「千歳道の駅、千歳水族館寸秒」
千歳道の駅で「ピザ」を食べなくてはならないと、千歳にドライブです。
千歳道の駅には立派なピザ焼き窯が造られ、観光客の人気を呼んでいます。
ピザ一個の大きさは格別で、二人で食べても良いほどです。
食事の後は、隣の施設の千歳水族館に入り、魚の知識の吸収です。
一日満足のドライブでした。
「千歳道の駅、千歳水族館寸秒」
千歳道の駅で「ピザ」を食べなくてはならないと、千歳にドライブです。
千歳道の駅には立派なピザ焼き窯が造られ、観光客の人気を呼んでいます。
ピザ一個の大きさは格別で、二人で食べても良いほどです。
食事の後は、隣の施設の千歳水族館に入り、魚の知識の吸収です。
一日満足のドライブでした。
「何が起こるか予測できない」
神のみが知る、原子力発電の事故であれ、人的であれ、自然災害であれ予測するのは難しいのです。
その様に考えてしまうと、人は何もできなくなります。
4年前に噴火した長野県・岐阜県にまたがる御嶽山が噴火して58人の命を飲み込みました。今でも5人が見つかっていません。
火山噴火の恐ろしさは遭遇して見ないとまったくわかません。私が見た噴火跡では、長崎県雲仙普賢岳の溶岩泥流のすごさには驚きました。何軒もの家を巻き込んでいました。
御嶽山では、安心神話ではありませんが噴火するなどまったく予期していませんでした。安心して登山していた人たちを火山弾、火山石、火山灰が降り注ぎ、多くの人の命を奪ってしまったのです。
次の話が残っています。
長野県木曽町立三岳小学校6年の授業を噴火前日に、教頭が理科の学習指導している中で、「御嶽山は今すぐ噴火が起こるとかそうゆう事ではないよ」と説明したそうなのです。
ところが次の日には御嶽山が大噴火しています。御嶽山の噴火は専門家も予測できなかったのです。教頭も「噴火は起こるという事ではない」と指導したことについて、大変くいているとのこと。
自然の事故は神のみぞ知るという事なのでしょう。
三陸沖で起こった地震で津波か起こり、更には福島原発の事故が起こるという事も、これも神のみが知っていた事なのです。
自然相手は安心神話では済まされ無いのです。
どう対処すれば最良なのか、これも難しい限りです。
「千歳道の駅・千歳水族館 人気のスポット」
9月24日(火)、千歳道の駅まで足を延ばしました。久々の遠出です。
自宅(札幌)から出て、途中長沼町の「馬追の道の駅」に立ち寄り、裏道を通って「千歳道の駅」へと進みます。
馬追の道の駅では野菜が格安という事もあって、人で賑わっていました。
千歳道の駅すぐ近くには「千歳水族館」もあり、駐車場も車でいっぱいでした。
インディアン水車は鮭捕獲用の仕掛けです。千歳のこの場所だけで見られます。
水族館入場料金は800円。
カムイラビットは千歳水族館に入るのは始めてです。
大きな水槽もあります。大きな魚はチョウザメです。
小型の鳥、カイツブリもいました。潜る姿が可愛く人だかりとなっていました。
これはウグイでしょうね。
水族館中でのガラスの向うに、川の流れが見える場所があり、鮭が上る時は水族館の中から見られますが、まだその時季ではなくウグイの群れがガラスの向こうに見られました。
札幌近くの水族館、時たま訪れるのもよいでしょう。
「北海道そば祭り」 十勝管内新得町
足寄高校から赤平高校に転勤した際に、新得駅近くのそば屋でソバを食べました。
転勤の途中で心機一転する気持ちでしたので、この時は高めのソバを注文しました。
新得と言えばソバですからね。
その後、何度か十勝に向かった折、新得を通過した際には、ソバの館で舌鼓を打ちました。館の回りには、ソバ畑が広がっており魅力満杯です。
この時は、ソバを食べるなんて豊かな旅となりました。なにせカムイラビット夫婦はソバを食べるのが大好きですからね。
新得では、毎年「しんとく新そば祭り」が開かれていましたが、今年は北海道150年を記念して、全国に北海道のそばを広めようと「北海道そば祭り」として実行することになりました。
会場では全道の各地のそばが味わえるようになっています。
そばを使ったスイーツなどが味わえるそば茶屋が出店する他、ステージイベントなども行われます。
「採れたての新そばの味を堪能しに、是非足を運ばれてください」と実行委が呼びかけています
家族の計画に入れるにはまだ間に合います。出向ける人は是非お出かけください。
実施は「9月29日、30日(平成30年)」の二日間です。
〇 同日、浦臼町でも「そば祭り」が開かれます。
「第18回 浦臼産ぼたんそば」 新そば収穫祭 2018年9月29日(土)、30日(日) 空知管内浦臼町
会場 浦臼町鶴沼公園。
道内の手打ちそば同好会12店舗が 「浦臼産ぼたんそば」で腕を振るいます。
●手打ちそば実演
●そば食べ歩き
●浦臼産特産品などの販売
