雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

森の都 ホーチミン(ベトナム)

2015-03-30 11:18:08 | 観光

「森の都・ホーチミン市」

「森の都」と言えば、仙台市や広島市などをすぐ思い出します。札幌も思いの外、街路樹の多い街です。木々の多い街は観光客を引きつけ、心豊かな街の印象を持ってもらう事につながります。

大通公園の「ケヤキ」の大木は見事ですし、北海道大学構内には「ニレ」の木やカシワの木にも大きなものが何本もあり、森の都札幌の印象が造られています。木々の多い国や街は魅力にあふれています。

そして、今回のベトナム・ホーチミンの旅行では大木の多さには特に驚きました。木が多いのでなく大木が多いのです。これぞ「ホーチミン市」は森の都と名付けて良いのではないかとさえ思われたのです。札幌では街路樹は秋に枝木は剪定されており、背丈が一定の高さに揃えられていますが、ホーチミンはそれは見事な大木が街路樹や家の周りに残されています。伸び放題と言えばそれまでですが、どの木も天高く伸びています。すらりと天に伸びています。

  

                        バイクの向こうの方は街路樹が植えられています

南ベトナムは北緯10度の熱帯の気候ですので、木の伸び方も北海道と較べ比較にならぬほどの成長ですが、むかしから守り地だてられて来たのだろうと思います。観光ガイドさんに聞いてみたのですが、これらの木は「マホガニー」とか「紫檀や黒檀」であろうといいます。木の種類はどうも定かではありませんが、舗装された場所に植えられた街路樹の大木がよくぞ生きのびているものだと感心します。

  

博物館の外も木が植えられています               ホテル前の大きな街路樹

もともと「ベトナム」は「フランス」に支配された事がありますので、そのこともあり、現在のフランス領事館の庭に残された大木数本も見事なものでした。木を大切にしているホーチミン市の取組に敬意を表したいと思います。

ベトナム戦争博物館の千者の回りにも大きな木がありました。

大木は私の心を引きこまれ、何枚もの写真を撮りました。その時に撮って来た写真をブログ載せるまでになっていず、文章のみの紹介となりました。

ホーチミン市街地には大木は幾つも見られましたが、郊外に出ると森林は消えて見られず、この違いにも驚きでした。想像の域を脱し得ませんが、周りの森林の開発によるものではないかと思われます。

 

 


朝ドラ 「マッサン」今日で終わり

2015-03-28 13:54:45 | 記録

「マッサン・ブームは我が家でも」

勤めている時はNHKの「朝ドラ」は見ることはありませでしたが、退職してからは見ることにしています。この3月末迄は朝7時のニュースを見て、7時15分からはBS3に回し「梅ちゃん先生」、そして7時30分からは「マッサン」、そして7時45分からは田中陽希の100名山トラバース、そして8時から再びNHK総合テレビに切り替えマッサンを見ます。一日2・3度(昼も見たり)「マッサン」を見ていたのです。

今日の放送で、広島、大阪、余市を舞台にした「マッサン」の放送も終わりました。来週からは朝ドラは「まれ」が始まります。

3月24日に催された「マッサン・感謝祭」にはラビ妻と行く事が出来大満足でした。10通に一通が当選したという幸運のあたりクジでした。いつも生ソバを買いに行く店の母さんも「マッサン」を毎日見ているらしく、この間買いに行った時には「もうマッサン終わりですね」と残念がっていました。店の母さんはラビ妻が「マッサンに出た事(エキストラとして)を知って」いて、私がソバを買いに行くとマッサンの事を声高く話しかけて来るのです。

ここのソバは本当に美味しいソバで、このソバを食べているとわざわざ蕎麦屋に入る気になれません。

「マッサン」で一番泣けたのは、一馬がしゅつせいする時の場面と、一馬が遺骨として帰って来た時の場面でした。この時は涙が止まらなかった話をソバ屋の母さんに話しましたら、「あの週は泣けましたね」とカムイラビットの気持ちと一緒であったらしいのです。「そうそう、そうだよな」とその場面を思い出し話し合いました。

三好茂三家の長男と次男は兵にとられ戦死しました。私は幼少でしたので、この二人の兄の記憶はありませんが、戦地に送り出した父母の気持ちを推しはかると、一馬を送りだす場面と交錯して泣けたのです。

