雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

神秘のルビー色 宝石のような「神の子池」

2019-07-30 14:29:58 | 旅行

「人にも勧めたくなる神秘の池 清里町・神の子池」

「何処か見学地で印象に残る所ないかい?」と聞かれたら、少し間をおいて「そうだねえ、神の子池がいいのではないかな」と私は答えるでしょう。

今から約30年数前、オホーツク管内の清里町に住んでいた当時、「神の子池」周辺は人の手があまり入っておらず、摩周湖の水が地下水となって湧き出る神秘の小池として、それは魅力満点のところです。

奥ゆかしいというか、こんこんと湧き出す透き通った水を眺めている時は、時を忘れ何考えることなく時を過ごしていました。

池はいくつかあって、一番大きな池では、湖面下で砂が冷水と共にふきだしています。

倒木が池の中に見られますが、何年も昔の倒れた形で池の底に存在してるです。

噴き出す水は冷水なので、木もむかしそのままなのです。住む魚の数はあまりなく、時折小さいオショロコマが見え隠れする程度で、それが神秘さをかもし出していました。

むかし、冬の国道から神の子池方向を見ると、エゾシカが雪原をラッセルし、腹の部分がU字に残る鹿道にも驚きを隠せませんでした。

池は摩周湖の湖水の伏流水として流れ出ており、一日1万2千tと推定され、水温は通年で8度、オショロコマもこれでは大きくなれません。

大半の伏流水は飲めるはずですが、火山性の摩周岳の水では飲めないのでしょう。こんこんとなかれ出る神の子池の水は小川となって流れ出ています。

 

※ 2015年に池の周囲に木道が整備され、池に通じる林道は大型・中型車両は通行禁止となっています。

  道新記事より借用 「横山文代さんの神の子池の絵」

★ 北海道新聞(元年・7・12)に神の子池の絵(横山文代さん)が載せられていて、写真で撮ったみたいに描かれていて、これ本当に描かれたものなのとまじまじ見たのでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日高路と襟裳岬 魅力一杯 やめられない襟裳岬の撮影旅行

2018-09-04 10:29:29 | 旅行

「日高路 襟裳岬の花たち 私を待っている」

襟裳岬での花の撮影旅行は、私をとりこにしています。

何度行っても飽きない、私の植物たちとのフィールドワークの地となっています。

しかし、残念ながらこのまる1年は体調不良でまったく襟裳岬に行けていません。行きたいと思ってもどうにもならないのです。

まあその内、襟裳岬行きの願いがかなうであろうと、夢見ています。

前に撮影した写真を見て今度行けたら、この季節にこの花をさらに綺麗に撮ってあげようと思う事しきりです。

私の写真撮影は目的地の襟裳岬だけが目的ではなく、行くまでの道のりや、帰りの道のりすべてが目的なので、まったく無駄がありません。

さしあたって、襟裳岬への撮影旅行では、まわりのサラブレットの牧場、新冠手前の判官館(ここは手つかずの自然が残っており、珍しい花も撮影できます)。

浦河町の山奥の沢、山麓の花たちです。

様似町のエンルム岬(岩壁の切り立つ岩、上から眺める様似港風景、まわりの植物たち)、様似のコンビニで食べるタコマンマ。

アポイ岳から眺める様似の街、登山道の岩肌、アポイ独特の植物たち、幌満峡谷で出会う植物たちと秋の紅葉。

襟裳の岬の、季節で花の変わる台地、襟裳岬の海に突き出た先の岩礁、夕日・朝日。植物撮影とは別ですが、襟裳での昆布漁の景、どれをとっても植物たちとの出会い、街の人との出会いが楽しみです。

さらに、車で先に行けば、悲恋沼とアヤメ、百人浜湿地でのチシマセンブリなどの群落。

荒波海岸の黄金街道、岩礁に打ち寄せる波を見ていると飽きません。

えりも町目黒の奥の沢に生える植物たち、そして目的地は、石屋製菓の白い恋人で知られる「豊似湖」です。静寂な湖で時を忘れさせてくれます。豊似湖では時計はゆっくり進む感じです。

