花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「宝戒寺」の福寿草と、雪で流れた誕生祝い

2014年02月19日 | 私の呟き
鎌倉「宝戒寺」・2月17日(月)
雪の中に咲く「福寿草」が突然見たくなり、鎌倉まで行ってきました。


白い雪の中からちょこんと顔を見せた「福寿草」
とても可愛いですね


14日からの記録的な大雪の影響は19日になっても続き
孤立集落の世帯数は2876世帯に上がっているそうです。
一時は山梨県全体が孤立したようで、前代未聞のニュースに驚きました


私たち夫婦は共に冬生まれです。

息子が忙しくてなかなか時間がとれず、すっかり遅れましたが、
息子夫婦が15日(土)にラウンドマークタワー内のレストランで、
私と主人の誕生日祝いを開いてご馳走してくれるとのことで
とても楽しみにしていましたが・・・

この日電車は動いていましたが、駅までのバスも動かずタクシーを拾うのも
至難の業、夜の雪道を20分歩くのも、我々は慣れていますが
孫達を歩かせるのが忍びなく、泣く泣く諦めキャンセルしましたよ


父の入院でほとんど遊びは入れていませんが
8日の大雪では山仲間との「鎌倉でのハイキング&新年会」を諦め
そしてまたまた今回も大雪で中止です

やはり私は「天中殺」でしょうか

そんなこんなの鬱積もたまり、父の病院に行く方々鎌倉まで足を延ばした次第です。


雪に埋められていた「福寿草」ですが、特に傷みもなく
元気に咲いていてホッとしました。

背の高いスイセンは倒れ、80種類もあるという椿の花は
少々寒さにやられていましたが・・・


萩寺で有名な「宝戒寺」ですが、今では梅が盛りでした。


こちらはシベが緑にみえる「青軸」でしょうか?
私が唯一名前を覚えた梅の花です。


「ロウバイ」は黄色の鮮やかさがなくなりそろそろ終わりです。
雪の鎌倉「宝戒寺」は雪解けの雨だれの音が聞こえるほどの静けさでした。

2月18日現在、まだ残る我が家周辺の雪

丘陵地帯にある我が住宅地は2日間バスが走りませんでした

幹線道路はともかく、住宅地の中の雪はその後も中々溶けずに
車の運転も怖いものがあり、私がいつものようにハンドルを握ったのは
昨日の18日からでした


我が家のお隣のご夫妻はそろって「リューマチ」を患い、雪かきもままならず
もう一方のお隣は角地で、玄関は違う方向にあり
主人が頑張って3軒分の雪かきをやりますが・・・

この2週間は流石に腰や肩が痛いと悲鳴をあげ
日帰り温泉やマッサージ通いが続きます


記録的な大雪により、関東地方を主産地とする野菜の価格が高騰していますね。
農家は過去にないほどのダメージを受けているらしい

昨日スーパーで見た大根は1本258円もしました
我が家の畑には捨てるほどあるのに、ご覧の通りの雪で
大根はどこ、というありさまです

地元の居酒屋で、こじんまりと主人の「誕生祝い」
雪で流れた誕生祝、何もしないのも心残りなので
新しくできた地元の居酒屋さんで夫婦二人で飲みました

最初にビールで乾杯し主人の好物を次々に頼みます

お鍋も主人好みのモツ鍋です。私は熱燗にタコワサで十分


もうずいぶん前ですが、私の誕生日の夜には孫のハー君を預っていたので、
同じこの店で一緒に食事をしました。


メーンはハー君の好きなスキ焼きです。全部食べていいよ

ジジババはアジのたたきとビール
お新香とお酒があれば満足です


この日、サッカーの試合に午前と午後の2回出場したハー君は
流石にヨレヨレ状態で「肉・肉・肉」と所望します。

大好きな焼き鳥と唐揚げも半分以上平らげました。


私の誕生飲み会の時は主人がお勘定を払い、
先日の主人の誕生飲み会時には私が支払いましたが・・・、

前回もらったこの店のポイントカードを探していると、
5秒が待てない夫が、ぐちゅぐちゅ言い出した。
カードは10秒後に見つかったけど、気持ち良く酔えたのに興ざめだわ

主婦がポイントの点数を集めるのは堅実で健気だけど、大の男が
「ポイントカードがすぐに出ないだけで、ガタガタ言うなんてサイテー」と
反論し、帰路のバスの席もあちっとこっちでしたが・・・

帰宅してすぐに主人の実家の甥から電話がありました。
「今日親父が亡くなりました」
ええ~~、お義兄さん、どこか悪かったの~~

食欲がなくなり病院に行ったら、末期の肺がんで
入院後3週間で亡くなったらしい

主人の長兄は主人と同じ2月生まれで、78歳になったばかりのはず
ショックでした






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春は名のみの・・・

2014年02月14日 | 私の呟き
8日の大雪の名ごりがある中、またまた南岸低気圧の影響で
14日の早朝から雪が降り出しました


丁度10日前の立春の日のうっすらと積もった雪をUPして以来、
連続三回の雪景色の紹介は初めてです。

それだけ今年の冬は異常気象ということでしょうか・・・

午後3時の積雪は20cm、前回の大雪に迫る勢いで降っています。
追記・横浜は最終的には28cm!(我が家の手すりは40cm)
先週より10cmも多く積もりました。



