花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

紅葉の信州安曇野でオフ会(1)

2016年11月15日 | 旅日記
日々忙しくして居て、気が付けば早11月も中旬です。
関東南部の我が家近辺の公園も、イチョウやケヤキなどの木々が少し色付き始めました。

山仲間もそれぞれ事情があって、紅葉登山の予定も立たずにいましたが・・・



ブログ仲間のラッシーママさんに誘われて、信州安曇野へ行ってきました。
山梨から長野にかけては今、里の紅葉が真っ盛りでした

トップの画像は2日目に行った「大王ワサビ農園」のモミジです。

中央高速道路を走って安曇野へ・・・(11月10日)
「安曇野のホテルを予約したけど、4人が十分に泊まれるお部屋だから・・・」
「naoさんと同じご主人を亡くされた大阪のブログ仲間のあざみさんも誘ったので、ぜひ紹介したい」との
ママさんの心遣いに感謝して、ミニオフ会に参加してきました。



PCが入院して路線図も検索できず、「何時の特急あずさに乗ればいいかしら?」とママさんにメールしたら
「横浜からだと八王子に出てあずさに乗るのでしょうから・・・」
「それなら我が家の車に乗って行けば良い」と言ってくださって、遠慮なく同乗させていただきました

11時前にラッシー家を出発、近くの八王子インターから中央高速道路に入ります。
大月の先の長い長い「笹子トンネル」を抜けると、南アルプスの山々が姿を現しました



左手には夫と登った「鳳凰三山」や「甲斐駒ケ岳」が見えていて・・・
右手には主峰「赤岳」をはじめとする南八ヶ岳の山々

私はこの八ヶ岳の麓の山小屋で夫と初めて出会ったの

この日は曇り空で、今季一番の寒さでしたが、山々の展望はとても好くて
夫と何度も走った中央高速道路の車窓からの風景が懐かしかったです。



二時間足らずで「諏訪サービスエリア」に到着、長野県側から見る「八ヶ岳連山」が素晴らしいです。
一番右手に見えているのが「編笠山」、なだらかな左手の山は北八ヶ岳・・・

50代後半に山仲間と3年に分けて一番南の「編笠山」から北の端の「蓼科山」まで縦走しました。
いずれも紅葉の10月だったと懐かしく思い出しました。

これと同じ八ヶ岳連山を青空の下で夫と眺めたのは、9年前の結婚記念日・ドライブ一泊旅行の時だった



諏訪湖の向こうは霧ケ峰に通じる山々ですね。
こちらは夫が亡くなる前年の2013年に3泊4日の信州&飛騨ドライブ旅行旅で行っています。

何だか夫との思い出ばかりを記しましたが、私はもう涙は出ません、大丈夫です

毎年伊豆の別荘やお宅に招待され、すっかり親しくなったラッシーご夫妻と山々と紅葉の美しさに感動し、
車の中でも和やかな会話を楽しみました。

12時半にこの諏訪インターで一休みし、ランチタイムです



ラッシーママさんの凄い所は、出かける前の忙しい中、これだけの準備ができる所です
私もお相伴にあずかりました。

流石に空気が冷たかったけど、暖かいコーヒーで心身ともになごみました。

鮮やかな柄のペットボトル袋は、夏の伊豆合宿の時にいただいたママさんお手製のプレゼント
結びの紐の先に着いているお花?がとても可愛いです



サービスエリアの周辺も、高速道路の左右もまさに紅葉の真っ盛りでした。
渋滞もなくスイスイと安曇野インターまで休憩を入れても3時間足らずで走りました。



安曇野の町からは北アルプスの常念岳が見えるはず、こちらでしょうか?

「お父さん、今日の走行は200㎞だから楽ちんよ」というご夫妻の言葉も凄いです。
我が家も一日300㎞は良く走りましたし、オーストラリアでは一日で900㎞もありました。
でもそれは60代の時の事・・・

月に何度もドライブ旅行を楽しんでいらっしゃるママさんご夫妻のお元気さに感嘆いたします。

「ホテル・アンビエント安曇野」
チェックイン可能な2時過ぎに、予約していただいているホテルに到着しました。
ホテルの建物等の写真は撮っていませんのでこちらでご覧ください。



案内されたのは、ミニキッチン付きの2LDKのコンドミニアムタイプのお部屋です。
窓から中房渓谷や「有明山」に通じる山の黄葉が見えました



奥に見える山(コンデジでは写っていない!)は北アルプスの「常念岳」に通じる山々でしょうか?
10年近く前に夫と中房温泉から「燕岳~大天井岳~常念岳」と、3泊4日で縦走し一の沢登山口に下り
安曇野の温泉に出ましたこちらです。

私にとっての安曇野や穂高駅は、北アルプス登山の通過点でしたね。

ラッシーママさんが家から持ってきた手製の干し柿や栗の渋皮煮、イチジクのワイン煮などをてきぱきとテーブルに並べ
私が持参したワインを準備して、はるばる大阪からやってくるあざみさんを待ちました。



4時過ぎにあざみさんは到着し、早速パパさんも一緒にワインで乾杯です
お風呂上がりのパパさんは何となく元気がありません。
ベッドルームで休んでいただき、女三人の女子会が始まりました。

ブログ仲間同士って、初対面でも一瞬のうちに旧知の間柄のようになるのが不思議です。
ブログを通してその人の生活や考えが分かりますものね。

私よりもずっと早くにご主人を亡くされて、今では日々を楽しく有意義に暮らしていられるあざみさんに
私はブログを通していずれ「私もこうありたい」と思わせて頂きました。。

私よりも少しお姉さまのあざみさんですが、若々しくてスマートで、鈴の音のようなチャーミングな声に魅了されました。



6時からディナータイムです。
地元の食材を多く使った60種類のお料理が並ぶビュッフェを堪能しました

パパさんも一緒に再び乾杯をしましたが、パパさんのお皿はカラに近い・・・
お寿司を少々食べただけのようです。お疲れが出たのでしょうか?、心配でした。

日頃は粗食の私、この時とばかりにたくさん食べましたわ。



いける口のあざみさんともすっかり打ち解けました。彼女は今回日本酒でしたね

パパさんは早めにお休みになられましたが、女性3人はお部屋に戻ってからもお喋りに花が咲きます。
寝る前にママさんと私が大浴場の温泉に入り、あざみさんはお部屋のお風呂
12時半にようやく就寝しました



あざみさんから戴いたお土産は日本三大饅頭と言われるお菓子と、大島の生地に可愛いお花が付いた
手作りの素敵なポシェットです。

ラッシママさんもあざみさんも器用でしっかり者、手仕事が趣味の女性らしさも兼ね備えたお二人です。
山とカメラが趣味の私などは不器用で何も作れません

度胸がなくて弱っちいくせに、最近はすっかり「おじさん化」している自分を感じて唖然としていますわ



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古希記念!、女4人で「秋の当間高原」で弾ける♪

2016年10月23日 | 旅日記
季節の変わり目、何かと忙しくて、久しぶりの更新となりました。
そんな中、中学時代の友人4人と新潟県の十日町にある「当間高原リゾート一泊旅行」で弾けてきました。

「当間高原リゾート」で、パターゴルフ&お喋りで弾ける(10月19日)
父が転勤族だった私は、中学時代を新潟市で過ごしました。
小学校5年生で東京の中目黒から新潟の小学校に転校した時はイジメに遭い、
よく泣かされましたが、中学時代は友人に恵まれ楽しい日々を過ごしました。