襟裳岬のどれもが、私の心を引き付けてくれています。 


夫婦円満の秘訣 年に一度の以上の旅行

2015-06-09 21:59:29 | 旅行

旅は最高 何事も円満

世の中こう忙しくては、うまくいくことはない。夫婦仲もしかりです。そこで心に描いている言葉があるのです。

夫婦円満の秘訣は「年に一度でいい、夫婦共に旅をすることが良い」と先人から聞いたことがあります。どの有名人が言った言葉かはすっかり忘れてしまったけれど、旅は確かに幸福にしてくれる魔法みたいな物の様です。

退職してみると、時間が出来たのでこのことを実行してみると、何かしら旅が同じ夫婦の趣味となり、円満この上なしである。

そうこうしているうちに一度出向いた場所に二度・三度と行くこととなり、旅に出る理由も薄らいで来て、その内資金も少なくなって近年ではあまり出向かなくなってしまった。

外国旅行となるとなおさらで、「今になっては資金のある内に外国の旅をすればよかったかな?」 などと思うことしきりとなった。

それで、今では身近なところに出向くことが多くなったと言えるのかも知れない。

他の理由も含め、昨年は泊りがけの襟裳岬行きが年8度ほどとなった。同じ場所であっても旅は楽しく、求めるものが別にあればさらに楽しくなっているのです。

おすすめの言葉は、「年に一度でも良い夫婦(家族)で旅に出てみては」という話なのです。

 


飛行機5時間10分遅れ ベトナムに!

2015-03-11 14:27:59 | 旅行

ホーチミンへ5時間10分送れて到着

先にカムイラピットはベトナム・ホーチミンに行って来た話をしましたが、往路(3月1日)はなかなか大変な旅でした。

ベトナム・ホーチミン旅行の一日目は夜21:00千歳空港発 羽田行きの便でしたが、当日千歳空港は大雪で、案内では1時間30分遅れで出発となるとの事でした。滑走路の雪を除けて後出発となりました。用心して家を16時に出たのですから、時間があり過ます。飛行機が飛び立ったのは23時30分は過ぎていましたから、だいぶ疲れがたまってきておりました。

飛行機の遅れもさる事ながら、千歳空港では個人的な問題が生じてました。ベトナムの熱帯気候の土地への旅行ですので、ラビ妻が軽快な皮製の靴を靴入れから出してきて、「これを履けば楽ですね」といい、自分も納得して履いての旅としたのでしたが、千歳空港で、この靴底がはがれてこの靴を履いての旅行は難しいと判断しました。「何と言う事でしょう」。

 

これでは旅行は出来ない」と千歳空港内で店を探すことにしました。運動靴でも買い入れて履き替えてから旅へ出ようと思ったのですが、やれやれ空港内には靴を扱っている専門店はなく、かろうじて一部扱っている店が2店舗ありました。なんとか合いそうな靴を見付けて「やれやれと思った」のですが、なんと値段が2万円弱、今回の旅行は最小限のお金しか用意してなく、靴代を払うと懐もさみしくなりました。出掛けから満足できない旅になってしまいそうな、この先が心配となるのでした。

このハップニングもありながら飛行機(JAL)に乗りこみました。うとうとしている間に羽田空港に到着です。一時間半も遅れた物ですから、もう真夜中です。羽田で降りたのは良いのですが、時間が遅いため案内人もいず、ひと混乱です。、ここでは羽田国際線に乗り換える必要があり、移動の交通手段が見つかりません。

急がないとホーチミンへの飛行機は飛び立ちます。やむお得ません羽田国際飛行場までハイヤーを拾い乗り換え場所で移動です。この時間、夜間割り増しの札を上げているハイヤーもいます。

ホーチミンへは01時30分発でしたが、やれやれ間に合ったとホオットしていましたら、掲示板が変わり、3時間遅れ、いやまだ送れるらしく、とうとう3時間40分の遅れと変わりました。飛ぶ飛行機に不具合が見つかり、別な飛行機を容易するために時間が必要なのだそうです。夜中での3時間40分を待つと云うのは大変きつい物です。待合場所で仮寝する事も出来ません。

さてこの3時間40分をどの様に過ごしたかと言いますと、航空会社からお食事券1500円分が各人に配られましたので、それぞれに空港内の食堂にすいこまれまれて行きました。私たち、寿司の店に入り時間を過ごしたのです。寿司はだらっとして生きが足りない感じのものでしたが、食べて見るとなかなかのものでした。夜中なのに何軒もの店が営業していて驚きです。