春は名のみの風の寒さや 谷のうぐいす歌は思えど
 時にあらずと声もたてず 時にあらずと声もたてず
(略)
  今日も昨日も雪の空 今日も昨日も雪の空


思わずこの早春賦の歌を口ずさんでしまいますね。


せめて窓辺に飾ったスミレの花で、春を感じることにします

今日は午後の写真クラブの集まりは中止との連絡が入り
午前中のエクササイズも交通手段の問題と、気力体力に自信がなくてパス


札幌に住んでいた頃はこのくらいの雪など冬は毎日の事
雪に弱い首都圏の騒動をTVで見て笑っていましたが・・・

いざ自分が横浜で経験してみると、車のタイヤも靴も
そしてライフラインも雪対策にお金など掛けていませんし
人々も雪には慣れていないので、混乱は当然と納得です。

そして今日はホワイトバレンタインデーになりました。

ゴディバのチョコを主人に渡して二人でお三時にいただきました


昨日は父用に買ったチョコムースとプリンを持参し、施設に行ってきました。


実は父が前日から高熱を出し解熱剤投与で抑えていたので、
週に1度訪れる施設の委託医に、父のガン治療の事も合わせて
色々相談もありました。

結局大騒動の一日となったのです

ここからは先日行った鎌倉「円覚寺」の雪景色と一緒に
その顛末を記します。

「花と緑を追いかけて」というこのブログの内容には合わない記事ですが
私が父と母とのこの4年間で体験した老人医療問題の現実を
記録しておきたいという思いもあって加えます。

ご興味のない方はスルーしてくださいね。

2月9日・雪の鎌倉円覚寺(その2)
この日は母の祥月命日でしたが、前回も記したように
弟と施設に呼ばれていたのと、雪のために車が出せず
母のお墓参りには行けませんでした。

代わりに行ったのが母のお墓があるお寺のご本山「円覚寺」


国宝の「舎利殿」の雪景色を撮ったのは初めてです。


9日のケァマネさんと看護婦さんのお話は厳しいものでした。

退院後父はミキサー食をほとんど食べず
一日に必要なカロリーも水分も半分以下
甘いものは辛うじて口をあけるが、このままでは脱水症状を起こして
いずれ又入院となるのは明白

イロウにするか、このまま最後まで様子を見るか考えて欲しいと言われました。


私も弟も母の管だけで生きた療養型病院での2年間を、
父にさせる気はないので、「イロウはパス」

「慣れたこの施設で最後まで普通の生活をさせてください」
「私たちもせっせと父の好きな甘いものを届けます」と答えた次第です。

施設側も「80代ならともかく、94歳の方にイロウは勧めません」との事でした。


そして昨日の委託医の話は更に深刻なものでした。
「ガン治療はもう意味がありません」
「お父様はこのままでは明日にも危ない状態です」

「この施設では最期の看取りはできません」
「急変したら病院搬送になります」と


「何とか食べて解熱剤も飲んで欲しい」との願いも虚しく
この日父はいっさい食べられず薬も飲めなくなっていました

私が見守る中、父はまた熱が上がり病院搬送がすぐさま現実となったのです。


「点滴をしてもらって少し元気になれば食べられるかもしれない」と言われ
入院グッズは持って行かなかったのですが

父は脱水症状と炎症反応が異常に高くて
入院の必要ありとなりました。
その時に医師が言った言葉が痛烈で
「この病院は患者を治療して治す所です。」
「退院時施設がちゃんと受け入れるという前提でないと入院は認めない」と

年寄りが何度も入退院を繰り返してベッドを占領する現実を
どこかで断ち切らないと、若くて重症の患者が迷惑するという意味のようでした。

珍しい果実が生っていましたびじゃふらかぶつしゅかんの木


「○○さん(父)は温厚なとてもいい人で私たちも大好きです」
元気になったら迎えに来ますから入院させて下さい。」と
付き添ってくれた施設の看護婦さんが訴えて、父はやっと入院が決まりました。


長い待ち時間、彼女と話して今まで知らなかったことを改めて知った私です。

民間の有料老人ホームも特別養護老人ホームも
最期の看取りをする所としない所があり
医者が常駐しておらず、看取りができない施設で入居者が亡くなると
警察が入るらしい。。。

ですから最期の看取りができない施設は基本的に病人は引き受けないそうです。

入居する時にそこのところを確かめるべきでしたが
経験しないと見えてこない問題ですね


救急外来の医師の言葉は「施設が看取りをするべきだ」という抗議なのでしょう。
「私もそうすべきと施設長にいつも言っているのですが・・・」と
施設の看護婦さんも悔しそうでした。

私は朝の10時から父の厳しい状況を聞かされ
午後には熱が上がったので急遽病院搬送
入院時にはスッタモンダがあって、父が病室に落着いたのは夜の7時半過ぎ
私も頭がパニックになり疲れ果てましたよ



そんな折、ニュースによると
政府は12日、医療提供体制と介護保険制度を一体的に見直す
「地域医療・介護確保法案」を閣議決定し、近く国会に提出し
成立を目指すようです。

つまりかかりつけ医の支援で住み慣れた場所で暮らし
介護サービスも使いながら自宅で最期を迎えられる
「地域包括ケァシステム」のまい進だそうです。

重傷者向けの入院ベッドは削減計画も盛り込み
病院が計画に反してベッドを増やした場合は病院名の公表や
補助金の停止もありえるらしい。



我々の老後の終末医療はどうなっていくのでしょう
ますます入院特約の医療保険は無意味になるに違いありませんね。


祝!!羽生選手
金メダル、おめでとう


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医療保険を考える

2014年01月28日 | 私の呟き
新年が明けたと思ったら、もう1月も残り少なくなりました。
この調子で時間が流れれば、あっという間に老人です
もっともすでに夫婦ともども前期高齢者ですが・・・



