教訓は全く生かされていなかった。お酒を飲んでブログに書き込んではいけないのに、夢うつつでパソコンに向かっている。けれども決して常識を逸脱するようなことは書かないだろう。半分眠くて、起きているのか眠り始めているのか分からないのに、ブログに向かおうとしている。
今日は何を書きとめておきたかったのか、思い出そうとするけれど、何も浮んでこない。サッカーW杯では決勝戦はスペイン対オランダ戦が日曜日の夜中、むしろ月曜日の朝方に行なわれる。大方の予想はスペインの勝利だ。ドイツとスペインの準決勝戦をテレビで見たけれど、これまでの試合とは全く違っていた。守って勝つ、そんな文字通りの試合だった。どうしてこれほど勝つことにこだわるのかと、一瞬は思ったけれど、私が監督であればやはりそうしたであろう。いやむしろ、私ならばもっと前から一戦一戦が慎重すぎるくらいに慎重な作戦だっただろう。
守ることは大事なことだけれど、守ってばかりいたなら勝つことは出来ない。ドイツも終始守るつもりでいたとは思えないが、スペイン同様に初めは守っていく作戦だったであろう。ドイツが初めから点を取りにいくことに全力を注いでいたなら、局面はかなり違っていたはずだと、当事者でない私は無責任にそんなことを思っていた。結果的に、スペインが勝利したということは、やはりW杯の勝者はスペインなのだろう。
オランダが優勝でもすれば、互角に戦った日本チームは大きく評価されるであろう。けれども現実は、スペインが優勝杯を手にするであろう。タコのパウル君(どうしてこんな名前がついたのだろう?)が槍玉に上がっている。ドイツとスペインの戦いで、スペインの勝利を予言したからだ。タコがたまたまドイツの水族館で飼われていたから、ドイツ贔屓の人たちの反感を買ったのだろう。それにしても人間は誠にずるいし、身勝手だ。タコにいかほどの罪があるというのだろう。
先のことを予言することは実際には出来ないことだ。けれども過去のことならば、もし、でも、と歴史を改ざんするように、求めるようなことは何時の時代にもある。先のことは誰もが予言できないのであれば、「神」に任せるしかない。過去のことは紛れもない事実だから、これを変えることは出来ないが、その解釈は幾通りも出来る。自分自身の過去であっても、あの時のあれは、本当はこうであったとか、済んでしまったことを後からいろいろと解釈しようとする。
辻仁成さんの『サヨナライツカ』を読み終えた。馬鹿馬鹿しいと思いながら、涙が止まらなかった。この作者、やるじゃないかと思った。小説を読んで泣くなんてことは滅多にない。けれども泣けてしまった。辻さんはまだ若い作者だけれど、読者を泣かせるものを持っていると感心した。それと同時に、この作品は人の人生における終末を描いているのだから、作者はこれ以上の作品は書けないのではないか、そう思った。生きていることの意味、愛することの歓びをこのように書き上げてしまうと、次に何が書けるのだろうか、そう思った。
今日は何を書きとめておきたかったのか、思い出そうとするけれど、何も浮んでこない。サッカーW杯では決勝戦はスペイン対オランダ戦が日曜日の夜中、むしろ月曜日の朝方に行なわれる。大方の予想はスペインの勝利だ。ドイツとスペインの準決勝戦をテレビで見たけれど、これまでの試合とは全く違っていた。守って勝つ、そんな文字通りの試合だった。どうしてこれほど勝つことにこだわるのかと、一瞬は思ったけれど、私が監督であればやはりそうしたであろう。いやむしろ、私ならばもっと前から一戦一戦が慎重すぎるくらいに慎重な作戦だっただろう。
守ることは大事なことだけれど、守ってばかりいたなら勝つことは出来ない。ドイツも終始守るつもりでいたとは思えないが、スペイン同様に初めは守っていく作戦だったであろう。ドイツが初めから点を取りにいくことに全力を注いでいたなら、局面はかなり違っていたはずだと、当事者でない私は無責任にそんなことを思っていた。結果的に、スペインが勝利したということは、やはりW杯の勝者はスペインなのだろう。
オランダが優勝でもすれば、互角に戦った日本チームは大きく評価されるであろう。けれども現実は、スペインが優勝杯を手にするであろう。タコのパウル君(どうしてこんな名前がついたのだろう?)が槍玉に上がっている。ドイツとスペインの戦いで、スペインの勝利を予言したからだ。タコがたまたまドイツの水族館で飼われていたから、ドイツ贔屓の人たちの反感を買ったのだろう。それにしても人間は誠にずるいし、身勝手だ。タコにいかほどの罪があるというのだろう。
先のことを予言することは実際には出来ないことだ。けれども過去のことならば、もし、でも、と歴史を改ざんするように、求めるようなことは何時の時代にもある。先のことは誰もが予言できないのであれば、「神」に任せるしかない。過去のことは紛れもない事実だから、これを変えることは出来ないが、その解釈は幾通りも出来る。自分自身の過去であっても、あの時のあれは、本当はこうであったとか、済んでしまったことを後からいろいろと解釈しようとする。
辻仁成さんの『サヨナライツカ』を読み終えた。馬鹿馬鹿しいと思いながら、涙が止まらなかった。この作者、やるじゃないかと思った。小説を読んで泣くなんてことは滅多にない。けれども泣けてしまった。辻さんはまだ若い作者だけれど、読者を泣かせるものを持っていると感心した。それと同時に、この作品は人の人生における終末を描いているのだから、作者はこれ以上の作品は書けないのではないか、そう思った。生きていることの意味、愛することの歓びをこのように書き上げてしまうと、次に何が書けるのだろうか、そう思った。