花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

初撮り「新春の富士山」

2012年01月05日 | 私の呟き

目が覚めて、枕もとの時計に目をやったら丁度7時でした。
何時ものようにベッドから起き上がり、西側のベランダに通じるガラスドァーのロールカーテンを上げると
赤く染まった富士山が見えました。

「シマッタ、こんな日に寝坊するなんて
風邪気味で、寝る前に薬を飲んだせいだわ・・・
もう10分早かったら、もっと赤い富士山が見られたのに


お正月三ヶ日は雲が多くて、あまり綺麗な姿を見せなかった富士山、
5日の朝にようやく秀麗な姿を見せてくれました

慌ててカメラを抱えてベランダに飛び出しました。
300mmのレンズは~、取り合えず、手元にあった200mmレンズで写しました。

紅富士があっと言う間に白い富士山に様変わりです。
我が家のベランダからだと、電信柱や家々の屋根が邪魔して風情がありません

食事をして、ゴミを出し洗濯物を干してから、近くの公園に行きました。


午前9時半、すでに頂上付近に雲が・・・


金時山頂上からコンデジで撮った富士山のように、澄んだ青さが出ない

水蒸気が上がっているせい、それとも私の腕が悪いのか
一眼レフカメラの設定をいろいろ変えて写してみるけど・・・

今年もカメラを抱えて右往左往しそうな予感です。


公園の茂みの中に「タンポポ」を見つけました。

明日6日は暦の上での「小寒」
北国はこれから雪に埋もれる季節到来でしょうが、温暖な横浜南部には小さな春の姿が・・・


こちらは春の七草の「ホトケノザ」でしょうか?
※ブログ仲間のコスモスさんよりご指摘があり、このホトケノザは春の七草とは違うものだそうです。
七草がゆに入れるホトケノザは「タピラコ」というキク科の黄色いお花の植物でした。

父の転勤先の北海道で生まれた私(道産子です)、5歳で東京に戻りましたが、
雪のお正月の思い出は鮮明に残っています。

丁度30年後の35歳の時に、今度は主人の転勤で札幌生活を4年経験しました。
雪の札幌はとてもロマンティックで美しくて、セントラルヒーティングの室内も快適。
土日には家族でスキー三昧・・・
楽しい冬の札幌生活でしたが、あれは30代の若さがあったからのこと・・・

今の歳ではこの横浜の温暖な地での生活が心地よい

息子一家との新年会を終えたら、暮れからの疲れがいっきに出たのか?
肩はゴリゴリ、腰はキリキリ、頭はガンガン

主人と日帰り温泉に行って、ゆっくりお湯に浸かり、1時間ほどマッサージを受けましたが、
今度はノドと鼻の奥が痛くて、咳やクシャミが止まらない。
お正月後半は風邪薬を飲みながらウツラウツラと過ごしていました。

それが富士山がハッキリと見えたことで元気が出て、
午後からは今年初めてのお買い物に出かけ、近くのデパートでオレンジ色のバッグを買ってしまった。


夕方の4時半頃家に戻ると、綺麗なシルエットの富士山が見えていました


夕焼けは雲があるから真っ赤に染まるのよ。
雲がない快晴の夕景はスッキリ、サッパリしています。

今の季節は富士山のず~っと南、箱根の山々の方角に太陽が沈んでいきます。

最近知ったことですが、ダイヤモンド富士が我が家から見える時期は春と秋のお彼岸前
注意深く見守りたいと思います。

カメラを抱えて動き廻り、更にお買い物でストレスを発散させたら
少し体がほぐれて楽になりました。

お正月の間中、テレビの前に陣取ってゴロゴロしていた夫も今日はゴルフの初打ち
ユッタリ、マッタリが苦手な私たち夫婦
お互いそれぞれに好きなことをして動き回っていた方が体調が良さそうです。

ところでいつも長くて反省しきりのこのブログ、
今年の目標は、短めの呟き編を増やしていこうと思っていますので
どうぞよろしくお願い致します。

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不安定なお天気

2011年08月03日 | 私の呟き

「立山登山」を断念して未練タラタラでしたが、後ろを振り返ってばかりでは前に進めません。
「リメイク教室」で必至にミシンを踏み、ブラウスを1枚仕上げたら気分が落ち着きました
次ぎへのステップを考えましょう・・・

主人の仕事のスケジュールと、ホテルの空き状況とで急遽軽井沢行きを決めました。
天気予報も今週後半から「夏空」が戻ると報じていたし・・・


最近毎日のように歩いている、里山の反対側にある畑と温室が広がる一帯には
園芸種のお花が野生化した姿が見られます。
これは何のお花でしょうか

ところでいつまでもハッキリしないお天気が続きますね。
朝の散歩時は、まるで高原にいるような涼しい風が感じられます。

北の「オホーツク海高気圧」の影響だとか・・・
それだけ「太平洋高気圧」の勢力が弱いらしい

涼しいのは良いのですが、作物の出来が心配になります。
今年は震災で東北のお米がどうなるか分らない上に、先日の米どころの豪雨
その上冷夏で不作になったら、お米価格の高騰は間違いないかと・・・

震災後に起きた「米不足」のパニックはもう真っ平です


昨日の朝は、月見草のお花もパッチリと開いていましたが・・・

今日は午後から「遠雷」が鳴り響き、夕方からは雨
最新の天気図を見ると、はるか南には2つの台風と、1つの熱帯低気圧が渦巻いて
賑やかな様子です

昨日までの予報に反して、不安定なお天気はこのまま続くようですね

早い梅雨明けに慌てて孵化した蝉の抜け殻?こちらは命を全うした8日目の蝉


この所の日照不足で、我が家のホテイアオイもミニサイズです。
畑の野菜もキュウリが盛り返し、ゴーヤの生育が悪くなりました。
3日連続で地震が続き、それも今までの北の震源地とは違ってきて
その上台風や豪雨に襲われる夏になるのでしょうか


不安は募るばかりですが、取りあえず我が身の気分転換を計ることにします。
私は、高山植物が咲いている軽井沢周辺の山を登りたいのですが
最近仕事とゴルフが交互に続いている夫は、涼しいところで休みたいと・・・

さてさてどんな休暇になるでしょうか?

