雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

札幌市の人口は? 現在は 25年後の人口は?

2021-11-17 21:39:03 | 地理

「札幌市の人口は 現在197万人」

北海道内の各市町村や各集落は過疎化が進み 中には限界集落さえ出てきています。

その中にあって 札幌市は年々人口が増え続け 今のところは安泰です。

札幌市の人口は今約何人でしょうか? と質問されて すぐ答えられる人はそう多くないと思います。答えは 2020年で「人口は197万人」です。

北海道の中で札幌市は一極集中の感があります。他の市町村では人口が少なくならないように四苦八苦しているのが現状です。

北海道の総人口が現在「522万人」。その「38%」の人口が札幌に集中していることになるです。

 ※ 札幌市は全道に占める面積の1% その中に全道の人口の38%が集まっています。

 

札幌市は死亡数が出生率を上回っている自然減の状況ですが、他町村からの流入する社会増が上回っているので、札幌もなんとか面子を保っていると言えます。

 

さて札幌の未来の人口は25年後には さぞや人口も膨れ上がると思われがちですが、残念ながら頭打ちとなり 今の人口より17万人少ない180万人になると推計されています。

原因は合計特殊出生率が1.12と全国の政令市の中で最低なのです。

現在の人口を維持するためには2.07の出生率が必要とされています。

 

※ 合計特殊出生率とは、一人の女性が一生の中で産む子供の数を指します。

 

 


逆転 帯広市が釧路市を抜く

2021-01-14 10:51:25 | 地理

「人口逆転 釧路市2020年 北海道第6番目の都市に!」

逆転と言えば「逆転人生」の言葉が浮かびます。逆転人生は最終的に成功した人の話で感心して最後まで楽しめます。

微笑しい話として聞くことができ、希望が湧く話です。

ところが逆転の言葉は悪い事にも使われています。

北海道の四大都市は、札幌市、旭川市、函館市、釧路市として覚えられていました。4本指に釧路市が定着し入っていたのです。

この「釧路市」が2020年になって北海道6位にまでに人口が少なくなったのです。それも帯広市にまさかの逆転負けです。

「帯広市」の人口は13万人位かななどとみていましたが、何時の間にか人が集まりだして、16万5,670人となっていたのです。

その反面、釧路市は石炭産業の終焉、水産業の低迷、製紙業の撤退表明で先細りとなり、人口が16万5,667人と帯広市より人口が少なくなってしまいました。

現在では釧路市が急に人口が減少し北海道4大都市の言い方は出来なくなり、札幌市、旭川市、函館市が北海道3大都市と言わなくてはならなくなっています。

 


2位・3位ではだめなの!

2020-06-13 09:48:40 | 地理

「世界一高い山は?〇〇〇〇〇、 ならば世界2位の高い山は? ??? 知らないでね!」

2位、3位の地名は覚えていません。何はともあれ世界一長い川や大きな湖、日本一長い川、日本一高い山などの名は覚えているのに・・・。2位、3位の物の名が出てこなくなります。

何事も1位でなければ名さえ覚えてくれないのです。

山の魅力は登山家で無ければ知るよしもないのですが、征服した時の気持ちは最高なのでしょうね。

世界一高い山は?聞かれて「エベレスト」と名が出てきます。高さも8848㍍とその高さも言えます。

ところで世界第2位の山はと聞かれると、誰もがその名は言えないでしょう。その山は登山が厳しいために俗称「キラーマウンテン」という言われている山です。非常の山と言われているのです。

正式名は「K2」と言われ、高さが8611㍍で、エベレストより200mほどの高さの差があるだけの山です。測量番号がそのまま山の名になっています。

カラコルム山脈の中にある山で、それは険しく登山基地から遠いので登るのが大変な山と言います。

登山して生きて帰ってこれない山とさえ言われます。

エベレストに登山した人は48333人、死んだ人数は276人 17人に1人が死んでいます。

第二位のK2では登山者が446人の内 死者が85人だそうで、5人に1人が死んでいる勘定になります。

テレビの画面で見ましたが、絶壁を登ることになり、天候も荒れ気味、登山基地から車も使えず挑戦する登山家の数は少ないのです。

 

