友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ピカソとダリ

2016年03月14日 18時29分05秒 | Weblog

 「ピカソは天才」との評価は高いが、私の好きな絵ではない。同じスペインの出身でも私が好きな画家はサルバドール・ダリだ。23歳年上のピカソがパリに出てきた時代は印象派が全盛の時代で、ダリがパリに出たのは第1次世界大戦が終わりロシア革命が成立した後だった。社会主義と心理学に若者たちの関心が集まり、シュールリアリズムが芸術家たちの間に広がっていた。

 ピカソとダリは、結婚した女性がロシア人という共通点はある。ピカソは恋多き人だった。最初に結婚したのはバレリーナでこの女性との間に子どもをもうけたが、別の女性と恋におち、この女性は精神を病んで死んでしまう。ピカソにかかわった女性たちは皆不幸になってしまい、ピストル自殺した女性もいた。結婚は2度だが、3人の女性に4人の子を生ませているが、恋した女性は数多くいたようだ。

 ダリが結婚した女性は人妻だった。詩人のエリェアールが妻のガラを連れてダリのアトリエを訪れた。ダリは彼女を見た瞬間恋に落ちた。ガラはエリェアールとの間に女の子がいたが、ダリと再婚する。ガラはシュールリアリストの間では女王のような存在だった。ダリとの結婚後も男性とのウワサの絶えない女性だった。10歳年上のガラの魔力にとりつかれたダリは、彼女をモデルにいくつも作品を描いている。

 ダリは固執するところがあるが、ピカソはむしろ変遷を繰り返す。ピカソが作風を変えてもなお評価が高いのは、時代の先が読める人だったからだろう。芸術家も世間が評価し購入してくれなければ有名人にはなれない。ピカソもダリもその点では見事な営業マンでもある。芸術をお金に換えてしまうことに長けたふたりだった。

 ピカソは92歳でこの世を去った。晩年のピカソの言葉で有名なものがある。「女っていいもんだよ」。これは女性を蔑視しているわけではなく、女性はピカソにとって活力の源だったのだ。彼はきっと、「愛したいから愛した」と言い切るだろう。映画『それでも恋するバルセロナ』の男性画家と重なるが、ピカソを意識した映画なのだろうか。

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