我が家の「月下美人」に4個目のお花のつぼみを見つけました。
こんなにボロボロの葉の上にと、その健気さに驚き
先の見えない今年の夏ですが、少し希望が持てるような気になりました。



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良いお天気になぁ~れ!

2011年07月26日 | 私の呟き

先週、台風6号の置き土産のような雨の中、三つ目の「月下美人」が咲きました。


手折って花瓶に入れ、室内でその芳醇な香りを楽しみました。
このお花をベッドの横に置いて寝たら、甘い匂いに包まれ夢の世界に導かれた感じです

翌日は花びらをサッと湯がいて・・・畑で採れた野菜と一緒に食しました。

マイブログにお出で戴いている324様が教えてくださったとおり
月下美人の花びらを
「沸騰したお湯に酢をいれて茹でざるに取り、冷ましてきゅうりの三杯酢に入れて食べました」

ヌメリが出て、コリコリ感もあり、まるで「ホヤ」のような食感でした

キュウリの他にも、今、畑ではゴーヤやモロヘイヤ、トマトも毎日採れて食べています。
お陰で「夏バテ」もなく、元気いっぱいですが・・・


今週末から、山仲間と2人で「立山・登山」に出かける予定です。
一昨年行って雨に会い、断念した「立山三山」を登る予定ですが
デモデモ、この所のお天気はどうした事でしょう・・・

猛暑がなくなりしのぎ易いのはいいのですが、
土曜日まで不安定な空模様が続き、各地でカミナリ雲が発生との予報

金曜日の夜出発の「室堂・直行夜行バス」の予約も済ませました。
「剣御前小舎」へ宿泊の予約も入れました。
でも、雷の恐怖の中で室堂から6時間歩く決心は付きません
どうしよう

久しぶりの「登山」なので準備は怠り無く続けていますが・・・


今年の夏の登山用衣類は、6月に横浜ベイサイドのアウトレットモールでそろえました。
ポロシャツにズボンとウィンドブレーカー
お洒落な山ガール達にも派手さでは負けないようにと、明るい色を選びました。

アウトドァーのお店の衣類は速乾性と軽量性に優れているので、
カメラ教室の「撮影会」や、日常の散策ドライブ旅行でも重宝していますよ。

そして最近は毎朝、自分の体調を点検するために疲れない程度に30分ほど歩いています
先日は、家庭菜園の脇を通って裏の「里山」に登りました。

畑の周りにはコンフリーの花が・・・そして色鮮やかな「ヒオウギスイセン」も・・・



里山に通じる道には神奈川県の県花「ヤマユリ」のお花も残っていました。


登りきると正面に「富士山」が姿を現します。
階段の下には孫のハー君が通う「小学校」も見えていて、時計が午前6時近くを示していますね。


右手の北側には「大山」から続く「丹沢の峰々」です。

そして長い階段を下ると、隣の区の住宅地に出ますが、
う~~ん、下り階段は膝に響く


又ある日は、住宅地の真ん中を通る幹線道路を渡って、南側の公園に向いましたが
信号を急いで走って渡ると、左股関節に違和感があるはぁ~

体調が悪かったら「雄山を往復するだけにしよう」という話しにはなっていますが・・・
雨になったら、その雄山さえも登るのは困難なのですよね一昨年がその状況でした。


公園には見事なヒマワリ咲いています。私の顔より大きなお花の「芙蓉」でしょうか

そして今日は雨が落ちてきそうな中「庚申塚」の建つ古い道を行きました。

鎌倉時代、この辺りのお百姓さんたちが「イザ鎌倉と言う時に駆けつけるための
古道がたくさん残っていると聞いています。

これらのコースは、以前飼っていた愛犬ジュン君と散歩した懐かしい道ですが
ジュン君が死んで10年以上が経ち、私もすっかりガタがきています。実感


結婚前に「白馬岳」には登ったことがありますが、普段はハイキングを楽しむ程度で
本格的な登山を始めたのは、40過ぎにこの横浜に家を建てて住み着いてからです。

ご近所に山登りを趣味とするご夫妻がいて、引越してすぐに親しくなり
2組の夫婦で「中央アルプス・木曽駒ヶ岳&宝剣岳」に登りました。

ここはロープウェーで標高2800mの千畳敷までいっきに行けるので、
木曽駒頂上までは歩いて2時間
さして苦労もなく雲上の楽園漫歩が楽しめます。

頂上小屋に泊まった翌日は見事に晴れて、写真の左手には木曽の御嶽山
右手には乗鞍岳、そしてその奥には北アルプスも見えました。
その上、可憐な高山植物に魅せられ、すっかり山の魅力に取り付かれました。


翌年、山に興味のある仕事仲間の3人で、いきなり北アルプス「蝶ヶ岳~常念岳~燕岳」
トレッキングツァーに参加しました。

3人とも山は初心者でしたが、まだまだ元気な盛りの40代前半の私たち
「槍・穂高」を見ながらのパノラマコースは兎に角素晴らしくて・・・
その時実は常念小屋で台風接近に遭い、一日停滞しましたが、
翌日の台風一過のピカピカお天気の中の歩きは更にダイナミックな山岳美が楽しめて
私たちはその後アルプス登山にのめり込んで行きました。

