雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

流氷 見るにはどこが良いかな 

2012-01-31 10:27:44 | 随想
流氷が接岸したと報じています。流氷と流氷がぶつかり合って出すきしむ音などを本にした人がいます。網走に住む菊池慶一郎さんです。
流氷が接岸するとオホーツク管内では、内陸地でも寒さが一層厳しく身にこたえます。
昔は、大きな塊の流氷が沿岸に押し寄せたと聞きますが、近年はさほどのかたまりの氷の押し上げは見られなくなりました。
どうして網走駅前に私がいたか忘れましたが、ある観光客に声をかけられました。「流氷観光砕氷船に乗りたくて網走に来ました。どちらの方に行けば船に乗れますか」といいます。
その人は流氷砕氷観光船は網走に行けば良いと思っていたらしく、流氷が見たくて、思い余って一直で網走に来たものと思われました。「網走にはありません、紋別市にあるのですよ」と教えたのですが、寒さ、流氷、網走と結び付けられ、網走が運行の地と思ったらしいのす。
昭和63年ごろだったと思うのですが、紋別はなかなか先進的考え方をする市であったのでした。今では、網走にも運航しています。
紋別市にあるのが「ガリンコ号」で、私も紋別市に住んでいた当時、ガリンコ号1号の最終船に同乗し、その後のガリンコ号2号就航にも早々に乗りました。
ガリンコ号1号は今では役目を終えて、展示船として観光客を迎える仕事をています。ガリンコ号は流氷をガリガリとドリルで砕きながら流氷原を進みます。なかなか迫力があります。沖ではオットセイやオジロワシにも会うことがことができます。
一方の網走のオーロラ号は、流氷に乗り上げて、船の重さで流氷を割って進みます。どちらも、流氷観光砕氷船は魅力たっぷりです。

最寒地点 寒い所も有名になる

2012-01-30 20:40:24 | 記録
寒い日が続いています。寒さを町の看板としている町が陸別町です。また、然別湖でも寒さをもとにして、観光客を誘致しています。寒さはご馳走でありませんが、寒さが町の資源となっているのです。
次に最寒地点をまとめておきます。
日本では、北海道旭川市    1902年1月25日の -41.0度C
     北海道帯広市      1902年1月26日の -38.2度C
     北海道旭川市江丹別 1978年2月17日の -38.1度C
   ※ 農業気象観測では 美深       1931年1月27日 -41.5度C
   ※ 大学研究用では  幌加内町母子里 1978年2月17日 -44.8度C 
です。最寒地のどれもが北海道の内陸地にあたります。
旭川市が冷え込んだ日に、札幌で会合があり、「マイナス20度C以上ではどのように寒いのでしょう」と質問する人が居て札幌に住む人にはその寒さなど想像もできないようでした。カムイラピット(私)は寒い陸別町の隣の足寄町や、池田町、津別町にも住んだことがあり、寒さは半端でないことを体験し知っています。   
次に世界では、
     ヴェルホヤンスク   1892年の     -67.8度C
     オイミヤコン      1964年の     -71.2度C    
   ※ 南極のボストーク基地 1903年7月21日 -89.2度C
となりますが、人が住むヴェルホヤンスク、オイミヤコンの地点が 集落最寒地で、シベリアは極寒の地なのです。

大寒過ぎたら 寒気と連日の雪

2012-01-28 08:49:06 | 日記
1月21日が「大寒」であった。心の中では1月も後半になったから、少しずつ暖かくなるであろうと思っていた。この思いは間違いであった。
大寒の日以降、暦の示す様に急に寒い日が続いている。それにもまして雪が連日降りだした。新聞でも、○○地では今年度最高の寒さなどと報じられるほどだ。
28日の朝にも20㎝ほどの雪が車の上に降り積もっている。「いやになるな」と思いながら、心の準備にとりかかる。これで1時間以上の運動を強いられることになるのだ。それを裏返すと、体を動かすことは、体のなまりを防いだり、運動量不足を補うことになる。太りすぎを予防し、糖尿病の防止にも役立っている。こう考えると北国の生活もまんざらでないと思い返すことだ。今日も元気にカムイラピットは雪除けに外に出ることにします。