 

 

 

 


驚異的な人口減少の 夕張市 8千人割る

2019-06-19 17:32:19 | 地理

「夕張市の人口 8千人割る」

夕張は北海道でも人口の多い12万人の都市でした。北海道の炭鉱町の中で一番勢いがありました。

教員になりたての昭和37年に、全道の高校の社会科の大会が夕張であり、研究会に出させてもらいました。

その時、「街は人口が減って、勢いがないんです」とのことでしたが、それでも7万人は居て、街は活気がありました。夜の飲み屋街に先輩に案内され、連れまわされましたが、地方の町では想像もできない賑わいでした。

 

そして今日、「夕張市の人口が8千人を割る」と新聞で報道され、炭産地の悲哀をまた思うのでした。

かつて、歌志内市の人口減少を見て炭鉱町は大変だなあとため息していましたが、夕張市もそれは今大変なのです。

 夕張市の人口  2019年5月末   7998人   夕張市が発表。 (ピーク時の約15分の1となる)

                  人口の男女の内訳は 男性3689人  女性4309人

                  世帯数  4749世帯

         2013年9月末   1万人を割る

         2016年5月末   9千人を割っていた。

         人口規模はピークの1960年4月末 人口11万6908人。

         


「人口ビラミット」 人口減の日本も大変だが 中国は今後どうなる!

2019-03-14 14:41:38 | 地理

「人口ビラミット 日本も大変だが 中国は今後どうなる!」

人口ビラミットは、自然の社会から進化した時代へと進むに従い、富士山型から釣り鐘型に変わり、次いで紡錘型へと変わります。

上の数国の人口ビラミットを見ると、日本も人口減へと進んでいる様子が分かります。

中でも中国は、「一人っ子政策」の影響が図に如実に表れ、自然な形ではありません。

あわてて、3年前から一人っ子政策をやめましたが、すでに遅く、市民は子供が少ない豊かな生活に慣れてしまい、子供を産まなくなってしまいました。

どう、中国は人口保持に政策を立て直していくのでしょうか。

人口ビラミットの図を見ていて、いろいろ考えさせられます。


日本全体 都会も・農村も「人口問題」

2018-01-03 11:13:29 | 地理

「札幌の人口 一極集中の 200万人 しかし、地方は苦しい人口問題をかかえています」

北海道ではすべてにおいて、「札幌が一強」です。特に人口集中では札幌が中心ですが、近年では人口の伸びは停滞気味です。それでも札幌は社会人口増はプラスです。

一方、地方では老齢化が進み、老後の事を思うと田舎に留まることは考えられず、田舎を引き上げ都会に移る家が多くなっています。

今では「限界集落」なる言葉さえ生まれました。

オホーツク管内で言えば「北見市」に、十勝管内であれば「帯広市」に、上川地方では「旭川市」に人口が集中しています。

全道的に見ると、札幌市とその周辺の都市に人口が集ってきています。

日本国内でも近年の課題は「人口問題」ですが、地方(北海道)にあってはなおさらです。

各町村では人口対策を打ち出していますが、打つ手がない町が多くあります。

元旦の挨拶にと、かつて住んだことがある津別町の先輩とお話ししましたら、「15000人あまりあった人口が、今では4000人台」と言うのですから、地方財政は苦しく、ふるさとに大学・高校を卒業してから戻ろうとしても就職口が無いのでは、町は毎年細る一方です。

津別と言えば丸玉産業のベニヤ工場だけでは、盛り返しは難しいのでしょう。

カムイラビットが津別町に住んでいた当時、写真集団「蝦夷鹿」を創り、街の方たちと写真展示会などで交流・活動していました。なかなか活気ある活動をしていたのでしたが、今では、それも人口減でそれらの活動も下火になっているようです。

 


詐欺に遭いました ホーチミン市への旅

2015-03-05 20:54:57 | 地理

ブログを5日間休みました。毎日カムイラビットのブログを見に入って来てくれている方には申しわけありませんでした。実は友人のk.Iさんと「ベトナム・ホーチミン市」への旅に行っていました。