あの初めての登山がもしお天気が悪くて苦しいだけだったなら、
山登りは続けなかったと思います。
晴れた中を歩いてこそ、その醍醐味が味わえる「山登り」

とにかく山は「良いお天気の中を歩きたい」

一緒に行く友人はお琴の先生、演奏会が詰まっていて、
その上同居している彼女のお母様をショートスティに預ける予約をして
ようやく作り出した日程で、動かせません。

さぁ~て、どうしよう・・・
まずはテルテル坊主を作るしか手はないかしら

7月28日・PM8時、加筆
テルテル坊主の効力だけでは中々スカッと晴れず
ネットで調べた今週の立山方面の土日の天気予報もイマイチ冴えません。

一緒に行く山仲間と電話で話し合い「立山三山登山」は延期としました。

夜行バスの予約取消料として料金の4割は取られますが・・・
「室堂での温泉&高山植物三昧も2年前に堪能したから、今回はあくまでも劔岳を仰ぐのが目的」
スッキリサッパリと晴れなくては行く意味が無いという結論に至りましたので
ここでご報告いたします。



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「復興」できると信じています

2011年03月29日 | 私の呟き
(ヒマラヤユキノシタ・3月28日撮影)
東京にも「サクラの開花宣言」が出されて、いよいよ春本番となりました。

暖かくなれば暖房も要らなくなり、電気の消費量も押さえられて今日は計画停電が中止です。

春の花々も咲き出して・・・
近くの舞岡自然公園を散策するつもりでしたが、この所の「花粉の多さ」にギブアップ
鼻炎はさほど酷くはありませんが、目が痒くてたまりません。

帽子にマスクにサングラス姿で出かけようと思いましたが、海外のメディアが
「日本人は放射能汚染の防御に、皆このような姿で歩いている」
と発信したそうでです
その誤解に返す言葉もありませんね

(ヒメリュウキンカ・3月29日撮影)
元気がでるビタミンカラーの可愛い山野草も咲き出して、心癒されています。

「福島原発」はいっそう深刻さが増し、予断を許しません。
普通の生活を送るよう心がけていますが、この事故のことが刺さったトゲのように気になります。

でも、素人が意味も分らない放射能数値に一喜一憂しても疲れるだけですから、
TVを見るのは最低限にし、普段はラジオを聴いて過ごしています。

(ハナダイコン・3月28日撮影)
庭にはこぼれダネから咲き出したお花もたくさん見られるようになりました。

今回の福島原発事故の現場には、東電の方々始め日本中の原発技術者集団が結集していると聞きましたが
それにしても電気作業員3人の被曝事故は考えさせられました。

現場では、昼夜を問わず、命をかけた原子炉との闘いが繰り広げられていることと思います。
作業員の皆さまのご無事を心から願っていますが・・・

東電は下請けの現場作業員に危機管理と情報伝達を徹底しなかったのですか
「長靴をはいた人と短靴の人がいて」の問題ではないと思います

(こぼれダネから咲いた桜草・3月29日撮影)
そして原発の「水の分析データーミス

この汚染水にどんな放射能がどれだけ含まれているか?で
炉心で今起きている事が推測できるそうです。

今後の現場の対応や、事態の行く末を見極めるうえでの重要なデーターが
9時間以上間違ったまま発表されていた

そんな大事なデーターですらもチェックできなかったのでしょうか
東電の社員の皆さまは必至でお仕事頑張っている事と思いますが・・・
この組織体制がゆゆしき問題のように思えます。

(ヒメオドリコソウ・3月28日撮影)
国会では
「菅総理が震災後すぐにヘリコプターで視察に飛んだから、原発の排気が遅れ重大な初動操作の遅れとなった」
と野党は騒いでいるようですが、
今は足の引っ張りあいをしている場合ではなく、今何をすべきかを与野党協力して考えて欲しい。

平凡な一国民から叱咤激励を込めて送ります。
日本政府、頑張れ、東電頑張れと・・・

(オオイヌノフグリ・3月28日撮影)
主人が「豆苗」を買ってきて、それを家の中で水耕栽培しています。
次々に芽生えるので、順番に何度も刈り取ってサラダに使っています

60代の我夫婦、今更僅かな放射能が混じっている野菜や水を摂っても、健康に影響が出るとは思えません。
でも、放射能の数値の発表時
「今のところ直接健康に被害は及ぼしませんが、念のため注意をして下さい」と言う言葉に、
小さなお子様を持つお母さんは惑わされますよね。

「豆苗」は半分遊びでやっていますが、イザとなったら孫の所に持って行こうかしら・・・


「原発が最悪のシナリオに進んだらどうしよう」と不安は増大するばかりですが、
私は日本人の底力を信じ、復興を信じています

下の画像は昭和20年8月の、焼け野原になった東京下町を撮った航空写真です。
親たち世代はここから見事に日本を復興させたのです。


原爆が落とされた広島&長崎は、放射能汚染で「100年間、草木も生えない」と言われていました。
でも二つの街も見事に生まれ変わりました

そんな親たち世代を見習へば、今回被害に遭われた地域も必ずや復興なると信じています。

最近、世界のメディアの動きを紹介してくれている「zooeyさん」のブログを知りました。
中国にGNP2位の座を追われたこともニュースにさえならない目立たない国・日本
今世界中の人々から、良い意味でも悪い意味でも大注目を浴びているようです。

TVで紹介される悲惨な画像を見て気が落ち込んでいる時に、時々拝見し、
日本のマスコミが報じない、ちょっと好い話・シビアな話・ホッとする話など
この度の大災害を世界的な視点から違った見方で考える事ができました。

(3月26日撮影)
海外のメディアによると、最初は、震災で被災しても
奪略や暴動もなく、大人しく並んで順番待つ日本人に称賛が集まりました。

原発の緊急問題が起きると、今度は日本製品や日本人へのバッシングが始まったそうです。
(特にドイツがひどいらしい・・・)

