雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

向こう三軒両隣 

2019-12-22 17:10:18 | 昔語り

「向こう三軒両隣 時代は変わっても大事なのはご近所」

私の家から道を挟んで向う側に家が建ちました。新築した家に家族が入りました。

その家から見て、我が家は向こう三軒に当たります。

もう一か月も経ちますが、その家に住む人の名前も知りません。

むかし(戦時中、戦後)は、向こう三軒両隣で助け合って生活するようにと言われ、お互いが助け合って生活していたものでした。

戦時下にあって助け合うことが大事だったのです。

私は8度も転勤したのですが、転勤先の職員の家まで回って、今後ともよろしくと挨拶したものでした。

勿論、家の周りの家にも挨拶して回りました。

ところが近年は世の中が変わっています。向こう三軒両隣にも挨拶に来ないのです。

したがって、新しく来た家の人の名も覚えようとしないということななってしまっているのです。

むかしの風習は今にも残しておきたいものと思います。


オンネエンルム 襟裳岬にちなむ記録 

2018-08-15 21:36:05 | 昔語り

「オンネエンルム 襟裳岬 ここには意外な記録が!」

再び襟裳岬の話です。

アイヌ語の「オンネ」と「ポン」は、対比の地名です。「オンネ」は年老いている、大きいの意味を表す言葉で、「ポン」は子である、小さいの意味の言葉です。

私が良く通っている「襟裳岬」はアイヌ語でオンネエンルムと言いました。訳は「大きいでっぱり(半島)」と言う意味です。

襟裳岬は眺めが雄大で気持ちが晴れ晴れします。

様似町のエンルム岬がポンエンルムで、襟裳岬がオンネエンルムと対比して呼ばれていたのです。

エンルム岬は上に登る事ができ、様似港が一望できます。景色は見事です。

そして、襟裳岬にはもう一つのアイヌ語の呼び名で呼ばれていました。「ピリカノカ」という呼び方です。こちらの呼び方はあまり浸透せず、今では誰も口にする人がいません。

襟裳岬は昆布の取れるところとして知られていますが、アイヌ時代はこのコンブは神からの贈り物として、当時は採らなかったと伝えています。

 

 〇今日、8月15日は「終戦の日」(昭和20年終戦) 国民はその後も食料不足、生活物資不足で生活苦難の日々を過ごすことになります。 

 


石狩市浜益 にしん千石場所

2016-09-03 22:31:40 | 昔語り

「浜益 海の幸最高」

 浜益(石狩市)の地名の起源は「ハママシケ」で、にしんの群れに集まるカモメ群れるところと云う事から言われた地名と言われている。

その浜益にこの一週間の間に二度訪れました。浜だけあって昼食に食べた海鮮丼にも満足し、食事処の近くの回転魚干し器の魚にも参加者が「美味しそう」と感嘆の声を上げていました。

帰路にはこの店に寄れないともおすでに買い求める者も居たほどです。

昼食の海鮮丼 民宿日本海 のちに値段を聞きましたら1700円でした。

  

半乾きの回転干し魚 美味しそうです。

浜の魅力は新鮮なお魚です。

今では浜益の海産物はどうのこうのと云うほどの水揚げでは無く知名度はありませんが、昔のニシン番屋の時代には無数にニシンが取れたのだそうです。

昔の水揚げ高の番付表を見ると、浜益の漁師の名が上位に何人もあげられていて、浜益の昔は大変な魚の水揚げ地であったらしいのです。

浜益の郷土資料館に展示されている当時のニシン漁の様子。

ニシン番屋は今浜益の郷土資料館として存続していますが、今に現存するニシン番屋に並びもう一つ同じ大きさのニシン番屋があったそうです。道路整備のために撤去してしまったようです。

昔のニシンで賑わった浜の浜益の様子。文化財保護協会の浜益、増毛探訪の時に食した昼食と近くの魚干しの姿をお見せします。


札幌・山鼻 むかしは蝦夷鹿の楽園

2015-12-16 11:56:39 | 昔語り

「ユク、ユックの付く地名は、むかしエゾシカの獲れた土地」

昨夜(12月15日)はアイヌ語地名研究会の「札幌のアイヌ語地名を探査する部会」に出席しておりました。

アイヌ語地名の解説をする藤村会長

その中で札幌の屯田の中の山鼻屯田の土地は、アイヌ時代エゾシカの多い土地を意味する「ユㇰニクリ」の名で呼ばれた土地であったことが話題となりました。ユㇰニクリとはアイヌ語の「鹿・林」を言います。

話は「そうか、山鼻の土地は林の中に・鹿が群れる土地であったのかぁ!」ではすまなくなり、草地でないとしたら「そこに当時多く生えていた木(林)は何であったろうか」とまで話が進みました。

ある会員から「今でもこの地区にかしわ亭と言う店もあるので、開拓当時は柏(かしわ)の木が生えていたのであろうと話が進み、現在も藻岩下近くの公園近くにかしわ公園と言う公園もあることが見つかりました。