その時の友人達3人とは今でも付き合いがあり
2~3年に一度、新潟組みと東京組みが落ち合って親交を温めています。
と・・・
初めてこの「当間(あてま)高原リゾート」を紹介したのは、東日本大震災のあった年の(2011年)の6月でした。

それまでもずっと2~3年に一回位は、越後湯沢や水上の温泉ホテル、
私が持っていた軽井沢のオーナーズホテルでも落ち合い、ミニ同級会を楽しんでいました。

東日本大震災を体験し見聞きし、「いつ何時何があるか分からないから、今の内にせっせと逢おう」と
始まったこの当間高原リゾート旅行は、その後も2回実行しましたが・・・



「私は腰が痛くてマッサージに通う日々、同じ新潟のsumikoさんは膝痛で歩けなくなりついに手術
「動ける内に是非会いましょう」と、Kさんに声をかけられ行ってきました。



上越新幹線の「越後湯沢駅」で新潟組と首都圏組が1時過ぎに再会し、ホテルの送迎バスで40~50分
秋の当間高原リゾート・ホテル「ベルナティオ」に到着し・・・

年に何度も利用している上得意様のKさんのお蔭で、ウエルカムコーヒーの接待を受けてから
高原の心地よい風に誘われて、「パターゴルフ」を楽しむことにしました

この日は東京も新潟も9月中旬の暖かさ、特に新潟側は晴れて当間高原も歩くと汗が出ました。
木々は色付き始めていましたが、紅葉はまだまだこれからのようです。



ゴルフ歴30年近いKさんとsumikoさんは流石にお上手
今はそれぞれ腰と膝を傷めて医者からゴルフは禁じられているそうですが、時間が経てばきっとカムバックできますよ。

最初にここに来た時、私は初めてパターゴルフを経験しましたがイマイチ苦手です
あの時はプレー中に、十日町が震源の震度5強の地震に遭遇しましたこちらです。



今回私は18ホールの半分の10ホールでギブアップし、
持ってきた一眼レフカメラを取りだして、秋の高原の夕景を写すことに専念しました



過去の三回は、初めて来た6月と雪の残る4月(ご興味がある方は赤い所をクリックしてね)
そして父を亡くし新潟の二人に招待され、慰められた2年前のお花の綺麗な7月でしたから
秋の「当間高原」は初めてでした。

今までは絵葉書のような綺麗な風景を「まるで外国の高原リゾート地みたい」と表現していましたが・・・
今回は大きく広がる空を見上げて「北海道の秋」を思い出しました

日が傾く頃パターゴルフを終えて、温泉に入り、私は久しぶりにtomokoさんに背中を流してもらいました。
それから広いダイニングルームで、和洋中華のブッフェ料理を楽しみましたよ



汗をかいて温泉に入った後のビールが美味しい
前回は八王子に住むtomokoさんの都合が悪くて、4人揃っての乾杯は4年半ぶりです。

地元のワインもオーダーし、越後の豊かな海の幸&山の幸を堪能しました。
普段は淋しい個食の私、6時から9時までの3時間、大いに食べて、尽きることなく語り合いましたよ



4部屋の個室のベッドルームがあるこのホテルのフレンズルームがとても気に入っています。
イビキや歯ぎしりはもちろん、夜中のトイレも気になりません。
安心して熟睡できるのが良いですね。ホテルの詳しい情報はこちらでどうぞ

もう以前のように二次会のカラオケで飲んで歌う元気もなく
このお部屋で再びお茶を飲みながら11時半までお喋りです。

tomokoさん以外の3人が睡眠導入剤を飲んで、12時にはバタンキューでした。
以前は2時過ぎまでお喋りを楽しんだものですが、古希を迎え、皆無理が効かなくなりました

翌日も食べて喋って、高原散策♪
この時期の越後の山々はそろそろ紅葉が見頃
私は苗場の東洋一長いという「ドラゴンドラ」に乗っての紅葉見物をしたかったのですが、
アクセスが悪いという事で、ホテルの「八海山ツァー」を申し込みました。
が・・・
もう満杯で受け付け終了、今が丁度ロープウェーから見頃の紅葉が楽しめるらしい。



朝ぶろに入ってから、結局10時までゆっくり朝食を楽しみ、ダイニングでお喋りです。

大きなお釜で炊いた地元南魚沼産のコシヒカリのご飯が美味しくて、二杯いただきました。
おかずはサラダやオムレツ、ハム類など様々ありましたが・・・
魚沼産のコシヒカリには塩鮭と明太子、お漬物と越後名物のノッペ汁がサイコーです

食後果物とコーヒーでお喋りを楽しみましたが、あっという間に時間が過ぎ、
前夜もそうでしたが、気が付くと私たちが最後でした

ホテルのロビーの朝市で、息子宅用のお土産に魚沼産のコシヒカリの新米二合パックを二袋
そしてお遣い物用に、Kさんお薦めのお菓子を二箱購入しました。



行楽シーズンなのか?、この日は平日にも関わらずホテルは満室
沢山のシニアの女性のグループがロビーにたむろしていて
男性群のほとんどはゴルフが目的のようでした。

そんな中で私たちはハロウィンの仮装をしての撮影会で遊びました。
「似合うわよ~」という掛け声が外野から聞こえてきましたわ。



この日も、気持ちの良い爽やかな風が心地よい

tmokoさんはライトダウンを着て来たことを悔いていましたが、翌日の金曜日は急に寒くなって冷えたそうですから
越後の秋のお天気と気温はさっぱり解りませんね。

私は2日目のこの日の東京の最高気温予報が28度と聞き、ジーンズの上着にしましたが・・・



この日は満杯で行けなかった「八海山ツァー」の他に、写真を趣味とする者には人気の松之山のブナ林
「美人林ツァー」もやっていましたが、朝の7時半集合が慌ただしくて、4人共行く気になれなかった・・・

今回は中学時代の仲良しグループだった仲間4人と、ノンビリまったりと温泉とお食事、
そして大いに語り合って過ごすのが目的ですものね。



正直、今回の旅行を決める時、私はちょっと戸惑い
「夫を亡くして二年が過ぎ、まだ孤独感は否めず・・・」
「正直淋しさと関係がない生活している3人さんに会うのを躊躇する気持ちもあります」
「でもこだわっていたら前に進めませんので、三回忌を契機に参加することにしました」

仲間にメールしたものです。



このリゾート地はペットや子供連れが多いのも特徴です。

東京ドーム109個分もの広大な自然の中、ゴルフ場は勿論、テニスコートやゲートボール場もあり、
室内プールや卓球なども楽しめて・・・
季節に応じた自然体験プログラムやイベントも豊富に用意されています。



来る時のバスの中から見えた、真っ赤な「コキア」が並ぶ所まで行ってみました。

ここは新潟県の第三セクターが運営しているそうですが
東京電力と鹿島建設が大株主。
そしてホテルは「インターコンチネンタル東京ベイ」を運営する会社に委託。
評判が良いはずですね。

満開のコスモス畑まで行きたかったのですが、雨がポツンと落ちできたので慌てて戻ります。
コテージタイプのお部屋があるから、ペット連れも多いのでしょう。



12時過ぎになっていたので、ホテルのロビーのカフェでサンドイッチ2皿頼み、
それを4人で分けて、ビールを飲みました。
一時間以上の散策で喉が渇いておりましたからね