友人 I さんがいるのでなんとか時間をつなぐことが出来ましたが、出る時からついていず、日本国内からまだまだ脱出出来ずに二日目に入りました。

飛行機に乗ったのが15時40分、あとしばらくすると夜明けになります。飛行機の中では6時間20分、夜行の飛行機の座席での睡眠なのですが、少しでも体を休めておかなくてはと思ったので眠りに入りました。

友人はお酒かを機内でもらい「飲んでいる内、1時間も寝たかどうか」などと言っていました。

ホーチミンに着いたのは9時30分頃、時差が2時間あるので、3時間40分の遅れも影響を感じないのでした。

次に、飛行場の入国で問題が発生、パスポートを見せても「帰りの切符」はと言われ、「ノー、外には出れません」と言うのです。この旅行業者HISの切符を理解していなかったのですが、印刷された連絡の紙が切符だったとは後で気づいたのでした。スチアーデスに尋ねてようやく外に抜けれたのです。「ここでこのまま入国できないのかな」などと、頭の中が混乱したのでした。

いろいろな問題が起こりながらの中での往路なのでした。

★今日(3月11日)は全道的に雪が降り、交通が混乱しました。多くの学校が休みとなるほどの大雪で、千歳空港も何十便も飛ばない日となりました。このことを思うと、「ホーチミン行きが5時間10分位の遅れなど大したことではなかったな」、などとついつい比較して、「幸いな旅行だった」と慰めています。


襟裳岬まで 片道220キロ

2015-01-18 20:14:19 | 旅行

札幌から襟裳岬まで 遠い道のり

「一昨年9月から、えりもの花を撮影に行き出してから10回になります」。それは、えりもの花たちに出会える楽しみがあるからです。風景も素晴らしいし、花たちは高山性の植物ばかりでどの季節に行っても飽きはきません。

「えりもは楽しいですよ」と写真撮影を趣味にしている友達に話すと、「時間はどれほどかかりますか」と必ず聞きかえされます。「そうね、車で約4時間半もかかれば行けますよ」と答えると、「うーむ、そんなにかかるのですか」と言い、それでも「行って見るかな」と言う人にはめったに出合えません。

話しかけた中では、Oさん一人だけは関心を示していて「是非機会があれば行ってみたい、連れて行って下さい」と言います。昔から写真をやっている友達なのです。

札幌から襟裳岬まで距離を計った事が無かったのですが、昨年6月に出向いた折、距離をメモしてみました。アポイ岳に途中寄った事もあって、片道226㌔の道のりでした。

2014年10月9日撮影 襟裳岬の景

往復では「毎回500㌔以上」の車の運転となりますので、車検で車の販売店に行くと、「昨年は大層な距離を乗ったのですね」と驚きの声を掛けられました。エンジンオイルを変えるとかフイルターをとりかえるなどの要求をされました。

それでも今年も必然的に、襟裳の魅力にはまって入るので、何度も行くことになるのであろうなと、行く事を楽しみにしているわが家です。都合の付く時はラビ妻と行くのですが、二人で写真にはまってしまっています。

朝早くから昆布漁が行われています。 2014年10月9日

★ 襟裳岬 ピリカノカ  「ピリカノカ」とはとは、アイヌ語で「美しい」 「形」を意味し、北海道においてアイヌの物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地のことで、襟裳岬は平成22年(2010)8月に国指定文化財名勝の一つとして指定されました。(襟裳岬観光パンフより)                                                                                                                


石狩灯台 旅情一杯

2014-08-28 21:33:16 | 旅行

旅情一杯 「石狩灯台」

何も無いところほど「旅情」があるものです。石狩川の河口にある「石狩灯台」はまわりに何も目立つものとてなく、見渡す限りの原生花園です。季節によっては目立つ花もなくただの野原と言った方が良いかもしれません。このように駄々っ広い風景ですが、なぜか人の心を引きつけてやみません。こうした風景こそ旅情が一杯と云えるのかも知れません。

 

