QuadPro マグネットブロック 磁気おもちゃ 子ども 磁石ブロック 図形 組み立て 想像力と創造力を育てる 知育玩具 積み木 男の子 女の子 ゲーム モデルDIY 子供オモチャ(76ピース) | |
クリエーター情報なし | |
Mygeek Direct |
震災7年12月19日
照明の歴史について、想うことがありました。人類は火と共に歩んで来たといっても過言ではありません。火を自由に扱うことで万物の霊長にまで成長したのだと思います。キャンプファイヤーなどでも、必ず火を灯します。自然の中にあって火は仲間の象徴のような意味も発揮します。だから、火を囲んでキャンプをやるんですね。仲間作りにはいいですね。
自然の中で灯される火はなぜか人の心をいやし、自然に畏敬の念を抱かさずにはいられません。それほど、人類は火をあがめてきたと思います。オリンピックにも火が使われます。
最近は火というと、さながら火災を想起させます。キャンプの火はいつのまにか時代の流れの中で火災の火になってしまいました。
さて、火というと、もっとも原始的な照明でしょう。二足歩行を始めた人類が火を利用した頃からそれは始まります。火は人と切っても切り離せない関係になりました。
たいまつから始まり、ろうそくになり、エジソンが白熱電球を発明しました。そのフィラメントは日本の竹だというのではありませんか。
その後、蛍光灯が現れ、点灯管のつけられた蛍光灯から、瞬時で点灯する蛍光灯へと進化してきました。昔は「あいつは蛍光灯だな。」と、いうと、反応の遅い代名詞でした。でも、その響きには何となく暖かみがありました。遅い方の良さに目をつけた言い方なのでしょう。
何でも効率と効果を言う時代の流れでしょうか。いまでは、何でも診断名がつき発達障害という言葉が一人歩きするようになり、世知辛い世の中になったなと思います。それもその人の持つ個性から障害という言葉に変わって来ているのです。もっと、温かい言葉はないものかと思います。
誰でもその人に割り当てられたものがあるはずです。だから、存在しているのです。そんなことをいいだすと、少なからず誰もが障害を抱えて生きていることになります。「みんな違ってみんないい」と、いった金子みすずが泣いています。
最近とみに叫ばれているのが、省エネです。熱を発する事が少ないLEDはまさに時代の寵児扱いです。LEDも青色は発色が難しく最近やっと量産化が可能になりました。今、まさに省エネの時代の流れを受け、照明も明るく低コストのLEDへとすべてがシフトしてきています。
私がまだ工業高校に通っていたころです。当時の照明は電球(点)と蛍光灯(線)でした。それは、今から、55年も前の事になります。当時はやがてそれが面の照明になるという想いを持っていました。
しかし、いっこうにそれは進みませんでした。LEDが出てきましたが、面照明にまでは行きませんでした。密かにそうなると想っていましたが当てがはずれました。この、照明の世界は進歩が遅いなとあらためて思っています。
テレビの世界はブラウン管から液晶へ、そして、画素数は著しく進歩してきています。そのことを考えると、照明がそれほど、進化していないのが不思議でなりません。テレビやカメラの映像の世界ほど、需要が無かったのかもしれません。それとも、そのことに誰も気づかなかった野かもしれません。
経済は需要と供給の世界で成り立っているわけですが、その需要が少なかったのでしょう。テレビの画素数の向上は目を見張る物があります。4Kテレビから次は8Kテレビへと進化して来ています。カメラの画素数も同じです。
今後は東京オリンピックが開催される2020年を目指して映像の世界は驚くほどに進歩してゆくのでしょう。どのメーカーも手ぐすねを引いて2020年を待っていることと思います。
私もそのころにはあと一歩で後期高齢者の時代に突入することになります。人間に高齢者も若者も無いというのが持論ですが、そういう時代に入って行きます。特に団塊の世代が共に後期高齢者になる2025年度問題は、オリンピックの後の大きな社会問題になるでしょう。そのとき私は78歳のなります。
そのころには面照明として天井や壁が光る時代がくるだろうか。どうも、このままでは面照明の時代はまだまだ先のような気が致します。そのころになると、映像やインテリア、街並み、印刷の世界もよりシームレス化し、大きく変わるようになるでしょう。益々、省エネが進み電気自動車全盛の時代を迎えるでしょう。1回の充電で1000Kmぐらい走る自動車も実現していることでしょう。もしかして水素自動車の時代になっているかもしれません。また、従来の発送では考えられない、車にのるのでは無くて、道路が動く時代になっているかもしれません。果たしてどうなることやら、神のみぞ知るです。
また、いつか。紙面を借りてポスト2025年後の社会をひもといてみたいと想います。乞うご期待を!
ところで、当時は蛍光灯の線としての照明もやがて天井や壁などの面が光る物に変わるだろうと考えていましたが、半世紀以上たっても面の照明にはなりませんでした。そこの垣根がどこにあるのか分かりませんが、そこをクリアーするハードルはすごく高いんだなと思います。
ブラウン管から液晶の延長上にその面照明も考えられそうに思いますが、なかなかそこを越せないのが現状のようです。企業がアイデアを想いついていないのか、それとも、そういう素材の開発がむつかしいのか…。多分思いついてないのだと想います。今の時代の実力からすれば、その気になればそれくらいのことは朝飯前のような気がします。
真空管からトランジスター、ICへと小型されデバイスかされている電子部品と比べると照明の変化は遅々として進んでこなかったように思います。
今後はテレビの画面が大きくなり壁全体がテレビになる時代がいつかくると思いますが、その辺と閉口して面照明も進化してゆくものと思います。テレビに比べれば構造的にはもっと簡単なはずですので、流れができれば速いでしょう。そのころには電子カーテンなる物のできているのでしょう。スイッチによりガラスが一瞬カーテンに変わるという発想です。
最近の傾向は省エネという流れがあり、LEDが発明されその利用が進んでいる真っ只中にあります。この液晶の大型化が面照明の大きなキーポイントになるのかなと思います。それとも、画期的な資材開発が進み電圧をかけると光るような素材が発明されれば、照明の面化も飛躍的に進むのかなと思います。それは街の照明やディスプレイ演劇、芸能などに大きなインパクトを与えるかもしれません。その変化を見守っていきたいと思います。
そんなことを想ったりもしますが、私の本音は、自然のままが一番いいなと思います。最近のLEDをふんだんに使ったテーマパークがたくさんできましたが、個人的にはあまり、みたいとは思いません。やはり自然の美にはかないません。奥深さが違います。その先には畏敬の念を抱くのです。
人工物にはなかなか畏敬の念とはいきません。人工物は自然を征服するという考えが底辺に流れているようです。それよりも、自然のギフトに感謝し、それと共生する方がいいなと思ってしまいます。viva nature!です。自然の物には命やあたたかさを感じます。
最近は電気屋さんよりホームセンターか食料品店によくいくようになりました。毎日の生活には欠かせないものです。ささやかな毎日の生活を充実させるのが、日課となりました。