でも、地震でメタメタになった高速道路を、わずか6日で通行可能にした日本人のヤル気に驚き、
感嘆されているそうです。その画像はこちらをご覧下さい。

「信じられない!イギリスなら10年かかる!」とか「オーストラリアなら2020年まで無理!」とか
世界中から称賛のコメントが寄せられているのです。

主人はオーストラリアに5年通い、現地のオージーに「日本庭園」の指南をしましたが、
確かにかの国には「突貫工事」とか「納期厳守」の思考がまるでありませんでした

どこかの国のオリンピック道路も間に合わなかったと聞きましたね。
ここは一つ「日本人の底力」を世界に示したい所です。

(3月26日撮影)
我が家から「ダイヤモンド富士」の夕日が見えるはずと、ずっと注目していましたが・・・
気がついたら既に夕日は富士山のてっぺんを通り越し北側の稜線に沈んでいました。

3月17日のマイブログに、前日撮った「雲のかかった夕焼けの富士山」をUPしましたが、
あの時快晴だったら「ダイヤモンド富士」が見られたかも知れませんね。

我が家は富士山の真東に位置しているので、次回の秋分の日頃に期待したいと思います

被災地にはまだまだ充分に援助物資やガソリンが届かず、苦労している所もたくさんあると聞きました。
それでも津波に遭った「梅の木」に花が咲き、被災者の皆さまの励みになっているとか・・・

暖かい春が東北地方にも早く訪れますように願っています。



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私の老い仕度・「断捨離」宣言!

2011年01月23日 | 私の呟き

お正月明けから、庭の「紅梅」が咲きだしました
白い「冬至梅」は一ヶ月前から咲いていますから、これで紅白揃いましたね。

昨年の丁度今頃「エジプト旅行」に出発しましたが、
その時はようやく「冬至梅」が咲き出したばかりで、紅梅はまだ固い蕾みでした。

ですから今年は去年より一ヶ月早く梅が咲いたことになります

ブログをさかのぼってみると、一昨年の2009年は1月末に「紅梅が咲き出しました」と紹介していますが
2008年は2月に入ってもまだ咲いていませんでした。

今年は「寒」に入ってから寒い日が続いていますが、
こうして見ると梅の開花は、11月12月のお天気に影響されるようですね。


こちらは12月から咲いている「冬至梅」、もう満開が過ぎて散り出しています。


新しい年が明けて、早3週間が過ぎました。
今更改めて「今年の目標などと叫ぶ気にはなりませんが・・・

「断捨離」という本を読みました。
昨年末にはNHKの「クローズアップ・現代」でも紹介されていましたね。

「ダンシャリ」
「断」=入ってくるいらないものは断つ
「捨」=家にはびこるガラクタは捨てる
その結果
「離」=物への執着から離れ、ゆとりある”自在の空間”にいる私

単なる整理・収納術の本とは違っていました。

毎年年頭に「今年の目標は身辺整理」とぶち上げ、
このブログでも綴ってきましたが
なかなか思うように行かず、特に「思い出の品々」が捨てられません・・・
古いアルバム類もね。


暮れに台所の戸棚を整理していたら、ランチョンマットやナプキンの下からこんなものが出てきました。
息子が幼稚園に入園した時に私が作った「お弁当入れ」とマットです。

この時は絵本を入れるバッグやお砂遊び用のスモッグも作りましたが、何故か?
35年たった今でもお弁当入れだけが残っていました。


押入れの奥の大きなダンボールには、主人と私のスキーウェアーが一式入っています。
この本によると、ガラクタを溜め込んでしまう人には
「現実逃避型」「過去執着型」「未来不安型」の3タイプあるそうです。

古い思い出の品を取っておく私は、さしずめ「過去執着型」なのでしょうか・・・?
この型の人は、かっての幸せな時代へのこだわりが隠されている場合が多いそうです。


1981年から1985年まで、主人の転勤で札幌生活を体験しました。
あの4年間は夏は車で北海道中を廻り、冬は家族でスキー三昧の日々・・・

30代の我々は元気盛りで、まだ小学生だった息子も常に一緒、
我が家の一番輝いていた時代だったと思います。

「叉いつか、皆でスキーに行く日があるかもしれない」と思って取っておきましたが、
もうそれはないでしょう・・・

たとえあったとしても、こんな時代遅れのウエァーは着ませんものね。
思い切って捨てましょう。

んんん?、この帽子や手袋は冬のハイキングに使えるかも・・・?

そんな思いがよぎって、今まで私の身辺整理が中々進まなかったのです。

30代では似合っていたこの帽子、60代の今、私に似合うとは思えませんものね

「断捨離とは最低限必要なものを、旬のもの、好きなものだけにして生活する事」
と理解しましたわ。


ところが我家の主人は「超モッタイナガり屋」で、友人の引越しを手伝った時は必ず何かをもらってきます。

一昨年はダイニング用の椅子2脚
高さが我が家のテーブルに合わないので、和室に置いてあります

7年前は古いテレビで、10年前は革張りのソファー2脚・・・
元々我が家にちゃんと「応接セット」があるというのに
お陰でリビングに椅子がひしめいて、息子に「二人暮らしだろう~
呆れ果てられています

こちらは主人が買った昆布40袋の残り海苔も10帖単位で購入・・・

主人が去年の春「良いものが安かったから」と知人から購入してきたのですが
ダンボール一箱に40袋の早煮昆布が入っていました

暫くは置く所がないので和室の廊下にダンボールごと置いてありました

あちこちの知り合いに配って、毎日のように使って、ようやく台所の床下収納にしまうことが出来ましたが
まだこんなに残っています

戦中生まれの主人は、タイプで言うと完全に「未来不安型」ですね。
物のない時代に育っていますから、それも5人兄弟の大所帯でしたから
イザという時用に大量に買うという性分が身についています。

