「公卿勅使」という単語の用例は、日本国語大辞典では『古今著聞集』(1254年)を早い例として挙げてありますが、さかのぼる用例が複数あります。
(応徳三年)○十一月七日。公卿勅使神殿鏁。自巳刻至申刻不開之。
(百錬抄・第五)
「新訂増補 国史大系 第11巻」黒板勝美編、国史大系刊行会、1929年、39ページ
公卿勅使に通親の宰相のたたれけるを、五十鈴の畔(ほとり)にてみてよみける
(山家集の「いかばかり凉しかるらむ~」歌の詞書)
岩波文庫「新訂 山家集」佐佐木信綱校訂、1928年、261ページ
01875 //新古今和歌集 //新古今和歌集巻第十九 //神祗歌 //公継卿公卿勅使にて、太神宮にまうてゝかへりのほりはへりけるに、斎宮女房の中より申をくりける //読人しらす //うれしさも/あはれもいかに/こたへまし/故郷人に/とはれましかは //
(国文学研究資料館データベースより)
建曆三年七月廿五日、公卿勅使發遣日也、○中略
(明月記~国文学研究資料館HPの古事類苑データベースより)
(略)、公卿勅使停止す。
(古事談・第五・二~「新注古事談」笠間書院、2010年、234ページ)
伊勢へ公卿(くぎやう)勅使(ちよくし)などたてられけり。
(岩波文庫「保元物語」岸谷誠一校訂、1934年、99ページ)