特に、秋になると目立つ花とてなく、ところどころにピンク色のハマナスの花や実が訪れる人の心を包んでくれています。何も無いなどと考えずに、じっくり他の植物の観察をして見るとこれもまた新しい発見があるもので、これも楽しみの一時となります。

 

石狩灯台を舞台として「喜びも悲しみも幾年月」の映画が作られ、一躍石狩浜は有名となりました。

秋は石狩灯台手前の草原ではススキが一面に咲いて「ススキの原」が見事です。風に吹かれてなびく様は何とも言えないほど郷愁が有ります。このススキの原の石狩浜はカムイラビットの心を掴んで離しません。何回出向いたか数えきれませんが、他の原生花園と趣きがまったく違うように見えます。

8月に「カフェ マウニの丘」に出向いた折は大雨で、堀田先生の講演会のあと遊歩道を巡りましたが、雨あとの植物はなかなか魅力が有ります。「花に雨水」は写真の題材としては最高です。水も舌たるハマナスの花は如何でしょうか。

 

何本かのハマナスが目につきましたが、もうすでに赤い実を付けてるものもありました。浜風に対応して生きているためでしょうか背丈の低いハマナスばかりです。

石狩浜にはカナヘビも居るのです。尾を掴むと尾を切って逃げていきます。

石狩灯台近くのカフェマウニの丘には来月9月16日にシャケ料理の勉強に出掛けます。参加料金一人700円です。ラビ妻も今から楽しみにしています。二人で出掛けます。


襟裳岬の旅 楽しめます!

2013-09-05 06:17:54 | 旅行
    

「えりもには何も無いんじゃない。と言われたの」と、ラビ妻がボランティアから帰って来ました。
森進一の襟裳岬の歌の歌詞にある「襟裳岬には何も無い・・・・です」を、その人は頭に描いて、「何も無いんじゃない」と即座に言ったのでしょう。
風景の中に何も無いと云うのも「魅力の一つ」なのですが、歌詞はともかく、一度襟裳岬に出向かれることをお勧めします。
今回、8月31日(土)、9月1日(日)にカムイラヒットはH先生とその仲間と一緒に「襟裳岬」に行っていました。襟裳岬の場所から更に太平洋の海に突き出た岩礁の景観は見ていても飽きません。魅力があります。
隔絶された半島部を「岬端地」(こうたんち)と言いますが、なかなか行くことが出来ない半島の突端地の魅力は確実にあるのです。
北海道の隔絶された場所、すなわち岬の魅力は知床半島に代表されるように、かけがえのないもの(魅力)があります。
「他の人がかなか行かれない場所に自分が立っているという自己満足」もあるのかもしれません。
この春、四月に四国の旅に出ましたが、まだ行った事が無い「佐多岬半島」には是非行きたいと思っていました。日数の関係で行けずじまいで終わっています。
あの半島には是非行きたいという気持ちは、北海道の多くの半島にも同じ思いが旅行者にはあると思われます。
今回の「えりも」への旅の目的は8月末、9月のえりもの花たちとの出会い(撮影)が目的でしたので、「何も無いどころか、驚きましたね、今までに見たこと聞いたこともない、それは綺麗な花々が沢山咲いて我々を待っていたのです。」実に見極めればいろいろとあるのですね、驚きでした。
「えりもに行きませんか」とH先生からのお誘いに、大感謝です。えりもの魅力に酔いしれています。
何も無いんじゃなくて、旅先の楽しみ方はそれぞれ持つ感性で見付け、楽しむものなのでしょう。
旅の好きなカムイラビット・ラビ妻、今回は大満足でした。

「襟裳岬」は漢字書き、「えりも町」は平仮名書きとなります。





養老牛温泉 牧場の朝

2013-09-03 20:22:57 | 旅行
養老牛温泉出逢った「牧場の朝」

「根釧原野」の旅は山もなく平坦な処を車で走らせるので、気持ちが晴々します。
何もない風景は、人にはまたご馳走なのです。心がのびのびして身体に爽快感が生まれるのです。
根釧原野への旅は、紋別(市)から知床半島を横断根釧原野に入り、宿は養老牛温泉の一番人気のホテルに泊まりました。露天風呂は川岸まで路が延びていてそこに露天風呂があり、そこは川のせせらぎと、木々の風景、そして温泉につかる心地よさがありました。ホテルは混むほどでなく、関西から来られていたご夫婦と話があいました。毎年のように来られていて、根釧原野の雰囲気が最高といいます。
それは涼しいすがすがしい晴れた朝でした。
食堂の窓からは狐の姿も見られる雰囲気でのんびりしています。そこに、朝食とともに出された食べ物に「牧場の朝」のヨーグルトがありました。養老牛温泉ホテルの雰囲気にぴったりで、こんな爽やかな食べ物があるものだなとラビ妻とともに感心したのでした。