お正月には間に合いませんでしたが、我が家のシンピジュームが咲き出しました

毎年お正月用に買い求めたシンピジュームの鉢が10鉢以上あります。


冬の間は北風が当たらない、日当たりの良いベランダなどに置きますが
その中で花芽を持った鉢から順次、南側に面した和室の廊下に入れます。

ここで茎が伸び蕾が膨らんだら、暖房でぬくぬくのリビングの窓辺にお引越し・・・
あっという間にお花は咲き出しますね


原産地は中国、ネパール、インド、タイ、オーストラリアなどのようですが
とても丈夫で寒さにも強く、日本の気候にもあっている洋ランです。

我が家は「シクラメン」とは相性が悪いのですが
シンピジュームは毎年5~6種類のお花を楽しんでいます。


さて、今日の本題です。

古い友人のご主人様が、1月に入院手術をなさるお話は聞いていましたが
「肺の三分の一を切り取ったにもかかわらず、術後5日で退院」との
メールを戴きビックリしました

同じところを区分切除した3年前には15日間の入院だったそうで
「医療が進歩した成果でしょうか・・・」と書かれていましたが

う~~ん


今回真っ先に咲いたシンピジュームは、ひと鉢に6本もの花芽が伸びました。
まだまだ蕾もたくさんあって、当分楽しめそうです

私が通っているヨガ教室に、私と同じ年代の仲間が
抗がん剤の入った袋をぶら下げ、管で注入しながら参加しています。


今の医療は入院せず、在宅で普通の生活を
送りながらの治療に転換しているようですね


午前10時半頃から陽が当たりだすリビングの出窓には
たくさんの観葉植物も置いているので、まるで温室のよう・・・

我が家は主人が56才の時に脱サラして、独立しました。
この時は年金もまだ貰えませんでしたから、病気や怪我をした時の事が心配で
入院特約付きの医療保険に複数入りました。

それまでは若い頃から続けていた大手生命保険会社の終身保険に
入院・障害保障、そして私の分のファミリー特約を付けた1本だけでしたが

脱サラを機に、外国資本の掛け捨て保険と公的な全国共済などに
すべて夫婦で加入しました。

今回再確認したら、全国共済は一日目から入院保障が出るようですが、
他は入院5日目からとなっていました


これでは今の医療体制には見合わない


出窓の前には咲き始めた「冬至梅」があるのですが
そこにミカンをぶら下げたら、メジロがやってきてつついて落としたらしい・・・

部屋の中からカメラを向けました

学生時代の親友が去年難病に罹り、やがてはガンになるリスクもありとかで
ガン保険がまとまっておりたそうです。

彼女は通院で薬での治療中ですが、加入していた保険には通院保証も
付いていたので、「とても助かる」と喜んでいました。

それを聞き、私も自分の掛け捨て保険に2500円プラスで通院保障をつけましたが
主人の方をどうしようかと迷っていた時、たまたまかかってきた
セールスの電話でその件を相談したら、さぁ~大変


父の入院でバタバタしているさ中、突然何度もやってきて
保険の切り替えを勧めます


「寒い中何度も来て頂き申し訳ありませんが・・・」
「私は目下親の入院で忙しく、保険をじっくり考える余裕がありません



ダイニングテーブルとリビングセットの間には、幸福の木を2鉢
我が家に変化がある時にお花を咲かせる不思議な木ですこちらです。

70歳過ぎの夫の医療保険を切り替えるとなると出費も大幅に増えるので
さてさて如何したものかと迷います


主人は「俺は余計な治療は一切パス、77歳まで生きれば充分」と
全く話には乗りません

幸福の木には立山の雄山神社の札
窓辺のドラセナには猫バサミとコアラ


ブログ仲間のラッシーママさん手作りの「猫バサミ」です

オーストラリア土産のコアラは、孫の菜々ちゃんが持っていきましたが
「猫ちゃんのお友達に」と一匹だけ残しています。


小さな鉢に植えた、花芽が2本のシンピジュームも咲き出しました。

こちらをよく見ると、トップの画像と色模様がちょっと違います。
主人は株分けしたと言いますが、土や環境で同じ種類のものでも違ってくるのでしょうか?


他のお宅では医療保険はどうしているのかと友人に聞いたら
「我が家は夫婦ともども全国共済のみ」
「先日の膝の手術では手術費はもちろん・・・」
「入院一日目からの入院保障5000円が3週間分、退院後すぐに支払われたわ」と

医療保険は1本だけでも、ちゃんと役立っているようで
「保険は大事だけど、あれこれ掛けたら身動きとれなくなるわよ。」と
注意されました。


任意保険は仕事用の労災に、器物破損賠償保険
他にも2台の車の保険に火災保険、地震保険、そして主人の趣味の
ゴルフ保険に私の山岳保険まで、毎年かけ捨てで掛けていますが

