想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

続々とできる野菜

2010年01月13日 | インポート

 野菜が続々と収穫になっています。下の大根は胴回りが28Cmもあり、長さも40Cm近くありました。今後は大根の種を取り、育ててみようかと思います。結構、種代もかかりますね。

 

 ブロッコリーも見事になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待つことを忘れた現代人

2010年01月02日 | インポート
  
 自然の力、自然治癒力、自然の恵み、これらの恩恵を受けるには時間が大切だということをいやというほど感じだ出来事が二つあった。世はスピード時代、我々現代人は、とにかく早く結論や結果を期待しすぎる傾向にある。
 昔から、あるではないか、古きことわざにその論拠が「待てば海路の日和あり」「石の上にも三年」「時が薬」「雨垂(あまだれ)石を穿(うが)つ」等々
 最近、考えさせられたことがあった。
その一つは野菜作りから
 ほうれん草を育ててみたのだが、もともと、この野菜はアルカリ性の土壌にいいと言われている。通常は石灰で中和して種まきをするのだが、PHを測ったところ6.8と中性に近い値だっだので安心して石灰なしで種まきをしてみた。最初の頃、葉先が黄色くなった部分も出て石灰をまかなかったからかなと心配をしていたが(もういいや失敗作だから抜いてしまおうと思った時もあった。)でも、待てよ、PHはアルカリに近い6.8だし、なぜ、黄色くなるのか不思議だなと疑問を抱いていた。
 ある時、ほうれん草の根は非常に深く下に伸びると書いてある記事を見たことがあった。そうだ、これだ、しばらく、様子をみれば、根は下に深くずんずん伸びていき、きっと、自分にプラスになる栄養素を探しにいくはずだ。本来、植物にはその能力が本能的にあるはずだと、思うようになり、様子をみることとした。
 結果、最近になり、青々と葉っぱが茂ってきたのではないか、待つことの大切さをこのときいやと言うほど感じた。その時、その可能性を長期で認めなかったなら、その野菜はもう可能性を閉じてしまっていた。待っていてよかった。その良さが発揮されないうちに私に葬り去られていたことだろう。子育ても同じ事、じっと待って様子をみてみよう。その持っている本来の可能性を信じてみよう。
 自然栽培のものは、すぐ結果を求めないことを、それ以来ずっと大切にして行きたいと思うようになった。
 促成栽培に慣れきった私たちの生活では早く結果を求めたがる傾向にあるが、じっと待ち、自然の恵みと共に生活し、旬を大切にする農の世界では、時の流れに身を任せることが大切であるとつくずく思った出来事であった。
 3日でできれば3日の喜びしか得られない。60日でできれば60日の喜びがある。人間の力ではどうしようもない時の流れは変えるより受け止めるしかないのだ。時は絶対人智では制御できないのだ。ならば、それに合わせて生きるのが自然である。
 二つめは定年退職を間近に控えての送別会での出来事である。二次会に行き、酔いを覚ませようと思い席を立ち5,6歩歩いた所でばたっと意識を失い倒れてしまい、あごを打ち、病院で5,6針縫った事があった。それ以来しばらくあごの噛み合わせが悪くなってしまい、病院で外科的手術をした方がいいのではないかと思っていたが、それほどでもないのでほっておいた。その後、2年近くが過ぎ、あごのずれもきれいに直り、自然治癒力の大きさには感嘆している。人間の本来持っている力の大切さを思わずにはいられない。その時、手術していたらかえって噛み合わせが悪くなっていたと思う。バランスが崩れた分は時がくればその修正に向かうんだなと思った。気圧が高い所から低い所に気流が移動しバランスがとれれば風もやむように…。病気も人体のバランスが一時的に崩れた状態をいうんだなとつくずく思った。そこを直し、生活を改めることが大切である。すぐ、薬や外科的治療に頼ってはいけないことを強く感じた。以前、治療した方がいいと言われた中性脂肪の件も今回の結果では劇的に低下し正常値に戻ってしまった。やはり、これも、一時的に自分の生活のバランスが崩れてしまったのではと思う。よく運動をし、規則正しい生活に心がけ、バランス感覚を磨き、自然と調和する生活こそが、健康の一歩であると思う。自然から学ぶことは多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔のなぞなぞから想う