二人の兄は戦場で亡くなり、白箱で戻って来ました。母は遺骨の戻って来た時は一日中泣き明かしていましたが、この場面も一馬が白箱で戻って来た時と交錯して「マッサン」を見ながら、私は涙が流れて止まりませんでした。親のその時の気持ちを察して涙が流れたのです。どう手違いがあったのか我が家には白箱は三つ届きました。母が年老いた晩年お遺骨を墓に入れる事になり、皆で確認しましたら中には紙切れがあるのみでした。

今、余市(よいち)は観光客で賑わっています。視聴率も高かった事もありマッサンのゆかりのウイスキー工場(ニッカウヰスキー)を見学しに来て居るのです。札幌から小樽に通勤している人の話では、以前はいつも座れたのに今は汽車は混んでいて座れなくなったといいます。

朝ドラの役に外人を使ったのは初めてですが、エリー(シャーロット・ケイト・フォックスさん)は日本語も話せなかったのによく役をやり終えたものと思います。ラビ妻はその事について感激しています。シャーロットさん本当にご苦労さまでした。

ドラマは脇役ががっちりドラマを盛り上げ、飽きない素晴らしいドラマになっていました。私の高感度の役者は鴨居欣次郎役の堤真一さんでした。


メコン川 かなり大きい

2015-03-25 17:47:28 | 観光

かなりの大河 メコン川

メコン川は南ベトナムに流れる川で東南アジアの中で一番長い川です。河口近くは川幅も広く、外洋船も停泊しておりました。ホーチミンから観光バスで長時間ゆられ、ようやく観光用の小型の船発着場所にたどり着きました。

対岸の島に船で渡りましたが、ここが一大観光地で、小路の両脇には長い距離にわたってお土産店が並び、客を呼びこんでいました。観光客も多くの地に旅行をして人が多いのでしょう。店に立ち寄って買う人もまばらです。

小路の脇の広い地に、日除けの屋根がはられ所があって、そこで果物を食べる小休憩の時間がありました。近くにも土産物店があります。われわれが休んでいる場所にベトナムの民族衣装を付けた人が数人やってきて、民族の歌でしょうか、音楽を奏でます。案内人から「すでにお金を払っているので、カゴにはお金を入れないでください。」と言われていて、誰もお金を入れなかったので、何曲か踊って歌った後はさっさとここから離れて行きました。

あちらこちらからこの音楽が聞こえましす。ここには多くの観光客が来ているようでした。

この島では小舟が小川を下る観光もあって、ヤシの木の林の中を通り抜けます。これは熱帯の景色の中を舟で下るという珍しい体験でした。舟は何艘も行き来して居ましたが、どれもが人力が動力源でした。一つの舟に2・3しか乗れません。ヤシの葉で作られた帽子をかぶらされ、練ったの雰囲気を味わいました。私の乗った舟は歳を取った女の方がこいでいました。

多くの観光客が乗りに来て居ますので、大層なお金働きの場所となっているようでした。

この見学地の二度目に休憩した場所では、縞蛇を首に巻きつけ記念撮影をするサービスもあり、生まれて初めて蛇を首に巻きました。初めての体験は思い出になりました。

この観光地ではヤシの実から取った果汁を煮詰めて固めた飴作りや菓子作りをして売っても居ました。

「土産はいらないよ」と旅に出る時言われていたので、物は買わずに帰って来ましたが、今思うと現地(観光地でも)では何個か買って来たらよかったかな、これこそ良い土産になったであろうと思うのでした。

ホーチミンからメコン川の観光拠点までで行く中で、気になった事がありました。ホーチミン市街やその近くでは道路脇は綺麗でしたが、街から少し離れると道路脇は捨てられたゴミが気になりました。北海道の郊外でもこれほど目立ったゴミは無く、ベトナム国の汚点をそこに見てしまったのです。


クチ穴に身震い 人殺しの仕掛け いや恐ろし

2015-03-23 22:51:23 | 歴史

「ベトナムのクチ穴 オプションで 半日7千円」

ベトナム旅行の4日目は一日中自由行動でした。3日目のサイゴン川の夜のディナークルーズのあとホテルまで帰る間に、「クチ穴も次にベトナムに来られる時には是非見て下さい」とガイドが言います。日本から観光に来ていた何人かの他のグループの人が「クチ穴に行って来て良かった」と感想をもらしていたので、ホテルに着くまでにそれならばと行って見る事を決断しました。

