涅槃歌三首
拘尸那城には西北方、跋提河の西の岸、娑羅や双樹の間には、純陀が供養を受けたまふ。
釈迦牟尼仏の滅度には、迦葉尊者の逢はざりき、歩みを運びて来しかども、十六羅漢もおくれにき。
二月十五日朝より、これらの法文説き置きて、漸く中夜に至るほど、頭は北にぞ臥したまふ。
(梁塵秘抄~岩波文庫)
二月十五日涅槃の心をよませ給うける 院御製
けふはこれなかはの春の夕霞きえし煙の名残とやみん
仏の涅槃を思ひてよめる 従三位泰光
いにしへの春のなかはを思ひ出て心にくもる夜半の月影
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
仏此夜滅度如薪尽火滅の心を 法性寺入道前関白太政大臣
人しれす法にあふひを頼むかなたきゝつきにし跡に残りて
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
双林入滅 円空上人
二月やたきゝつきにし春をへてのこる煙はかすみなりけり
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
山階寺の涅槃講にまうてゝよみ侍ける 前律師慶暹
つねよりもけふの霞そ哀なる薪つきにし煙と思へは
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
山階寺の涅槃会の暮かたに、遮羅入滅の昔を思ひよみ侍ける 恵章法師
もち月の雲かくれけむいにしへのあはれをけふの空にしる哉
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
湛空上人、嵯峨の二尊院にて涅槃会をおこなはれる時、人びと五十二種の供物をそなへけるに、花をうへにたてゝ歌を読(よみ)て付(つけ)けるに、西音法師、水瓶に梅を立(たて)て送(おくる)とて読(よみ)ける
きさらぎのなかのいつかの夜はの月入(いり)にし跡のやみぞかなしき
返し、 湛空上人
やみぢをば弥陀の光にまかせつゝ春のなかばの月は入(いり)にき
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
二月十五日、涅槃会とて人のまゐりしに、さそはれてまゐりぬ。おこなひうちして、思ひつゞくれば、尺迦仏の入滅せさせ給ひけんをりの事、僧などの語るをきくにも、なにもたゞ物のあはれのことにおぼえて、涙とゞめがたくおぼゆるも、さほどの事はいつもきゝしかど、この比きくはいたくしみじみとおぼえてものがなしく、涙のとまらぬも、ながらふまじきわが世の程にやと、それはなげかしからずおぼゆ。
世の中のつねなきことのためしとて空がくれにし月にぞありける
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
二月十五日の暮かたに、伊勢大輔か許につかはしける 相模
常よりもけふの煙のたよりにや西をはるかに思ひやるらん
返し 伊勢大輔
けふはいとゝ涙にくれぬにしの山思ひ入日の影をなかめて
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
光台寺に住侍けるに、二月十五日山本入道前太政大臣もとより、桜のうち枝にすゝ(イ鈴)をかけて、「ありなからきえぬとしめす仏には雪にもまかふ花を手向よ」と申て侍ける返事に 山本入道前太政大臣女
ありなからきえぬとみえてかなしきはけふの手向の花のしら雪
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
ねがはくば花の下にて春死なむそのきさらぎのもち月のころ
(山家集~バージニア大学HPより)