釧網線〔網走ー知床斜里〕 木造無人駅の喫茶

2012-01-26 12:27:11 | 観光
木造無人駅の食堂・喫茶店
JR釧網線の中に無人化になった駅を借り受け、食堂&喫茶をしているところがあります。全区間には6ヶ所あるのですが、ここでは網走~斜里間の、駅にしぼり以下に紹介します。
   藻琴駅(もこと)      「トロッコ」(喫茶&軽食) 
   北浜駅(きたはま)     「停車場」(喫茶店)
   浜小清水駅(はまこしみず) 「汽車ポッポ」(手打ちうどん&カレー)
   止別駅(やんべつ)     「えきばしゃ」(ラーメン・喫茶) 

網走~斜里知床間はオホーツク海の眺めで最高。
釧網線と聞いただけで、湿原地帯を走り抜ける汽車の旅情豊かさを感じますが、斜里~網走間のオホーツクの海を眺めながらの旅行もおつなものです。
さらに、無人化になった駅を借りて営業する店も出て、旅の面白さを益してくれています。なんと「汽車ポッポ」とか懐かしい呼び名の店をそろえたものですね。名が田舎臭さが面白く、寄ってみたくなります。
網走から斜里に向う時は、左手にオホーツク海が広々と広がって見えます。左手の前方には知床半島もかすんで見えます。流氷が来ている時には北浜駅に降りて見てはどうでしょうか、数分で海岸に出て手に取って流氷を見る事が出来ます。私はよくこの間の列車に乗りましたが、気持ちが良いものです。海明けの時はまだ流氷が海に残っており、その姿は気持が最高に良いものです。
北浜駅からは白鳥の渡来地にも近く観光客も多く来ています。駅には名刺が壁、天井にと止められて、旅行者たちが、自分の足跡を残したり、自分の旅行安全を祈願した姿が伺えます。この駅にも喫茶店が開かれました。
汽車の本数が少ないので、4つの駅とも寄る事は不可能ですが、試みに一つの木造り無人駅によってみてはいかがでしょうか。かって私も浜小清水駅の゜「汽車ポッポ」に寄って、「汽車ポッポカフェ」なるものを注文してみましたが、大盛のカフェで大満足しました。
斜里の隣の町の清里に一時住んだことがあり、この区間は私にとっては思い出深い路線となっています。原生花園駅と北浜間、原生花園駅と浜小清水駅間を毎年歩きましたが、原生花園の花の季節は見事な花盛りでした。    

メガセール 大丸で始まる

2012-01-26 11:40:57 | 日記
道新に、昨年度のデパートの実績が載せられている。
それによると、札幌のこの一年間のデパートの売上を見ると、大丸デパートの一人勝ちである。もっとも古い丸井今井デパートも、三越デパートも売り上げは落ちている。もちろん東急デパートも、池内デパートも昨年比で減だ。
大丸デパートが進出してから、他のデパートは落ち気味で、西部デパートも撤退した。
大丸が優位に立っているのはJRの駅の乗降客と深くかかわっている。全道各地からの客を集客するからなのであろう。交通便の良さの他に、デパートは新しく、規模も大きく、ゆったりしており行っていても気持ちが良い。
大丸が進出した時、丸井・三越との競合が取りざたされたが、今年に至っては大丸に先を越された形になった。
 この大丸が新聞にチラシを折り込んできた。1/25(水)→31(火)MEGA SALE!(セガセール)を行うという。聞きなれない言葉であるが、私にはすぐ分かった「大きな、大きな 売り出し」ということだ。新しい言葉の進出である。
小学館の国語辞典を調べてみると載っていた。メガとは「百万・百万倍の意味。-サイクル -トン」とある。私の知っている言葉は「東海道メガロポリス」であり、「アメリカメガロポリス」である。いくつもの都市がつながった形の巨体都市群の事で、大きさが半端ではないのである。この単語から察するに、どの様な大売り出しになるのであろうか?。もうひとつメガの言葉が一般化してきた。メガソールという言葉で、大きな太陽光発電ということである。原発脱して、メガソールの時代になるだろうか。