ホーチミンから「クチ穴」まで60キロと云います。料金はベトナムのお金で「12万2千500ドン」だそうで、カムイラビットがその時持っていたベトナムドンの大半で、ベトナムで両替した残りのすべてで、ようやく行けるお金でした。

K友人は、すでにお土産を買い入れたので財布の中のベトナムドンでは支払う事が出来ず、日本円で支払うことになりました。クチ穴見学料金は7千円。ベトナム人にしては大変なお金になりましょう。大金を使っても二度とベトナムには来れないであろうと、相談してクチ穴見学に踏み切ったのでした。

行く途中、ゴム畑が広がりベトナムも生ゴムの産地である事が分かります。農村地帯を通り抜けて行きます。昔からの森林帯の中の地名が「クチ」というところで、そこでべトナム戦争のゲリラ戦が展開された土地でした。

「クチ穴」を見て驚きました。ベトナム戦争の中で人工の溝道に隠れ、地下のトンネル路を張り巡らせ、南ベトナム(アメリカ兵)と戦った様子がそのままに観光資源として使われていたのです。

各国の観光客に向けてそれぞれの小屋が置かれあり、その他人の国の言葉でビデオ流されていました。同じ日程の3人の家族と私たち2人の5人は日本語の解説のビデオを見ます。そのあと現地を見るのですが、人を殺すための仕掛けの落とし穴には身ぶるいしました。落とし穴の中には鋭利な鉄の槍が何本も上を向いています。

落とし穴に落ちれば、この槍にささり、死に至ります。この死体をどうかたずけたのでしょう。

敵にやられるか、敵の兵士を殺すかの装置には顔をそむけました。生々しく南北ベトナム戦を思い起こさせられました。「クチ穴」を見て良かったのか、見ない方が良かったのか今でも迷っています。

人殺しの装置を見せる観光資源もあるのですね。私たちは5人と少ない人数の訪れでしたが、ここに来て見て多くの欧米人が来ているのには驚きです。直接外人に聞いたのではないのですが、アメリカ人も多かったのではないかとさえ思います。

アメリカ人としたら、どんな気持ちで、人殺しの仕掛けを見て回ったのでしょうか。

怖い物見たさ、顔を手で隠して指の隙間からその戦場跡を見る自分なのでした。

〇 写真はメモリーが一杯となり、カメラから呼び込めません。どうすればよいか教えてくれる人がいると助かります。今の所写真はブログに載せられません。 


さくら待たるる心地して 札幌のさくらはいつになる

2015-03-22 19:42:52 | 草花

「さくら 日本列島を駆けあがる」

春分の日の21日、日本列島は高気圧に覆われて広い範囲で暖かい陽気につつまれました。この日を待っていましたとばかりに、鹿児島、名古屋、熊本の3市で標本木(桜)のソメイヨシノが咲き出し、サクラ咲くの開花宣言がだされました。標本木が5輪ほど咲いていれば開花となります。咲きだすと他の蕾も一気に咲き出します。咲き出してから1週間から10日ほどで満開となります。

 

平成26年5月9日 のモエレ沼公園の桜

鹿児島市は平年より5日早く、昨年より1日遅いのですが、全国で最も早いことになります。河津桜(静岡県)はすでに咲いて花見客で賑わっていますが、ソメイヨシノの標本木で無いので、比較の対象となっていません。

名古屋市は平年より5日早く、昨年より3日早いそうです。熊本市は平年より2日早く、昨年より1日遅い開花となりました。この日の発表では札幌の開花は5月1日とされていました。

今年出された札幌の桜の開花予想日は、最初の発表では5月4日とされ、次に出された開花予想の発表では5月7日と変更され、そして21日に出された開花予想日では5月1日となりました。

 

カムイラビット、ラビ妻がボランティアに行っている「モエレ沼公園サポーターのモエレ日だまりの会」では「サクラツアー」は二回とし、5月6日、5月 10日としましたが、札幌の標本木の開花日よりモエレは一週間ほど遅れますので、今年はうまく満開の季節と合うかどうか心配しています。桜の咲く季節は、「桜曇り」とか、「桜雨」とかの言葉がある様にひどい天気にもなる時があるので、最悪のサクラツアーにならない様に願っています。

昨年のカムイラピットは、襟裳岬に出向いており、その時にえりも町のショヤのサクラと、静内町の桜並木の花を見て大満足でした。今年も年に一度サクラの綺麗な姿を見せてくれるサクラの美しさの姿を見る事のできる日の再現を願っています。

