かくしつつ、はかなくもあらたまの年も立ち返りて、正月十日あまりの頃にや、中の君宣ふやう、「今や嵯峨野の野辺の春の景色、いかにをかしかるらむ。忍びつつ見む」などいざなひ給へば、をのをの、「まことに」など言ひて出で立ち給ふ。むつまじき人々ばかり、御供に参りける。網代車三両、一両には姫君、今一両には中の君・三の君、一両には褄(つま)清げに出だして、いみじう若き女房・端者(はしたもの)など乗りたりけり。
(略)女房たち、「いとをかしき野辺の景色、御覧ぜよかし。さまざまの草など萌えけるもなつかしく」など聞こゆれば、中の君降り給へり。紅梅の上に濃き綾の袿、青き織物の単衣に御袴踏みくくみ、さし歩(あゆ)み給へるさま、いとあてやかに見え給ひけり。御髪(みぐし)は袿の裾に等しかりけり。次に三の君降り給ふ。花山吹の上に萌黄の袿、朽葉の単衣着給ひて、御髪は同じく、愛敬(あいぎゃう)今少しまさりてぞ見え給ふ。
(略)(姫君は)時ならぬ藤襲の上に紅(くれなゐ)の袿、紅の単(いとへ)袴踏みしだきて、さしあゆみ給ふ御気色(みけしき)、こよなうらうたき御有様、言ふもおろかなり。御髪は袿のすそに豊かにあまりて、絵に画(か)くとも筆も及びがたし。(略)
(住吉物語~「中世王朝物語全集11」笠間書院)
犬宮の百日(ももか)、乙子(おとね)にあたりて侍りける、破子(わりご)ども藤壺の女御に遣はすとて うつほの仁寿殿の女御
万代の行方もしるく生ひ出づる小松に今日ぞ子の日知らする
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
嵯峨院のきさいの宮の六十賀、正月の乙子(おとね)に、女一のみこ奉り給ひけるに、御挿頭(かざし)、小松の枝に鶴据ゑて うつほのさきの内侍のかみ
おのれだによはひ久しき葦鶴の子の日の松の陰に隠るる
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
風雪雨、春の徒然
風まぜに 雪はふり來ぬ 雪まじり 雨はふり來ぬ あづさ弓 春にはあれど 鶯も いまだ來鳴かず 野に出でて 若菜もつまず たれこめて 草のいほりに こもりつつ うち數ふれば む月もや すでに半ばに なりにけるかな
(良寛歌集~バージニア大学HPより)
十五日、頭中將〔爲氏〕、まゐりたりしを、かまへてたばかりてうつべきよし仰事ありしかば、殿上に候を少將内侍げざんせむといはすれど、心えて、大かたたひたびになりて、こなたざまへまゐるおとす。人々つゑもちてよういするほど、なにとかしつらむ、みすをちとはたらかすやうにぞ見えし。かへりて少將内侍うたれぬ。ねたき事限りなし。十八日よりは、うちにはたゞ御所のやうとてうつべきよしおほせごとありしに、十六日にさぎ丁やかれしに、たれたれもまゐり〔し〕かども、頭中將ばかり、ながはしへものぼらで出にけり。いかにもかなはでやみぬべかりしに、十七日、雪いみじくふりたるあした、とばどのへ院の御幸なりて、此御所の女房まゐるべきよしありしかば、ひとつぐるまに、こうたう・少將・辨・いよ・侍從・四條大納言のりくして[欠損]し。せばさかぎりなし。きぬのそではか[欠損]も。たゞまへいたにこぼれのりたり。道すがらの雪いかにもふるめり。いとおもしろし。とばどのゝけいき、山のこずゑども、みぎはの雪いひつくすべからず。爲氏うちかねたることを、きかせおはしましたりけるにや、御所にはつゑを御ふところに入て、もちてわたらせおはしまし、「これにて爲氏けふうちかへせ、たゞ今つかひにやらむずるを、こゝにてまちまうけて、かまへてうて。」とおほせごと有。少將内侍よういしてまつ程、思ひもいれずとほるを、つゑのくたくたとおるゝほどうちたれば、御所をはじめまゐらせて、公卿殿上人とよみをなしてわらふ。「さもぞにくうちにせさせ給。」とて、にげのきしもをかし。そののち、北殿へ御船よせてめすほど、はればれしさかぎりなし。いりあひうちてのち還御なる。たゞかやうの御遊ばかりにてやみぬるもくちをしくて、御車にめすほど、御太刀のをに(まきゑにはきの露をかきたり。)むすびつけつゝ、少將内侍、
あらましの年をかさねて白雪のよにふる道はけふぞ嬉しき
還御のゝち、御よるにならんとて、御まくらに御たちおきたりけるをり、御らんじつけてその御返し侍し。しろきうすやうに、
あらましの年積りぬる雪なれど心とけてもけふぞおぼえぬ
かゆに、ことならむ御歌の返しは、ともに申つべしと、按察三位殿仰られしかば、たゞこゝろのうちばかりに、辨内侍、
年つもる雪とし聞ばけふぞへに心とけてもいかゞみゆべき
(弁内侍日記~群書類從18)
空のけしきもまた、げにぞあはれ知り顔に霞みわたれる。夜になりて、烈しう吹き出づる風のけしき、まだ冬めきていと寒げに、大殿油も消えつつ、闇はあやなきたどたどしさなれど、かたみに聞きさしたまふべくもあらず、尽きせぬ御物語をえはるけやりたまはで、夜もいたう更けぬ。
