は各地で予選が行なわれ、汗まみれ砂まみれで頑張っているし、小学校の運動場でもサッカーの試合が行なわれていた。高校1年の孫娘は水泳部だから、学校のプールは屋外型だけれど、部活ではない水泳練習はこれまでどおりスイミングスクールへ通っている。それも朝と夕の2回泳ぐ。いくら室内とはいえ体力の消耗は大きいだろう。よくやるねえーと感心する。その孫娘に「成績はどうだった?」と聞くと、「数学はいいけど、国語がダメだった」と言う。私とは真反対の答えだ。
長女の一家は新聞を購読していない。やはり新しい世代である。情報はパソコンやケイタイで私よりも早く正確にしかも大量に入手している。新聞がなくなる時代が来るのではないか、新聞関係の人たちが心配していた前兆なのかもしれない。だから、孫娘の場合は当然だけれど、文字を読む量は少なくなっている。ケイタイでのやり取りは同世代が多いわけだから、同世代言葉は見ることがあっても、大人の言葉に接する機会は少ない。「国語の力はとにかく読むことだよ。新聞が一番いいとは思うけど、あなたが好きな小説でもいいから本をたくさん読む、これが一番だね」と言うのだが、孫娘がどこまでやるかは疑問だ。
それならと、私が孫娘に読ませたい新聞記事を切抜き、今、ファイルしている。孫娘が読むか否かは彼女が決めればいい。少なくとも人は何かのきっかけがないとなかなか動くことは出来ない。高校1年の時、新聞部に在籍していた。上級生で記事を書く人がいなかったので、1年生なのに記事を書き、割付をし、印刷会社に入稿していた。けれども学校新聞では書く記事にも限界があった。一般新聞の「読者の広場」に投稿した。その内容は「高校は予備校化している」というものだった。記事は採用され、新聞社から図書券が送られてきた。自分の書いたものが一般新聞に載ったのはよかったけれど、生徒会の先生からは嫌味を言われた。
文章を書くことは好きになった。文芸部の友だちに誘われて、詩や小説のようなものも書いた。新聞は客観性に縛られるけれど、詩や小説は主観的でかまわないので、当時好きだった女の子への気持ちを伝える手段として書いた。国語の先生は「こんなものはダメだ」と言う。新聞記事は書けても文芸作品は書けないと思ったが、私の父は「面白いじゃないか」と言ってくれた。私の目は社会に向いていたので、生きていることに関心はあったけれど、新聞記者になりたいとは思ったが、小説家になりたいとは思わなかった。
孫娘は何に関心があるのだろう。彼女が好きなことができるために、私は何ができるのだろう。