たぶん5月の連休は襟裳岬に行っていることでしょう。モエレ沼公園のサクラツアーは他のサポーターさん方にお任せの予定です。

モエレの桜も年々成長し、近年では多くの方が見に来て頂けるようになりました。エゾヤマサクラばかりでなく他の種類もありますので、長い期間サクラの花を楽しめますので、おすすめです。

 

ここに乗せたすべてのサクラは モエレ沼公園のものです

★ ラビ妻が何かの為にと「春の季節の言葉」をメモした物がありましたので、何かのおりに使って見て下さい。

    『 春らんまん   春一番  満開  春うらら  待ちこがれて  咲きほこる 』

 


雪の下で養(やしな)われる活力 北海道

2015-03-21 10:15:07 | 風土

「ベトナムの土産には!」「スケスケ感のある洋服を・・ね」

友人とベトナムに行って来た話はもう何度かしましたが、友人の奥さんが「ベトナムには行かない」とまったく気持を変えないので、行きたくていたラビ妻は、私の友人と同じ部屋に泊まることになるのは困ると云うので、行きたいのに行く事が出来ないでいました。

「ではお土産は何が言い」と聞きますと「何も買って来なくていい(何もいらない)から、私には薄手の洋服を買ってきて」といいます。

北海道は寒い土地なので、スケスケ感のある着物が少なく、ベトナムは暑い地なので薄手の着物もあるだろうから買ってきてね」と頼まれたのでした。お土産は買わなくてよいし、着物を探せばよいのだと服を売っている店を見て回ることになります。

ベトナムはバイク・オートバイの多い国で、その流れは想像も出来ない程のものすごさがあります。若い女性もバイクの波の中に一色たです。その人達の服装を見て驚きです。半袖姿の人はわずかで、皆が長袖のシャツに長目のスカートです。誰もスケ・スケ感のある着物を身に付けていません。

極端に言えば、ベトナムの女性は、北海道の女性より厚手の着物を身につけている様にさえ見えます。たぶん日差しが強いので、皮膚の予防、日焼けの予防のためにスケ・スケの服は着ないのかなとさせ考えさせられました。

ホテルの近くにも洋服屋が店を並べていますし、ホーチミン市の有名な市場にも店の3分1のほどの店は洋服を扱っています。こちら(カムイラビットは)は男性なので、店に入りずらいので、見ながら通りすぎるのですが、どうもスケ・スケ感のある着物が目に付きません。

それでは「ブラウスの様なものでも買い求めれば」、ということになりますが、どうもベトナム女性向きのデザインの様に思われて、とうとう買わずじまいになりました。

そうこうして市場を見て歩っていたら、若い女性の店員につかまってしまい、「このショールを買いなさい」と責められました。日本語も品物を売る。値段を客に提示する位は出来るらしく、とうとう最後まで粘られて買う事になりました。絹製だと言います。薄手のブラウス・着物に替えでのラビ妻への土産物にすることにしました。

洋服も安いらしいのですが、本人が気に入らなくてはお土産にしても、袖を通してもらえないので、本人が買い求めるのが一番です。

 

「雪の下で養われる北海道人の活力」

どうも本題から離れた話になりましたが、ベトナムは暑い土地なので、女性は寒さ知らずで軽装ですが、札幌の女性も冬であっても同じぐらいの軽装に驚きます。札幌でもこのごろはミニスカートだったり、薄手の物を身に着けています。冬の季節は札幌の女性には気の毒な気がします。寒い気温なのですが我慢強く体を鍛えているのだろうと思います(?)。ベトナム人のこの季節の服装を見て、札幌の女性は冬に間に体の我慢強さを養(やしな)っているのではないかとさえ思うのです。

春になり、一気に冬の我慢がはじけて、明るさ満面の札幌の女性が作られるのでしょうね(?)。

自然界も同じです。先日(27・3・5)の道新「朝の食卓」欄に、三浦綾子の小説「氷点」の一節を引用した文が載っていました。ヒロイン辻口陽子を描いた一文です。『重い牛乳瓶を両手に下げて、足跡のない真っ白な雪道を歩くのが陽子は好きだった。「この家には生まれたばかりの赤ちゃんが居るのかしら、それとも長く臥している人がいるのかしら」と、人々の生活を思い巡らしながら配達していくのだ。』