新十津川町開拓記念館の展示物から 左から二匹目、角のある鹿が蝦夷鹿

私が卒業した大学の後輩も、山鼻地区に「かしわ亭」という飲食店を開業していたこと(5・6年前閉店)もあり、裏付けのかしわ林の存在を知ることができます。この後輩は現在仲間とともに山鼻屯田博物館の世話人をしておられる方なのです。

地名にあまり関係ない方からすると、何の木が生えていようと関心ないことですが、研究者としてはついつい調べたくなります。柏も生き延びると大木となりますが、生え始めの時はかしわの疎林を作っていたのでしょう。

当時の鹿も肉はアイヌの重要な食糧であったようです。

最後は、現在の蝦夷鹿肉の話となり、多くの会員が食べる機会がないと話していましたが、カムイラビットは襟裳岬への花撮影旅行の泊まるホテルにてふんだんに蝦夷鹿肉を御馳走になっています。年々狩猟後の血抜きの技術が進み、鹿肉が美味しくいただけるようになっています。「この頃は美味しくなったね」と写真仲間には評判が良いのです。

鹿の頭数が増えすぎて、その食害が問題となっているので、鹿の駆除が進められているのです。

 


襟裳岬のその先島に行けないの?

2015-09-03 20:52:59 | 昔語り

「襟裳岬の先の島(岩)まで行ってみたい」

襟裳岬の「風の館」に「岬の先の島に橋が架けられた写真」が飾られています。風の館館内をくまなく見た人は「むかしは岬の先の島まで行ける橋が架かっていたのだ」と写真を見て気づいたことでしょう。

岬の先の島まで行けるなんて素晴らしいことです。先の先まで行ってみたいという人間の欲望をかなえた橋があったのです。しかし、現在では島まで行ける橋はすべて無くなっています。橋は波にさらわれてしまったのでしょうか。

結構な人が島に渡たっている様子が写真でわかります。

何時頃から橋を取り除いたかは説明にありませんが、池田高校に勤めていた昭和40年ころに生徒を連れて襟裳岬でキャンプをした際、島を結ぶ橋が架けられており島の先の方まで歩いて行った記憶あり、なぜ今では行けないのか、いや先の方まで行った記憶が間違いであったのか半信半疑であったのです。

風の館館内に飾られた写真を見て、やはり島まで行ける橋があっのだと確信するに至りました。

 

橋を無くした理由は定かではないのですが、管理が大変であったからなのか、危険な施設として取り除かれたのか、いろいろ憶測されるところです。

★ 岬の先の風景は何度見ても飽きません。カムイラビットはもう何度見に行ったことでしょう。襟裳岬に出向いたときには、2度3度と岬を見に出ますので大変な数になります。9月5・6日にも襟裳岬に行きます。今回で襟裳岬には16度の訪れとなります。

 

 

 


拓銀 たくちゃん貯金人形

2012-07-05 17:39:28 | 昔語り
北海道拓殖銀行(通称「拓銀」)は経営破綻して今はなくなりました。当時北海道一の銀行でしたので、我が家でも付き合って(預金をしていた)いました。
「拓銀」で記憶に残るのは、始めは毎年配られる(今すぐには名も思い出せませんが)道内有名画家の風景画のカレンダーが嬉しくて壁に次々に張り(収集していた)満足していましたが、ある日ラビ妻が大掃除を思い出してか、私に断らず一気に画家の絵をすべてを捨ててしまっていました。「好きな絵だったのに、断らずに捨てた」と腹が立ちましたが、結婚して間もなくでもあり、文句も言えず、我慢に我慢して事を終わらせました。
さて、その後拓銀は「たくちゃん人形の貯金箱」(くまちゃん人形)なるものを預金者に配りました。記憶に残る人も多いのではないかと思います。月替わりのたくちゃん人形は人気で子供だけでなく、大人も集めて喜んでいました。
カムイラビットが記憶するものはわずかな数(20位)ですが、出された数はとても多かったように思います。最初は昭和38年12月に制作されたジャンパーで、何年かはスポーツシリーズで毎月預金者に配られていました。次々に作られて、最後は昭和60~61年のボートの川下り、一輪車などの乗り物シリーズで終わります。出された人形はかわいらしく、小型で手の中に入るような大きさでした。
年の終わりには、大きなくまちゃん人形も出されたりしていました。百円玉を入れて棚に飾っていましたが、ためている百円玉を使わないのになくなるのです。後で気づいたのですが、私の子供のところに遊びに来ていた他の家の子供が取っていたもののようでした。子供は元来悪い事はしないと思っていたのが裏目にでました。
大事にしていた「たくちゃん人形」も転勤を繰り返しているうちに家からすべて姿がなくなりました。
ものごとと云うのは大事にしているものほど、この様になくなるものなのでしょうか。可愛いたくちゃん人形の貯金箱いま手元にあれば、貴重品なのにと思っています。