環境の問題が連日大きく取り上げられる時代になりました。思い起こせば大学に環境学科が出始めた時期がありました。環境庁ができた頃でしょうか。昔なら、空気のようなもので、何でそんな学問をするんだろう位に思っていました。確か宮城県?の大学で一番早くその学科ができたように思います。学問として、どのように研究するのかなとも思っていました。また、そこで、勉強した人たちは、どういう所へ就職するんだろうと、不思議にさえ思っていた時代でした。 当時、その学科を勉強する彼を不思議な思いでとらえていた自分を思い出します。
昔は環境教育と言う概念や学問もなく、空気や水は当たり前の事として、考えることもしなかったと思います。高校生の時習った「倫理社会」という教科がありました。そこで、紀元前のギリシャの自然哲学者タレスがいった「すべての根源は水である。」と、言う言葉を思い出しています。確か、人体の70%が水だと聞いています。水が濁れば生物の生命は危機を迎えるでしょう。環境が破壊されるとは、水や空気が汚れることに他ならないのです。そんな昔から、生物にとって水はとても大切な物だったのです。地球はよく水の惑星だと言われています。その意味もよく吟味したいです。
ところで、以前は、就職先と言えば、会社に入り、物を作るか売るか公務員位が考えられていました。その後、水俣病、カドミウム、四日市喘息等数え上げれきりがありません。公害が日常化して来ました。公害が俄然クローズアップしてきました。チッソを始め化学関連の会社がやり玉に上がっていました。
空気の汚れといえば、昔、大島へ船で竹芝桟橋から行ったときの事を思い出しました。東京湾を離れるに従って、東京の町並みの下の方がベルトのように薄黒いスモッグで覆われていることでした。これは大変な事だと当時のことを思い出します。昔は江戸から富士山が眺められている浮世絵を見たように思います。なつかし時代があったのですね。最近は黄砂の問題で都市も霞んでしまうことがよくあります。黄砂は自然現象ですので、仕方がありませんが、スモッグで大気を汚染することは気をつけなければなりません。
さて、これからの時代はコミュニケーション、とりわけ自然とのコミュニケーションが大事な時代になったと思います。今、学校教育では盛んにコミュニケーション能力の育成の観点から国語科の学習をとらえていますが、今後は人とのコミュニケーション能力もさることながら、自然とのコミュニケーションのできる事が最も重要視されてくるのではないでしょうか。自然とのコミュニケーションをするにはどうしても、自然という様相を知らねばなりません。理科や生活科でも似たようなことをやっていますが、自然科とか環境科とかいう自然や環境をトータルでとらえる教科が小学校でも必要な時代になってきているのではないかと思います。
世の中は不易を残しつつ流行して行きます。自然や環境は不易なものだと思います。人間のための自然でなく、生物界全体の自然でなければなりません。人間だけ生きようとしても生きていけなくなってきています。当たり前といえば当たり前なことですが人間も自然界の一員です。そのことを肝に銘じて生活をして行きたいです。
昔は環境教育と言う概念や学問もなく、空気や水は当たり前の事として、考えることもしなかったと思います。高校生の時習った「倫理社会」という教科がありました。そこで、紀元前のギリシャの自然哲学者タレスがいった「すべての根源は水である。」と、言う言葉を思い出しています。確か、人体の70%が水だと聞いています。水が濁れば生物の生命は危機を迎えるでしょう。環境が破壊されるとは、水や空気が汚れることに他ならないのです。そんな昔から、生物にとって水はとても大切な物だったのです。地球はよく水の惑星だと言われています。その意味もよく吟味したいです。
ところで、以前は、就職先と言えば、会社に入り、物を作るか売るか公務員位が考えられていました。その後、水俣病、カドミウム、四日市喘息等数え上げれきりがありません。公害が日常化して来ました。公害が俄然クローズアップしてきました。チッソを始め化学関連の会社がやり玉に上がっていました。
空気の汚れといえば、昔、大島へ船で竹芝桟橋から行ったときの事を思い出しました。東京湾を離れるに従って、東京の町並みの下の方がベルトのように薄黒いスモッグで覆われていることでした。これは大変な事だと当時のことを思い出します。昔は江戸から富士山が眺められている浮世絵を見たように思います。なつかし時代があったのですね。最近は黄砂の問題で都市も霞んでしまうことがよくあります。黄砂は自然現象ですので、仕方がありませんが、スモッグで大気を汚染することは気をつけなければなりません。
さて、これからの時代はコミュニケーション、とりわけ自然とのコミュニケーションが大事な時代になったと思います。今、学校教育では盛んにコミュニケーション能力の育成の観点から国語科の学習をとらえていますが、今後は人とのコミュニケーション能力もさることながら、自然とのコミュニケーションのできる事が最も重要視されてくるのではないでしょうか。自然とのコミュニケーションをするにはどうしても、自然という様相を知らねばなりません。理科や生活科でも似たようなことをやっていますが、自然科とか環境科とかいう自然や環境をトータルでとらえる教科が小学校でも必要な時代になってきているのではないかと思います。
世の中は不易を残しつつ流行して行きます。自然や環境は不易なものだと思います。人間のための自然でなく、生物界全体の自然でなければなりません。人間だけ生きようとしても生きていけなくなってきています。当たり前といえば当たり前なことですが人間も自然界の一員です。そのことを肝に銘じて生活をして行きたいです。