主人より3歳年上の義姉は更に徹底していて、昔、トレットペーパー騒ぎがあった時
ダンボール入りのトイレットペーパーを何十箱もかき集めて購入し、
それが15年以上残っていたという、凄まじい話を聞きました

収集癖のある主人は泊まった宿のタオルは必ず持って帰ります。
「薄くて仕事中の汗拭きに丁度良い。汚れたら雑巾にしてすぐに捨てられる」と・・・

それも捨てるどころか、毎回洗って使い続けていますので貯まる一方、
我が家の洗面台の棚の半分を、白い旅館のタオルが占領しています。

今回行った二泊三日のドライブ旅行で、更に2人分4枚が増えました。

嗚呼我が家に「断捨離」は到底無理かしら

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ちょっと切ない「青空と銀杏の黄葉」

2010年11月26日 | 私の呟き

23日の勤労感謝の日は、前日から降っていた冷たい雨が午前中にはあがり
午後から、青空が広がりました

「今日の夜は孫たちも一緒に皆でお食事をしよう・・・」と、主人と話していた所に
両親がお世話になってる介護施設から、母を病院へ救急搬送する旨の連絡が入りました。

熱が下がってホッとしたのもつかの間、酸素濃度が低下し、意識の反応がなくなったそうです。

母は結局肺炎を起こしていて、
全体的にも老衰の症状がひどいということで、入院となりました。


翌24日は朝から待ちに待った快晴となりました
カメラを抱えて「鎌倉」に繰り出したいところですが・・・

私は病院と施設をせわしなく行ったり来たり
その道の両側には、眩しいばかりの黄金色の「銀杏並木」が続いています。


母が入院している総合病院は、大船の1つ手前の駅近くの新興住宅地にあります。
我が家からは車で10分、私の住む住宅地の隣町と言う感じ・・・
もう一本南の道路はもう鎌倉市です。

昭和40年代中ごろに開発されたこの横浜南部の住宅地はどこも「銀杏並木」が多いのですね。

今の季節、車で走ると、ゴールドの道の中を行くような鮮やかさ
「銀杏」は横浜市の木でもありますからね。

高度成長期時代の大開発から40年以上が経ち、その銀杏の木も大きく育ちました。


母はもう食べる事もできず、ただ点滴でその命を繋いでいます。

熱が出るのは元気な証拠なのだそうです。
体力がなくなると、熱も出なくなり、物を飲み込む力はもちろん、呼吸も浅くなるようです。

母は心臓が丈夫なので「点滴で体力さえ付けば再び父のいる所へ帰れるかな~」と、
いちるの望みを持って・・・
私は毎日母の顔を見に病院に通うことになりそうです。


一昨日は点滴が効いて、母は酸素値が上がると少し元気になって、
「お母さん!」と呼びかけると「ハイ」と、か細い返事が返ってきたのですが・・・
昨日は反応がありませんでした


病院の前の銀杏並木を見上げると、青空に映えて眩しいばかりの黄金色に輝いていましたが
その明るさが逆に切なくて・・・


そして今日、朝の9時過ぎに弟から電話

「もしや母の急変」と構えたら
オヤジが38度の熱を出して、血尿も見られるので病院に搬送するとの連絡があったんだ」
「姉貴立ち会えるかな~?」と

「ひぇ~、今度はお父さん
洗濯物を干すのも途中でやめて、化粧もそこそこに飛び出しました。


父は意識もシッカリしていて、食慾もあるので点滴を受けて抗生物質を一週間分処方してもらい
様子見となりました。

一週間後の再診検査でも良くなってなかったら入院だそうです。

私は強力パンチを二発食らったようなショックと疲れを感じながら、今日も施設と病院を掛け持ちしました。


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とことん、ツイていない夏!

2010年08月22日 | 私の呟き
この8月は猛暑と両親の病院に付き添っての忙しさで、
ゆっくりデッキでお茶をすることも出来ませんでしたが、
昨日久しぶりにデッキに出てみると、何やらかぐわしい香りが漂ってきました。
「月下美人」の花の香りのようです。

6月に、家の中から玄関横のデッキに出した「月下美人」
ナント三輪もの白いお花が咲き終わった姿で首をたれていました


(こちらの画像はネットよりお借りした、満開の月下美人の花です)

3年前に自彊術のお教室の仲間に「株分けしたから」といただいた
高さ30cm程度の月下美人の鉢。

我が家のリビングの出窓に置いたままにしていたら、脇芽がヒョロロ~ンと伸びて、
天井に届く高さになりました。
今年初めて外に出したら、早速お花を咲かせてくれたようですが・・・
私見損なってしまった!ガックリ
実は私、「月下美人」のお花を、まだ生で見たことが無いのです。


こちらが満開を見損なった、我が家の月下美人の残骸です。

月下美人といえば、ブログ仲間の紅さんが毎年ご自宅で咲かせたお花を素敵にUPしていますが、
もう一人思い出す女性がいます。

オーストラリアのパースで知り合った60代後半の「R子さん」
パースの借家に2鉢、私の背丈ほどの大きさの「月下美人」の鉢を持ってきてくれました。

タバコの煙をゆらしながら、問わず語りに話し出した彼女の半生・・・
「私は夫と離婚して、昭和40年代にスーツケース一つ抱えてこの街に来たのよ」

皿洗いから始まって、必死で働いて、その後日本に置いてきた息子さんを呼び寄せたとか。
今では食べていけるだけの年金もオーストラリア政府から支給されていて
「息子夫婦と一緒に民宿を経営し、もっぱら私は孫の子守よ」とのこと。