わんこそば大会(29日 13時スタート)、そば早食い大会(30日 13時スタート)。
「蜘蛛の糸」
「蜘蛛の糸」は芥川龍之介の作品。お釈迦様が下界の罪悪人を救い出そうと蜘蛛の糸を下界にたれ下げるのです。印象深い話で、幼少の頃「蜘蛛の糸の紙芝居」を見て、心に焼き付いていました。
高校時代にこの小説を読んで、自分だけ良い思いをしようとしたら自分も地獄にたたき落とされると思うようになっていました。
その蜘蛛の糸ですが、花の間を通る時不意な時に顔にまくりついたり、夜に家に入り込んで来ていつもはめいわくな存在ですが、見方をかえれば虫を取ってくれくれたりと良い事もあります。
そして、ある日ある朝、美しい造形を見せてくれたりするので、憎むわけにはいかなくなります。
特に霧の深い日が見事です。
蜘蛛の糸の後ろには夏グミの実が綺麗です。
「花を見ましょう 野の花たちも」
下の写真は9月15日の午前7時前に撮影したものです。
上の写真の花は、なんという植物の花でしょう。
そう声をかけられて、正確に名前を答えられる人はなかなかいないでしょう。
朝露の強い朝、わが別荘(?)に出向き、まわりの植物たちに挨拶です。
この日は稀に見る朝露の降りた朝で、この季節としては珍しい事でした。
出向く度に写真を撮っている「ミゾソバ」が徐々に開きだし、中には満開になっている株もあります。
行く度毎にカメラを向けて写真を撮るのですが、一枚だけ露を花びらにのせたミゾソバの写真が撮れました。花が満杯ですが気に入っています。
露は花びらをスケスケ感にして、別人のような花になっていました。
露を乗せた花びらはなかなかカメラのピントが合いません。いつもピンボケでないかなと思う事が多いのです。
「新米も遅れ気味!」
米が無くなったので、札幌市郊外の当別町のいつも行っている農家に買い付けに行きました。
残念ながら「今年は気候が特に悪かったので、まだ新米は出来ていません(刈り取りは出来ずにいます)」とのことでした。
されば、29年産の米と思ったのでしたが、これも売れてしまっており、「(当別町の)道の駅にでも寄って買ってください。」とのことでした。
この農家の米は特に美味しく、人気のあるようで、昨年も同じ様に売れてしまっていました。問い合わせてから出向かないといけないと思い返しています。
10月には米の収穫が始まるので、それまで待つことにしました。
我が家では「ユメピリカ」を食べていますので、予約してきました。
トウモロコシはあるとの、少々小振りでしたが、なかなか美味しいもので今年最高の味でした。
〇 帰り道、野菜を売っている農家に立ち寄り、白菜やらキャベツ、ニンニクや茄子など、またいろいろ買い付けてきました。店番はこの農家のおばあちゃん、どれもが市販のものより数段やすいのです。
帰りがけにサービスにとミニトマトを頂きましたが、これがなかなか美味しいのです。
「車を引き返してこのトマトを買おうか」などとも思うほどのミニトマトの味でした。気前が良いというか、商売上手というか、たくさんの野菜を買ったことの心づけというか・・・。
「サービスがあるとまた来たい」と思うのは私だけではないでしょう。米を買いに行った時はまた帰り道寄りたいものだなあと思っています。
〇「地震の被害はなかったかい」と聞きますと、「地震では被害が無かった」のだけれど、「21号台風で、ビニールハウスに被害があった」と風の被害を訴えていました。
米を買いに行ったところでは、松の木も一本倒れてしまったともいっていました。よほど強い風が4この辺りを襲ったのでしょう。
「えりも岬港のコンブ森への戦い」
戦時下にえりも町の浜近くの森は燃料や建材としてすべて伐採されてゆきました。当時としては止む得ないことではありましたが、後に大きなツケが待っていました。
木が伐採された結果、陸から流れ出た泥水によりえりも岬港側の海の水は赤く濁り、その以前に盛んに採れていたコンブは質が落ち、または採れなくなりました。
海岸では砂塵が舞い、荒れ地から海に流れ出た砂や泥が死の海へと変えていったのです。当時の海は赤く濁っていました。
陸地が荒れた結果、海も荒れ、コンブ森もひん死に追いやられたのです。
森を全滅させて後、悪であることを知ったのは浜に大異変が起きてからの事でした。
現在では「森が浜の幸を育てる」という事は常識となっていますが、当時はその知識も無く、まったく思ってもいない結果を生むことになりました。
えりもの植林に取り組んだ飯田常雄さん
どの様にすれば浜が前のようなコンブの浜にもどるのか、立ち上がった人がおりました。荒れた海岸の砂地に木を植えるしかないと飯田常雄さんと奥さんでした。
砂浜に木を植える運動を呼びかけ推し進めたのです。
はじめは砂地に蒔いた牧草の種子も強風に吹き飛ばされ芽も出ませんでした。
