友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学校の井戸修復

2016年03月21日 17時40分35秒 | Weblog

 修復工事は完成した。水が出なかった中学校の井戸、その原因は使っていなかったことだ。吸管に使われていた鉄管の入水口は錆びて塞がっていた。毎日、何度も水を汲み上げていれば、こんなことにはならなかっただろう。塩ビ管に取り換えたが、毎日汲み上げなければ同じことになるだろう。「防災に役立つのでは?」と提案してきた生徒たちが、この井戸を毎日使ってくれるように祈りたい。

 伝承は、たとえば祭りの芸能のように、先輩とか大人が後輩や子どもに、身振りや手振りで伝えていけば何百年も続くが、人から人への申し伝えは文書でもなければ意外に途切れてしまう。この中学校の井戸もなぜここにあるのか分からないようであるし、児童館や児童公園にも防災用に井戸が掘られたが、今ではすっかり忘れられている。人間はどうしても目先のことを優先し、長い目で見る余裕がない。

 中学校の運動場を見ていると、サッカー部の練習に参加する人数は野球部の4倍くらい多い。甲子園で春の大会が始まったが、それでも子どもたちの関心は野球よりもサッカーにあるようだ。50年近く前の私の中学生の頃は、野球部は格好いい男子が多く、サッカー部は太めでがっちりした体格の者が多かった。練習を見ていても野球部はなぜかスマートだったのに、サッカー部は泥臭い感じがした。

 集団訓練が嫌いな私は運動部には属さず放送部だった。好きだった女の子のために放送劇のシナリオまで書いたが、放送には至らなかった。シナリオを書くために、放送室にあったレコードを片っ端から聴いたおかげで、バッハの音楽は同じ調べの繰り返しで気持ちがよいことや、ベートーベンは音楽を組み立て作り出していること、ドビッシーは不協和音を巧みに組み込んでいることなどを知った。文学や絵画に古典からロマンそして近代への流れがあるのと同じだった。

 子どもたちもきっと時代を感じつつ、自然に新しい時代を生きていくことになるのだろう。私は自分がどういう子どもだったのか、友だちは私をどのように見ていたのか、ふとそんなことを運動場で大声を出す子どもたちを見ながら思った。

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終わりよければすべてよしって本当かな

2016年03月20日 17時44分39秒 | Weblog

 ちょっと疲れた。いくら「失敗は成功につながる」とか、「100回失敗しても最後に成功すれば結果オーライ」とか言われても、失敗は余分な時間がかかり、肉体的にも精神的にも疲れてしまう。昨日に続いて今日も午後から井戸掘りをする。とはいえ、昨日は6メートルまで掘り進めたので、今日はさらに掘ることが出来るのかを確認し、これ以上掘れないのであれば吸管を入れて汲み出し、水量を確認するところまでが目標である。

 ところが思い違いがあったり、手順を忘れていたり、やっぱり年を取ってしまったと思うことが重なった。まあ、最後は豊富な水を汲み出すことができたから、「終わりよければすべてよし」なのかも知れない。明日はいよいよ手押しポンプを取り付ければ完成だ。他人というか、建設業者が、「おまけ」(?)で設置していった手押しポンプの修理はやはり手間がかかるが、逆に学ぶことも多くあった。

 今日の午前中は市制10周年記念式典で、元議員の私も出席した。昔懐かしい顔も多く、「やあ、元気そうだね」とか「今は何やってりゃーす」と話しかけられる。私がこの街に住み、地域新聞を始めたのは1985年10月、生活圏が同じだった2町を地盤に10年続けた。始めた頃は2町が合併するとは思わなかったけれど、1つの街になってもよいのにと思う気持ちは年毎に高まった。地域新聞は2町で生活する人々を取材しスポットを当ててきたから、市になる基礎作りを果たしてきたことになる。

 会場で会う人の多くが知り合いだった。やはりそれだけ多くの人に助けられていたと痛感した。市制が敷かれて市長にはなれなかったが、これも縁あって大和塾の事務方を引き受けることになり、10年間間違いなく認知度を高めてきた。人のために働くなどと言うと、余りにも驕り過ぎているが、そういうことに夢中になるのが私の定めのようだ。「終わりよければすべてよし」と開き直ってみようか。