眼の光 

2012-01-24 17:06:35 | 紹介
昼時有名人のインタビューの時に、映画監督が新人俳優を引き出す際、「あの子は眼の光があったから」という場面を何度か見たことがあります。「眼の光」が一般人と違うことが、その人の魅力となっていたのです。
今読んでいる谷崎潤一郎の「台所太平記」(中央公論社)の中に、同様のことが書かれていますので、紹介しておきます。
主人の物書きがおり、お手伝いさんを幾人も雇っていました。その中の鈴と呼ばれる女性について、次の様に説明しています。鈴はとびっきりの田舎出で、奉公にあがった時は、まだまったく磨かれていませんでした。
「あの児は美人には違いないけれども、惜しいことに眼に光がない。あれで眼に一種の鋭さがあって、キラリとした閃きのようなものがあったら、ほんとうの美人になれるんだけれど、………そうしたら映画女優にでも推薦出来るんだけど、………もっと上の学校へ入れて教養を積ませたら、きっとあの眼に輝きが出てくるんだかなあ」
このように書き、眼の閃きを付けるには教養を付けることだとしています。
この鈴が出てきたところが、大津から江若鉄道に乗って、浮御堂のある樫田の駅の次の真野というところでした。古くから由緒ある湖畔(琵琶湖)の村でした。
そこで詠まれた歌があるそうですが、美しい詩(うた)が詠まれていますので、紹介しておきます。
式子内親王の歌に、
     夜半に吹く浜風寒み真野の浦の
         入江の千鳥今ぞ鳴くなる
素せん法師の歌に、
     雲はらふ比良山かぜに月さえて
         氷かさぬる真野のうら波
むかしの人は美しい歌を詠うものだと感心しています。

「札幌」の地名はアイヌ語

2012-01-23 19:08:28 | 地名
札幌(サッポロ)は、「乾いた・大きい」というアイヌ語から名付けられたと言います。他に別な起源説がありますが、いまのところほぼ定説になっています。サッポロのように大きな川はうしろにペッを付けないで言うこともあったと言います。
今、札幌には豊平川が街中を流れますが、そのむかしサッポロ(ペッ)川と呼んでいました。ご存じのように大きな川でしたので、氾濫も繰り返されました。流路も大きく変えています。今ある豊平川の流れは三度目にあたります。
山から流れ出て、谷(上流)から平地に流れ出た川はジャリ(砂利)を含んだ流れで、長いことかかって扇状地を形成しました。地下が砂礫質なので、川の大半は伏流水となり、降水量の多い季節には大きな流れとなり、流れの少なくなる夏の季節には地下を流れ川が乾いたような流れとなります。この様子を見て、アイヌはサッ(乾いた)ポロ(大きい)ペッ(川)と呼んだのでした。札幌はアイヌ語のサッポロであったのです。
昔の流れは今の伏古川あたりを通り、茨戸川に流れ出ていました。二度目の流れは江別の対雁(ついしかり)に流れていました。そして三度目に今の豊平川の流れとなります。
カムイラピットの住む東苗穂(ひがしなえぼ 東区)の南にある苗穂(なえぼ)も、実はアイヌ語の「ナイポ」から付いた地名で、「川・小さい」に起源があります。苗穂は扇状地の扇端にあたり、メム(湧水地)から流れ出た水が川を形成したものでした。

流氷観光砕氷船 ガリンコ号 オーロラ号どちらが先

2012-01-22 16:16:08 | 観光
紋別市と網走市に流氷観光砕氷船がありますが、さて「どちらが先かな」と問われて、すんなり正解が答えられる人はそういないでしょう。正解は紋別市の「ガリンコ号」(150㌧)が先なのです。
「大寒」を向える1月21日ころになりますと、オホーツク海に流氷が南下して、知床半島や斜里、網走、そして紋別の海岸に接岸します。東の方がオホーツク海での南に位置しますが、先に東の方から流氷初日をむかえます。
ガリンコ号は二号目で、一号は陸に展示されて役目が終わっています。ガリガリと船先に付けたキリ状スクリュウで流氷を砕いて進みます。カムイラピットはガリンコ号一号の最終運行に希望して乗り記念としました。
一方網走市の流氷観光砕氷船「オーロラ号」は一号、二号(489㌧)があり、巨体を氷の上に乗り上げて流氷を砕いて氷原を進みます。一度、一隻が流氷に閉じ込められて動けなくなり、もうひとつの流氷観光砕氷船が助けに行き、全国的なニュースになりました。このことにより、一気に網走の観光船が有名になりました。閉じ込められた方の船に乗りたいと、閉じ込められた観光船が人気になりました。「災い転じて福をなす」の形になりました。