2010年01月01日 | インポート

昔のなぞなぞから想う


 「始めに黒くて次に赤くて最後に白くなる物なあに?」答え…炭 
「上は大水、下は大火事なあに?」答え…風呂
  
  こんななぞなぞを子どものころよくやった思い出があるが、現在、このことが分かる子どもがどれ位いるだろうか。文明の発達と共に、人間の生活はますます自然から離れてきてしまった。遊び一つをとってもそうだ。土の上で遊ぶ遊びから、室内でやるゲームへと変化してしまった。物も、自然を素材としているものから、化学製品に変化した。竹ひごの文化、稲わらの文化、草花の文化は一体どこへいったのだろう。由々しき問題だと思う。ゲームやPCは益々便利になり、自分で何もやったり考えなくても相手からアプリケーションが自分にすりよってくる事になってしまった。自己中が増えているのもそのせいであるのも間違いない。
 科学の発達と情緒を感ずる心の発達が反比例してきているように思う。今一度、人間は感情があり、情緒を感じ、感性を持ち、幸せを感ずるということについて考え直してもいい時期に来ているように思う。
  絶え間なく進む科学、進めば進むほど貧弱化する人間の情緒感、インフルエンザ撲滅のいたちごっこ、人間はビールスが身体に入れば誰でも発症するとは限らない。その時の体調が悪いときに発症するのである。本来ビールスや雑菌、生物は共存関係にあったはずだ。 どの、生命体にも種を守る強い生命力が本来備わっているはずだ。そこを何とかぜずに、皮相的に塗り薬を幾重にも塗って事を複雑化するような感覚で薬を処方するから、その影響でまた、悪くなり薬を飲む、そのスパイラルの中に入ってしまい。最後は抜け出せなくなり薬漬けになるのが現状である。その間、精神はぼろぼろになり人間が人間でなくなり、科学で生きている物体になってしまっている。また、原因が複雑すぎて分からなくなっている。
    Simple is beautiful 元をただし、原点、本質、ルーツをよく見つめれば、もっと、見えて来るものがあるはずだ。そこがあきらかになれば、対処する方法も見つかる。本来自分のいる場所も自ずと見えてくる。大根やキャベツも原種は雑草であったはずだ。私たちはもっと、野菜以前の雑草から学ぶべきである。そのころ、どこに生育していたのか。原種は何であったのか。複雑に絡みあった糸も元をただせば1本の糸であったはず、そこが分からなくなっているのが現代人の混迷の原因ではないか、科学はどこまで行っても限りがない。もっと、ちがうアプローチが必要ではないか。月を探索して月へのメルヘンを失い、限りなく疑問に悩まされて行く人間。月を見てロマンを感じ幸せを感ずる人間、あなたは、どちらを選ぶだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年2010

2010年01月01日 | インポート

 みなさん、明けましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。おいしい野菜、今年もいっぱい作ります。

 

  西暦2000年から早10年が過ぎました。過ぎてみれば、時の流れは早いものです。光陰矢の如しとはよく言ったものです。子どもの頃と比べものにならないくらいに早く一年が過ぎて行きます。
   元日は朝早く起きて朝が白々明ける中、車を飛ばして、初日の出を拝みに行ってきました。今日の朝は特に寒むさが強く、風花が舞い氷も張っていていました。
    東の方に雲が出て、やっと初日が拝めたのが、7時過ぎになりました。家族と世界の平安を祈ってきました。今年はどんな年になるだろうか。神のみぞ知るといった感じです。

  大晦日を迎え今年も恒例の門松を作りました。松竹梅をあしらい、繁栄を願いました。

  海岸の砂が凍り固まってできたようです。自然の作る美しさにただ、みとれるばかりです。


  元旦の朝、地元の人達が暖を取っていました。火を囲んで人の輪ができていました。これが、大きくなってコミュニティになるのでしょう。火には人を引きつける不思議な力があるようです。
  地球を人の輪で囲んだら何人の人がいるのだろうと、思ってちょっと、計算してみました。大人が赤道の周りを囲むとして40000Kmあるので概算270万人がいれば輪が一つできるようです。それにしても、現在の人口が70億弱だから2500個位の輪ができるようです。地球もこれでは人で溢れて大変です。

雲をぬって初日が昇ってきました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする