もうすぐ春休み。40年も前なので、何日だったか忘れてしまったが、雨上がりだったのか雨が降りそうだったのか、傘を持って出勤した。駐車場の手前で突然現れた男たちにタックルされ、鉄パイプで頭と両腕そして左足の膝をメチャクチャに打たれた。ブシブシと骨が折れる鈍い音がした。倒された時、持っていた傘でタックルしてきた男の背中を突き刺すことも出来たのに、抵抗しなかった。
病院に運ばれ、6カ月ほど入院した。長女が小学校へ入学する直前だった。私が意識を取り戻し、子どもたちが病室に入って来きたが、ただ驚くばかりだっただろう。久しぶりに見るパパは、頭も両手も左足も、包帯でグルグル巻きにされて動けなかった。4つ下の次女は怖がって泣いた。なぜ、何があったのと長女は思ったはずなのに、病院にいた理由は一度も聞かなかったし、話題にすることもなかった。
内ゲバである。暴力で政権を奪取することに私は疑問だった。個々の人間を犠牲にして実現する革命は人間の解放と相反する。命を尊重しない革命に意味はない。死から生き返って、馬鹿馬鹿しいことに身を置く必要はないと教職を去った。幼い次女は記憶がないだろうが、長女は環境が一変し戸惑っただろう。我が家に遊びに来ていた教え子たちを知っているから、パパは教師だったはず、なのに叔父さんのところで板前の真似を始めた。
長女にとって私は得体の知れない存在だっただろう。私がようやく「自分の仕事」を見つけた時、長女は高校1年生になっていた。始めた地域新聞のコラムに「書いてくれる人、いないか?」と聞くと、すぐ、友だちやその母親に頼んでくれた。今、長女の下の娘は同じ6歳だ。かなり大人のことが分かっているので、長女もあんな風だったのかと思う。
私が組合活動に積極的でなければ、高校ではなく小学校の教師だったら、教師でなく出版社にいたら、過去を振り返ればいくらでも違う選択肢はある。けれども過去は変わらない。人を傷つけたり法律を犯したりしていないが、ちょっと変わった父親で、子どもたちには申し訳ないと思う時がある。