花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

バリの休日・「ティルタ・エンプル寺院」その1

2009年02月23日 | バリ島紀行
今日は朝から冷たい雨の一日でした
この土日は私がスタッフとして働いている公の施設のお祭で・・・
先週は会場を盛り上げるための準備にいそしみ、当日の2日間は地元の人々が楽しめるようにとフルに動き回りました。
そんな訳で、コメントのお返事が遅れて申し訳ございませんでした。

流石に今日は疲れ果て、家でTVのアカデミーショー授賞式の模様などをツラツラと眺めて過ごしました。
日本映画の2部門受賞
大健闘ですね。



横浜市には、地域の人々が文化活動やスポーツ活動を通して交流が図れる場としての施設が、全域に80箇所ちかくあります。

私がスタッフとして働いている地区センターには、体育館や図書室、大小の会議室に茶道や踊りが出来る和室が二部屋、それに料理室、キッズルームと揃っていて、地域の方々の活動の場としてたくさんの人々に利用されています。

昨日一昨日のお祭は年に一回の発表の場でもあり、模擬店も出て、それはそれはにぎやかに開催されました。

私たちスタッフは受付やロビーをはじめ、舞台や食堂、コーヒーコーナーをセッティングし、看板を作り、切り絵やお花、風船などで飾り立てました。

都会の新興地では、これが現代のお祭なのかもしれませんね。
大人も子供も派手な衣装に身を包み、舞台で揃って踊るフィナーレの華やかなフラダンスを撮影しながら(私の担当は受付とカメラ撮影)、そう強く感じました。

                   
 
バリではデサ(村)を更に分けたバンジャールという共同体があるそうです。
冠婚葬祭は助け合い、ガムラン音楽や踊りの練習を共にして・・・
地域社会を重んじるバリの生活基盤になっているとか。
そして島の生活は、バリ・ヒンズー教が深く関わっていて、人々は祭礼に明け、祭礼に暮れる日々のようでした。

村の中心部を走っているときスーさんが、「集会所に集まって話し合いをしてますね。日本で言えば青年団のような集まりです」
車の中でそんな説明を聞きながら、食後はタンパシリンの北のはずれにある、聖なる泉の湧く寺院で有名な「ティルタ・エンプル」に行きました。


車から降りたとたん、立派な「貴公子」が出迎えてくれました
初めて訪れるヒンズー教寺院に興味がわいてきます。
スーさんに、守らなくてはならないオキテを聞いたところ「生理中の女性は不浄なので入れない」との事でした。


寺院の周りには「ガジュマル」の大木があちこちに見られます。
そして、この大きな実は「ナンカー」というジャケット・フルーツで、大きな物になると20kgもあるそうです。


さぁ~いよいよ「割門」をくぐります。
このお寺はバリ島内の大きな寺院六つの内の一つに数えられるとか・・・

伝説によると、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で叩き不老不死の水を湧き出させた場所とされているそうです。


中に入ると、広場のようになっていて、右手に休憩場のような建物がありました。
ここはジャバ・シシ(外の広場)といい、村人の集会所でもあり、闘鶏場でもあり、ガムランの演奏場所でもあり、オダラン(寺院の建立祭)のお祭会場でもあるという。

この写真は主人が撮ったもの・・・
赤い麦藁帽子姿の私も写っています。


左側には何やら立派な塔が建っていました。

ガイドブックによると「バリ・ヒンズー教の神様は山の頂に住まう」らしい・・・
そして海には魔物が住むという・・・
寺院でも神聖な領域は山側にあり、門は海側に建っているそうです。


二つ目の「割れ門」チャンディー・ブンタールが見えています。
扉を開けてここをくぐって行くと・・・

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そこは聖なる泉をひいた「沐浴場」でした
ヒンズー教徒の多いインドでは「ガンジス川の沐浴」が有名ですが・・・
マウスオンでご覧下さい

泉が発見されたのは962年と言われ、この寺院の古い歴史を感じ取る事が出来ました。


さて、ここから先は神々が降りてくる最も神聖なる領域に入ります。
スレンダンという腰帯を巻かなければいけません。
短パンやミニスカートの人は、肌を隠すためのサルンも巻きます。


すぐ横の丘の上に、スカルノ元大統領が建てた瀟洒な別荘がありました。
あの○○夫人も来たようです。

今では政府のゲストハウスだそうですが・・・
聖なる場所を見下ろす所に建っていて、神様の怒りに触れないのでしょうか?
コメント (32)
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