我が家の庭の「冬至梅」もようやく咲き出しました。
暖冬の年なら暮れのうちに咲き出すこの早咲きの白梅も、今年は遅れて
2月10日で3分咲きでしょうか・・・
八重の紅梅は一輪だけほころび始めました
春はもうすぐそこまで来ているようですが、すんなりとやって来てはくれませんんね。
お天気にも恵まれた三連休ですが、喉が痛くて体調はイマイチ・・・
熱はないのですが、予定していたハイキングも諦めて静かに過ごしています。
もろもろの疲れが出たのかもしれませんね。
2月3日に歩いたハイキングの続きをUPいたします。
十国峠(日金山)到着
岩戸山を出発して50分、途中「日金山・東光寺」をお参りし
樹林帯を抜けて、左手に「姫の沢公園」を見ながら右手の霊園横の丘を登ると、
芝生の広場に出ました。
突然富士山が姿を見せ、右手には十国峠・ケーブルカー「山頂駅」の建物が望めました。
11時35分、雲が富士山を隠してしまう前に無事到着です。
伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、武蔵、相模、安房、上総、下総の十国と、
大島、新島など5島を望むことができることからその名がついた十国峠。
標高766mの日金山の山頂でもあります。
山頂駅のストーブのそばで、温かい「甘酒」を飲みながら、
私たちは1時間ほどお喋りを楽しみました。
|
『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄せ見ゆ』
実朝は鎌倉から二所詣で(箱根権現と伊豆権現)のため、
この峠をいくたびも越えていたとか・・・
帰路、私たちは「東光寺」の先まで戻ります。
「日金山・東光寺」
万葉集で「伊豆高嶺」と詠われたのがこの十国峠で、
古くは久地良山(くじらやま)、日金山(ひがねさん)と呼ばれ、
伊豆大権現(現在の伊豆山神社)もこの山上に鎮座していたそうです。
この「日金山東光寺」は、伊豆大権現の本宮(日金山本宮)の流れをくむ古寺で、
鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰に支えられ、現在本尊として祀られている
延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立によるものとか・・・
私たちもお参りしました。
古い石仏がたくさん並ぶお寺です。
何やらこの辺りは、箱根山、天城山、富士山方向からの磁場が交わっている場所で、
ビッグパワーが生まれているパワースポットらしい
裏山に富士山の山頂に大日寺を建立し、富士山の山岳信仰を定着させた、
富士上人として知られる末代上人の宝篋印塔があります。
「湯河原温泉」へ
|
まっすぐ進む道は笹の広場にでて、熱海の来ノ宮神社までこの「石仏の道」を下るようですが
私たちは湯河原の日帰り温泉に浸かって、ささやかな新年会を催す計画がありました
このコースは信仰の衰えと共にすたれた細い参道を拡幅整備したもので、
道標となっていた丁仏も新しく見直して設置されています。
丁仏は真鶴の小松石で日金山東光寺までの間に一丁(109メートル)ごとに設置され、
最後の東光寺が42丁目の丁仏です。
|
|
水槽から下流へ向かって太いパイプが敷設されている沢を2~3回わたって
桧の林を下っていきます。
21丁目の手前に大きな石碑があり「日金山登山半丁」と彫られているので、
ちょうど半分(日金山は42丁目)下ったことになりますね。
更に桧の林の中をゆるやかに下っていきます。
小さな枝道もありますが、丁仏が迷うことなく案内してくれるので大丈夫
20丁目の先で「日金山ハイキングコース」の登山口に出ました。
「湯河原分岐」から1時間弱、それなりに歩き応えのある道でしたが
ふかふか落ち葉の登山道はここで終わります。
泉高区第1配水池の水槽の先にトイレも完備されていました。
ここからはアスファルトの道を「落合橋」まで行くのがルートですが
(橋のたもとに日金山道起点と書かれた石塔と石仏、ハイキングコースの案内板があります)
私たちは万葉公園の公営の日帰り温泉「ここめの湯」までの30分を歩きます。
損傷が激しく字も読めなくなった古い石塔と並んでいる新しい石塔の多くは
昭和31年と刻まれていました。
午後2時半に「こごめの湯」にようやく到着
温泉に入り、その後は館内の軽食レストランでお蕎麦を食べながらビールで乾杯
今回はお代わりナシの、おばさんたち3人のささやかな新年会でした。
○印が今回巡ったところですが・・・
穏やかな天候の中を、相模湾を眺め、富士山を望み、
石仏に導かれながら気持ちよく歩けたことに充分満足していました。