このくだりには陽子の母親から受ける仕打ちから逃れるためのやるせない気持ちをよく表われているくだりです。映画もCD化されていますので見られる事をお勧めします。

この朝の食卓の欄では、自然の中での北海道の生活に「人間の思い通りにならない何か神の深いお考えがある」と思う様になったと記しています。

長い冬を乗り越え、自然が一気に燃え立つ北海道の春の季節、自然も人も長い冬に春を待つ心が養われて、北海道人は幸せ感がこれからの季節に満ち溢れるのです。

冬もさることながら、春には是非野山に出向いて見ましょう。今年はまず最初に旭川の男山自然公園に足を運びたいものと計画しています。 

待たれる春は、もうすぐそこに来て居ます。 


果汁で水分補給 ココナツ ホーチミンの街で

2015-03-18 19:39:25 | 

ホーチミンの街かどで ココナツ売り

「ホーチミン博物館」の前で、何かを売っていました。「何なのだろう?」。聞いて見ることにした。言葉は通じないが、「値段はいくらだ」とか言ってる。ホーチミンに来てまだお金(ベトナム・ドン)は使っていなかったので、どれくらい値段の日本円なのか分からないのです。

  

これはココヤシの実を綺麗に削り座り良く作られています。

ベトナムでの買い物は、「相手の云い値で買わない様に」。などと言われていたものだから、こちらもまけさせるのに専念し、売り子も出来るだけ高く売ろうとしている様に見える。

この三輪車で移動してはんばいします。

売られている物は飲み物らしい。その名前も知らず飲んでみたいものと思いながら、この時はとうとう買うのを止めてしまった。その足で次の見学の「戦争博物館」に移動。その門前にもこの果物が売られている。COCONUTと札が付けられてい.。

  

戦争博物館の門の看板                         近くの路上で色々な物が売られている

この博物館は昼休みが設けられていて、開くまでは小一時間もある。近くを見て見ようと、何丁か歩って見るとホテルが目に付き、入って見ることにした。「ホテルって自由に入ってはいけないのかな」とおそるおそる入って見たのでしたが、そこには食堂も、飲み物も売られている。カウンターで退屈そうにしている二名の従業員もいる。中国映画なのか見入っている。意外に暇な商売のようである。

パパイヤが机の上のカゴに山積みされている。先ほど話したココナツもあるらしい。ホテルでは値切らなくてもすむし、気楽に注文できる。

 

なにやら、先ほど路上で売られていた金額より安いようであった。路上の方が安いと云う先入観は間違いであるらしい。ホテルで飲んだココナツは始めて飲むので珍しいことや、暑かった事もあって安心して美味しく飲む事が出来たのであった。

    

始めての果物なので、飲んだ後の殻を持ち帰って見ることにした。

北海道に帰ってから、よくよく見るとココヤシの実を機械で削ったもので、形よく見栄よく、転がらないよう仕上げている物だった。

初めて体験した果物の飲み物でした。 

 


ケニアに 鳥の声盛り鳴く 

2015-03-17 12:37:59 | 

映画「風に立つライオン」

「長崎・五島」と「ケニア」をまたぐ巨大な映画「風に立つライオン」の新聞広告で見て、「ライオンの映画」なら是非見て見たいたいものだと、封切2日目の3月16日にサッポロファクトリーに映画鑑賞にと行きました。

残念ながら、映画にはライオンは出てこず、日本からケニアに派遣されていた若い医者が奮闘する姿が「風に」立つライオン」なのでした。

ケニアはサバナ気候で、あまり木の大きくならない土地なのです。その映画の中で自然派カムイラビットが気になっていたのが「小鳥たちの鳴き声」でした。鳥の姿は映りませんでしたが、小鳥の鳴き声は盛んに流れていました。自然を表現するために小鳥の声を流していたのか、自然そのままなのか分かりません。

映画の中で印象深かったのが、医師が平原に向って「ガンバレ―」「ガンバレー」「ガンバレー」、「ガンバレー」と何度も叫ぶ姿でした。ガンバレーとは人にガンバレーと叫んでいるのではなく、「自分に言い聞かせているのだ」という若い医者の言葉でした。

大自然に向い大声で、ガンバレー、ガンバレーと叫ベば、自分を奮い立たせるのにぴったりだと思いました。

小鳥の声の話に戻りますが、カムイラビットの家の周りは、今の季節には多くの小鳥たちの声が聞こえてきます。朝方に特に見事に鳴いています。遠くなので、小鳥の姿は見えません。ケニアの画面と同じ様なたくさんの小鳥たちの鳴き声です。