2時50分発のホテルの送迎バスの時間まで、結局食べて飲んでお喋りをしましたわ。
それでもまだ語り足りない気がした2日間でした。

翌々日の土曜日は孫の小学校の運動会・・・
目が回るような日々を過ごし、今の私は「祭りの後の淋しさ」に浸っています。






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大雨の中の小江戸散策と彼岸花

2016年09月22日 | 旅日記
前夜から降りだした雨が、翌日の22 日になっても一日中降り続いていました
我が家の庭も畑もぐじゅぐじゅ状態です

一昨日の台風16号がらみの豪雨の中・・・
我街のボランティア団体の防犯パトロール「道の会」主催のバスツァーに参加してきました。



「小江戸川越と巾着田の彼岸花散策」と銘打ったツァーでしたが・・・
この日は台風16号が鹿児島に上陸し、進路を関東方面に向けていた日

巾着田の「彼岸花」は見頃でしたが、この日は大雨と言うよりも「豪雨」の中に咲いていました
いやはや、いやはや、酔狂としか言いようがありませんわ

「小江戸川越」散策とランチ(9月20日)
台風16号が鹿児島に上陸したという日の朝8時半、我街の自治会館前に集合です。
パトロールをしていない人も大歓迎という事で、親しくしているご近所仲間4人も一緒に行きました。
集合場所は歩いて5分の所なのに、バケツをひっくり返したような雨で
出かける前から靴もズボンもびしょびしょ



参加者は61名、2台の観光バスは茅ヶ崎から圏央道に入り厚木サービスエリアでトイレタイムをとり、
一路小江戸「川越」を目指します。
圏央道ができて関越道が近くなり、本当に便利になりました。

息子が大学を出て就職し最初の勤務地が川越でした。

川越の喜多院近くのマンションで、息子は新婚生活を送り孫も生まれましたから
私たち夫婦は何度か行っている街です。

雨で観光ができなくても、仲間と楽しめればそれで良いと思っていました。
むしろ台風がらみの大雨の日に、一人で家に居る方が辛い・・・



11時頃、川越に着きました。

添乗員さんに案内されたのは「蔵造りの町並み」の、菓子屋横丁から川越のシンボルの時の鐘まで・・・
ただ時を告げる塔はもっか耐震工事中でこのように幕で覆われて見えません。



天正18年(1590)、江戸城に入った徳川家康は、江戸の北の守りとして、また舟運を利用した物資の集積地として
この地を重要視して川越藩を置き、三河以来の家臣だった酒井重忠を藩主に任じました。
以後、廃藩まで、川越には親藩・譜代の有力な大名が配されています。




川越と言えばサツマイモ(川越芋)のお菓子が有名です。(上の画像はネットよりお借りしました)
私たち5人は古そうな店構えのお菓子屋さんに入りました。

川越の伝統の銘菓発祥の「亀屋栄泉」さんの詳しい情報はこちらです。



可愛いお弁当の形の金平糖と飴を孫たちに買いました。     友人へのお土産はこちらです



お隣の蔵の中は焼き物工房になっています。

明治になると、川越は埼玉県一の商業都市として繁栄しました。
しかし、明治26年(1893)には、町の3分の1を焼失する大火に見舞われこの火事の後、
川越商人たちは町の復興のために耐火性を重視して土蔵造りの店舗を建設しました。
今に残る蔵造りの街の景観は、そのとき形成されたものです。

息子のお薦めのお菓子は「いも恋」
写真仲間のおじ様が「nao♪さん半分食べてね」と、一個(180円)買って分けてくれました。

中身は小倉と川越芋のコラボで、外皮はモチモチ、美味しかったわ
(画像は菓匠右門さんのホームページより



川越の街の食べ物屋さんはどこもサツマイモで溢れています

昼食は「割烹 ささ川」で



中々美味しいお食事でした。
お部屋も61名が全員一部屋で和気あいあいと頂けました。このお店の詳しい情報はこちらでどうぞ

1時20分に観光バスに集合です。
次に向かったのは埼玉では有名なサイボクハムの食のテーマパークこちらです
温泉施設もある道の駅のような所でしたが、私たち5人はもっぱら試食専門で見て廻りました。

早く目的の彼岸花が見たいわ

曼珠沙華の里・巾着田の彼岸花散策
3時過ぎにようやく楽しみにしていた「巾着田」に到着ですが・・・
雨はますます激しく降ってきました



五百万本の曼珠沙華の群生地・・・
彼岸花は見頃を迎えていましたが、残念ながら大雨の中では鮮やかさに欠けます。



繊細なリボン状の花びらもびしょびしょ・・・



私にとっては3度目の巾着田でしたが、「木漏れ日の中に咲き誇る満開の彼岸花」が中々見られない
前回は山登りのついでに寄った覚えがありますが、早すぎて三分咲でした



50代から60代にかけて7回も一緒に海外旅行に行ったご近所仲間です。
最後に行ったのは5年前の「エジプト旅行」

あれから私も両親の入退院で忙殺され、ノンちゃんは膝の手術、ぷりんさんも初期のがんが見つかり・・・
皆身辺が忙しくなり、以前ほど一緒に遊ばなくなりました。

これからはノンビリと国内を見て廻りましょうね。



みなズボンも靴も濡れてグチャグチャ、集合時間の20分前には殆どの人がバスに戻りましたが、
私と同じ写真サークルのおじ様二人は熱心に撮影したようでジャストに戻ってきました。

私も重い一眼レフカメラを持って行きましたが、取りだしたのは写真仲間のおじ様に
5人の集合写真を撮ってもらった時のみ、他はすべて小さなコンデジでの記録写真です。

バスの席の一番後ろには、写真サークルの方たちがいて、
斜め後ろには4年前の役員をした時に親しくなった自治会の顔役さんたちがいて・・・
前方の席には日々一緒に歩いている、防犯パトロールのお仲間たちの姿が見えます。

大雨でバスの窓も曇り、車窓の風景は見えませんでしたが・・・
私は親しいご近所仲間ともっぱらお喋りを楽しんだ一日でした。

4時10分に巾着田を出発し、我街にたどり着いた7時頃が台風16号の影響がピークだったみたいで
家までの5分、豪雨の中を歩いての帰宅でした。

ボランティア「道の会」の幹事さん、お世話になりありがとうございます
私も4年前に自治会の「バス旅行」を企画遂行し、天気予報にハラハラしながら胃が痛くなりましたので
幹事さんのご苦労は良くわかりますわ。

                  

高尾の東京霊園にお墓参り(9月21日)
日帰りバス旅行の翌日は、義姉たちと夫の実家のお墓参りに行くことになっていました。

台風一過の晴天にはならなかったけど、取りあえず雨は上がったので
疲れた身体にムチ打ち、前日と同じように朝の8時半に家を出ました。

高尾の東京霊園まで我が家から二時間半かかるのです



夫と行く時はいつも車で通った緑の高尾街道を、JR高尾駅から歩いて行きます。

年に二回のお彼岸に、未亡人になった義姉妹4人がお墓を磨き草取りをして
夫の両親と兄が眠っているお墓をお参りするのが恒例となりました。

今回は夫の下の姉が狭心症で入院し欠席です。
いつものようにお蕎麦屋さんで食事し、高尾の駅横のティールームで夕方の5時までお茶しました。

3人共2年前に次々と未亡人になりましたが、私が一番ショックを引きづっている感じです
「将来の不安など考えないで、今を元気に楽しみましょう」と、78歳の兄嫁と義姉にハッパをかけられましたわ。
(兄嫁は15年前から息子一家と二世帯住宅に住み、上の義姉は独身の娘と同居、独居は私だけです)

先週は畑作業にいそしみ、三連休には夫と私の両親のそれぞれのお墓にもお参りして
その上二日間続けて朝の八時から夜の7時過ぎまで遠方に出かけたら、流石にダウンです
今日は身体がだるく、ノドが痛くて口内炎がでました
しばらく静かに過ごすことに致します。