(源氏物語・早蕨~バージニア大学HPより)
正月十五日、月いとおもしろきに、中納言のすけどの人々さそひて、南殿の月見におはします。月華門より出て、なにとなくあくがれてあそぶ程に、あぶらのこう地おもての門のかたへ、なほしすがたなる人のまゐる。「いとふけにたるに、たれならむ。皇后宮大夫の參るにや。」などいひてつまへいりてみれば、權大納言殿也。(以下略)
(弁内侍日記~群書類從18)
正月中旬に、日野の中納言、春日に詣づる事あるに、誘ひ侍れば、頼もしき道連はいと嬉しく侍て、俄に思ひ立ちぬ。(略)
暮るゝ程にまうで着きぬれば、宮廻(めぐり)の程、月いとさやかなり。三笠山の御光さし添ふ所からにや、霞む慣(なら)ひも見えず。昔、世を照らさせ給ける、八千反とかや聞き奉る御光、今しも変らせ給はじかしと思ひ続けらるゝも、傍痛き事ならむかし。(略)次の日は宇治のわたりに留まるべければ、宮廻ものどかに、東大寺・興福寺など、入堂し廻る。
宇治の泊りは保光知れる所とかや、いといたく経営し騒ぎたり。明けぬれば舟にてさし渡り、川風吹き冴えていとすさまじ。さすが時知る色とや、霞みこめたるなど、をかしう見ゆ。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系)
かくて御てうどゞもいできぬれば。おほみやこの月のうちにおぼしたゝせ給。御びやうぶどもにはきなるからあやをはらせ給へり。したゑしてさるべきこゝろばへあることゞもを。大なごんさま++にかき給へり。へりにはからのにしきのぢあをきをせさせ給へり。おそひにはみなまきゑしたり。うらにはかうぞめのかたもんのおりものなり。御几帳をもうすかうぞめなり。御帳などもあをかうにてしたむぢなるに。せさせ給へりおほ方みず御ましのへりまでみなことさらなり。みづしどものまきゑには。みなほうもんをまかせ給へり。いはんかたなくみどころ有 たうとし。御ぢぶつのありさまなどいふもをろかなり。(略)
みやの御ありさまをみたてまつれば。かうばいの御そ。八ばかりたてまつりたるうへに。うきもんたてまつりてえもいはずうつくしげにて。御ぐしはたけに一しやくよばかりあまらせ給て。御ありさまさゝやかにふくらかに。うつくしうあいきやうつき。おかしげにおはします。たゝいまの国王の御おやときこえさすべきにもあらず。おかしげににようごなどきこえさせんに。よけなる御ありさまなり。ことしは萬寿三年正月十九日御とし卅九にぞならせ給ける。いみじうわかくめでたくおはしますに。あまの御装束いみじうせさせ給へり。御しつらひはけさつかうまつりたれば。かうおはしまさんもあしからずみえたり。(略)
(「日本古典文学大系76 栄花物語 下」岩波書店)
(宝治二年正月)十七日丙寅。仙洞有和歌御会。摂政已下参仕之。序前内大臣。題云。松色春久。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
同年正月、松色春久といふことを講せられける時、序を奉りて 徳大寺入道前太政大臣
千枝にさす松のみとりは君か世にあふへき春の数にそ有ける
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
宝治二年正月、後嵯峨院に、松色春久といへることを講せられけるに 岡屋入道前摂政太政大臣
色かへぬ松の千年のありかすに春を重ねて君そみるへき
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
(嘉禄元年正月)十四日。遥漢快霽。巳の時許りに、中将と相共に北山に向ふ。勝地の景趣を見、新仏の尊容に礼す。毎時今案ずるを以て営み作さる。毎物珍重。四十五尺の瀑布の滝碧く、瑠璃の池水、又泉石の清澄、実に比類なし。未の時許りに、盧に帰る。
十五日。天晴る。午後に漸く陰る。夜月朧々たり。(略)
十六日。月蝕。蒼天遠く晴る。(略)夜に入り、明月片雲無し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(元久二年正月)十九日。夜より雪降る。朝の間、靄々変々たり。地に積むこと六寸。天皇拝観の日なり。午の一点に雪漸く晴る。密々、大炊御門烏丸西の辺りに出でて見物す。数刻の後、御桟敷に御幸と云々。漸く晩景に及ぶ。申終に、漸く行列。左衛門・兵衛・馬寮甚だ多し。左門権佐親房・左兵知家・右馬俊光・蔵人左兵尉親長の孫と云々。紅梅の半臀・萌木の袴を著く。又見知らざる衛府あり。(以下略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)