友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

素直に謝る

2016年03月04日 17時59分45秒 | Weblog

 同学年の集いで、飲み過ぎて倒れた男は開口一番、「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」とみんなに言った。私が宴会をした店に謝りに行った時、若いカミさんは「翌日、みえましたよ。傘を取りに」と教えてくれた。どういう経歴の男なのか知らないが、たとえ覚えていなくても迷惑をかけたことは確かだから謝る、それが出来る男だと分かった。謝るのが普通だと思うが出来ない人もいる。

 出来る人と出来ない人と、どちらが気持ちがいいかと言えば出来る人の方だろう。ところが世の中には素直に謝ったりすると、「根性がない」とか「迎合している」と非難する人もいる。安倍首相は、「働く女性が増えたので、(保育園に入れない)待機児童が増えた」という認識だった。ところが実際は、就労した女性は子育てが終わった世代であったことが分かったが、「認識が間違っていた」と謝ることはしなかった。

 野党の追及も、安倍首相が「喜ばしい」と発言したことばかりを取り上げたので、「待機児童が増えて、喜ばしいと言う訳がない。日本人なら文脈で分かる」と言い負かされた。子どもを産んでも働かなくては生活できない社会の仕組みが問題なのに、働くことが前提になっている。男も女も働くことに私は反対ではない。家事労働も評価されていいはずだが、社会的な評価にはならない。社会で働けば、認められ、生き甲斐にもなる。家事や育児が社会的評価と同等であれば、女性たちの生き方も変わるだろう。

 国会での論争を聞いていた先輩が、「子育ては自分でするもので、何で国に責任を求めるのか。民主党の連中は何を考えている」と怒り出した。介護を社会全体で行おうとするのと同じように、子育ても個人に押し付けるのではなく社会全体でみていこうということで、「これは自民党も民主党も変わらない考えですよ」と伝えたかったけれど、その雰囲気ではなかった。

 想いを伝えるためには言葉は大切だが、同時にタイミングもある。また、世代によって考え方の開きもあり、価値観の違いもある。それでも素直になる努力はみんなに課せられた課題である。

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