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恒例の夏合宿!・「伊東でオフ会」

2016年08月29日 | 旅日記
Uターンした迷走台風10号が、ますます勢力を拡大し北上中
30日には東北沿岸に上陸、過去にないコースを行くようですね。


私は28日には庭の藤棚と畑のトマトの支柱を整備・・・
今日は鉢物も玄関入れて、家を守る準備を怠りなくやっているつもりですが
TVなどの報道に惑わされ不安を掻き立てられ、台風が来る前に疲れ果てています

伊豆・伊東で一泊の夏合宿(8月26日~27日)
今年もブログ仲間のラッシーママ家の別荘での「夏合宿」に参加。
26日は台風の合間の好天に恵まれ、翌日は夕方から雨、ラッキーでした。

(伊東駅前の夫婦ヤシ)

集合は伊東駅に12時前後・・・
はるばる大阪から参加のlilyさんと沼津に住むビオラさん、そして私のJR組3人は
時間通りの12時6分に伊東駅に到着ですが、この日は小田急線が止まってしまいさぁ~大変

だんだんさん銀河さんからの緊急メールが次々と入り「昼ごはんは先に食べていて」とのこと
でも一年ぶりに会う私たち・・・
車で迎えに来てくれたラッシーママさんも交えて、4人で駅でお喋りしているだけでも楽しいから待つことにする。

12時半過ぎに銀河さんが、1時半過ぎにだんだんさんが到着でした。
5時間以上かかったそうな「大阪からよりかかったね~、お疲れ様~」

昼食は活き魚料理店へ
TVでも紹介され、いつ行っても並んでいる人気のお店こちらです
2時前に入れば少しは空いて居るでしょうと行きました。

(このお店、6~7年前にママさんから紹介され夫と行って、安さとボリュームに感動した覚えがあります)


40~50分ほど待ってようやくランチです。
1年ぶりの再会で、ブログ仲間の6人とパパさんも一緒に軽くビールで乾杯しました

あれれ、定食の内容が以前より淋しい、小鉢料理がなくてお値段も上がったような
でも日頃は個食の私、大勢で賑やかに食べるお食事は美味しい


パパさんが撮ってくれたブログ仲間の6人です。
今年も元気に再会できて嬉しいね

ラッシー家の別荘で合宿
3時半過ぎに別荘に到着です。


ラッシーママさんがダァ~っと準備し、アッと言う間にお料理が並んだテーブル
お赤飯はだんだんさんの手作りです。

食べて喋って&喋って、飲んで食べて・・・
途中ひと寝入りした人が2人いましたわ


気が付いたら夜も更けて、11時半過ぎになっていました。
私たち連続8時間もお喋りしたことになります

それから順番にシャワーを浴びて、布団に入って更に1時間お喋り
翌朝は皆8時まで寝ていました。


午後にはお孫さんが来るというだんだんさんが一足早く帰ることになり・・・
ゆっくり朝食を済ませてから、ラッシー家の別荘の立派な松の木の前で記念撮影です。


翌日は「一碧湖」散策
皆でだんだんさんをお見送りしてから、パパさん運転の車で「一碧湖」に向かいました。


「伊豆の瞳」と呼ばれ、周囲4kmのひょうたん型の景観の美しい湖です。

俳人の与謝野夫妻も愛したと言われるこの湖は、バス釣りでも有名で、
この日も若い人々が釣り糸を垂れていました。


去年はお隣の「松川湖」に行きましたこちらです。


自然が残された湖畔には遊歩道が整備され、春には桜や新緑、秋には紅葉と、
四季折々散歩しながら季節の移ろいを楽しむことができます。

30分歩くとベンチが現れました湖が望めるここで一休み・・・




ママさんが準備してくれた中華チマキにトウモロコシにゆで卵、お手製の干し柿に栗の渋皮煮まであります。
まだあまりお腹が空いていなかったので、トウモロコシだけ戴きました。甘くて美味しい~


一碧湖(大池)は約10万年前の噴火でできた火口湖です。
爆発的な噴火でできた火口は「マール」と呼ばれる丸い窪地を作り出しました。
大量の細かい火山灰は、水が抜けにくい環境を作り出し湖となりました。


4000年前には、大室山の噴火によって溶岩が湖に流れ込んで十二連島ができました。
今は静かで美しい湖ですが、成り立ちは実に激しいものでした。(表示板より)


”静かなる十二連島見るままに所を移す鴨の連島   晶子”
一碧湖をほぼ一周すると、観光橋近くの広場にこの地を愛した与謝野晶子の歌碑があります。


鯉や鴨が泳ぎ、釣り人やファミリー、そして若い人も楽しめる昔懐かしい湖でした。


二時半過ぎに別荘に戻り・・・
再び食べて喋って、パパさんに勧められるままに残ったワインを飲みました。

この夏合宿がもう8年も続いているのは、エネルギッシュなママさんと、我々の輪の中にすんなりと入り
アッシー君も嫌がらずにやってくれるパパさんの協力があっての事だと思います。
本当にお世話になりました

そしてお仲間の皆さんの手作りのお土産もありがとうございました。
一人暮らしの私にとっては二週間分の語らいを楽しんだ2日間でした。

息子一家との箱根旅行と夫の三回忌代わりのお墓参りと食事会、そしてブログ仲間との伊豆の夏合宿を済ませて
私の今年の夏の三大イベントは終わりました。









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台風騒ぎと、恒例の箱根旅行(3)・「小田原城へ」

2016年08月25日 | 旅日記

夫が毎年玄関前の水盤で咲かせていた「ホテイアオイ」が咲きました

このお花は外での冬越しが難しくて、夫は毎年苗を買っていたようですが・・・
私はご近所さんから分けてもらったものを水盤に浮かせました。

22日の月曜日は台風9号の首都圏直撃で、私の趣味の会のコーラスも中止の電話が入りました
前夜は自治会の夏祭りで盆踊りや模擬店を楽しみましたが、明けて翌日は朝から凄まじい雨・・・

ずぶ濡れになりながら重さの軽い鉢植えを10数鉢玄関に入れ、
デッキのテーブルや椅子をひっくり返したり折りたたんだり、物干し竿も片づけて、
雨戸のない居間の一間の広いベイウィンドウ(出窓)にビニールテープを貼りました。

女一人で一軒家を台風から守るということは多大な不安を感じます。

オロオロしていても仕方がないので、オリンピックの閉会式を見ていました。
リオオリンピックは日本選手の大活躍で、日々感動させて戴いた17日間でしたが・・・
祭りの後の淋しさと台風襲来の不安とが混じり、22日は一日中雨戸を閉めた家の中で籠っていました


結局台風9号はお昼にかけて大雨を降らせ、房総半島の館山に上陸し
午後には北に向かって行きました。

午後6時過ぎには夕陽が赤く染まり、我が家の二階から富士山が少し姿を見せていたしたが・・・
滅多に台風など来ない北海道は、この所続けての台風襲来で石狩川が氾濫したそうですね。

被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

そして西に向かって迷走していた台風10号が、Uターンして来週初めには本州に来るらしい

ヨーロッパのスーパーコンピューターの分析では最大の勢力(最大級ではなく最大)で
日本の本州に上陸と予報を出しています。
伊勢湾台風より勢力大という事オ~マイゴッド
私の不安が再び増しています


            

箱根二日目は「小田原城」へ(8月14日)
朝6時、息子の会社の保養所の部屋で目覚めました。まだ息子一家は皆寝ています
私はそっと起きて大浴場に向かい、朝の温泉に浸かります