主人もだんだん仕事を減らしていく方向で、若い方に譲っていますから
保険は増やすどころか
むしろすっきり整理したいと思っています。


さてさてどうしたものでしょう・・・


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我が家の年賀状事情と、私の新年事始め・・・

2014年01月10日 | 私の呟き

連日父の入院している病院に通い、バタバタしているうちに、
あっという間にお正月の松の内も終わりました。

そして日本列島にはこの冬最大の寒気団がやってきたようです
北風が冷たいこと

我が家の北側の玄関に飾る花としてお正月用に買い、時々ベランダに出して
陽にあてていた「シクラメン」もあわてて室内に入れました。


去年はサーモンピンクでしたが、今年は「緋色」です。

同じ方向に向いて咲いてくれれば写し易いのですが
花びらがバラバラであちこちに向いて、撮影は苦労しました。


北側の玄関先に置いていた鉢類や花々も、室内に入れたり
南側のベランダに移したりで、暮れには結構な労力も使いました。

植物にとって太陽の光は強力で・・・
南側のベランダに移した5鉢のシンピジュウムに、花芽が出てきましたよ



我が家の年賀状
主人の趣味のひとつに中学時代から始めた「木版画」があります。
ですから我が家の年賀状は結婚以来ずっと主人手製の木版画でした。

サラリーマン時代は休みに入った暮れから、我が家は家内工場と化し
版画を彫って刷る日々・・・
狭い団地住まいの新婚の頃はとにかく大変でした。

私の実家は父が先頭に立ち、暮れには家族皆で協力し合って
大掃除をしましたから、何も手伝わずに年賀状造りに没頭する主人に、
特に子供が小さい頃には頭にきましたよ

その内私も諦めて、今の家を建てた折には主人用に6畳の書斎を作りましたから
どうぞ心置きなくやってくださいと、アテにしないことにいたしました。

造園職人になってからは暮れのギリギリまで忙しくて、家族揃っての新年会に
乾杯だけ顔を出し、お正月三ヶ日で年賀状を刷っていました。

私がPC教室で「年賀状の作成」を学んだ時に一度だけ、
主人の木版画を使わなかったことがあります。

その時は「ご主人に何かあったの」との、友人達の電話が
あちこちからかかったので、一回限りでやめました

このブログでも毎年紹介した八色六版刷りの木版画の年賀状です。

この7年間は川越七福神シリーズでした。そのシリーズも2012年に終了しました。


去年は母の喪中で一休み・・・
そして今年は父の入院騒ぎでそれどころではなくなりましたが
戴いた年賀状にはお返事を出さなければなりません。

主人が「宝船」に七福神が全員乗っている図案を、夏に描いていたのですが・・・
お正月を迎えても一向に彫る気配なし

「目は疲れ、肩腰が辛くてもう無理と言っただろう」
いいえ私は聞いていませんよ

七草かゆが過ぎても、主人はゴロゴロ何も動こうとはいたしません。


結局私の分だけ苦肉の策で、こんな簡単な年賀状にいたしました。
郵便局のスタンプをお借りすれば、僅か3秒でOKです。

友人知人の皆さま、手抜きの賀状ですみません

主人は
電話がかかってきた相手にはかくかくしかじかで
「かみさんのブログを見てくれ」と答えて、いまだに一枚も出していないらしい・・・

完全にプッツンしてしまったようですが、父を理由にして欲しくないですね 

そういえば一昨年まで頼まれて数対造っていた「門松」も断りました。
面倒なのはすべてパスといった心境のようです。


昨年70歳を迎えた我が家の夫、加齢現象が顕著に現れている感じで心配です
最近は夫婦間で「言った、聞いていない」という喧嘩も増えました

例年だと鳥さんたちに食べられて、お正月まで持たない庭の千両の実が
今年はいまだにたくさん残っています。
一体どうしたことでしょう・・・?



アクアエクササイズとカメラ同好会
やる気が失せている主人を横目に、私は新年から体を動かすことに挑戦です。

足の膝を人工関節に手術したご近所仲間のリハビリに付き合って
以前7年間ほど通っていた「アクアエクササイズ」に
五年ぶりに再挑戦です。

早速水着を買ってきましたが・・・
以前は花柄やフリフリの付いたワンピース型の水着を着用していましたのに






今回はフィットネス用・セパレートタイプの地味な水着を購入です
色気がないったらありゃしない・・・

この5年間、体重はさして変わらないものの、地球の引力に負けて体型が変わり
ワンピース型の水着を着る度胸もなくなりましたしね


お口直しにスイセンの画像をどうぞ・・・

ヨガ、写真クラブ、アクアエクササイズと
私のお稽古事はすべて第二週目に集中しました。

最後に必ず父の病院に顔を出しますので、今週は超多忙でした。
金曜日の今日などは、午前中にアクアエクササイズ、
午後から写真クラブのダブルヘッダーです。

こうして私の新しい年もようやく始動です。

今日の写真クラブで、コミニティーハウスのロビーに展示する
「今月の私の一枚」は


仲間達の多数決で、こちらの「光のファンタジー」に決まりましたが・・・


講師が褒めてくれたのはこちらです。
題して「元旦の輝き♪」

父が落着くまで旅行や山などの遠出はできませんが
当分、近場でのストレッチと写真撮影にいそしむ冬場となりそうです。



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つかの間の富士山・つかの間の秋

2013年11月15日 | 私の呟き
今週に入って急に寒くなりました。
一ヶ月前は30度の真夏日で、半そでを着ていたのが信じられないくらい・・・
あわててダウンコートを出しました。