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若者の貧困と年寄りの責任

2016年03月19日 18時41分38秒 | Weblog

 「明日は雨だよ」と言うと、「なあーに大丈夫。私がついていますから」と晴れ男の先輩は言う。早朝はまだ雨が降っていた。やはり雨が止むのは午後になると思っていると、8時過ぎに青い空が見え始めた。電話が入る。「やっぱり雨は上がったでしょう。何時からやりますか?」と先輩は勝ち誇ったように言う。すでに昨日、道具は運び込んでおいたので、今朝は順調で午前10時には作業に取り掛かった。

 中学校の校庭の一角に、立派な井戸があるのだが、「水が出ないので何とかならないか」と教頭から電話があった。手押しポンプのピストンを取り換えればいいだろうと思ったが、意外に水の出が悪い。ポンプの下を見ると鉄管である。しかも、砂取り器までついている。鉄管ではいずれ錆びてしまうので塩ビ管に取り換えることにした。さて、どうやって鉄管を抜くのか。三脚を立て、チェーンで引き抜こうとワイヤーをかけるが、細過ぎて切れてしまった。太いチェーンに換えて再度挑戦する。

 私が「井戸掘りをしている」と話すと、児童館で働いている若い青年が「ぜひ、見たい」と言うので、「今日の午後は作業をしています」と連絡した。鉄管を抜くための準備をしているところに2人でやって来た。2人が来てくれなければ、鉄管は抜けなかったかも知れない。やっぱり若い人の力は私たち老人とは違う。手順とかコツとかを彼らに見せて、井戸掘りの知識と技術を伝えていきたいと思う。

 児童館の運営は、指定管理者制度で民間委託されている。確かにそれで、自治体の支出は抑えられているが、本当にいいのだろうかと思う。民間であるため毎年入札が行われ、業者が決まる。契約は1年なので、来年も落札できるとは限らない。業者の質も配慮されるのだろうが、価格で決まるのが一般的だ。そうなると価格は下がることはあっても上がることはないから、契約した業者は働く人の賃金を上げることが出来ない。

 日本の働く人たちの貧困は、非正規社員もそうだけれど、こういう行政の下請けをしているNPO法人の社員も同じだ。若者が住みにくい社会になってしまったことに、年寄りとしては大変責任が重い。

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産み育てることが幸せだとしても

2016年03月18日 18時34分03秒 | Weblog

 大阪市立茨田北中学校の校長の朝礼講和が論議になっている。問題になったのは次の部分である。「女性にとって最も大切なことは子どもを2人以上産むことです。これは仕事でキャリアを積むことより以上に価値があります」。校長が朝礼で何を話してもよいし、それで生徒が校長の主張を100%受け入れるわけではない。

 中学時代を振り返っても、校長の講話で思い出に残っているものはない。そうは言っても、影響がない訳ではない。私はむしろ、こういう考え方をする人でなければ校長になれないことが問題だと思う。なぜ校長はこの話をしたのだろうか。その理由は、「少子化が進むと日本が消えてしまう」という考えにある。「アメリカは日本人を原子爆弾で潰されそうになったが、今は少子化で自ら潰している」と考えている人である。

 「女性が2人以上産み育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたらよいという意見に賛成です」「子育ての後、大学で学び専門職に就けばよい」と校長は言うが、なぜ女性と男性を区別するのだろう。子育てを終え大学で学んだとして、受け入れてくれる職場があるのだろうかと思うし、果たしてそれが女性の理想的な生き方とは思えない。

 校長は「子育ては必ず夫婦で助け合いするもので、女性だけの仕事ではありません」と言うが、これも建前でしかない気がする。「女性にとって」からの文面を見ると、まるで北朝鮮なのかと思えてくる。子を産み育てることは国家のためなのかと恐怖さえ感じる。「産めよ増やせよ」と国家が介入すべきでない。自分の考えを話しただけで、「間違ったことは言っていない」と校長は開き直るが、女性を「産む道具」としか見ていない大きな間違いをしている。

 大阪の女性教師から匿名のコメントを待っています。

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殺人未遂事件とヘルペス

2016年03月17日 17時16分11秒 | Weblog

 我が街で殺人未遂事件が起きた。17歳の高校生が16歳の元彼女の腹など数か所を刃物で刺したのだ。少女は自ら110番して、「自宅で元彼に刺された」と告げた。また、刺した男の子も近くの福祉施設に駆け込み、「人を刺したので、電話を貸してください」と言った。施設の職員の話では両手は血で染まり、全身に返り血を浴びていたようだ。