もうお嫁ちゃんのお母さんと妹のYちゃんが居ました。
ノンビリ湯船につかりながらあちらのお母さんと談笑・・・


この日の箱根は時雨れていて、窓から見える大涌谷方面も霞んでいます。

ロビーのTVではオリンピックの女子卓球をやっていました。
奥にはモミ機が並んでいて、夫がここで毎回気持ちよさそうに揉んでいた姿が思い出されます

朝食のビュッフェ、私は息子よりも沢山戴きました食後は卓球、父子の真剣勝負は代替わりです。


毎年父親と真剣勝負の卓球をしていた息子、今年は小6の孫のハー君と好い勝負です。
子供の成長はあっという間ですね。


7月に息子宅でバーベキューを楽しんだ時、ハー君がNHKの大河ドラマ「真田丸」に熱中し、
お城に興味を持っているという話になりました。

「ばぁばは去年の箱根で皆と別れてから小田原城に行ったわよ」というと去年の記事はこちらです。
お兄ちゃん孫のハー君が「僕も是非行きたい」と・・・
何やら高嶋政伸が演じた北条氏政が、秀吉の攻撃を前にお化粧をして小田原城に籠る姿が印象的だったらしい。

「去年は耐震工事で天守閣の中に入れなかったけど、今年は5月にオープンして楽しめそうよ」と勧めると
息子は箱根での2日目の見学地を「小田原城」と決めました。

初孫が戦国時代の歴史に興味を持ちだしたなんて、横浜じぃ~じが喜ぶわ


お嫁ちゃんの両親と妹夫妻も一緒です。
2台の車を駐車場に入れ、皆でお堀の赤い橋を渡って二の丸公園から入りました。

常盤木門

本丸の正門である常盤木門をくぐります。

天守閣

小田原城は戦国大名の北条氏が5代にわたって関東支配の拠点とした名城。
天守閣は度重なる大地震で倒壊しましたが、市制20周年の記念事業として昭和35年に再建されました。

今回の耐震改修工事のため昨年7月から閉館、今年の5月にリニューアルした天守閣は、
外壁を塗り直して以前より白い姿となった感じです。


左横の階段を上がって、天守閣の中を見学します。
去年は工事中で静かな静かな小田原城でしたが、今年は観光客がたくさんいました。

今年の二月に心臓の手術をした横須賀ばぁばは階段に自信がないということで、外で待っているようです。
それに横須賀じぃじが付き添いました。

幸い雨が上がって良かったですが、その分蒸し暑くなってきましたね


大人500円子供200円を払って中に入ります。

すぐに天守閣の高さベスト10と書かれた大きなパネルが・・・
「小田原城はベスト7だって」「1位は大阪城、2位は名古屋城なんだね」
「いつか行きたいなぁ~」ハー君は熱心に一つ一つのお城の写真をパットで撮影します。

中での写真撮影可でした熱心に見て廻るお兄ちゃん孫と息子一家


この日私は一眼レフカメラをザックの中に入れたままで車の中
小さなコンデジですべて撮り、見苦しい画像になってしまいましたわ

北条氏が滅びた後、小田原城は徳川が管理する城となります。

徳川家の葵の御紋です。戦後、天守閣が再建される前は観覧車が建っていたとか


リニューアルされた展示は、映像コーナーもあり、非常に充実してます.

秀吉の攻撃を恐れ苦悩する北条氏政と氏直父子を演じる役者さんの物語仕立ての映像は
最後までしっかりと見ましたよ。

僕お城を造る仕事がしたいとハー君は呟きますそれって「宮大工になりたいって事?」・・・



5階からは外が望め、箱根方面の左手が一夜城南側の正面に街と海が見えますが、ぼんやりと霞んでいた


ハー君は100円を入れて見る望遠鏡で一夜城を探していましたが、分からなかったようです。
「ばぁばはワンゲルの会で行った事があるけど、古い石組が残っているはずよ」こちらです。

お土産コーナーでハー君は真田の家紋の六文銭のキーホルダーと、小田原城のプラモデルを買い外に出ました。
入場から1時間半近く経ち・・・
見学者はますます増えて、入り口前の階段の下まで並んでいました

銅門(あかがねもん)

オトータンとハー君はここも中に入って見学していました。
L字形の枡形門で、敵の進入時、上から石や矢を放って撃退する「石落とし」なる穴もあったそうです。
「ビデオでやっていたね」とハー君は興味津々・・・


最後は正面入り口の「馬出門」に出ました。

武士の物語が大好きだった横浜じぃじの「真田太平記などの戦国時代が舞台の本は殆どそろっているわよ」と言うと
6年生ではまだ読めない漢字が多くて、ルビがふっていないと無理とのことでした。
でも、歴史に興味を持ちだしたハー君の先が楽しみだわ。

お昼に全員でお寿司を食べ、私は小田原から電車で帰宅、横須賀組も車で家路に着きました。

息子一家だけはもう一泊、箱根泊りだそうです。

じぃじが生きていたら、きっとお兄ちゃん孫をあちこちのお城に連れて行き、
たくさんの歴史のお話をしたでしょう・・・

じぃじが逝ってしまったあともずっと、我が家のテレビは当時大河ドラマでやっていた
「軍師・官兵衛」が予約録画され続けていたのですから・・・



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恒例の箱根旅行(2)・湿生花園から宮城野温泉へ

2016年08月21日 | 旅日記
台風が三つも日本近海で発生し直撃の模様・・・
お天気が不安定で、蒸し暑い日が続いています

「箱根湿生花園」後編(8月13日)
私は湿生花園の一番奥の「仙石原湿原」と「湿生林区」まで歩いてきました。


涼しそうな「ノリウツギ」が咲きだしています。


こちらは我が家近辺でも咲いている「タマアジサイ」


初見のお花?「ジャコウソウ」


園内のあちこちに咲いていた神奈川の花「ヤマユリ」

飛び立つ白いサギにそっくりな「サギソウ」水辺に咲いていた「アメリカ水葵」


他にも鮮やかなオレンジ色の「フシグロセンノウ」・薄紫の「マツムシソウ」
清楚な「レンゲショウマ」なども咲いていましたが、ボケました

「世界の食虫植物展」
入り口近くまで戻ると珍しい植物が並ぶコーナーがありました。。
今年の6月初めにラッシーママさんと行った「港の見える丘公園」のイギリス館でやっていた
「花と器のハーモニィー展」で見て驚いた、珍しい袋状の花々と同じです。


食虫植物の「ウツボカズラ」だそうです


虫の捕まえ方が詳しく紹介されていました。


たくさんのお仲間の花々も展示されていて・・・
こちらは子供の長靴のようで可愛いですね


ハエトリクサは葉を閉ざして虫を捕まえるらしい・・・


ハエは見当たりませんが、蚊や蜂が飛びまわる我が家の庭にも欲しいと思いました。


ここの仙石原湿原でもみられる「モウセンゴケ」は虫を感じると葉から粘液が出てくるそうです。
虫が動けば動くほど沢山の粘液が出て、虫を溶かしてしまうとか・・・


世界中にムシトリスミレのお仲間は80種あるそうですが・・・
「アグナタ×コリメンシス」は、こんな可憐な姿でも虫を捕る!、狩る!