☆ 平成24年流氷観光砕氷船の今期の運行開始はガリンコ号、オ―ロラ号共に1月20日からです。まだ流氷は接岸していませんが、沖合には流氷が来ています。

三大夜景 香港の夜景は最高

2012-01-21 09:51:52 | 観光
札幌藻岩山のロープウエ―が新しくなり、1月17日に出向いてみました。展望台からは雲に覆われて全く見えませんでしたが、帰りには晴れてきて、ロープウエーから見た夜景が綺麗でした。やはり冬は見事にみえますね。ふと他にどのような夜景が有名か、ここでまとめて紹介することにしました。
☆ 世界三大夜景    ・中国香港の夜景。
               ・イタリアのナポリの夜景。
               ・日本の函館山からの夜景。
☆ 日本の三大夜景  ・函館市の函館山から望む夜景。
               ・兵庫県神戸市や大阪市の夜景。
                  麻耶山掬星台から望む夜景
               ・長崎県長崎市の夜景。
                  稲佐山から望む夜景。
☆ 北海道の三大夜景 ・藻岩山から札幌市街を望む夜景。
               ・小樽天狗山から小樽市街を望む夜景。
               ・函館市の函館山から望む夜景。
☆ 新日本三大夜景  ・皿倉山から望む福岡県北九州市の夜景。
               ・若草山ら望む、奈良県奈良市の夜景。
               ・笛吹川フルーツ公園から望む、山梨県甲府盆地の夜景。  

連日こう雪が降ったのでは御馳走でない

2012-01-21 08:45:38 | 記録
雪の事故が連日報道されています。
1月18日までに死傷者60人を超すと聞きます。雪の事故は暖かい地方では想像もできない事です。
今年は日本海側からの風が、西北西で、例年より少し北側を流れる事になり、この湿った風が夕張山脈にあたり、上昇しその麓の町に大雪をもたらしたのです。そこで空知南部、石狩北部で記録的な大雪に見舞われることになりました。
1月11日には石狩市厚田区で175㎝、1月16日に新篠津村で213㎝、同岩見沢市で194㎝と大雪が降りました。
追い打ちする様に1月17日には岩見沢、三笠市で大変な大雪に見舞われました。バスも全面不通となり交通麻痺となりました。岩見沢市・三笠市ではとうとう陸上自衛隊に除雪支援を要請し出動したほどでした。例年の二倍以上の大雪で、市民の苦悩は大きいものとなりました。
以下に資料として、17日午後6時現在の降雪量をまとめてみます。
       地名          平年値        17日の降雪量
       岩見沢市        75 ㎝       175 ㎝
       新篠津村        70          190
       石狩市厚田区     67          168
       夕張市          84          158
       美唄市          73          133
       
       倶知安町        120          178
       札幌小金湯        74           82
       札幌市           53            54
       小樽市          68           76
       恵庭市島松        42           63
倶知安でも178㎝と大雪でしたが、例年大雪の地なので話題にはなりません。
札幌の今年の雪は割かし少ないと言っていますが、雪かさを見ると例年とあまり変わらない様に思われます。雪投げ場はうず高くなりました。屋根には雪が沢山積もっています。
今回は、風が札幌の北側を通ったというのが幸いしました。積雪量が一晩に1m50㎝を超すと、玄関からの出入りも難しく、雪投げ場所もなく、ようやく一人通れる通路の確保が精一杯となります。その大雪が空知、石狩北部を襲ったのです。住民の苦悩は計ることができません。
幸い札幌は平年並みで、みな安堵しています。今日21日は家の前の道路にブル(ブルドーザー)が入り、徹底的に除雪してくれています。大変助かります。ありがとうの一言です。