思案の中で思いついたのが、海藻が海岸に打ち上げられていたコンブのはし切れの「ゴダ」を海浜に敷き、そこに種子を蒔いて見ました。種は風から守られて草が生え、林が少しづつよみがえってきたのです。
「ゴタ」を運ぶのも人力でリヤカーでしたので、遅々として草地の範囲は広がりませんでした。そのうち浜の人たちも立ち上がりました。
砂浜にはもうひとつ大きな問題点がありました。土地の構造上から排水溝を掘ることでした。
この仕事も人力ではなかなか進まず苦労が重なりましたが、飯田常雄さんの息子の英雄さんが重機によって進める様になり、一気に林が蘇るようになったのです。今では松の木の他にブナ、ナラ、カシワの木が繁る様になりました。
土づくりに40年の歳月がかかり、飯田常雄さんの半生が森づくりについやされました。
一方、
浜の人たちの大きな望みは、流氷が来て海中の泥の汚れを一掃してくれることを願っていましたが、ある年流氷が襟裳岬までやって来て、海中の汚れを一掃したのです。
その後えりも岬港側もコンブの質も上がり、コンブで生活が経つようになりました。
今襟裳岬に行って見ると、コンブの季節には活動的で活気に満ちています。百人浜への道も森が豊かな地として目に入ってきますが、苦労の末になし得た賜物であったのです。
何時か、昔語りとなり先人の苦労にも感謝しない人たちが出てきますが、ここに記して忘れないようにと念じています。
森と浜とはいつも一体です。森を守ることは海を守ることに繋がっています。
「玉ちゃんアイスを伏古商店街(札幌市東区)から発売」
カムイラビット氏も食べた「玉ちゃんアイス」と言われても、誰も関心を持ちませんがね。ところがアイス販売店の看板に小泉進次郎氏が食べている「玉ちゃんアイス」の写真が飾られていて、これは確かに絵になっていました。
話を聞けば国会議事堂の自民党事務所に送り、進次郎氏も御馳走になり、その食べている様子が写真に撮られ、店の広告塔のように使われていたのです。
他の議員の姿でなく、小泉進次郎氏であるのがなるほど、これは絵になると思ったのでした。ただで食べて写真として使われ、宣伝される人なんてなんと幸せな人なのでしょう。
カムイラビットだって送られてきたものはいただくのですが、広告塔には成りきりきらないのです。
ただのタマネギアイスであれば、是非食べてみたいとまでは思わないのですが、札幌東区のタマネギの元祖の「札幌黄(さっぽろきい)」を使い、アイスクリームにしたとなれば、一度なりとも食べたくなります。
札幌黄は普通の市販のタマネギと形は変わりませんが、柔らかく、早く調理が出来て甘みのあるのが札幌黄の特色です。むかし札幌市東区で栽培されていたタマネギ(札幌黄)が、今見直されているのです。
札幌黄は独特の甘さから人気が出て、作付面積も少ない事から値段も高くついています。難は保存しても長持ちしないことが問題です。
札幌黄を加工利用しようと、伏古商店街と大谷大学が共同で研究、「玉ちゃんアイス」を作り上げたのです。
味はまろやか、舌触りは最高、ほんのりタマネギの味がするのも魅力です。
さあて「玉ちゃんアイス」は、将来市民権を得ることが出来るのでしょうか?。
伏古商店街や丘珠空港にて販売しているとお聞きました。試しにいかがでしょうか。
「人肥ゆる秋 秋は野菜が豊富」
秋は店に並ぶ野菜も多くなり、人も肥ゆる秋が来ています。
しかし、スーパーに行くと、野菜の高さにはあきれてしまいます。もうそろそろ値段が下がっても良いはずなのに、今年はどうしたのでしょう。
大根にしても、ブロッコリー、白菜等々にしても考えないで買い物かごに入れるわけにはいかないのです。
みみっちい話をしていますが、消費税もさらに払う店が大半ですので、主婦たちは大変です。
先日サトランドの交流館(札幌市東区)で開かれていた秋の収穫販売では、多くの市民が押し寄せて沢山の野菜の買い物をして行きました。こうした催しは市民にとってありがたい事です。
私も2日間サトランドに出向いてみたのですが、晴れていたこともあり、楽しい一時を過ごしたのです。
そして昨日は恵庭に用事があり、ついでに長沼などに久しぶりの遠出のドライブをしました。ドライブ途中の野菜販売の店を三軒もめぐりました。
中でも野幌の野菜販売所では、以前の建物を建て替えて、それは驚くほどの客を収容しておりました。
郊外の販売所はこうあらねばならないと思わせる様子でした。当別の道の駅と較べたら、野幌の販売所は取り組みが上手いし、各農家との連携がうまくいっていると思うほどでした。
我が家の近くのスーパーよりさらに安く、消費税も含まれているというのですから、買い物の面白さがあります。
都市価格でなく、産地価格なのが人を呼び寄せているのです。
だいだい色の強さの物がありました。
前の日、野菜を買っていましたので、そこではできるだけ買うのを抑えて何点か買ったのですが、札幌からあまり遠くも無く、今度は「ドライブがてら行きたいね」と言う結論を出したのでした。