日本のアルプスのお花畑で「虫取りスミレ」を見る事ができます。
私は黒部五郎岳のカールなどで見た覚えがありますが、可愛い姿で虫を捕らえる侮れないお花です。


ザックを入り口のロッカーに預けて、一時間以上かけて園内を巡りました。
入り口にはお土産屋さんやカフェがあります。

鉢植えの苗も売られていて、その中に「黄レンゲショウマ」がありました。
「車で来たなら買ったのになぁ~」と思いましたが・・・

四国の「劔山」に咲くというこの高山植物は、所詮我が家の庭では生き延びないでしょうね
買わないで正解だったかも・・・

「強羅駅」へ
毎年泊まる宿は強羅温泉の隣にある宮城野温泉、息子の会社の健康保険組合の保養所です。
強羅駅発4時の宿の送り迎えバスを予約していた私は、2時50分に「湿生花園」前でバスに乗りました。


渋滞することなく3時15分に「強羅駅」に到着です。
一人で待つこと45分、息子一家に電話しても誰も出ない・・・

でもカメラがあれば待ち時間も淋しくないワ(ちょっと強がりね)

この箱根登山鉄道の終点の強羅駅舎は「関東の駅百選」に選ばれているそうです。


駅舎の入り口にはこんなプレートがありました。

スイスには結婚三十周年で「ハイキングの旅」参加し、あちこち歩いてきました。
サンモリッツには寄らなかったけど、マッターホルンのふもとの街「ツェルマット」から
ユングフラウヨッホが見えるインターラーケンに移動の際、氷河特急には乗っています。


箱根登山鉄道がスイスのベルニナ鉄道を模範とし、友好姉妹鉄道宣言まで行われていたとは
車で行けば分からなかった情報です。

45分の待ち時間、私はカメラを抱えて飛びまわり、撮り鉄ちゃんになりました。


こちらは強羅から早雲山まで登る「ケーブルカー」です。

噴火騒ぎで大涌谷周辺は立ち入り禁止の日々が長かったけど、箱根ロープウェイも
この7月27日から全線で運転を再開し、ようやく観光客が戻ってきましたね。

4時に迎えに来てくれたバスに乗り、息子一家とお嫁ちゃんの両親&妹夫婦が居る保養所に着きました。
皆はすでに大浴場に入っていたようで、私もすぐに温泉に浸かりました

温泉の後のビールが美味しい・・・縁あって親戚になった9人の集まりです。


お料理は他にも天ぷらの盛り合わせが全員に付き
鶏のから揚げとポテトフライ、枝豆も別途頼み、お腹はマンプクリンになりました。

食後はお部屋で皆で「人生ゲーム」などをやりましたが、私は何故か?
眠くて眠くて、9時過ぎにはバタンキュー
普段は6時間の睡眠時間なのに、この日は薬もなしで9時間以上眠れました。



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恒例の箱根旅行(1)・「箱根湿生花園」へ

2016年08月17日 | 旅日記
台風7号は大雨をもたらし、関東沿岸から北海道方面に向かいましたね
被害がない事を祈ります。

こちら横浜は台風一過の晴天で、今朝は富士山が見えていました。

旧盆が終わり、ツクツクボウシが鳴きだし晩夏の風情ですが・・・
日中は気温がグングン上がり、関東は各地でこの夏一番の暑さになったようです

孫娘のチァーダンスの大会日(8月10日)から一週間のお盆休みに入った息子も、今日17日から仕事です。
休暇中は全員集合の「箱根旅行」に、今年も行ってきましたよ。

「箱根湿生花園」へ(8月13日)
一日目、息子一家は朝早く家を出て、熱海のホテルのプライベートビーチで海水浴・・・
以前から現地集合・現地解散ですから、私は電車とバスで夏の高原の花々を見に行きました。
(車の山岳運転はいつも夫任せでしたから自信がないのです)


仙石原地区にある湿生花園。
木道が整備されておりさまざまな植物を観察できます。詳しい情報はこちらでどうぞ

園内には、低地から高山まで日本各地に点在している湿地帯の植物200種のほか、
草原や林、高山植物1,100種が集められ、その他、珍しい外国の山草も含め、
約1,700種の植物が四季折々に花を咲かせています(渡されたパンフレットより)


「カワラナデシコ」がまだ咲いていました。
去年、山仲間と歩いた美ヶ原でもたくさん咲いていた、秋の七草のナデシコです。

同じく秋の七草の「オミナエシ」と・・・「キキョウ」も揃って咲いていました。


流石に標高700m近い仙石原高原は、涼しい風が感じられ秋の気配が漂っていました。


コオニユリ・シャジン・オミナエシ・ミソハギが咲き乱れるお花畑です。

夫と最後に行った高原にも咲いていた「コオニユリ」やはり夫と見た覚えのある「オカトラノオ」




遠目にはヤナギランに見えたのですが、ちょっと違います。
草を刈っていたお兄さんに聞くと「エゾミソハギ」とのこと・・・

濃いピンクが目立つ「エゾミソハギ」こちらはほっそりとした「サワギキョウ」



レースのような「シシウド」こちらは初めて見た「白髭草」



山でよく見た「ヤマハハコ」「フウロ」のお仲間でしょうか?


一人はちょっと淋しいけど、私はカメラを抱えて高原の風を感じながら
花々を見て歩く時間が今は一番好き

有料の管理されている所とはいえ、これだけ高原のお花に出会えれば満足です
ただねぇ~
カメラ教室に出す「お花の写真」となると、とても難しい・・・
個性がないと先生の評価も得られません

私の花の画像はあくまでも歩きながらの早撮りで、芸術写真ではありません。


木道を更に歩いて行くと、突然蓮池に出ました。


先日鎌倉の「光明寺」で観たハスとは風情が違い・・・
自然の中に咲くハスは、こちらが定番のような気がします。


奥には「コオホネ」の咲く池もありましたが、すでに終わりに近くて写真は無しです。


突然視界が開いて、箱根の山々が見えてきました。

秋の気配の「タムラソウ」が咲き「ワレモコウ」も風に揺れていました。


これらの花々を見ると、一昨年の7月末に夫と最後に行った湯の丸高原の「臼窪湿原」を思い出します。
あの時も一人で撮影に行き、夫はビジターセンターでコーヒーを飲んで待っていたこちらです。

夫を失ったこの季節は思い出すことが多くて、感傷的になりますね。
でも・・・
去年の「箱根行き」はどこにも寄らずにホテルに直行した私、今年はこうして一人で歩く気持ちになれました。
少しづつ少しづつ・・・
思い出が残る所にも一人で出かける勇気が湧いてきたということでしょうか?

タチギボウシの薄紫と白でしょうか?