秋はあっという間に去っていったのでしょうか

11月14日・我が家から見た富士山
この秋はなかなか「秋晴れ」が見られませんでしたが、
寒いながらも13日・14日と晴れました


朝、私が起きて真っ先にすることは、私の部屋からバルコニーに通じる
西側のガラスドァーのロールカーテンを上げること・・・

朝6時15分、正面に綺麗な赤富士が姿を見せていました


こちらは6時35分の富士山です。


最近は私も老化現象化?、すっかり早寝早起きになりました。


7時の富士山です。
赤富士は消えて、いつもの見慣れた富士山になってきましたね。


7時半にバルコニーに出てみると、一筋の黒い雲が・・・


8時には雲がさらに広がって富士山は白い頭だけ・・・
8時半には姿が見えなくなりました


こちらは前日の11月13日の朝9時50分の富士山です。


この日は風邪薬を飲んで寝たせいか、珍しく寝坊をして
「赤富士」は撮れませんでしたが、夕景の富士山を期待しました。

残念ながら午後の3時頃から突然雨が降り、北風が吹きつけお天気は豹変しました。
この秋はどうしたことでしょう・・・

いまだに真っ赤に染まる富士の夕景が見られません

11月15日・我が家近くの公園
中々熱が下がらなかった入院中の父も
私が十日町行きを断念した翌日から新しい抗生物質が投与され

それが効いたようで・・・
今週になって熱が下がり笑顔が多くなりました。

何しろ38度以上の熱があっても、食欲があり大きな声で歌っていた父
体力があったのが功を奏したのでしょう

「歌が好きな笑顔が可愛いお爺ちゃん」と、
看護師さんやスタッフの皆様の人気者になりました

今週末にも退院して「あとは施設の嘱託医にゆだねて下さい」と
主治医に言われましたが・・・

受け入れ側の施設の方が慎重で、「月曜日に視察させていただきそれでOKなら火曜日に退院」
と言う流れになりました。


私も先が見えホッとしたらガックリきて
父の入院している病院そばの骨折医院でマッサージを受けたりしています

父が熱を出して以来25日間、毎日父の様子を見に施設や病院に通ったら
さすがにジックリと秋を味わう余裕がありませんでした。

今朝は雨が降る前に、カメラを抱えて近所の公園に散歩に出てみました。


ケヤキなどは色付いていましたが、本格的な紅葉はこれからのようです


ヤツデの葉が黄色く染まり、千両や万両の赤い実も多く見られます。

ドウダンの葉も赤く染まりましたが台風の影響綺麗な葉を捜すのに苦労します



銀杏の葉もアップに耐えられる葉がない多くの葉が枯れ始めています。


今までは紅葉をじっくり眺める余裕はありませんでしたが
我が家は食べ物で秋を感じることができました


主人が毎日のように、仕事先からもらってくる柿


我が家の裏口前に何本かあるシイタケのホダ木には大きなシイタケが生りました


ナメクジに食べられる前に人間様が食べなくては
早速鍋料理に使いましょう。

来月で94歳になる父、歳が歳だけにまだまだ油断は出来ませんが・・・

父が完全に良くなったら、私は紅葉を愛でながら
ノンビリ温泉に入りたいと、切に切に思っています。

さてさて・・・
関東から西の方ならまだまだ可能ですよね

今夕雨が上がったときに西の空を見たら
ほんのり赤く染まったシルエットの富士山が見えていました。
明日はきっと秋晴れですね





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三が日も終わって・・・

2013年01月04日 | 私の呟き

運動不足を痛感し・・・
寒いながらも晴れわたり、富士山がきれいに見えた今日4日
カメラと三脚をザックに入れて、歩いて10分の所にある「南公園」まで行ってみました。

朝の9時過ぎ、紫雲たなびく富士山です

お正月三が日も終わり、ようやくTV番組も通常に戻りましたね。
喪中の身には、お笑い系のお正月特別番組は見る気にもなりませんでした

唯一熱中したのは「大学箱根駅伝」でしょうか・・・
あのタスキをつなげるという事に命を懸けている若者を見ていると涙が出ます

去年はタスキがつながらずに19位だった「日本体育大学」が、
今年は見事優勝したお話も泣けますね。

今年もたくさんのドラマがありました。
そして突然襲ってくる「脱水症」の怖さも知りました。


予備のバッテリーを忘れたので一度家に戻り、昼食の準備をしてから
12時過ぎに再び公園を訪ねたときの富士山です。

午後になると雲に隠れ、夕方再びきれいなシルエットを見せてくれるのがパターンですね。

元旦・夕景の富士山

こちらが元旦の日に同じ「南公園」から写した夕景の富士山です

先月に母を亡くして喪中なので、お正月飾りもおせち料理もなしの、何とも淋しいお正月でした。

暮れの忙しさが一段落すると、毎年のようにダウンする人(夫)がいるので
特にどこにも行きませんでした

元旦に行ったのは父がお世話になっているホームです。


「ホラお父さん、カメラを見て」
私が持っていったケーキをぺロリと平らげた元気な父に一安心です。

母の告別式の翌日が父の93歳の誕生日でした。
その時もケーキを持って訪ねた私ですが、父が私の顔を見て
「お母さん、どこに行った?」と・・・

ほとんど母のことは言わない父でしたのでびっくりしました
虫の知らせというものでしょうか

特に打ち合わせをしたわけではないけど、元旦の同じ時間に弟もやってきました。
施設のロビーで父子3人、しみじみと静かな時間が流れていました。


父の施設の行き帰りにいつも通るのが、我が住宅地の一番南側にある「南公園」です。
そこからの富士山の夕景を撮るつもりで、車にカメラと三脚を積んでいったのです。

ぴったしカンカンの見事な富士山の夕景でした
左側の小さくとがった山は箱根の金時山でしょうか・・・?


