灌佛の日になりぬれば、我も我もととり出されたり。事はじまりぬれば日御座の御前の御簾おろして人々出でて見る。殿を初めまゐらせて、廣廂の高欄に例の作法たがはず下襲のしりうちかけつつ上達部たち居なみたり。御導師、事のありさま申してみづかく。山の座主こしきのわたる昔にたがはず。御導師水かけて殿参らせ給ひてかけさせ給へれば、次第によりて次々の上達部かく。何事かはたがひて見ゆる。左衛門督・源中納言よりてかくとて、いと堪へがたげに物思ひ出でたるけしきなり。顔もたがふさまに見ゆる、あぢきなく、我もせきかねられて、大方例はとのかたも見じと思ひて御几帳ひきよせて見れば、御前御几帳のかみより御覧ぜんとおぼしめす。御たけのたらねば抱かれて御覧ずるあはれなり。おとなにおはしますには、引直衣(ひきなほし)にて念誦(ねんず)してこそ御帳の前におはしまししか、先づ目だちて中納言にも劣らずおぼゆれば、人目も見苦しうて、おまへ事はてぬにおりぬ。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)
卯月の八日はくわん佛なりしに、むろまちの大納言たまはせたる布施に、くれなゐうちの色こゝに花やかなるに、蔦かへで青葉なるをきて、うつの山の心し、さまことにうつくしうて、かねのうちえだにつけたり。人々のは、殿上へいだされてのち、おそくまゐらせたりしを、「大ばん所より職事にたばむに、その人のとて出ださるべき」よし、按察三位殿・兵衞督殿おほせられしこそ、「ことによういあるべくや。」とおぼえて、辨内侍、
傳へきく蔦もかへでも若葉にてまだうつろはぬうつの山道
(弁内侍日記~群書類從)
灌仏率てたてまつりて、御導師遅く参りければ、日暮れて、御方々より童女出だし、布施など、公ざまに変はらず、心々にしたまへり。御前の作法を移して、君達なども参り集ひて、なかなか、うるはしき御前よりも、あやしう心づかひせられて臆しがちなり。
(源氏物語・藤裏葉~バージニア大学HPより)
咲そめし卯月のけふをかそふれはさかり久しき法の花ふさ
(年中行事歌合~群書類従)
夏ごろもかへてほどなきもろ人の竜(たつ)よりいだす水をくむけふ
(「藤原定家全歌集」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)
(承和七年四月)癸丑(八日) 律師伝灯大法師位静安を清涼殿に喚(よ)び、初めて灌仏の仏事を行った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(承元二年四月)八日。天晴る。(略)灌仏。御導師、殷富門院を兼ぬるに依り遅参す。良々久しくして出で来たる。即ち、事の由を申す。六角三位一人、布施を取りて着座す。次で、予之を置く。五位院司長季・殿上人実茂・六位蔵人等之を置く。導師着座、例の如し。事了りて、公卿・四位五位各々一人、灌ぎ了りて早く出づ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(嘉禄二年四月)七日。天晴る。承明門黄門を招請し、灌仏の布施を裹(つつ)ましむ。ミヱダスキの薄物・小単文の裏(白張)。薄物に胡粉を以て、きこえぬ虫の思ひだにと書かしむ。几帳の手を以て、黒き紐を以て之を結び付け、其の中に螢を入るるなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
八日 己卯 御持仏堂ニ於テ、仏生会ヲ行ハル。荘厳房、参ラル。又将軍家。寿福寺ニ参リ、灌仏ヲ拝ミ給フト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦三年四月八日】条~国文学研究資料館HPより)