園内の広範囲に一番たくさん咲いていたお花です

この日は家を出た時から「うす曇り」・・・
カンカン照りではなかったので私もちょっと油断して、帽子をかぶっていたものの
半そでのポロシャツ姿でそのまま歩いたら、腕と首がヒリヒリしてきました。

私の趣味はハイキングと写真撮影、今年は夏の山行きは無しなのに
毎朝の草取りも加わって、もう真黒ですわ




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エクシブ「初島」へ・女二人のリゾートライフ(その2)

2015年10月28日 | 旅日記
今日28日は週間天気予報ではマークが付いていましたが
秋晴れの暖かい日和となりました。

先週末はカンカン照りの暑い中、孫の小学校の運動会に参加し
翌日は山仲間と3人で、木枯らし一番が吹いた中での「山登り」

先週初めにはワンゲルの会での「東京路地裏ブラ歩き・渋谷~赤坂編」にも参加して・・・

身体を動かすことで、秋のセンチメンタルになりがちな気分を吹き飛ばそうと
せっせと活動していますが、気温の変化も伴って流石に疲れました。

エクシブ「初島クラブ」での朝(10月6日)
初島のホテルで6時に目覚め、同行のMさんが部屋のカーテンを開けました。


丁度「朝日」が昇り出した所です。
鉄塔が邪魔ですが、何とか見られました。


前日と打って変わって、この日は「晴天」に恵まれラッキー
バルコニーに出て、左側に目をやると「真鶴半島」が良く見えました。


秋めいて来たお庭も、太陽に照らされて鮮やかです

私たちは早速朝の温泉に行きました。
しょっぱいお湯の露天風呂が気持ち良い

9月下旬は10日間の間に、相模川歩き・最終章(30000歩)と東京路地裏ブラ歩き(23000歩)に参加
合間に畑作業をやったら、流石に腰や肩が重くなり
初島行の前日にやって来た息子に揉んでもらいました。

すると翌日揉み返しがきて辛かったけど・・・
ここの温泉に、夜と朝とノンビリ浸かったらとても楽になりました。


露天風呂からは眼下に望む相模湾と、小室山~大室山~天城連山と続く
峰々が見えていましたが、カメラは持ちこまなかったので・・・

このロビーからの眺めでご想像ください。
一番左に見えている「小室山」には4月にブログ仲間と行き、この初島を眺めたものですこちらです。

私たちは身支度を整え、1Fのダイニングルームで朝食を取りました。

ビュッフェではなくてコースで運ばれるアメリカンブレックファーストです。


宿泊客の多い土日に泊まるとブッフェ料理だそうですが、この日は人も少なくて
ノンビリまったりと、運ばれてくる朝食を戴きました。

コーヒーを飲みながらお喋りも・・・ツァーと違って出発時間も自由です。


食後、ロビーに並ぶ雑貨屋さんやアクセサリー売り場、そしてお土産屋さんを冷やかして
二人でお揃いのバッグを買いました。

A4サイズの写真や楽譜が入る、リバーシブルのバッグです。

こちらの色は秋冬用に使いましょう。そして華やかなプリント柄は春夏用ね。


ビニール製のお安いものですが、月に二回のカメラサークルと
コーラスサークルに持って行くのにちょうど良い


最後に屋上に登ってみると、熱海の街の向こうに富士山が見えていました。


ズームで迫って写しました。
まだこの時は雪は見えませんでした。

10月25日の日曜日に我が家から見た富士山は、山梨県側にほんの少しの白い部分が見えましたね

「初島リゾートアイランド」

11時にチェックアウトして、ホテルの車で港に出て
海辺に沿って歩いて行きました。


この日は台風23号が北海道を目指して北上中
相模湾には白波が立っていて・・・


Mさんは慌てて酔い止めの薬を飲んでいましたわ。
船は揺れるに違いない・・・


10分ほど歩いて行くと「初島リゾートアイランド」に到着します。


アジアンガーデンをはじめ、コテージが並ぶアイランドキャンプビラ
そして海泉浴「島の湯」やプールなどもそろっています詳しい情報はこちらです。

エクシブの会員でなくても・・・
特に若い方たちやファミリーが楽しめる施設のようですね。


大島が見えていました。


こちらはヤシの新芽でしょうか?

植物に詳しいブログ仲間の山小屋さんのご指摘で、これは「ソテツの雌花」とのこと
いずれこの中に真っ赤な実がたくさんでるそうです。



海辺のプールからは小室山~大室山~天城連山が見えていました。

私たちは「島の湯」のお土産屋さんでアイスクリームを食べて一休み
それから12時20分発の船に乗るために港に戻りました。

「熱海」へ

案の定、船は結構揺れて・・・
甲板に出る気にはなれませんでした。


熱海の駅近のお寿司屋さんで、カウンターに座ってランチです。
あまりお腹も空いていなかったので、好きなものだけ握ってもらいました。

前日食べそこなったアジをしっかりといただきましたわ。
たくさん喋ってたくさん食べて、帰りの電車はウツラウツラ

女二人の伊豆「初島」への旅は、大満足
誘ってくれた高校時代のクラスメートのMさん、ありがとうございました


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エクシブ「初島」へ・女二人のリゾートライフ(その1)

2015年10月23日 | 旅日記

相模湾にポッカリと浮かぶ「初島」をご存じですか?
東伊豆方面に向かうと、熱海や伊東から見える小さな島です。

上の画像は2009年のお正月明けの家族旅行で、伊東の「ホテル・サンハトヤ」に泊まった際にこちらです。
ズームで撮った「初島」の画像です。

あの白い大きな建物がエクシブ「初島クラブ」
この会員制ホテルの会員になった高校時代の友人が誘ってくれて、
10月上旬、女二人でこのリゾートアイランドで少々贅沢なホテルライフを楽しんできました。

熱海港から船で「初島」へ(10月5日)
町田に住むMさんと熱海駅で落ちあい、バスで熱海港へ・・・
ツァーの団体様御一行もいて、船は賑わっていました。


この日は残念ながら突然寒さがやってきて、あいにくの空模様でしたが
私たちは甲板に出て、持ってきたカメラを向けました。

バブルがはじけた頃はホテル街も閑散としていて、シャッターが目だった熱海ですが・・・
今では建設ラッシュで、見事に立ち直りましたね。


熱海港から船で25分、周囲約4kmの「初島」が間近に見えてきました。

熱海市本土から南東に約10キロメートルの位置にある初島は
伊豆半島東部相模湾海上に浮かぶ島。

静岡県唯一の有人島で首都圏から一番近い離島として知られています。


人口は243人、そのほとんどが漁業と観光に従事しているようです。


港のすぐそばには漁師さんが経営する民宿や活き魚料理のお店が並びます。
お昼も過ぎて、私たちもここで昼食としました。

Mさんはお刺身定食(1600円)私は海鮮丼セット(1500円)


その日の漁で具は違ってくるのでしょうが、相模湾と言えば「アジが美味しい」
海鮮丼にはその「アジ」がなかったのでちょっと後悔

今年の8月末に、ブログ仲間のラッシーママさんの別荘でオフ会がありましたが
その時に案内されたお店で食べた海鮮料理には負けますね。

お値段も1100円で凄いボリュームでしたこちらです。
あの伊東の浜辺からも、この初島が見えましたのでご覧ください


こちらが初島の地図です。

総合リゾート「エクシブ初島クラブ」を拠点として
マリンスポーツ・フィッシング・観光など、さまざまなレジャーが楽しめる
「リゾートアイランド”初島”」

プチ海外リゾート気分が体験できる南国情緒豊かな島です


ただこの日はお天気がイマイチだったので、島内の散策は翌日にして、
食後はすぐにホテルの車を呼び、ホテルに直行しました。

「エクシブ・初島ホテル」

館内は広く吹き抜けになっており、外国のホテルのようでした。

バブルの頃には「ホテル・ニューオオタニ」が経営していたと聞きます。
建物は古いものの綺麗にリニューアルされ、一流ホテルの雰囲気はそのまま残っていました。、


ツインの部屋でコーヒーを飲みながら、午後3時から夕食時間の5時半まで
ひたすらお喋りを楽しみました。

夫を亡くした後、高校時代の女子のクラスメートで唯一首都圏に住んでいるMさんから
「あなたと是非旅がしたいわ。エクシブのホテルを予約するからどこが良い?」
と誘われた時、私は即座に「初島に行きたい」と答えました。

このホテルには夫が仕事仲間との旅行で利用しており・・・
帰宅してから夫はモチロンの事、お仲間皆が口々に「次回は是非女房を連れて行きたい」
と話ていたのを思い出したからです。



どのお部屋もオーシャンビューだそうです。バルコニーからの眺めも素晴らしい・・・
確かに女性が喜びそうなホテルですね。

ディナーはイタリアンのお店で・・・
ホテルには和食・中華など4つのレストランがありますが
私たちは海辺に建つイタリアンレストラン「PORTO」を予約こちらです。

「6000円から16000円までの4コースがあるけど、8000円のコースを予約したから」
とMさんから言われていました。

えぞ鮑のマリネ・サラダ仕立て赤座海老の香草パン粉焼き


まずは赤ワインで乾杯です

ベーコンとホウレン草のクリーム和えニョッキ金目鯛の蒸し煮・・・


食べながら飲みながら、喋る!喋る!