 つい先日も、近くのコンビニエンスストアに強盗が入ったばかりで、まだ犯人は捕まっていない。このコンビニは暴走族のたまり場で、夜中でも店の前で爆音を響かせ、大声で騒いだりしていただけに、近所の人は「とうとう強盗か」と嘆いていた。私がマンションに引っ越して来た頃は、駅から道でカエルの大合唱が聞けた。今では田んぼは埋め立てられ、素敵な家が立ち並び、カエルの声を聞くことはない。

 福岡でも予備校生が同じ予備校の女子を刃物で刺し殺した事件があった。なぜ、殺したのか解明されていない。我が街の事件は、男の子が復縁を迫ったが、「断られたので刺した」と話している。私の友だちの女性は「最近の男の子はダメね。短絡的。女の子は他にもいっぱいいるでしょうに」と嘆く。一途なのは純愛っぽいけれど、振られたなら諦めるのも恋愛術というのである。命を大事に出来ない者にも分かる、「恋愛はこうするの」と教えるマンガはないのだろうか?

 喫茶店で会った知り合いは鼻の下が赤く腫れあがっている。「どうしたの?」と聞くと、「鼻水が止まらなくて、ティッシュを使い過ぎた」と答える。「ヘルペスか、お気の毒に」と言うと、「いやね、年金暮らしじゃない。カミさんが電気は点けるな、エアコンは使うなとうるさいのよ。寒いなと思いながら部屋にいたら、鼻水が止まらなくなってさ」と愚痴をこぼす。「そりゃーまた、お気の毒に」。

 彼のカミさんくらいの説得力が刺された少女にあれば、刺した男の子も諦めることが出来たのかも知れない。いや、若い時は何も耳に入らないかも知れないが、それでも少女が50年も生きればきっと強い女性になっていることだろう。今晩は誕生日会ゴルフの反省会なので、ゴルフをしない私にも声がかかる。どんな話が聞けるか、楽しみだ。

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40年前の出来事

2016年03月16日 17時20分43秒 | Weblog

 もうすぐ春休み。40年も前なので、何日だったか忘れてしまったが、雨上がりだったのか雨が降りそうだったのか、傘を持って出勤した。駐車場の手前で突然現れた男たちにタックルされ、鉄パイプで頭と両腕そして左足の膝をメチャクチャに打たれた。ブシブシと骨が折れる鈍い音がした。倒された時、持っていた傘でタックルしてきた男の背中を突き刺すことも出来たのに、抵抗しなかった。

 病院に運ばれ、6カ月ほど入院した。長女が小学校へ入学する直前だった。私が意識を取り戻し、子どもたちが病室に入って来きたが、ただ驚くばかりだっただろう。久しぶりに見るパパは、頭も両手も左足も、包帯でグルグル巻きにされて動けなかった。4つ下の次女は怖がって泣いた。なぜ、何があったのと長女は思ったはずなのに、病院にいた理由は一度も聞かなかったし、話題にすることもなかった。

 内ゲバである。暴力で政権を奪取することに私は疑問だった。個々の人間を犠牲にして実現する革命は人間の解放と相反する。命を尊重しない革命に意味はない。死から生き返って、馬鹿馬鹿しいことに身を置く必要はないと教職を去った。幼い次女は記憶がないだろうが、長女は環境が一変し戸惑っただろう。我が家に遊びに来ていた教え子たちを知っているから、パパは教師だったはず、なのに叔父さんのところで板前の真似を始めた。

 長女にとって私は得体の知れない存在だっただろう。私がようやく「自分の仕事」を見つけた時、長女は高校1年生になっていた。始めた地域新聞のコラムに「書いてくれる人、いないか?」と聞くと、すぐ、友だちやその母親に頼んでくれた。今、長女の下の娘は同じ6歳だ。かなり大人のことが分かっているので、長女もあんな風だったのかと思う。

 私が組合活動に積極的でなければ、高校ではなく小学校の教師だったら、教師でなく出版社にいたら、過去を振り返ればいくらでも違う選択肢はある。けれども過去は変わらない。人を傷つけたり法律を犯したりしていないが、ちょっと変わった父親で、子どもたちには申し訳ないと思う時がある。