「詐欺に遭いました。」

「おれおれ詐欺」ではないのですが、今回のHISの旅は「ホーチミンいいとこ取り5日間」というキャッチフレーズというものでしたが、申し込んだ後に気づいたのですが、一日目は夜の9時千歳空港を出るというもので、それで一日目は終わりです。二日目の朝にホーチミンに着くというものでした。なか、2日半は回りを見学は出来たのですが、5日目の帰りは、4日目の夜11時30分にホーチミン空港を出て5日目の昼11時45分に千歳空港に戻るという中味の少ないものでした。

5日間、いいとこどりというのは、中3日間がホーチミンの中での見学、このような日程を体験して、これは「おれおれ詐欺ではないの」と言いたくなります。まったくの5日どころか、詐欺に有った様に思えるのでした。

4日目は一日、自由見学の日でしたので、オプションで、日本円で7千円、ベトナム・ドンでは122500ドンでの「ベトナム戦争のゲリラ戦の戦跡・クチトンネル」の見学をしてきたのです。この見学を入れなければ中味の無い旅行になっていたことでしょう。午後1時30分に市街に戻れましたので、ホーチミン市でも有名な市場に出向きお土産を買い求めました。

この市場は店の数が多く集まっているところで、店員に捕まえられ買う事を迫られます。気が弱ければ買うはめになります。実に巧みに売りつけられます。ですが、売りつけられるのも楽しく、観光客は皆が市場に出向きます。添乗員からよく言われたのは、「値切って買なさい」と言われます。まけさせて買うというような生活をしたことが無いので、妥協して買い求めてしまいます。

ベトナムで一番印象深かったのは、バイクの波でした。よくこの混み具合の中、上手によく運転するものだと驚きでした。バイクのすごい波です。感心してしまい、幾枚も幾枚も写真を撮りました。子供も乗せています。若い女性も皆がバイクです。そのバイクの隙間をぬって人も道路を渡っています。これ以上渋滞が進めば事故も多くなるでしょうね。

朝の通勤時間と夕方の退勤時間はそはそれは言葉で表現できない程のバイクの数です。

またある機会にベトナムのことにふれましょう。夜行の飛行機2日間の旅で、疲れています。今日は早めに寝ることにします。

 


人口減に歯止めがかからない 地方創成その対策は

2015-02-28 16:31:22 | 地理

「日本も人口減」で苦しくなっている。

人口減少に歯止めがかからなくなり、田舎の地では「限界集落」の言葉さえ生まれてしまいました。地方都市もこれから先、働き手のない苦しい状況に陥っていきます。小樽や釧路ではこの人口減少の対策として、苦肉の策としてカジノの設置を願い出るはめになっています。

地方の人口減少に対応すべく政府は「地方創成」なる行政も立ちあげられました。村おこしに創意工夫した村には財政援助を行うそうですが、今やどの村も人口減少に歯止めをかけるべく努力に努力しているのです。工夫する自治体、どの町も何とかしなければと四苦八苦しているのです。

奇抜な事が出来る一部の自治体にのみに財政援助するという政策は、これで良いというのでしょうか?、これでは「限界集落」が多くなるばかりです。

※ {限界集落}(げんかいしゅうらく) 過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難となっている集落を指します。やがて集落は消滅に向かうとされています。

前に竹下首相じだいでしたでしょうか、各自治体に画一的に1億円を給付した時代がありましたが、その方が各自治体の活性化につながったのではないかと思われるのです。一部だけが活性化しても地方の人口減はおさまりません。人口減で大半の都市の存続がおびやんされる大変な時代になりました。

もう一つ日本には大きな問題が残っています。人口減少と言うものに歯止めをかけようと、子育て支援の対策が云々されていますが、産めよ増やせよとただ唱えられてもそうはいきません。施設をつくりますよ、子育てのお金を援助しますよ。それで、結婚して子供を産んで下さいとはね。今の時代はそう簡単にはいかないのです。

子供は将来高校で終わらせる時代ではなく、大学にも行かさなければなりません。子供教育のその後の保障がないのです。

若者たちの生活基盤を作り上げないで、何が子育て支援なのか、若者たちが正社員として採用され、生活が十分成り立てば、結婚も出来るし子供も育てる気持ちになり、町は潤うのです。

