「手押しポンプが修復できたことを生徒に伝え、直してくださった皆さんを生徒に紹介したい」と校長が言われる。今日は修了式、体育館の壇上に上がることになった。校長は「殻を破る」と「井の中の蛙 大海を知らず」と大きく書かれた2枚を見せて、殻にこもっていてはダメだ、井の中のカエルになってしまうという趣旨の話をされた。そして、「中庭にある手押しポンプがこの方たちによって使えるようになりました。この方たちは殻を破り、夢を追ってみえます」と持ち上げてくださった。
そして「代表して一言」とマイクを向けられた。私は「井戸の水が出なかった原因は長い間使われてこなかったからです。使われないと錆び付いてしまいます。好きなことに夢中になり、続けていってください」とあいさつした。この後、手押しポンプのある井戸へ行き、生徒たちと水汲みをするのだが、手押しポンプを覗くと水がない。まず、じょうろで水を注ぎ、柄を上下に動かして見せる。たちまち水が溢れ出す。こんなに水が途絶えることなく出ることの不思議を生徒たちは分かってくれただろうか。
殻の中にいれば、安心で安全だろう。一生誰かの庇護の下に生活する人がいてもそれを非難することは出来ない。大海に出なくて済むなら、それで良いのかも知れない。挫折することもなく、自分を優位に思って暮らすことも人生だろう。中学生の時、私は何を考えていたのか。「夢に向かって進みなさい」と言われるが、どんな夢を描いていたのだろう。考えてみれば、好きな女の子がいて、その子と話がしたいと思っていたが、将来は何になろうとか、どんなことがしたいと考えたことはなかったような気がする。
勉強して1番になりたいということもなかった。私の関心は、人はどうしていがみ合うのだろう、なぜ戦争は無くならないのか、人が生きている意味は何だろう、そんなことばかりだった。そのくせ友だちがエロ本を持って来れば、熱心に見た。自分で「好きなことを続けてください」と言っておきながら、続けてきたことは何だったろうと考えてしまった。