何でも下のお孫さんが自宅のプールに落ちて、命は助かったけど障害が残ったらしい・・・


キングスパークから望んだ「パース・中心街」

「月下美人」を見ていたら、異国で逞しく生きていた日本女性を思い出しました。
彼女は主人の知り合いの知り合いで、何かとパース生活の面倒を見てくれたのです。

ヘビースモーカーの彼女にいつも日本製のタバコのお土産を持って行きました。
そのお礼にと戴いた「月下美人」でしたが、我々はその年でパース行きをやめましたので
ついにパースで月下美人のお花を見ることは出来ませんでした。

パースの逞しい「月下美人」から見れば、いまだにヒョロリ~ンと貧弱ですが、
いただいて3年目で三輪ものお花を咲かせた我が家の月下美人
そしてそれを見逃した私、今夏はトコトンついていませんわ


      


ツイていないといえば、私の部屋のクーラーが壊れました
この時期、電気屋さんも来てくれなくて・・・
今年の夏の異常な暑さの中、私は熱中症の心配をしながらの睡眠です

そして今一番のショックは、マイパソコンが起動しなくなった事

富士通のアシスタントナビに電話して、いろいろやって見ましたがダメでした。
「初期化して、リカバリーしないと無理ですね」
「買った時に付いていた諸々のCDを揃えてから、連絡ください」
「二週間以内なら無料でナビします」

キャ~!、初期化と言うことは今までの保存がすべてぱぁ~
この暑くて忙しい中で、わけの分からないPC相手に「初期化」&「リカバリー」
考えただけでも頭が痛くなります

相談した周りの方々は「丸5年使ったXPならそろそろ替え時だよ。セブンを買ったら」と
気楽に言って下さいますが、決心が付きません。
「嗚呼!、どうしよう?」

と言うわけで、コメントなどは主人のPCからもできますが、
しばらくは画像のたくさん入ったブログの発信は不可能となりました。

このブログを見てくださっている友人たちへもお知らせです。
パソコンのメールも、仲間内で持っている「BBS」も見られません。
緊急連絡事項は「携帯メール」か直接の電話でお願いいたします

せっかく「エジプト紀行」に取り掛かる気力が湧きましたのに、
しばらくは私の「つぶやき」の記事にて失礼いたします。

エジプトの写真は幸いカメラのチップが残っているので無事ですが、
それにしても今年の夏は何もかもツイていませんわ




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予期せぬ出来事

2010年04月20日 | 私の呟き
(八重咲きのバイカ・カラマツソウ)
月曜日の朝、掃除洗濯と済ませてコーヒーを飲んでいると、高校時代の友人からがあり
開口一番「私、本当なら今頃プラハにいるはずだったのよ」と呟きました。

「あら、そういえばご主人とヨーロッパ旅行に行くとは聞いていたけど、この時期だったの?」
あのアイスランドの火山噴火による航空機の運航中止で、
中欧旅行のツァーが、集合の成田空港でキャンセルになったらしい

「行ってから足止めを食うより、行く前で良かったじゃない。キャンセル料も戻ってきたのでしょう?」
「お金は全額戻ったけど気持ちが収まらないのよ。もう旅行モードにスイッチが入ってしまったのだから」
「ウンウン、よく分るわ」ということで、気分転換に翌日一緒に横浜でランチをする約束をしました。

(モミジバフウロを改め姫フウロとします)

ところが受話器を置いたすぐ後に、両親がお世話になっている施設からがあり
母が倒れて意識がなく「これから救急車で病院に搬送してもらいます」との連絡が入りました。
ええぇ~、父ではなくて今度は母
取るものも取り合えず我が家を飛び出し、車で指定された病院に駆けつけました。

運転しながら、「しばらくは私も病院に泊り込みかなぁ~」と覚悟を決め、
友人にTELして翌日のランチは取り止めました。

一瞬、喪服のことまで考えましたよ

(イチゴの花)

「今、検査中ですから」と言われ、救急車に乗り母に付き添って来てくれた施設の看護婦さんと
病院の暗い廊下で一時間ほど待ちました。

母は朝ご飯をいつものとおり食べて、車椅子に座りながら皆と話していたのが、
いつの間にか体を九の字に曲げて意識を失っていたそうで
スタッフさんが気づいて一旦ベッドに寝かせ、気道確保と酸素吸入をして救急車を呼んだそうです。

病院に着いて、医師が母に大きな声で「お名前は?」と問いかけたら
朦朧としながらも「○○です」と答えたとか・・・

弟夫婦も仕事先から駆けつけました

(姫リュウキンカ)

医師がやって来て、薬のことを施設の看護婦さんに色々聞いていました。

それからしばらくして検査結果が出たようです。
「どこにも異常は見つからず、意識もだいぶ戻ったので今日はこのまま帰ってもいいです」とのこと
「はぁ~」何だかキツネにつままれたようなお話しです

弟夫婦と一緒に医師の話を聞きました。
「CTスキャンを見ると、小脳にたくさんの梗塞がありますがどれも古いものです」
「とにかく眠くて意識が朦朧としていたようですね。」
「考えられるのは夜飲んでいる睡眠導入剤を、朝も間違えて飲んだかな?という疑い」・・・

でも施設側は絶対にそれはないと言っているし、結局ナゾのまま母は元気になって戻りました。

食欲も旺盛で、おぼつかない手つきでスプーンを操り、遅い昼食をむしゃむしゃと食べていましたが、
私は突然の出来事にあわてふためき、疲れ果てましたわ。

とかく予期せぬ出来事が起きた時、人間は冷静ではいられないものですが
今回はやがて来るであろう時の予行練習だったのかしら?
と思ったほどです

(ホウチャクソウ)

夜、主人と食事をしながら、日中の出来事を色々話しました。
私たちにも、母と同じ様な「隠れ脳梗塞」があるに違いないと・・・
これが増えれば、やがては「認知症」に繫がるのです