いつも思うのですが、派遣社員の多い時代ではひとり暮らしの独身者が多くなるばかりで、相手の経済が成り立たなくては結婚はできません。親も「結婚しなさい」とは言えないのです。

政策として一人の人が子供を産む数を1.8人にと言われていますが、独身女性がこう多くなっては、その数字も夢のその夢といえるといえましょう。

財産の少数の上層部と大半の下層部の人になっている現在では、子供を生み子供を育てる気さえなくなるというものです。


オホーツク 懐かし 昭和初期

2013-02-25 07:42:04 | 地理
NHKの番組で「懐かしのオホーツク」という放送が先日ありました。白黒画面の昭和10~30年代のむかしの映像で、カムイラビットにとっても懐かしいものでした。、
大正10年の「網走」の映像では木材の集散地となり港に集められている姿が、また大クジラの解体現場が映し出されていました。子供の時、昭和25年頃網走につれていってもらい、クジラの解体の現場を見たことのある私は、当時のことを懐かしく思い出しました。貴重なフィルムです。
また、昭和10年代の「津別町」の木材運搬が映し出され、バチバチに積まれて運び出される運搬の姿は、当時馬が最大の動力であるのがわかります。解説していた講談師の神田山陽さんもバチバチのことには触れておらず、今の若い人たちには分からない馬橇になっていたのだと思いました。
他に「常呂町」の帆立の水揚げの風景や、「知床半島」の姿、昭和10年代の「美幌町」のデパート(全道でも草分け)の大賑わいの姿。「紋別市」のスケソウダラ、ニシン漁の様子にも目を見張りました。紋別でも昭和初期にはニシンが当時群来(くき)ていたのだと確認できました。紋別市に2年ほど住んで居たことがあるので、文献では紋別市のニシン漁の群来については知っていたのですが、記録映画として見たのは初めてです。
次に、カムイラビットが長年先輩の横平氏と調査に入っていた「鴻ノ舞金山」の様子の映像もあり、よく残っていた画像で、調査に入っていた当時のことを思いだしました。隆盛当時、鴻ノ舞(こうのまい)には1万3千余人もの人が住んでいましたが、今では町はなくなりました。住む人もいなくなりました。
上藻別駅逓保存に力を注いでおり、鴻ノ舞金山資料保存に仲間と取り組んでおられる小玉さんの姿も出ていましたので、懐かしかったので、早速お電話しました。
今回の放送は30分ほどの番組でしたが、むかしを思い出させる良い内容の番組であったと思います。もう一度放送されることを望んでいます。

岬端地 離島の言葉に魅力

2012-08-16 10:30:04 | 地理
一般的には「岬端地」(こうたんち)と言う言葉は使いませんし、あまり言いませんね。「離島」は本土(大きな島)から切り離された「島」の事ですからよく聞きます。
今は多くの人が旅行をする時代ですので、北海道も九州も有名観光地は行ってしまっていますので、魅力をなくしています。こうした中でも多くの人がなかなか出向けない半島部分、ここでは「岬端地」と言いますが、興味を持つ人がでてきています。また旅行会社でも「食べ物と半島めぐり」なととして取り上げるようになりました。
大學時代、紀伊半島の周遊鉄道が開通した当時(昭和36年)でしたので、卒業巡検は紀伊半島一周のものでした。その中でカムイラビットがテーマにしたものは「岬端地と人々の生活」でした。当時から「岬端地」について興味があったのものでした。
また、大学時代の木村肇教授の講座には「島」をテーマにしたものがあり、「離島」にも当時から興味を持っていました。今注目の誰もがなかなか行けない場所「岬端地」、そして「離島」の良さを皆で探してみたいものです。
カムイラピットは、北海道の利尻島、礼文島、天売島、焼尻島、奥尻島すべてに行きましたが、それぞれに魅力がありました。島へのフェリー代が高くつきますので、なかなか行けませんね。
今もって残念に思うのは羅臼町知床半島東側道路の最北の地で、「船をだすから知床岬まで行って見て下さい」と漁師から誘われたのでしたが、他の観光客も居ず二人だけでは高く付き、断念したことがありましたが、、今思うと残念なことをしたと思っています。