家に戻って、我が家の二階のベランダからの富士山を見てみると
もっともっと色鮮やかな照り返しが見られました。

日没後30分が一番鮮やかに輝くようですね


1月2日「カニパーティー」

暮れの30日からスキーに行っていた息子一家も帰ってきたので、我が家でカニパーティーです。

喪中とはいえ、孫たちにお年玉をあげなくては可哀想ですものね。

通販で頼んだ「タラバ・ズワイ・毛ガニ」の三種類です。
さぁ~、ハー君も菜々ちゃんも好きなだけ食べてね。


この他に稲庭うどん入りの海鮮鍋も用意し、そこにもカニを入れました。

体調の悪いジィ~ジはおうどんをちょっとだけね。

カニって美味しいね!、大好きだよ
今年も元気に家族そろっての記念写真タイムです


少々淋しかったお正月も、孫たちが来ると賑やかになりますね。

普段は小食なお嫁ちゃんも、もりもりと食べていたのも嬉しいことでした。

息子宅の目の前に自治会のテニスコートが4面あります。
そこに家族で入会した息子一家・・・

先月のクリスマスには、息子宅で35人集まってのクリスマス会をしたそうです
「二階の27畳のリビングの床が抜けないかと冷や冷やしました」

でもその時に参加したハー君の同級生のお爺ちゃんに、
長野の別荘に招待され、スキー三昧を楽しんできたらしい・・・

我が家の隣の住宅地に越してきて3年半、息子一家もしっかりと地元に定着したようです。

この席に父も呼びたかったのですが、私一人では到底移動させるのが無理・・・
時節柄、インフルエンザとノロも恐ろしくて諦めました。

歳をとるということは、やはり淋しいものですね。


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新しい年に向けて・・・

2012年12月31日 | 私の呟き

私にとっては辛いことがたくさんあった2012年も終わります。

喪中ですから、顧客にもお断りして主人の門松造りも今年は取り止め・・・
毎年、年末に仕上げる木版画の年賀状もなしの、静かな年の瀬を過ごしています。

4月の終わりに利き手を骨折して以来、握力がなくなり、指先にも力が入らずで
片付け仕事が苦手となりました。

納戸状態になっていた和室と台所を大掃除しただけで終わりです。

「紅白歌合戦」をこんなにユックリと見たのは結婚以来初めてではないでしょうか・・・?


上の二枚の画像は実家の庭から持ってきた我が家の「ワビスケ」です。
北風があたる北西の和室の出窓の前で、健気にほころびだしました。

今年の紅白はAKB48やEXILEのような、歌って躍るグループが圧倒的に増え
歌手が一人で熱唱するシーンも演歌以外は少なくなりましたね。

そんな中、初出場の美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」には涙が出ました
いつもの金髪ドレス姿とはがらりと違い、シンプルな中にも迫力のあるステージでしたね。

辻井伸行さんがピアノを演奏し、東北出身の方々が歌った復興支援ソング
「花は咲く♪」は私も一緒に歌いました。


例年のお正月には何輪か咲いている「水仙」ですが・・・
今年はまだまだ蕾みのままですね。寒い寒い12月でした。


こちらは「シンピジューム」の蕾です。
3本の花芽を伸ばしだしたので、日当たりの良い和室の廊下に入れました。
開花が待たれます

29日の土曜日に弟と二人で、母が最後に過ごした病院に挨拶に行ってきました。
母の最後を一緒に看取ってくれた看護婦さんの顔を見たら流石に涙がでましたね。

そして色々あった2012年も終わりました。
これからも母の思い出を大事にしながらも、気持の区切りは付けたいと思っています。


新しい年が始まり、家中の新しいカレンダーの表紙をめくりました。
心新たに歩み出さねばと思っております。

まずは家族みんなが健康で、明るい日々が過ごせますようにと願います。



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我が家のクリスマスと私の想い

2012年12月25日 | 私の呟き

クリスマス寒波襲来で、我が家の玄関前の水盤も凍っています。
中にいるメダカさんは大丈夫でしょうか?

父の転勤で子供の頃に新潟市で5年、主人の転勤で札幌に4年住んだ経験がある私・・・
雪国の冬での生活の大変さを思い出しています

せめて家の中だけでも明るくホッコリとさせたくて、
ピンクのシクラメンを買い玄関に飾りました。


母が亡くなって2週間以上が過ぎました。

さして身体を使っているわけではないのに、グッタリと疲れています。
何をする気にもなれないのです

日中一人でいるとイロイロ考え思い出し、気が昂ぶって・・・
時々精神安定剤のお世話になったりしています。

そんな時には親しい友人からのお悔やみ電話が一番嬉しいですね。
同じ経験を持つもの同士、たくさんたくさん話して慰められます。

ブログ仲間さんのお悔やみコメントにも、大いに励まされましたので
コメント欄を閉じる事は考えませんでした。


三連休の前日は「冬至」
我が家の柚子は今年も台湾リスにやられて殆んど残っていません。
主人が顧客先からもらって来た柚子でお風呂に入りました。

同じくたくさんいただいた緑の果物は「フェイジョア」という、
キィウィーによく似た味の果物です。

主人は今、1年中で一番仕事が忙しい時期・・・
私の哀しみを受けとめる余裕などありません。

所詮人間は一人で耐えなければならない事が多々あるものなのですね。実感です。


古いクリスマス用品は処分したので、我が家にはクリスマスツリーはありません。
孫のハー君が作ってくれました

左側のカードは孫娘の菜々ちゃんのお手紙つきです

気分高揚のためにポインセチアも買いました。
少しピンクがかった色のポンセチアです。


昨日今日と、一日クリスマスソング聞いていますが
気分はイマイチ盛り上がりませんね。

毎年この時期に登場するロシアの聖人
同じくトナカイさんも飾りました


「淋しさはこれからドンドン増していくものよ」と皆さまに言われますが
私の気持ちは淋しさと共に、後悔の念が強い・・・

タンの吸引を最後まで嫌がった母にとって、この2年間は辛かったに違いない
2年前のマイブログの記事を読みながら、あれから先の母の2年間は必要だったのか
と悩みます。

幸い、最後を迎えた病院のスタッフさんは、総合病院の看護婦さんのように手荒ではなく
皆さま穏かで手馴れてらっしゃったのが救いですが・・・

母の好きなピンクやパープルのお花で見送り
遺影は73歳の時のお洒落な母の姿を選びました


「白髪の写真はやめよう」と、弟夫婦と話し、両親と弟一家、
そして我ら夫婦と皆で行った「ハワイ旅行」の成田の空港に向うエクスプレスの中で、
主人が撮った写真を遺影として私が選びました。

お洒落だった母に相応しく、イヤリングを付けブランドのスカーフを巻いた母の遺影を見ながら
「やっと楽になれたね」と・・・
式の最中は特に涙も出ませんでした。

従兄弟や参列者の皆は「naoが母親に良く似てきた」と申しますが
顔も性格も父親似と自負している私には、ひ孫の菜々ちゃんの顔が母とダブりましたよ。

皆で行った4泊6日のハワイ、楽しかったね
両親にとっては最後の海外旅行となりました


この後、母は骨粗しょう症による圧迫骨折を繰り返し、やがて車椅子となったのです

元気な父は私たちと行動を共にしましたが
母は、ホテルで寝ていることが多かった・・・?


