相歡歌二首 越中守大伴宿祢家持作
庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を我が待たなくに
白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
(右以天平十八年八月掾大伴宿祢池主附大帳使赴向京師 而同年十一月還到本任 仍設詩酒之宴弾絲飲樂 是也白雪忽降積地尺餘 此時也復漁夫之船入海浮瀾 爰守大伴宿祢家持寄情二眺聊裁所心)
(万葉集~バージニア大学HPより)
十一月
水のうへに嵐吹らし山川の瀬にももみちのはやくみゆれは
(源順集~群書類従14)
ある所の屏風の絵に、十一月神まつる家のまへに、馬にのりて人の行ところを 大中臣能宣朝臣
榊葉の霜うちはらひかれすのみすめとそいのる神のみまへに
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
寛喜元年女御入内屏風、十一月、江辺寒芦鶴立 入道前太政大臣
ちよふへき難波の芦の夜をかさね霜のふりはの鶴の毛衣
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。
(源氏物語・蓬生~バージニア大学HPより)
屏風のゑに、十一月に女のもとに人のをとしたるところをよめる 大中臣能宣朝臣
霜かれの草の戸さしはあたなれとなへての人をいるゝものかは
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
もの思ひわづらふ人の、うれへたる返りごとに、霜月ばかり
霜氷とぢたるころの水くきはえもかきやらぬ心ちのみして
返し
ゆかずともなほかきつめよ霜氷水の上にて思ひながさん
(紫式部集~岩波文庫)
しも月にゆきいとふかくつもりていかなるにかありけんわりなく身こゝろうく人つらくかなしくおぼゆる日あり。つくづくとながむるに思ふやう
ふる雪につもるとしをばよそへつゝきえむごもなき身をぞうらむる
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
刑部卿敦兼は、みめのよににくさげなる人也けり。其北方(きたのかた)は、はなやかなる人なりけるが、五節を見侍けるに、とりどりに、はなやかなる人々のあるをみるにつけても、先(まづ)わがおとこのわろさ心うくおぼえけり。家に帰りて、すべて物をだにもいはず、目をも見あわせず、うちそばむきてあれば、しばしは、なに事のいできたるぞやと、心もえず思ゐたるに、しだいに猒(いとひ)まさりてかたはらいたきほど也。さきざきの様に一所にもゐず、方をかへて住侍りけり。或日刑部卿出仕して、夜に入て帰りたりけるに、出居(いでゐ)に火をだにもともさず、装束はぬぎたれども、たゝむ人もなかりけり。女房どもゝ、みな御前のまびきにしたがひて、さしいづる人もなかりければ、せんかたなくて、車よせの妻戸をおしあけて、独(ひとり)ながめゐたるに、更闌(たけ)、夜しづかにて、月の光風の音、物ごとに身にしみわたりて、人のうらめしさも、とりそへておぼえけるまゝに、心をすまして、篳篥をとりいでゝ、時のねにとりすまして、
ませのうちなるしら菊も うつろふみるこそあはれなれ
我らがかよひてみし人も かくしつゝこそ枯(かれ)にしか
と、くり返しうたひけるを、北方きゝて、心はやなほりにけり。それよりことになからひめでたくなりにけるとかや。優なる北方の心なるべし。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系84)
十一月大 八日 庚戌 御所ニ於テ、絵合セノ儀有リ。男女老若ヲ以テ、左右ニ相ヒ分カチ、其ノ勝負ヲ決セラル。此ノ事、八月上旬ヨリ、沙汰有ルノ間、面面ニ結構尤モ甚シ。或ハ京都ヨリ之ヲ尋ネ、或ハ態ト風情ヲ図セシム。広元朝臣ノ献覧スル絵ハ、小野ノ小町ガ一期ノ盛襄ノ事ヲ図ス。朝光ガ分ノ絵ハ、吾朝ノ四大師ノ伝ナリ。数巻ノ中、此ノ両部、頻ニ御自愛ニ及ブ。仍テ老方勝チ訖ンヌト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦二年十一月八日】条~国文学研究資料館HPより)
十四日 丙辰 去ヌル八日ノ絵合セノ事、負クル方所課ヲ献ズ。又遊女等ヲ召シ進ズ。是レ皆児童ノ形ヲ摸シ、評文ノ水干ニ、紅葉菊花等ヲ付ケテ之ヲ著シ、各郢律ノ曲ヲ尽ス。此ノ上、堪芸若少ノ類、延年ニ及ブト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦二年十一月十四日】条~国文学研究資料館HPより)