友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

宵の明星と赤い月

2010年07月26日 21時57分28秒 | Weblog
 今日は満月なのか。西の空の低いところにあったのは宵の明星だったのか。午後9時になる現在では、宵の明星は西の空の少し上の方にある。これに対して満月は、今は東の空、45度ほどのところに見える。中学の時に、学校から帰る途中に東の空に真っ赤な満月を見たことがある。それからラジオ放送で、『赤い月』という題名(?)の放送劇を聞いたように記憶している。南太平洋での戦争を題材にしていたように思うけれど、インターネットで見ると亡くなったなかにし礼氏の『赤い月』しか出てこない。

 私が子どもの頃の記憶では、赤い月は不吉な前兆といわれていた。赤い月を見たからといってそれで何か不幸なことが起きたという記憶はない。地上近くにある月は、天井にあるよりも大きく見える。それは夕日が大きいのと同じ原理だろう。つまり比較するものがあると大きく見える。多分、赤く見えるのも夕日が赤いのと同じで、地上近くにあるために大気で光が屈折するためだと学んだ気がする。それにしても、赤い大きな月は無気味な気がした。

 自然、つまり人間の手によらない世界は不思議で、その大きさはやはり計り知れない。人間はこんなにも地球やあるいは宇宙のことを調べ尽くしてきたけれど、何一つとして人間の意志でコントロールすることは出来ない。いや、発芽を早めたり、四季も空調で調整できるようになったと反論があるかも知れないが、それは人間が原理を利用しているに過ぎない。原理そのものを創造することは出来ない。

 昔、空想科学小説や映画が流行した時、人間の社会もいつか恐竜の社会のように滅びるのだろう。そして何万年かあるいは何億年か後に、人間が誕生し、化石資源を発見するようになる。鉄は鉄道やビルがあったところに帯のように固まってあるし、人や動物がたくさんいた場所からはメタンガスが噴出してくる。逆に、今私たちが利用している鉱物や化石燃料も実はそんな大昔の私たちの姿だったのではないだろうかと思った。このように地球そのものは継続しているけれど、その地球に生まれる生物は全く違うものであったり、あるいは似たものであったり、そんな風に歴史は繰り返しているのかも知れない。

 今、人間は大きな曲がり角に来ている。それは人間が作り出し、大切に思ってきた価値観そのものが揺らいでいることからも明らかだろう。たとえば、人間は集団で生活することで生き延びてきた。この集団を維持するために、家族を造り、一夫一婦制を普遍的な原理としてきた。にもかかわらず、どうして人間の誕生から「汝姦淫するなかれ」と説いてきたのだろう。それは人間の心の中に、姦淫する感情が存在することの証であるし、もっと言えば、どうして人の心に善と悪とが存在するのだろう。そのコントロールがだんだんと上手にできるようになってきているのか、それとも人間の意志とはかけ離れたものになっているのか、判断を求められている。

 NHKテレビの『哺乳類の誕生』を見ていると、余りにも偶然が大きな要因だと思った。そうなのだろう。人間が誕生したことも、そして人間が今日に至ったことも、今私たちが生きていることも、根本的には偶然に過ぎないのだろう。
コメント
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