車椅子になってから母は「いつか長崎にも行ってみたかった」とポツンと言った事があり
実現させてやれなかったことが悔やまれます

そして私には、父が通夜葬儀に参列出来なかったことが何とも切なかったです

寒い季節だし、ショックを与えるのも忍びなく、施設側もその方が良いとのこと・・・
これからは遺された93歳の父を支えていかなければと思っています。

後悔にさいなまれた時には、母にお線香を上げに行きたいと想うのですが
平日は弟一家も皆働いていて留守なので、行きたくても行く事が出来ません

母から鍵も預かっていて、二世帯住宅の一階部分は、
私が自由に行き来できる実家と思っていましたが・・・

どうもそうではなさそうです
そういった淋しさを味わうことが多い今日この頃です。


過去を振り返って落込んでいても始まりませんね。
未来に向って歩んでいくことを考えて、この三連休は息子一家と
孫達にクリスマスプレゼントを買ってから、ドカンと焼肉を食べに行きました。

100分で100種類、食べ放題・飲み放題のコースです。

食べて飲んで食べて飲んで僕も私もお肉大好き


大ばぁ~ばが死んだ時、目にいっぱい涙をためていたハー君も、
「歳の順番で天国に行ったのだから不幸なことではないのだよ」
「皆で見送ってあげれば大ば~ばも喜ぶよ」とオトータンから諭されて、
ハー君も元気を取り戻しました。


これだけ平らげた我が家族・・・
孫達から私もたくさんの元気をもらいましたよ。


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ガックリ!、ギブス延長!

2012年06月04日 | 私の呟き


6月に入ったとたん梅雨を思わせる蒸し暑い日が続いています。

紫紅色の「シラン」が我が家や公園の花壇にも沢山咲いていましたが
その中に混じって白い「シラン」がありました。

「シロバナシラン」と言うらしい・・・
ランの気高さが感じられるお花ですね

「ギブスを外すのは早くて6月2日以降、遅ければ遅いほど望ましい」と医者に言われていましたが、
一日も早い活動を望んでいた私、2日の土曜日に病院に飛んで行きました。

最初の復帰は山仲間のYさんを誘って「高尾山」かしら?
セキチクがまだ見られるかも知れない

ところがドッコイ
ギブスを外してレントゲンを撮ってみると、私の手の甲の小指に通じる骨が
まだ着いていな~い

「ギブス延長」と言われ、またまた固定です
(カラオケじゃあるまいし、延長だなんて・・・)



こちらは植えた覚えもないのに我が家の庭に増えだした「トキワツユクサ」です。

涼しげな楚々としたお花ですが、ウィキペディアによると南アメリカ原産で
日本には昭和初期に観賞用として持ち込まれ、帰化植物として野生化しており、
外来生物法により要注意外来生物に指定されているらしい・・・

医師に「一段落したら骨密度の検査をして見ましょう」と言われてしまいました
「4~5年前に検査したときは108でした」と答えると
「今では100を切っているかも・・・」と

恐れてる「骨粗しょう症」を疑われるなんて
ガックリ来て、土曜日の午後はしばし落込んでいましたよ

その日の夜も、翌日の日曜日の夜も、自治会の夏祭りやバス旅行の企画会議があり
何とかテンションを上げましたが・・・

何だか「老い」に向かって、坂道を転げ落ちていくような心境です。



こちらはカラー、丈夫で庭のあちこちに増えています。

ガックリしていたときに、ブログ仲間から「足首にヒビが入った時は二ヶ月ギブスをしていた」と
コメントを戴き、更にブログを読んだ友人から電話があり
「娘が20歳の時に手を骨折したけど、その時だって1ヶ月以上かかったわよ」
「自分の歳を考えなさい。そうは簡単に治らないのは当たり前よ」と言われ
少し気持ちを持ち直す事ができました。

またまた台所仕事を手伝わなくてはならなくなった夫は
「医者変えろ、へぼ医者じゃないのか~」とオカンムリ・・・

私の不運は、ゴールデンウィークに怪我して最初に知らない医者に行かざるを得なかったこと
そして我が家近くに転院したけど、普段お世話になっている先生の病院が工事中で
やむをえずに違う病院で看て貰っている事ですが、
もうこうなったらトコトン腰をすえて片手生活を頑張るしかないですね。


         

