花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

ドラマ「坂の上の雲」と「阿蘇くじゅう国立公園の旅」そのⅥ

2011年12月08日 | 旅日記

前回も記しましたが、NHKの大河ドラマ「江姫」が終了し
12月4日から「坂の上の雲」第3部が始まりましたね。

"まことに小さなその国は、明治維新から文明開化を経て、日清・日露の戦争へ。
秋山好古、真之の兄弟と正岡子規。
ともに松山に生まれ、青雲の志を抱いた彼らは、
明治という近代日本の勃興期をいかに生きたのか・・・”

司馬遼太郎原作の壮大なドラマです。

第1部「青春編」に続いて第2部は「友情編」、
そして第3部は壮絶な戦い場面が続く「激動完結編」

「血沸き、肉踊ると言いながら、夫は熱心に見ています。

この後のキムタクのTVドラマ「南極物語」ではですから、
12月の日曜夜はしばらく興奮状態が続きそう・・・

私は原作を途中まで読みましたが、戦闘シーンの想像力欠如にて途中で頓挫したまま
TVの方が分りやすく、手に汗握りながら見ました。


この画像は今年の1月に行った横須賀の「三笠公園」の風景です。
渡哲也さん演じる連合艦隊司令長官・東郷平八郎の銅像が建っていました。

モックン演じる主人公の秋山真之は、この東郷平八郎率いる連合艦隊の作戦参謀なのです。


第3部は乃木将軍率いる陸軍の旅順攻撃作戦から始まりますが
ロシア側の機関銃などの新鋭兵器の前に、正面突破の日本軍は多くの犠牲者を出します。

司馬遼太郎の原作では、乃木将軍のことを無能だとしてかなり辛辣に書かれていますね。
カリスマ的人気があった乃木希典ですが、近代の戦というものを理解していなかったのでしょう。
「直接旅順を狙う作戦で勝てるはずがない
「203高地さえ奪えれば、そこから旅順港が眼下に望めるし」
「背後から大砲を打ち込めばロシア戦艦を撃沈できるんだ」
と夫は興奮しながら説明してくれます。

同じ長州出身の乃木希典と児玉源太郎の友情も絡んでの
これからの戦いが具体的にどう展開していくか楽しみです。

最後はバルチック艦隊を迎え撃つ「日本海海戦」で、
東郷元帥と補佐する秋山真之らが活躍、日本は大国ロシアに勝つのですが・・・


第2部の再放送も、BSでやっていました。
去年の感動が再び蘇り
完全に我が夫婦は「坂の上の雲」オタクモードに入っています。

前置きが長くなりましたが、第2部の最終回「広瀬死す」を見て感激し
(主人は、指揮官たるもの「杉野は何処~」などと一人の兵士を探し、
他の大勢を危険にさらす行為はおかしいと申していますが・・・)
実は今年4月に行った九州旅行の際に、「広瀬神社」に参拝する予定でした。

4月14日「耶馬溪」へ
師走に入り、私は九州「やまなみハイウェー紀行」が完結していないのが気になっていました
遅まきながらUP致します。

4月11日、羽田から大分に飛び、空港でレンタカーを借り、
1日目はやまなみハイウェーを走り長者原温泉に泊まりました。

2日目は「久住山登山」後、南阿蘇の一心行の大桜を見て阿蘇温泉泊まり

3日目は阿蘇巡りをしてから、黒川温泉三昧

4日目は由布岳登山の予定を断念し、ロープウェーで別府の「鶴見岳」

そして私達は鶴見岳を下ってから「広瀬神社」に行く予定でした。
主人はずっと大分空港近くにあると言っていましたから・・・


広瀬武夫と竹田市出身の戦没者を祀っている広瀬神社は豊後竹田にあります。
車のナビで調べてみると、豊後竹田は2日前に泊まった110kmも離れた阿蘇近く
「あなたが言っていた空港から近い国東半島にある町は豊後高田よ」

行ってきた道を戻る気にはなれず、計画を変更して「耶馬溪」に向かいました。  


大分県中津市に「耶馬溪」はありますが、
私たちが車を停めたのは「青の洞門と競秀峰」がある駐車場でした。

全国の紅葉の美しい岩場などが、時々「耶馬溪のようだ」と言われる事があります。
この日は4月14日、紅葉ならぬが咲いていましたが・・・

今年の耶馬溪の紅葉の画像をネットから借りました
「青の洞門」の周囲は黄葉が美しい私が描いていた耶馬溪の典型的な風景



駐車場から隧道に向う途中に、青の洞門を開削した実在の僧・禅海の銅像が建っていました。

「青の洞門と言えば小説”恩讐の彼方に”が有名だろ~」と夫は言いますが
「菊池寛の小説ね。でも私読んでいないから知らないわ」
(作者名はすぐに出てきますが内容は、暗記が主な受験勉強の弊害ですね


そんな事を話しながら、古い手掘りの洞門に入りました。

「恩讐の彼方に」のあらすじは、江戸の旗本で働いていた市九郎が、
主人の愛妾と通じて主人を殺し、江戸を出奔して非道な暮らしを送っていましたが、
自らの罪業に恐れをなし、出家します。

全国行脚の旅の最中に、羅漢寺に向かう山国川沿いの難所である「鎖渡し」で
馬子が亡くなる事故と遭遇し、難所を掘削する誓願を立て、
ついに洞門を貫通させるというお話だそうです。

左が現在の車が通る新しい隧道、右手が手掘りの洞門です


小説のモデルとなった禅海和尚は(市九郎の話は全くのフィクション)、托鉢により資金を集め、
享保20年(1735)から自らノミとツチをふるい、付近の村人の協力も得て
30年の歳月をかけて明和元年(1764)に全長360mにも及ぶ青の洞門を完成させたと言われています。


現在の洞門は当時とは大きく変わっていますが、
旧道には禅海が彫った当時の明かり採り窓や素掘の跡が残っています。

重機のない時代に、ノミとツチだけでの気の遠くなるような作業をよくぞ続けたものだと思います。

岩窟の古刹「羅漢寺」

そんな訳で、次ぎに訪ねたのがリフトに乗って行った「羅漢寺」

3770体もの石仏で有名な羅漢寺(らかんじ)は曹洞宗の寺院で、日本三大五百羅漢の一つです。


大化元年(645年)にインドから来た法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされる
由緒ある古刹。
羅漢山の中腹の岩肌にしがみつくように建っています。


境内には、たくさんの願い事が記された「しゃもじ」が打ちつけらています。

「しゃもじ」で願い事を救う(すくう)ということで・・・
かなわぬ願いはないということのようです。

主人はここの和尚様と話が弾み、20分近く話し込んでいました。
こんな所にお住まいとは、本当に仙人のように見えました。


洞窟の境内には多くの羅漢像があり、「五百羅漢」の石仏が並んでいます。

主人が和尚様と話している間、私は家族や親類に似た顔が必ずあるはずと
ひたすら羅漢様を眺めていました。

※この旅行中、私はカメラのホワイトバランスの設定を間違いました。
お見苦しい画像で申し訳ございません


コメント (22)
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