さて、紋別から札幌に転勤することになり、なんと札幌では普通にスーパーマーケットで売られているメグミルク(雪印)の三連パックのヨーグルトそれが「牧場の朝」なのでした。
養老牛温泉で感激した「牧場の朝」のたべものの感激は今でも忘れませんが、人は何かに感じた時に印象深く心に残るものなのだと思うのです。養老牛の朝ののんびりした雰囲気と牧場の朝は最高と今でも思っているのです。

この話は今からもう18年も前の感激した話です。
   
  養老牛温泉の朝、根釧原野の雰囲気一杯の「牧場の朝」

飛行機無事着陸 皆手をたたく

2013-04-13 21:41:57 | 旅行
しばらく旅行もしていなかったので、久々の今回の旅行には保険をかけました。
以前、毎年旅行をしていた時には保険もかけなかったのですが、間を開けると心配しかけてしまうのです。
しかし、飛行機が落ちたとしても自分が受け取るでもなし、保険をかけても無駄な事なことなどと考えていました。飛行機に乗るのは命を預けた気持ちで乗らなくてはならないわけで、落ちた時は同乗者と道連れだと諦めて乗ることにしています。
もう30数年前になるのですが、現役時代私の勤める札幌東陵高校が公立高校で飛行機を使った修学旅行の最初の実験高校となりました。北海道で始めて修学旅行(帰路だけ)に飛行機を使用したのでしたが、この時担任をしていたので、同じく初体験となりました。この修学旅行の試行後、高校は飛行機を使用した修学旅行が行われ出しました。飛行機を修学旅行に使うようになって大変楽になりました。
今でも印象深く思い出すのですが、千歳飛行場に無事着陸すると生徒たちは一斉に拍手をしたのでした。皆がおっかなびっくりでこの飛行機に乗っていたのでしょうね。拍手をするこれが本当の気持ちなのだと思います。千歳飛行場で公立高校最初の飛行機使用ということで、セレモニーがなされ、全日空から少し大きめな模型の飛行機が東陵高校に贈られました。
いつもそうなのですが、飛行場に降り立つたびに、修学旅行のこの時の情景を思いだし、心の中で無事帰ってこれたと心の中で拍手している自分がいます。
この頃では乗客は皆が平然と当たり前の様に、汽車が駅に停車したかのように手荷物を持ち、出口に向かいます。この様にこの頃は飛行機は安全なものと浸透しているのです。

シーサーは沖縄の原風景

2013-04-01 19:28:10 | 旅行

前に八重山諸島の西表島近くの「由布島」に旅行したおり「シーサー」を買ったものが我家の玄関に飾ってあります。魔除けになるとかで沖縄旅行をした人は大半が家にシーサーを置いています。
沖縄の家々の屋根の上に飾られているシーサーには何故か魅力を感じています。いろいろな姿をしたシーサーで見るのもあきません。
値段も高額なものが多くなりました。あまり小さなものには魅力を感じませんが、いろいろな姿で微笑ましく思います。首里城にも「狛犬」がどの門のところにも置かれて、勇ましく城をまもっておりました。これはシーサーでなく確実に「狛犬」です。バスガイドさんにシーサーと狛犬は同じですかと聞くと、すぐ返事が返ってきました。「同じです」と言うのです。首里城のものは確かに狛犬ですが、街で見かけるものはすべて、いつも見かけるシーサーです。どこかで規制があって、市民が屋根に付けて良いのはシーサーと形が規制されたのではないかとさえ思います。今回の旅行で撮って来たシーサーを何点かお見せします。今回も多くのシーサーを撮りましたが、シーサー撮り歩きも楽しいものですよ。