エステの事、眉毛のタトゥーなど美容の事・・・
私も一応「女」だったと実感した夜でした

フランと桜エビの温かいコンソメスープ牛フィレ肉のグリル・赤ワインソース添え


これにパンも付きましたから、もうお腹がいっぱい・・・
「下から2番目のコースだけど充分に満足ね」と二人で頷き合いました

最後のワゴンデザートも運ばれて・・・これは「別腹ね」と戴きましたわ


山仲間やカメラ仲間と居酒屋でビールや日本酒をグビグビ飲む機会が多くて
最近はすっかりオジサン化しているワタクシ・・・

この日は淑女気分でおりました


食後、ホテルのバスで5分・・・
お部屋に戻ると目の前のお庭がイルミネーションで浮かび上がっていました

私は父の転勤で、高校2年から山口県の瀬戸内海に面した化学コンビナートの工場が広がる街の
県立高校に編入しました。
言わばよそ者ですが、親友もできて楽しい高校生活が送れましたわ。

夫を亡くした時には、このブログを読んでくれているクラス仲間たちから、
男女を問わず激励を受け感謝しています

この夜もその街に住む親友と電話で話したりして、しばし10代の頃に気持ちが戻りました。

それからMさんとゆっくり温泉に入って、12時過ぎまでベッドの中で更にお喋り・・・
青春時代の思い出に花が咲きました。


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「箱根旅行」と小田原城、そして災害の観光地を憂う

2015年09月15日 | 旅日記
鬼怒川の決壊のニュースに衝撃を受けてすぐに、東京湾を震源とする震度4の地震を体験
そして昨日の阿蘇山爆発のニュース・・・
桜島の噴火も活発で、島民の一部避難のニュースを聞いたのも最近だったような気がします。

災害列島日本で生活するには覚悟が要りますね。
もう一度、改めて避難袋を点検しましたよ。

今回の水害では日光の鬼怒川温泉にも被害が及び、これからの紅葉シーズン
観光客の減少が気になります。
阿蘇も然りで、風評被害が心配ですね。

そんな中、日光と並ぶ関東の観光地「箱根山・大涌谷」の立ち入り禁止地区が一部緩和され、
噴火警戒レベルをレベル3から2に引き下げられたニュースが唯一救われました。

お盆の家族旅行は「箱根」
息子は例年通り、夏休みの旅行は「箱根の保養所」を2泊予約しました。
毎年、我ら夫婦とお嫁ちゃんのご両親も一緒に集まる、恒例のイベントです。


去年は夫が入院したので我が家はパス
楽しみにしていた子供たちのために、息子一家だけ決行・・・

その間夫が重篤となり、息子は連日電車で病院に通ってきましたわ。


あれから1年、私は8月15日の一日だけ参加、午後から電車で箱根に向かいました。
横浜のお盆は7月ですが、それでも旧盆中誰かがお線香をあげに来るかもしれない・・・

それに元気な孫たちと一緒の行動は、3日前に木曽駒ヶ岳登山をしてきた身には到底無理


保養所から見える箱根山・・・
この山の向こうが大涌谷だと思います。


登山電車の駅まで息子に車で迎えに来てもらい、私は午後4時頃合流・・・
すぐに温泉に入って、皆と夕食とを楽しみました。

そして食後はお部屋で全員揃ってカード遊びの「ウノ」で勝負・・・
(昔はもっぱらトランプ遊びが主でしたがね)

孫たちは前日、朝から夕方まで熱海の〇〇ホテルのプライベートビーチで海水浴
そしてこの日は箱根の「ユネッサ」でプールだったそうです

そしてお嫁ちゃんのご両親は二人で「箱根湿生花園」と「ガラスの森美術館」に行ったとか・・・
私も夫と何回か行きましたよ。

日頃は粗食の私、どのお料理も美味しいわビュッフェスタイルの朝食もしっかりと戴きました


いつもは8人だったこの集まり、今年から7人になりました
テーブルに座るのもバランスが悪いですね。

ロビーでは孫たちが喜ぶ縁日・・・朝ぶろに入って朝食後に卓球です。


ば~ばはハー君と真剣勝負、その後オトータンが相手をしてくれました。
以前は父子で真剣勝負をしていた息子こちらで紹介しています。
母親には優しい玉を打ち返してくれましたわ。

午前10時半に宿を出発し、息子一家は箱根湯本のアスレチック公園で遊ぶとか・・・

お嫁ちゃんのご両親はそのまま横須賀に帰るようです
冬に体調を崩したお母さんも元気になられて良かったですね。


私もアスレチックに誘われましたが、木曽駒ヶ岳登山の疲れも残っていて
「お父さんが待っているから、電車で帰るわ」と、息子の車で湯本まで行き駅で降ろしてもらいました。

やはり相方がいないということはとても淋しいことなのです

この時の箱根山はまだ噴火警戒レベル3で、箱根の観光地は閑古鳥が鳴いていると思っていましたが、
お盆の期間中は車も渋滞、保養所も満室でした。


箱根湯本から箱根登山鉄道に乗り、小田原に出ました。

このまま家に帰るのも味気なくて、デジイチ持ってきたのだから、月に一度の写真サークルに
提出する作品を狙わねばと、駅から歩いて10分の小田原城に行ってみました。


小田原城の天守閣はナント、改修工事中で中には入れませんでした。
工事期間などの詳しい情報はこちらでどうぞ

「小田原城」散策
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって
関東での勢力を拡大していきました。


小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ
総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。


しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより
北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。


この日の箱根はうす曇りで涼しかったのですが、小田原まで下ると暑い暑い


それでも若い方々の見学者が、それなりにいましたわ。

銅門(あかがねもん)

馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。


地元民のお散歩コースですね本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました



常盤木門

このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、
他の門と比べても大きく堅固に造られていました

ファミリー向けの催し物もあります暑さで思わず食べた「氷イチゴ」


あまりの暑さに撮影意欲も減退し、サークルに持って行けるような画像は撮れませんでした


重機が並ぶ小田原城、この時は辛うじて全景が見られましたが、
ホームページによると今は幕で覆われているらしい・・・

息子が高校に入学した春に(今から28年前)、旅行会社の広告を担当していた夫が
「伊豆の高級ホテルに泊まらせてやる」と言って、家族で二泊三日の伊豆旅行に行きました。

泊まったホテルは今はない下田の「黒船ホテル」だったような・・・
その帰りにこの「小田原城」を見学し、天守閣に登った覚えがあります。

その時のことを思い出しながら、私は電車で帰途に着きました。
案の定、弟と私の友人たちからお花が届いていたようで・・・
不在票が何枚もポストに入っていました。

旧盆が明けるとすぐに夫の一周忌
この一ヶ月、多くの方々がお線香をあげに来てくださったり
お花やお供物を送って戴いたりで、私は接待と礼状書きに追われていました。

皆様、夫の事を覚えていてくれてありがとうございました





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