友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

若者の貧困と年寄りの責任

2016年03月19日 18時41分38秒 | Weblog

 「明日は雨だよ」と言うと、「なあーに大丈夫。私がついていますから」と晴れ男の先輩は言う。早朝はまだ雨が降っていた。やはり雨が止むのは午後になると思っていると、8時過ぎに青い空が見え始めた。電話が入る。「やっぱり雨は上がったでしょう。何時からやりますか?」と先輩は勝ち誇ったように言う。すでに昨日、道具は運び込んでおいたので、今朝は順調で午前10時には作業に取り掛かった。

 中学校の校庭の一角に、立派な井戸があるのだが、「水が出ないので何とかならないか」と教頭から電話があった。手押しポンプのピストンを取り換えればいいだろうと思ったが、意外に水の出が悪い。ポンプの下を見ると鉄管である。しかも、砂取り器までついている。鉄管ではいずれ錆びてしまうので塩ビ管に取り換えることにした。さて、どうやって鉄管を抜くのか。三脚を立て、チェーンで引き抜こうとワイヤーをかけるが、細過ぎて切れてしまった。太いチェーンに換えて再度挑戦する。

 私が「井戸掘りをしている」と話すと、児童館で働いている若い青年が「ぜひ、見たい」と言うので、「今日の午後は作業をしています」と連絡した。鉄管を抜くための準備をしているところに2人でやって来た。2人が来てくれなければ、鉄管は抜けなかったかも知れない。やっぱり若い人の力は私たち老人とは違う。手順とかコツとかを彼らに見せて、井戸掘りの知識と技術を伝えていきたいと思う。

 児童館の運営は、指定管理者制度で民間委託されている。確かにそれで、自治体の支出は抑えられているが、本当にいいのだろうかと思う。民間であるため毎年入札が行われ、業者が決まる。契約は1年なので、来年も落札できるとは限らない。業者の質も配慮されるのだろうが、価格で決まるのが一般的だ。そうなると価格は下がることはあっても上がることはないから、契約した業者は働く人の賃金を上げることが出来ない。

 日本の働く人たちの貧困は、非正規社員もそうだけれど、こういう行政の下請けをしているNPO法人の社員も同じだ。若者が住みにくい社会になってしまったことに、年寄りとしては大変責任が重い。

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