そんな話をしている時、TVのニュースで今回の航空機のヨーロッパ便欠航の余波が
旅行だけでなく、様々な現場で出てきていることを伝えていました。

生花、サーモン、野菜にチーズ、そして医薬品
その中には乳ガンや前立腺ガンの検査薬も含まれていて、品薄状態になっているらしい。

私は明後日、父の前立腺ガンの造影検査に立ち会うのですが大丈夫でしょうか?
遠くの国で起きた火山噴火が、私たちの身近にも影響を及ぼすとは意外でした。

(ハナズオウ)

主人とは友人の旅行中止の話しから、突然の自然災害時のツァー旅行はどうなるのか?
という話題にも話しが及びました。

サラリーマン時代は広告マンで、大手旅行社の広告も手がけていた夫です。
「災害などで、現地で足止めとなった時のホテル代が個人持ちかどうかは、旅行の約款次第だけど」
「緊急用のホテルを確保する力は大手の旅行社の方があるから安心」とのこと・・・

何事も無ければ小さな旅行社の格安ツァーでもどうということは無いけど、
何か遭ったときの対処が違うというのが主人の持論です。

ふと突然、4月10日から地中海クルーズの旅行に参加している友人のことを思い出しました。
彼女の旅は大手旅行会社のセレブなツァーだから、まさか空港に寝泊りしているとは思えませんが・・・
ロンドンの空港で「疲れました」と、インタビューに答えていた日本人旅行者の姿とダブります。

実は私も誘われたのですが、エジプト旅行で体力も財力も使い果たし、お断りした過程がありました。
友人のマルさんが無事に帰国できたかどうか?今夜TELしてみなくては

尚、今回の画像は今我が家の庭に咲いているお花を挿入いたしました。




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加齢現象?

2010年01月10日 | 私の呟き

新しい年が明けて早10日が過ぎました。
明日(11日)はもう「鏡開き」ですね。

今年はシフト的に5日から仕事が始まり、忙しい日々を過ごしていましたので
お正月気分は七草粥を食べる前からとっくに消えてなくなっていました。

横浜市の公的施設の受付で、図書の貸し出しのほかに
会議室や和室、お料理室や体育館の貸し出し業務をしていますが・・・
毎月第一週目には、2ヶ月先の月の予約受付が始まり、利用者の皆様が申し込みに殺到します。
予約がダブって抽選会などもある大忙しの週なのです。

お料理教室やホビーグループ、各種勉強会、ヨガやダンス、空手に太極拳
はたまた卓球やバトミントンなど多くのスポーツサークル・・・
お子様から高齢者までが利用する施設ですが、
発表会の「センター祭り」が2月に迫っているせいか?
皆様方(特に中高年)の熱意は凄まじくて、圧倒される思いの仕事の週でした。

そんな意欲的な方々を日々眺めていると、
前回掲げた「私の今年の目標」などお恥ずかしくて話しになりませ~ん

汗水流して頑張る向上心が必要な項目が何もな~い
でもまぁ~、グ~タラ人間の私には身の丈にあった目ざす「目標」かも知れませんね。


先日、1日4時間の仕事を終えて家に帰ると、何やら焦げた臭いが家中に漂っていました。
台所のお鍋が真っ黒に焦げ付き、中のお肉が炭のようになっている

夕食用の豚の角煮を作って仕事に出かけたのですが・・・
主人が温めるために火を付け、その事を忘れて2Fの書斎でPCに向かっていたらしい。
下に降りてきたらリビングダイニングには煙が充満していたそうです

普段私には「火を使っている時は離れるな」とうるさいくらいに言う夫ですが、
一ヶ月前には自分でオジヤを作り、その時もTVに見入っていてお鍋を焦がしました。

「人には厳しく、自分には甘いのね」と言ってやりましたよ
この所、加齢現象(カレーではないのよ)が目につくようになりました。


そういう私もチョンボをしました

普段使いの腕時計が見当たらず、家中を探し
更に落ちていなかったかと、あちこち聞いて回りましたが出てきません。

時間単位でスケジュールをこなしている私
(母からもらったスイス製の高級時計や、山登りに使う高度計つきの大きな時計は有るのですが)
普段に使う気軽な腕時計がないととても不便なのです。

暮れの買い物にデパートに行った際、丁度時計のバーゲンをやっていて、
セ○コーやシ○ズンの腕時計がお値打ち価格
必要に迫られて買いましたよ。
そしたら翌日の洗面所の大掃除中、洗濯機の裏側からなくした時計が出てきました
でも・・・
私のチョンボは余計なお金がかかっただけで、
誰かさんのような危うく火事になりかねない失態とは違い、まだ救われますが・・・
最近神隠し現象が増えたのも、やはり加齢が原因?


肩こり腰痛、胃もたれなどを訴えても、とかく「加齢のせいよ」と相手にされず
自分自身のチョイミスには「この歳になったら、あれもこれも一度にはできないわ」
と言い逃れ、すべて「歳」のせいにしていますが・・・


「エジプト旅行」がいよいよ近づいてきました。
高齢の両親が居るので「果たして行けるかどうかは寸前まで分らない」
と覚悟はしていますが・・・
両親どころか、私自身が危うくて
喉痛、鼻炎、湿疹、口内炎に悩まされて、内科、耳鼻咽喉科、歯科に通う日々
海外旅行に行く前に、自分の健康に自信がなくなるなんて初めてです。

嗚呼、それもこれも「加齢」が原因なのでしょうか

※ブログ仲間の紅さんに「華麗現象と受け止めましょう」と勇気づけられました
私はこれから「加齢」ならぬ「華麗」を目ざしますヮ


今年のお正月、我家の「シンピジュウム」はまだ蕾が開きませんでした。
カトレアや胡蝶蘭など蘭の類いはたくさんあるので、今回はシクラメンを買いました。

大きな鉢は玄関に飾り、そしてミニは外の花壇に植えましたが
以前から、我家とシクラメンは相性が悪くて、春まで無事に持つかどうかは疑問なのですよ。

ブログを始めて5年になりますが、「シクラメン」を写したのは初めてのような気がします。
被写体としては、とても難しいお花でした。



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いつか私も歩む道?