そんな折も折、主人が仕事中に蜂に刺されてしまいました。
足ナガバチに、利き手を二箇所もです

こういうのを「弱り目にたたり目」と言うのかしら・・・



すぐに吸出し器を使ったそうですが、ご覧のように腫れあがりました。
台所の包丁仕事と洗い物は主人頼みですが、夫婦して利き腕が使えなくては食事造りもままなりません

主人お気に入りの活き魚料理店で連日外食です。
ついつい生ビールも進みます・・・

安くて盛の良さが評判のお店です。
このお刺身定食が1050円

皆で一緒に賑やかに食べれば、日頃の憂さも忘れます
こちらは孫達の大好きな海老・・・

昔からよく通ったこのお店も、5月いっぱいで閉鎖となりました。
テナント料が高くてやっていけなかったそうです。

私が勤めていた地区センターの歓送迎会も、カメラ教室の打ち上げも
そして、主人の属している地域のゴルフクラブの新年会も
常にここを利用していたのに・・・

これからはどこに行けば良いのでしょう?
淋しい限りです。

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3月11日・あれから一年が過ぎました

2012年03月11日 | 私の呟き

大地が揺れて、想像もつかないような大津波が押し寄せ、
そして福島第一原発が制御不能になったあの日から一年が過ぎました。

15000人以上の死者と、いまだに3000人以上の行方が分らない「東日本大震災」
進まない復興、先が見えない福島原発・・・

今改めて1年前のあの日のことを思い返しています。

私は父の施設を訪問中にあの地震に遭遇しました。
東北の被災地の大惨事に比べれば、横浜はさほどの被害はありませんでしたが

その後に起きた停電・放射能の恐怖・物不足・・・
60数年間生きてきた私ですら、初めて経験することばかり。

あの日を境に、イザヤ・ベンダサンのベストセラーで知られる、
日本人は「水と安全はタダで得られると思っている」という
常識が覆りましたね。
そして「平穏な日常が如何に大事か」を実感しました。

ガンが見つかり、あの前日に内視鏡で除去手術を行っていたご近所仲間の友人は
あの数日間で、人生観がすっかり変わったと申していました。

ですからあれほど映画や歌舞伎と楽しんでいた我々ご近所仲間も、
去年は忘れたように、連れ立って街中に出かけることがなくなりました。


大津波の悲惨さをTVで観るにつけ切なくなり、放射能の恐怖も加わり
3月後半は夫婦してアドレナリンが放出し、ヒステリー状態だったような気がします。

節電を考え「ブログの更新」も控えようと思いましたが、
有事の時の、私自身の気持ちの記録のためにも続けました。

”TVで流れる悲惨な映像に涙し、
寒い避難所で協力し合って過ごしている被災者の方々の姿に感動し・・
そして日々計画停電に日常生活は振り回され、物不足に唖然とし、
深刻な事態に陥っている「福島原発」の成り行きも不安で・・・
何だかとても疲れています”
記している私でした。


その後TVで「放射能の心配は殆んどありません」と言い続けていた御用学者を胡散臭く感じ
情報操作をした政府や東電に怒りを覚え
スピイディーなどの情報はアメリカには知らせても国民に知らせなかったとは
お陰で「浪江町」の人々の避難が後手後手に回りましたね。

最初から原発はメルトダウンをしていたにもかかわらず、
その可能性を言った原子力安全保安員の方を表舞台から降ろし

挙句に最近知ったことですが、原発事故会議の議事録がなくて、
民間機関が聞き取りで作成したものが78ページ

アメリカでは「福島原発事故に関する会議」の議事録が2000ページ以上と言う
この差は何なんだと

政府官邸の中枢はそれほどまでにウロタエていたのでしょう・・・
危機管理能力がなかったことがまさに暴露されましたね。


庭の紅梅とマンサクが3週間遅れで満開になりました

我が家のマンサクは「シナマンサク」
園芸種ではなく、自然の山で育ったものをもらったので華やかさはありません。

楚々としていて、青空を背景に写したかったのですが、今年はなかなかそのチャンスに恵まれませんね。
散る前に撮らねばと、震災一年目の今日写しました。

東北の山々に「まんず咲き出す」のはいつ頃でしょうか?
早く暖かい春が来ると良いですね。


今回の震災の被害は「想定外」で片付けられてがちです。
でもちゃんと1000年以上前に起きた今回の津波と同程度の
「貞観地震&津波」の記録などはあったらしい・・・

歴史から学ぶことをしなかったことが悔やまれますね。
我々はこの大震災を兎に角忘れずに、後世の人々に語りついで行かなければなりません。

それがこの時代に生きたものの責任だと思います。

取り合えず自分自身の身の回りを考えれば、今叫ばれている「東京直下型地震」が起きた時には
今回の教訓が生かせるよう自分自身も反省し、政府にも望みたいですね。


昨日今日のTVの震災特番で、一番印象的だったのは
生きるか死ぬかの瀬戸際で必要なのは「個力」と語った、
被災地の消防団の方の言葉でした。

この情報化時代に正しい情報が行き渡らず、多くの人々が亡くなった現実を知る指揮官の
悔しい言葉にも聞こえました。

大災害に生き残るには、確かに運不運を含めて、自己責任と個の力が必要なのでしょうが


去年、被災地に真っ先に咲き出したと聞いた「水仙の花」
我が家も今が盛りです

いま思う事は、この震災で犠牲となった方々を安らかに供養する上でも
皆の力を集結して、日本という国が民に優しい国となるように頑張らなくてはなりません。


OL時代の仲間からこんなメールが届きました。
「TOP of 虹の会」を検索してみて下さい。
 我々の後輩が中心になって、岩手県大船渡市の「北浜わかめ虹の会」の
支援ボランティアをしています。
 大漁旗も流され、佐賀の織り元から「武者のぼり」の寄贈をうけて
 半纏 エコバック等を制作してます。
 半纏はワカメ業者にプレゼントと「わかめ販売」の折りに着用。
 エコバックなどの売り上げは支援金。

 今ワカメのオーナー制度(一口一万円)も立ち上がっているようです。
 支援の目的が明白なところが良いと思ってます。
 ご声援いただければ嬉しいです”

震災後には日本赤十字と仕事先の公的施設を通しての寄付をしました。
私ができる事は微々たることですが、これも叉考えてみようと思っています。

最後にブログ仲間のzooeyさんがUPしている、
「今まで観た中で一番衝撃的な大津波の映像」というユーチューブを紹介します。

あまりの凄まじさにショックを受けました。
首都圏直下型や東海・東南海地震の可能性が指摘されている今、明日は我が身かもしれません。
興味のある方はご覧下さい。

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