「東北大震災から5年」とテレビも新聞も報じている。私も大きく変わった。仲間と続けてきた井戸掘りもめっきり少なくなった。仲間も少なくなってしまったから、依頼がないので逆に助かっている。皮肉な現実だ。毎年開いて来た「夜桜の宴」も、夜がなくなって昼間に変わった。宴を開いていた公園がバーベキュー禁止となったので盛り上がらなくなったことも要因のひとつだ。
秋に行っていたバス旅行も身近なところは行き尽し、少し金額を上げないといいところがないので止めてしまった。同じことは長く続かない、と承知しているつもりでも何か寂しい。東北大震災の翌年の3月、私は脈拍が低下しペースメーカーの植え込み手術を受けた。私の身体を気遣い、激しい運動や力仕事をさせないように、みんなが「しなくていい」と言ってくれる。私自身は「大丈夫だって」と言うのだけれど、周りの方が心配する。
余り大事にされると、このまま終わってしまうようでちょっと寂しい。鉢植えの水仙が満開になった。冬季のルーフバルコニーは風が強く、水仙はいつも横倒しになって咲いている。日の目を見ないままではあまりにも可哀想なので、花を刈り取り花瓶に差してみた。部屋中に水仙の強い香りが漂う。ちょっと鼻にきついけど、「今年は飾られてよかったね」と声をかけた。
水仙はギリシア神話に出てくる。美しい少年ナルキッソフは復讐の女神によって自分しか愛せなくさせられる。彼が水を飲もうとした時、そこに美しい少年を見てたちまち恋して動けなくなってしまう。サルバドール・ダリも水仙になってしまう少年を描いている。しかし、なぜ少年は水仙になったのだろう。水仙は小さな花でそんなに美しいようには見えないが‥。
自己愛者をナルシストと呼ぶが、私にはどうして水仙だったのかと不思議でならない。ナルキッソスを愛した妖精がゼウスに他人の言ったことしか繰り返せなくされる。そのため妖精はナルキッソスに恋心を伝えられなかった。悲観した妖精は洞窟に籠り、エコーとなったという話も悲しくて怖い。ギリシア悲劇は嫉妬や復讐など人間的だが、だからか怖い話が多い。