また、先にモエレ沼の林での冬芽観察会に出向いたことをお話ししましたが、ここでもたくさんの小鳥の鳴き声を聞きました。ここでは人の近くまで来ていますので、じっくり構えれば、小鳥の写真も撮ることが出来そうです。

道新の「日曜文芸・俳句」欄に次の句が載っていました。

      立春や鳥が木にゐるだけでいい (鈴木 禎子・北広島)

          (選評・清水 道子選) 寒中の小鳥は高いところでわずかに姿をみせるだけ。立春になれば降りて来て鳴き声も近くなる。

                         雪国に住む者にはそれだけでもうれしい。

 ★ とありました。北海道。札幌にも春は確実に近くなっています。   

 

 


新千歳空港滑走路閉鎖 エゾ鹿進入 

2015-03-17 10:41:23 | 動物

「エゾ鹿進入 飛行機止める」

もう過ぎた話ですが、新千歳空港が3月3日夜、一時閉鎖になりました。航空機の移動区域にエゾ鹿が侵入し、滑走路が全面閉鎖としたからです。撮影されたシカの7頭程の写真を見てこれでは空港の全面閉鎖とするのもうなづけました。

そして4日午前5時頃にも再び5頭が敷地内に入り込みましたが、新千歳空港事務所の車両に追われ敷地外に出されました。この時は滑走路から約1㌔離れていたので、空港は閉鎖されず平常運行したのです。

エゾ鹿の侵入はただの話ではなく、到達すべく上空に来ていた飛行機が、上空で旋回しながら待機しますので、消費ガソリンなどの大損害につながったことになります。

空港では事故につながる鳥対策は十分されていましたが、動物などの進入を防ぐための対策は十分ではなかったようです。それでも空港の全面をフェンスで囲んで進入しないよう対策はしていますが、鹿が降り積もった雪を足場にして乗り越えてきたのであろうと考えられています。

観光客にはシカの姿を見る事は、可愛らしく珍しく思うエゾ鹿も、空港に進入しては、はた迷惑な話となってしまったのです。

今の野山は固雪となり鹿の餌(草)が極端に少なくなり、雪が少なくなった平地と雪との境の草を求めて滑走路に入り込んだものと思われ、今回のシカの侵入事件となったのです。

これからはシカ進入対策も完全性が求められます。


山菜 店頭に並ぶ

2015-03-16 00:08:55 | 草花

「フキノトウ」

14日は疲れました。午前中はモエレ沼公園(札幌市東区)主催の「モエレ沼公園「冬芽観察会」に出向き、雪のゆるんだ雪の上をスノーシュ―をはいて歩き、夕方からは池田高校(十勝にある道立高校)の教え子のDEクラス会に出向いたからでした。皆でわいわい騒ぎ、お酒も飲まされますので疲れました。

山菜の話ですが、冬芽観察会の中で、仲間のkさんが云っていました。雪が消え地面が見え出している様子から「そろそろフキノトウが出ますね。天ぷらにしたり、蕗味噌にするとおいしいですよね」と話しかけてきました。

この人も自然が大好きらしい「カムイラビットと同じようなことをして、自然を楽しんでいる」と思ったのでした。

そういえば、先日からもうすでに行きつけのスーパーには「フキノトウ」や「アイヌネギ」「タラノメ」が店頭に並び始めました。3月10日前後なのに早い物だと眺めたのです。

小さめのハッポウスチロールのケースにわずかばかりの山菜が盛られてパック売りされています。この様子を見ると春は足早にやって来ています。3つの中では「フキノトウ」が一番安く、小さなフキノトウが4つで、280円ほど、次は「アイヌネギ」(ギョウジャニンニク)が380円前後、そして、一番高いのが「タラの芽」の490円ほどでした。

わずかな品が高値で売られているのに関心し、「この高さでも買う人が居るのだ」と思うのでした。我が家ではもう少し待てば野から自然を戴いてきて、春を味わうもの(山菜)ばかりですので、店でこれらを見て目で春を味わうのでした。

これらのものはすべて養殖されての山菜なのでしょうが、人より先に先に味わうということならば自然の味の少ないものを食べることになるのでしょう。これらはの植物は少し灰汁のあるある味が我が家では好みなのです。