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映画『家族はつらいよ』

2016年03月15日 18時02分49秒 | Weblog

 山田洋次監督の映画『家族は辛いよ』を観た。初めから終わりまで、笑って笑って、笑わせるコメディーでよかった。これがシリアスな映画であったら、とても観ていられなかった。70代の夫婦だから我が家と同じだ。今日が妻の誕生日と分かると、「何がいい。言ってみろ。高いものはダメだぞ」と亭主は威張って言う。妻は引き出しから1枚の紙を出し、「ここに署名し、判を押してくれればいい」と言う。離婚届である。ここから映画は「家族」を展開していく。

 70代の亭主は、高度成長期を我武者羅に働き、横浜にしゃれた家を建てた。今は、長男夫婦とその子ども2人と結婚せずに同居している次男7人で暮らしている。次男が結婚を躊躇していたのは、ピアノ調律師で収入が不安定なこともあるが、何よりも父と兄の関係が悪く、自分が緩衝地帯になっていようと思っているからだが、恋人との新しい生活を初めようと決心する。

 そこに、両親の離婚という考えてもみなかった問題が発生する。なぜ、母は離婚を決意したのかが実に面白い。映画館の観客席はほとんど老人ばかりだったが、そのセリフにあちこちで笑いがこぼれた。「靴下や下着を裏返しのままにする。すぐ『ウルサイ』と言う。食べる時にペチャクチャ音を立てる」など、どこの家庭でも見られる風景への共感の笑いだった。

 長い間我慢してきたというよりも、余り気付かないうちに暮らしてきてしまったが、年を重ねて相手の嫌なところが目に付くようになったのだ。「一緒に暮らそう」と言ってくれる友だちがいて、自分のために使えるお金がある。これが無ければ家を出ていくことなど出来ない。彼女は恵まれている。カミさんのお母さんも「離婚したい」と言っていた。余り言うので、「ウチにくればいい」と言ったが、結局は離婚しなかった。お父さんが亡くなると、「いい人だった」と評価はガラリと変わった。

 亭主は稼ぐことで自己満足しているが、女房はそれだけでは満たされない。働いて家を建て、子どもたちを養い、家族で旅行にも出かけ、正月にはみんなで集まり、どこにでもある典型的な普通の家庭だが、家族であることは難しい。我慢し続けるか、いや、よいところだけ見て、笑って暮らす、それでいいじゃーないか。映画の結末は?「ぜひ映画を観てください」。

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ピカソとダリ

2016年03月14日 18時29分05秒 | Weblog

 「ピカソは天才」との評価は高いが、私の好きな絵ではない。同じスペインの出身でも私が好きな画家はサルバドール・ダリだ。23歳年上のピカソがパリに出てきた時代は印象派が全盛の時代で、ダリがパリに出たのは第1次世界大戦が終わりロシア革命が成立した後だった。社会主義と心理学に若者たちの関心が集まり、シュールリアリズムが芸術家たちの間に広がっていた。

 ピカソとダリは、結婚した女性がロシア人という共通点はある。ピカソは恋多き人だった。最初に結婚したのはバレリーナでこの女性との間に子どもをもうけたが、別の女性と恋におち、この女性は精神を病んで死んでしまう。ピカソにかかわった女性たちは皆不幸になってしまい、ピストル自殺した女性もいた。結婚は2度だが、3人の女性に4人の子を生ませているが、恋した女性は数多くいたようだ。

 ダリが結婚した女性は人妻だった。詩人のエリェアールが妻のガラを連れてダリのアトリエを訪れた。ダリは彼女を見た瞬間恋に落ちた。ガラはエリェアールとの間に女の子がいたが、ダリと再婚する。ガラはシュールリアリストの間では女王のような存在だった。ダリとの結婚後も男性とのウワサの絶えない女性だった。10歳年上のガラの魔力にとりつかれたダリは、彼女をモデルにいくつも作品を描いている。

 ダリは固執するところがあるが、ピカソはむしろ変遷を繰り返す。ピカソが作風を変えてもなお評価が高いのは、時代の先が読める人だったからだろう。芸術家も世間が評価し購入してくれなければ有名人にはなれない。ピカソもダリもその点では見事な営業マンでもある。芸術をお金に換えてしまうことに長けたふたりだった。

 ピカソは92歳でこの世を去った。晩年のピカソの言葉で有名なものがある。「女っていいもんだよ」。これは女性を蔑視しているわけではなく、女性はピカソにとって活力の源だったのだ。彼はきっと、「愛したいから愛した」と言い切るだろう。映画『それでも恋するバルセロナ』の男性画家と重なるが、ピカソを意識した映画なのだろうか。

