節分・立春と過ぎ、暦どおりの春を思わせる暖かい日が続き
日の入りの時刻もだいぶ延びてきましたね。
でも、明日6日の予報は「雪マーク」
これからは、春と冬が行ったり来たりの「三寒四温」が続き、
少しづつ、春の花々が咲き出していくのでしょう。
2月3日・熱海・七尾峠から「岩戸山」へ
さて・・・
20年以上も細々と続いている山仲間3人の、新年初の山登りは、
我々にとって、伊豆箱根方面での数少ない未踏の山「岩戸山から十国峠」、
そして最後は湯河原へ下るコースを楽しんできました。
トップの画像は「岩戸山」の頂上近くから写した「富士山」です
岩戸山は箱根山塊の南端に位置する、広葉樹林と草原の山です。
この山は十国峠までバスで行き、日金山・東光寺~岩戸山~七尾峠と下るルートの紹介が
圧倒的に多く、最後はアスファルトの道を、頼朝・政子ゆかりの
「伊豆山神社・奥の院」~「伊豆山神社」と見学しながら熱海駅に到着ですが・・・
「山は土と岩の山道を登ってこその山」と3人の意見が一致、
私たちは熱海駅からタクシーで、保養所や豪華別荘マンションが建ち並ぶ
七尾峠のゲートまで入りました(2040円)
(七尾峠手前の、七尾団地入り口まで、熱海駅からバス便もあり)
朝9時10分七尾峠を出発し、まずは「岩戸山」を目指します。
七尾峠までのもう一つのルートとしては、湯河原駅から相模湾を見ながらミカン畑の中を歩き
約1時間半でここまで来るコースもありますが
仲間には腰の悪いメンバーもいるので、アスファルトの道路歩きは避けました。
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案内板も要所要所に立っていますから、自分が目指す方向がしっかりと頭にあれば
迷う心配はありません。
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七尾峠から丁度1時間、突然鉄塔が現れて見晴らしが良くなり
箱根方面の山並みの向こうに「富士山」が顔を覗かせていました。
トップの画像の富士山はここからの眺めです。
Yさんはお琴の師匠、
更に大学でお三味線も専攻し、演奏会や練習に打ち込む日々・・・
Kさんは介護福祉関係の事務所の副社長
ケァマネセンターを立ち上げるべく、今は自ら資格を取り他所で修行を重ね
二足のわらじを頑張っています。
お陰で皆忙しくて、中々山には行けなくなりましたが
この二人の向上心にはいつも煽られ、刺激をもらっています。
10時20分、鉄塔の場所からすぐのところの「岩戸山・頂上」(734m)到着
七尾峠から富士山の撮影タイムを入れて、1時間10分の行程でした。
頂上はさして広くなく、ベンチとテーブルセットが一つだけ置かれています。
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この日は節分、春の気配が感じられ、
頂上でも上着が要らないくらいの暖かさでした。
頂上からは富士山は見えませんが、相模湾が眼下に広がり
洋上の初島はもちろん、大島や伊豆半島の東海岸が望めます。
この日の夜からお天気は下り坂・・・
それを示すように水蒸気が上がり、飛行機雲が幾スジも見られました。
10時45分出発、箱根竹の生い茂る登山道を一路「十国峠」を目指して進みます。
最初は巻き道まで少し下り、再びゆるい登りを行くルートです。
葉を落とした木々の間から箱根の「駒ケ岳&神山」がクッキリと見えていました。
コンデジのズームを効かせて写します
あのコースは真冬の雪のある時と、イワカガミが咲き乱れる5月上旬に歩いたことがありますが
気持ちの良いハイキングが楽しめました
そして目指す「十国峠」の右奥には見事な富士山
下から雲が湧き出しています。
「さぁ~、富士山が雲に隠れる前に十国峠に上りましょう」
歌舞伎界の重鎮、市川団十郎さんがお亡くなりになりましたね。
人気&実力ともナンバーワンだった中村勘三郎さんに続いての、大物の訃報にショックです
私は熱狂的な歌舞伎ファンではありませんが、成田屋の友の会の会員で
団十郎親子のファンのご近所仲間のぷりんさんに誘われて時々観に行ったものです。
特に勘三郎の出る演目は面白く、渋谷のコクーン歌舞伎も観に行きましたこちらです。
歌舞伎を最後に観たのは、古い歌舞伎座のさよなら公演・・・
あの時の団十郎の助六は今でもよく覚えていますこちらです。
又くぐりをした勘三郎さんのアドリブが場内を沸かせていましたね。
二人とももういないと思うと淋しいものがあり、
日本の古典芸能文化の損失を感じます。
幸い息子の海老蔵には「華」があります。彼の助六にはシビレました
これからは精進努力して、役者としても人間としても大きく羽ばたいて欲しいですね。
勘三郎の息子の勘九郎もだいぶ成長したとぷりんさんが話していました。
これからの歌舞伎界を背負っていく若い方たちの成長を願っています。