友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

信じるしかない

2016年03月01日 17時36分19秒 | Weblog

 3月になった。日差しは強いのに風が冷たく、真冬のように底冷えがする。「もう、半年も何の連絡もない」と友だちが言う。好きな女性から「また、連絡しますね」と言った切り連絡がないので、「捨てられた?」と懸念しているのだ。普通に考えれば、半年も連絡がなければ諦めるべきなのだろうが、どうやら心から連絡を待っているようなので、「そのうち来るよ。信じる者は救われるっていうじゃ―ない」と言って元気づけたけれど、老いらくの恋は侘しい。

 「あなたは神様を信じますか?」と言って我が家を訪ねて来る人がいる。「信じない」と言う人のために、「神様は見えないけれど居るのです」と教えたいのだが、私は「神様は居ますよ」と答えるので、一瞬戸惑い、「どこに居ると思いますか?」と尋ねてくる。天国とか心の内とか答えるなら、神様がどのような力の方かと話しかけてくるので、「どこに居るのか、分かりませんが、居ることは確かなのです」と私は答える。「終末は近いです。ぜひ、ご研究ください」と言ってパンフレットを置いていく。

 恋と同じで、捕まえようとしても手に届かない。信じるしかない。信じなければやっていられないことばかりだ。「天国を信じますか?」と聞かれた時も、「あると思うけど、行きたいとは思わない」と答えて呆れられた。天国で永遠の幸せを得るよりも、この世で幸せでありたい。そういう不信心な人は天国ではなく地獄の方がふさわしい。この世での幸せだって得にくいのに、天国で永遠の幸せを望む方が強欲だろう。小さな幸せを望むことが神への背信であるなら、そう批判されても仕方ない。

 6日に行われる男女共同参画フェスタに掲示される子どもたちの作品を貼って来た。「自分の好きなことをする」「生きたいように生きる」などのコピーが目に入る。すると友だちが「生きたいようには生きられへん」とぼやいた。確かに好きなことをすることも、生きたいように生きることも難しいが、それは生きてきたから言えることで、子どもたちは夢を追いかけていい。人生は挫折の連続と、早くから知る必要はない。信じて生きるしかないから。

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