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名古屋女子マラソンに感動の涙

2016年03月13日 17時44分15秒 | Weblog

 朝9時から、名古屋ウィメンズマラソンをテレビで見た。マラソンは先頭集団にいることが大事と言われるが、注目の野口みずき選手は先頭集団に留まることが出来なかった。その差は開くばかりだったから、逆転は難しく思われた。ペースメーカーのすぐ後ろに優勝候補と目されているバーレーンのキルワ選手がいた。身体がとても美しい。優勝のインタビューを見ると顔立ちも美しかった。

 解説の瀬古さんが「マラソンは35キロからが勝負ですから」と言っていたが、30キロでペースメーカーが集団から離れると、キルワ選手が一気に前に出た。これを追って小原玲選手がスピードを上げた。さらに田中智美選手も前に出た。この二人が最後まで並走し、どっちが前に出るのだろうとテレビを見ていた人はドキドキしていたに違いない。

 ゴールのあるナゴヤドームへの曲がり角で、身体半分ほど田中選手が前にいた。小原選手は田中選手よりも身体が大きいので、最後のスタミナはあるのかも知れないと思ったが、残り100メートルない直線でも田中選手のスピードは落ちなかった。二人の差はわずか1秒だった。このマラソンはリオデジャネイロ・オリンピックの最後の選考大会という。1秒でも2位ではだめなのだろうか。

 野口選手は最後まで走り切った。順位は23位。昔の切れはなかったが、途中棄権することもなくよく頑張ったと思う。元オリンピック選手であるから、結果は悔しいだろうが、沿道で応援する人たちに手を振り、「自分の走りが出来た」とコメントしていたから、彼女としては完走できたことに満足感があるのだろう。みっともないからと棄権したくなるところなのに、凄いなと感心した。

 ただ、ひたすら走るだけの競技だが、2時間30分も見続け、ゴールした時は自分まで涙を流している。この後のNHKのど自慢でも、どういう訳か何度も涙を流してしまった。

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男たちの生き方の違いを物語にして欲しい

2016年03月12日 17時56分45秒 | Weblog

 日差しは温かいのに空気は冷たい。パンジーや山スミレに肥料を与え、たっぷりと水を撒く。チューリップは本当によく伸びてきた。バラも赤い芽が大きく育ってきた。1鉢1鉢、眺めながら水やりをしていたら寒さで鼻水が落ちてきた。今年は桜の開花が早いと言う。どんな春になるのか、期待は大きく膨らんでいるのだが‥。

 中学からの友だちがブログで、「男が不倫をするには経済力と健康がなければ成立しない」と書いていた。彼は17年間も付き合ってきた「友だち以上恋人未満」の女性がいたが、最近はとんと登場しない。「誰も理解できないだろうが、そういう関係で満足」と言い、「デートはするがそれ以上は望まない」と断言していた。

 それを聞いて他の4人の同級生は「ウソだろう」とか「満足できないよ」とか言った。彼のブログにも「抱きしめたかった」素振りが行間から見える。恋多き男で、すぐに熱を上げるが、1歩踏み出せば成就するというところで止めてしまう。追いかける自分の恋が好きなのだろうが、1歩踏み出した結果、そこに何があるのか察知できるから止めてしまうと思う。

 恋多き人でいながらどこまでも健全に生きている。それとは対照的な友だちもいる。求道者のようにひたすら「愛」を掘り下げようとする。彼に愛された女性は、当然だが重荷に耐えられなくなってしまう。にもかかわらず彼は自分の愛し方に問題があるとは気付いていない。自分の欲望に誠実であることがなぜダメなのかと思っている。

 もう一人、実に真面目に生きている友だちがいる。与えられたものを愛おしく大切にし、決してそれ以上のものを望まない。道徳に反することを毛嫌いし、誠実であることに生きがいさえも感じているのではないかと思う時もある。「無理はしない。無理をすれば結局、何かを失う」と知ったようなことを言う時もある。

 3人の男の3様の生き方を小説で表せたらいいのにと思う。ブログを書き続けている友だちは高校の時は文芸部で小説家希望だった。彼なら物語に出来るのではないだろうか。先日観た映画『それでも恋するバルセロナ』で、「成就しない恋だけがロマンチック」(?)というセリフがあった。ドンファンの口説き文句だがなかなかしゃれている。

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