菊川市に全部で13のコミュニティセンターが出来たのが、4月1日だ。最後が嶺田地区コミュニティセンターになる。コミュニティというと、普通の感覚でとらえると、人と人との交流の場ということになるだろうが、よくよく現在の私たちがおかれている現状を考えると、嶺田地区の大地の上に立つコミュニティセンターであり、大地と共にあるセンターであると位置づけるのが正しいのではないかと思う。
戦後、人権思想が盛んにいわれるようになり、「人の命は地球より重い」という言葉がはやった時期があった。また、21世紀は人権の時代だといわれてきた。
しかし、最近の気象変化や温暖化に代表される環境問題がクローズアップされてからは、人権も地球の環境が機能していたからこそ、いえた言葉であり、地球生命体の危機が叫ばれている今日にあっては、この西洋主義的発想から出た言葉も、色あせてきた。
これからの時代はやはり、環境の時代ではないか、人間も環境の一員であるという、謙虚な気持ちに立ち返り、人間ばかりでなく地域の自然環境もトータルに財産としてとらえていかないと、生きていけなくなった時代になったといえる。
この話をすると、思い出すのが、コロンブスやマゼランが活躍して植民地時代を思い出すが、資源や領土が無限だと思われていた時代はこれでもやってこれたが、資源や領土の有限が分かった現在、もはやこれらの自己中な考え方は自然からの大きなしっぺい返しを覚悟せねばならないだろう。今、現在地球はこの洗礼を受けている。
いや、太古の昔から、人は天地の恵みの中で自然界のいち種(しゅ)として生活してきた。本来の姿に戻らざるをえなくなったと考えてよい。
故に当然これからのコミュニティの考え方も、この、人間中心主義から脱却し、地域の自然(動植物)や文化施設も財産と考え、その中で地域はどう、人と環境とが共存していくかということに焦点を当てて、いかないと、とんでもないコミュニティになってしまう。 人だけが独立して種を増やしていくことができない。そのことが、自然の摂理であると認めて謙虚に環境と共存していく生き方が地域にも求められていると思う。
生かしたい自然はいっぱいまだ残っていると思う。その辺の交流を今後も求めていかなくてはと、思う。めだかや、ザリガニ、かになどの生き物や水田風景などいっぱい残っている。
今日の朝のウォーキングで出会った人などは、
「休耕田を利用してドジョウを飼ってみたい。情報を教えてくれないか。」
と、いっていた地元の方もいた。とても、よいことだと思う。
昔の川にはタナゴやその宿主であるカラスガイも沢山いた。今でも、蛍の宿主であるカワニナも用水に結構生息している。蛍の環境は結構恵まれているようだ。外来種であるジャンボタニシの異常な繁殖は少し気にはなるが、こんご、蛍も飛び交うふるさとにしたら地域の価値も随分上がると思う。
それから、休耕田の活用も知恵を働かせば、色々なアイデアが出てくるだろう。このことは、地域のまちおこしにも大いに貢献していくと思う。
田んぼと、川と魚たちをはじめとする生き物の交流も昔はもっとあったはずだ。川と、田んぼが自由にいききできたからこそ、ドジョウやめだかも、たくさんいたではないか。行政もその辺のことも今後考えていかなくてはいけない。
※昔は田園だったが、最近は麦畑も増えた。麦秋の頃の麦も見事
※蓮池公園の裏山「砦」から嶺田地区を望む。ここからの夕日はまた、特別きれい。
※嶺田の西を流れる菊川、私の生まれ育った環境とよく似ている。実家も西に
馬込川が流れ、昔はよく魚釣りをした。カラスガイついりもやった。ヤツメウナギも
沢山にて捕まえた。あゆもいたように記憶している。ウナギはよくつった。
※菊川の南の方
※この辺は水田が広がる。山側が嶺田地区、遠く南アルプスが見える。
※左にまっすぐな農道が広がる手前側にいくと、遠州灘にいく。国道150号線につながる。