前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

加藤周一さんが逝って1年

2009年12月03日 | Weblog
  昨日は生活保護の相談や、その他の相談に応じる活動。マスコミからは参議院選挙についての取材も。

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 先日の朝日新聞に、「著書で生き続ける加藤周一・・死去から1年 異例の売れ行き」との四ノ原編集委員の記事がでた。記事によると、刊行中の岩波の自選集も「このタイプの本としては異例の売れ行き」(岩波書店)。ちくま学芸文庫の「日本文学史序説」もこれまで7万部だが、半分近くはこの1年で売れたという。
 なぜ人気なのか。「先見性と主張や論点がぶれない。自由をことさら重んじた」と分析している。「声を聞けないのは悲しいが、世の諸事を考えるヒントは、確かにその著書の中にある」。

加藤周一は、「安保条約と知識人」で書いている。「われわれの自由が完全に奪われたあとでは、どういう抗議もできない。とすれば、自由の奪われてゆく過程のどこかに、抗議が必要であり、また可能であり、それによってやがて自由が全く失われるだろう過程の進行をくいとめることのできる決定的な時期があるはずだろう」と。

かつての自民党公明党政権による減税廃止や後期高齢者医療制度、障害者自立支援法など。こんどの民主党政権がやろうとしている扶養控除廃止などによる庶民増税。このような多くの国民が抗議の声をあげる市民生活への乱暴な介入に比べ、ささやかな議会報告のチラシ配り。なんら市民の財産や生活を侵害するものではない。ほとんどの人が抗議の声をあげないチラシ配り。たぶん、あの地域でも何十年にもわたり、何百回、何千回ととどけられてきたであろう各種のチラシ。

そのなかで、正々堂々と政策と議会の模様を情報提供している共産党のチラシだけを目の敵にして弾圧し、刑罰を課す。こういう日本に,司法に、国民的な抗議が必要な、決定的な時期ではないか。



加藤さんは以前のスタイルを打ち破って、晩年は9条の会の活動に力をそそいだ。そういう生き方も共感を広げているのだと思う。私も、座右としたいと思う。