雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

2月 如月 厳寒の季節で重ね着る

2013-02-28 15:38:12 | 紹介
「如月」と書いて何と読むのか?、「はて」と首をかしげる人も多いのではと思います。
二月は如月(きさらぎ)です。二月は厳寒の月ですので、「寒さをつみ重ね着る」から如月は名づいたと一説にあります。本当に寒い日の多い月でしたですね。
「如月」の月も今日で終わりです。あとは「弥生」三月を待つばかりです。雪解けもこれから急に進むことでしょう。春先は雪解けでぬかるんで路を歩くのはなかなか大変です。また車の泥はねにも十分注意しながら出掛けましょう。

さて各月は何と言うのでしたでしょうか。次にまとめておきます。
一月  睦月(むつき)
二月  如月(きさらぎ)
三月  弥生(やよい)
四月  卯月(うづき)
五月  皐月(さつき)
六月  水無月(みなづき)
七月  文月(ふみづき)
八月  葉月(はづき)
九月  長月(ながつき)
十月  神無月(かんなづき)
十一月 霜月(しもつき)
十二月 師走(しわす)

どの月がなじみやすく不断に使っているでしょうか。カムイラビットから言えば何といっても「師走」です。十月の「神無月」も良く使います。三月「弥生」も八月「葉月」もよく知っています。中でもなじみ浅い漢字が2月「如月」でしたですかね。
北海道では三月に雪解けが一気に進みます。弥生三月は希望の月です。農家でも一気に忙しくなります。健康に留意しながら頑張ってください。

北海道立文書館

2013-02-28 13:23:05 | 紹介
2月21日(平成25年)文化財講演会の「文書館の宝物」と題した講演会に出席しました。北海道立文書館主任の原美恵子氏が講師でした。講演会の後、直接北海道立文書館内に案内してくださいました。
その日まで北海道立文書館の場所も、どの様な資料が集められているかも知りませんでしたので大変勉強になりました。
見学では、普段入れてもらえない書庫の中も見学させていただきました。
貴重本の「第一文庫簿書目録(天)」の実物、寄贈された古文書三冊、更には新島襄の実筆の手紙、福沢諭吉実筆の手紙なども生で見せてもらいました。新島襄の手紙には今NHK大河ドラマの「八重の桜」の主人公八重の名も書かれていました。
今回は文書館の見学の様子の一こまを写真で紹介します。
文書館は道庁赤レンガ館の右手の一階にありました。これをきっかけに文書館にカムイラピットも通おうかと考えています。

      
赤レンガ庁舎の右手一階に北海道立文書館があります。

大雪 除雪費市財政を直撃 総額194億円

2013-02-28 11:14:43 | 助けて
今年は大変な大雪に見舞われました。例年の1・8倍だそうです。内地の人からすれば「どうせ雪は解けるのだから、降ったままにしておけばよいのに」と思われるでしょうが、実際生活すると、屋根は落ちるは(家が壊れるは)、車も人も通れなくなるは、車は渋滞するはと生活が麻痺してしまいます。雪の為に曲がり角での見通しが悪くなり交通事故も起こります。
当初の札幌市の除雪予算は149億円でしたが、今年は大変な大雪なので、追加予算20億円が計上されました。その後雪は降り続け更に除雪が必要となり、先日は追加補正予算として25億円が計上され、市議会を通過しました。
占めて194億円の除雪費となりました。これだけのお金が他の事業に使えれば、札幌も更に住みやすくなるのにと思わざるを得ません。
北国には悩みがいろいろあるのです。

高見盛関 引退

2013-02-27 22:26:24 | 随想
高見盛関を「ロボコップ」とはよく表した言葉です。しぐさがそうそうロボコップだと思われおかしくなります。
大相撲は大好きで、始まると毎日の夕方のテレビ放送が楽しみです。
高見盛の全盛期には横綱以外に懸賞が付くのは高見盛の時でした。カムイラビット以外の人も高見盛の相撲の気合入れのしぐさが好きであったのであろうと思うのです。勝っても負けても万雷の拍手が降り注がれました。
後半は十両に下がり、今年の初場所に負け越して1月27日に引退を表明しました。
最高位は小結で三役在位はわずか2場所でした。

金言 オ・ア・シ・ス 

2013-02-25 17:01:39 | 教訓
青年に与える言葉に「オ・ア・シ・ス」という言葉があります。オアシスを忘れなければ、社会の中で信用を得る事が出来ることでしょう。ここに紹介します。

  「オ」 おはようございます。

  「ア」 有難うございます。

  「シ」 失礼します。

  「ス」 すみません。

オアシスを忘れなければ、近所の人から、あの家の子供は礼儀正しいと言われること間違いありません。

滝の上出身の小説家小檜山博さんのエッセー集「自分に出会う日」に、こんな言葉がある。<人間は「はい」「ありがとう」「ごめんなさい」の三つの言葉をちゃんと使えば、一生を生きられると思う>。広げるならば、<三つの言葉>を身につければ
どこの国でも生きられるということだろう。(北海道新聞2013・1・12 卓上四季)


道央ドカ雪 石狩積雪量168㌢

2013-02-25 16:17:33 | 自然
先にも紹介しましたが、20日~21日(2月)の昼にかけて道央は大雪に見舞われました。
今まだは札幌では10区の中で「西区」が最高の積雪量でしたが、この日降った雪で2位ランクであった東区が一位にのし上がりました。東区はカムイラビットの住んでいる区です。またもや除雪に追われる一日となりました。40~50㌢は一度に雪が降ったことになります。この量は半端ではありません。
札幌市の北側にある「石狩市」や「当別町」、「新篠津町」はさらに多くの量が降りました。石狩では積雪量は168㌢とテレビで報じておりました。
21日の道新(北海道新聞)の夕刊では一面、11面が大雪の記事で大半を占めました。
夕刊の大見出しをここで紹介して置きます。
   ○ 道 央 ド カ 雪 (大見出し)
   ○局地的 札幌・拓北53㌢ 石狩40㌢
   ○JR11本停止 車内に2000人

   ○「 あ ぁ 」痛 勤・痛 学 (大見出し)
   ○道央ドカ雪
   ○JR運休相次ぐ 600人が車内で一夜
   ○朝の駅あふれる人

   ○写真は4枚 通勤時間帯に激しい吹雪となった札幌市中心街
   ○特急が停まった中、一夜を明かした乗客が代行バスに乗り替えている写真
   ○暴雪風の影響で、渋滞する札幌市北区の国道231号。ヘッドライトを付けて渋滞する車の写真。
   ○暴風雪で、ダイヤが大きく乱れた運行状況を説明する駅員
 

オホーツク 懐かし 昭和初期

2013-02-25 07:42:04 | 地理
NHKの番組で「懐かしのオホーツク」という放送が先日ありました。白黒画面の昭和10~30年代のむかしの映像で、カムイラビットにとっても懐かしいものでした。、
大正10年の「網走」の映像では木材の集散地となり港に集められている姿が、また大クジラの解体現場が映し出されていました。子供の時、昭和25年頃網走につれていってもらい、クジラの解体の現場を見たことのある私は、当時のことを懐かしく思い出しました。貴重なフィルムです。
また、昭和10年代の「津別町」の木材運搬が映し出され、バチバチに積まれて運び出される運搬の姿は、当時馬が最大の動力であるのがわかります。解説していた講談師の神田山陽さんもバチバチのことには触れておらず、今の若い人たちには分からない馬橇になっていたのだと思いました。
他に「常呂町」の帆立の水揚げの風景や、「知床半島」の姿、昭和10年代の「美幌町」のデパート(全道でも草分け)の大賑わいの姿。「紋別市」のスケソウダラ、ニシン漁の様子にも目を見張りました。紋別でも昭和初期にはニシンが当時群来(くき)ていたのだと確認できました。紋別市に2年ほど住んで居たことがあるので、文献では紋別市のニシン漁の群来については知っていたのですが、記録映画として見たのは初めてです。
次に、カムイラビットが長年先輩の横平氏と調査に入っていた「鴻ノ舞金山」の様子の映像もあり、よく残っていた画像で、調査に入っていた当時のことを思いだしました。隆盛当時、鴻ノ舞(こうのまい)には1万3千余人もの人が住んでいましたが、今では町はなくなりました。住む人もいなくなりました。
上藻別駅逓保存に力を注いでおり、鴻ノ舞金山資料保存に仲間と取り組んでおられる小玉さんの姿も出ていましたので、懐かしかったので、早速お電話しました。
今回の放送は30分ほどの番組でしたが、むかしを思い出させる良い内容の番組であったと思います。もう一度放送されることを望んでいます。

今年は大雪だ-!  札幌10区の中で東区は一番の大雪

2013-02-24 08:24:31 | 自然
20日(水)、21日(木)と札幌は大雪に見舞われました。家の周りも50㌢は降ったでしょうか。
車を出すのに雪除け時間が2時間ほどかかりました。荒、荒に除けたのでこの時間ですが、雪をきちっと除けると5・6時間はかかることでしょう。とうとう雪除け場所がなくなりました。
昨年より較べものにならないぐらい降っています。中でもカムイラビットの住む東区は、札幌10区の中で一番積雪が多いのです。
昨年は少なかったのに、その2倍は積雪している感じです。昨日は一時雪は止みましたが、今日(24日)も小降りの雪となっています。
22日、札幌近くの積雪量を道新が掲載しています。記録的な大雪の数字ですので、このブログにも紹介しておくことにしました。固まった形の積雪量ですから、毎日降った量はその2倍や3倍になるでしょうか。
     2月21日現在の積雪量
        新篠津村  191㌢
        石狩    179㌢
        江別    167㌢
        厚田    165㌢       以上は札幌近郊の町・市です。
 
       ○東区    146㌢       カムイラビットが住んでいる街です。
        手稲区   141
        厚別区   138
        北広島市  136 
        西区    132
        北区    132
        清田区   127   
        南区    125
        中央区   111
        白石区   110
        豊平区   100

        千歳市   58   「千歳飛行場」のある千歳市は特に雪の少ない所です。これが幸いしています。

手稲山にぶつかった湿った雪が、上昇し手稲地区に多く降り、東区にももたらされました。そして、その北側の町新篠津村や、厚田(石狩市)、石狩も多い降雪となったのでした。風が回り込んだ江別市も大雪になっています。
昨年大騒ぎの岩見沢市は幸い今年は雪が多くありません。        

食事を頂く時 どう言いますか? 今はただ「頂きます」ですかね。

2013-02-20 18:54:48 | 歴史
「君と親とのご恩を味わえ 頂きます」 君とは天皇陛下のことです。
カムイラピットは終戦時は小学校2年生でした。家では戦争の色濃い中での生活でした。
防空頭巾を子供ながらに被り、ゲートルの巻き方も練習しました。夜は灯火管制であかりが外にもれないようにしていました。奉安殿の前を通る時はお辞儀をして通りぬけました。空襲時の避難訓練や火災に遭った時の連携水運びも大人に混ざってしました。防空壕に避難練習もしました。
食事はカボチャやジャガイモとご飯に混ざったオジヤや団子イモでした。
戦時下にあって我が家の長兄、と次男の二人が戦死しました。
生活はどの家でも苦しくなりましたが、それでも田舎に生活していたので食べる物はなんとかあって、空腹の生活はしていませんでした。いま思うと北海道に生活していたことが幸いしました。
どう教えられたのか、食事の時は手を合わせて、「君と親とのご恩を味わえ」と唱え「頂きます」と言って食べ始めました。君とは天皇を指していたのだと思います。
親も絶対的存在で、食卓の座る位置も定められ、食事も少し上等でした。さて今では「頂きます」とも言わないで食べだす人も多くなり、感謝の対称もなくなってしまった人がいるのです。心から感謝して食事は頂きたいものです。

金言 アイウエオ

2013-02-20 11:22:23 | 教訓
自分に言い聞かせる言葉、座右の銘と言うものがありますが、カムイラピットは「発心・決心・継続心」でした。
今では何であったかも意識しなくなり生活していますが、もう少し人生巻き返ししなければと思う日日です。
今回は、自分かってに金言言葉考えてみました。

       「ア」 ありがとう の五文字はあなたへ伝えたい言葉です。

       「イ」 いいね いいね 子供を誉めてあげよう。大人にも活力になります。

       「ウ」 嬉しい事があったよ 一日一喜 見付けてみよう。
   
       「エ」 笑顔が自分の取り得となり。笑う角に福来たり。
   
       「オ」 美味しい、美味しい 頂ける喜びを伝えよう!。