2009年12月22日 | 私の呟き
今日12月22日は二十四節気の一つの「冬至」
北半球では一年中で一番昼が短く、夜が長い日です。
この日に「ゆず湯」に入り、「冬至かぼちゃ」を食べる風習が日本にはありますね。


我家の庭の「柚子」は少々小粒の「ハナユズ」という種類だそうです
今年はそのほとんどを、我家近辺で増えだした「台湾リス」に食べられてしまい
辛うじて残った柚子の実を集めて、今夜はお風呂に浮かべて入りました。

ゆず湯は、風邪を防ぎ、皮膚を強くするという効果があるそうですね。
「かぼちゃ」は、厄除けになり、病気にならないと言われています。
今夜はカボチャも煮て、この冬の健康を願いました。

我家の柚子はリスの手が届かない細い枝先に生っている実が7~8個残っているだけとなり
それはお正月料理に使うつもりで大事にとってあります。。

おっと先ほど主人が帰ってきて、仕事先のお宅から20個ほどの柚子を貰ってきました
こちらは蜂蜜漬けに致しましょう・・・

       

さて・・・
私は週に1~2回、両親がお世話になっている「老人ホーム」に通っています。
我家から車で20分・・・
銀杏並木が美しい横浜南部の住宅地を通り抜けた先の、鎌倉市との境目にその施設はあります。


この画像は12月4日、前夜の強風で住宅地の中の道路にイチョウの落葉が積もっていた風景を
車の運転席から撮ったものです。

今ではすっかり葉も落ちて冬景色に変わりましたが、
この木々に季節の変化を教えられ、
いつも両親に逢った後の、私の切ない気持ちを慰められているような感じです。


13日の日曜日、90歳の誕生日を迎えた父の「卒寿の祝い」を施設の応接間を借りてとり行いました。

最初は、施設近くのレストランで華やかに祝うつもりでしたが・・・
今、巷では「新型インフルエンザ」なるものが大流行で、
この近辺の小中学校も学級閉鎖が相次いでいました。
それで急遽、施設の中のお部屋を借りてやった次第です。

もっか新型インフルエンザを水際作戦でくい止める為に、乳幼児から高校生までの出入りが禁止
私たち家族も、受付で体温計を手渡され、37度以下の場合に限り面接が許されます。

そんな状況で、ひ孫のハー君と菜々ちゃんが参加できなかったのが残念でしたが、
取り合えず子供である私と弟夫婦、我が息子を含めての孫達が集まり賑やかな2時間を過ごしました。

ブログ仲間の皆様からも、
その節はお祝いのコメントをいただきありがとうございました。


<>

マウスオンでご覧下さい
母は先月初め、車椅子から落下して顔がお岩さんみたいに青アザだらけになったのですが
ご覧の通り、その傷も綺麗に治りホッとしました。

ただ最近の父の反応が鈍くて気になります。
夏頃までは私が行くとニッコリ笑って「イヨッ!」と手を上げ、喜ぶ反応があったのですが・・・
最近は無表情の日が多くて、ちょっと悲しいですね


父は戦後の日本を経済大国に導いた企業戦士の一人でした。
70過ぎまで第一線で働き、仕事が趣味で、遊びは罪悪と考えている人でした。

それが非常勤になった頃から、同じことを何度も言うようになり
リタイヤ後はどんどん物忘れがひどくなったのです。

母はすぐ上の姉と一回りも違う末っ子として生まれ、幼い頃は身体も弱かったので
皆に大事にされ「おんば日傘」で育ちました。
父との結婚後もめったに外に出る事は無く、人付き合いが苦手な主婦でした。

70歳頃から足腰が弱り「骨粗しょう症」が原因の圧迫骨折の繰り返しで、
80前から車椅子の生活となりました。


私はそんな両親を見ていますから、せっせと山歩きで足腰を鍛え
そして去年、乞われるままに、公的施設のアルバイトにカムバックして
一ヵ月の半分は頭と体を目いっぱい使っていますが・・・

最近、二つのことを一度に頼まれると一つが抜けるようになりました
「あれどこだっけ?」というモノが見つからない「神隠し現象」に出会う事も多くなり、
少々ウロタエテいます。

そんな訳で心配になり、仕事先の図書室からこのような本を借りてきました。
マウスオンでご覧下さい

<>

題して「ボケになりやすい人、なりにくい人」
このテストの結果、私は4点で、今のところはまだ大丈夫でしたが・・・
この先は分りませんね~

親の歩んでいる道は、いずれ私の歩む道でもあるのですから


この本に書かれている「ボケないための10カ条」は下記のとおりです。

・塩分と動物性脂肪を控えたバランスの良い食事
・適度に運動を行い足腰を丈夫に
・深酒とタバコはやめて規則正しい生活を
・生活習慣病の予防・早期発見・治療が大事
・転倒に気をつけよう!頭の打撲はボケ招く
・興味と好奇心を持つように
・考えをまとめて表現する習慣を
・細やかな気配りをした良いお付き合い
・いつも若々しくおしゃれ心を忘れずに
・くよくよしないで明るい気持ちで生活を

これを読んでいて「ハタ」と思いました。
カメラを抱えてあちこち歩き、それを纏めてブログにUPすることこそ
「ボケ予防につながると・・・



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