花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

濃密な休日1・「等々力渓谷」

2013年11月20日 | ハイキング・散策
晴天が続き、連日富士山が綺麗に見えています

17日の日曜日も、気持ちの良い小春日和に恵まれ
午前中、山仲間のYさんに誘われ世田谷にある「等々力渓谷」を歩いてきました。


東横線の自由ヶ丘から大井町線に乗り換え「等々力駅」で下車

駅南側徒歩2分の所にある赤いゴルフ橋の脇から、らせん状の階段を下ると
鬱蒼とした渓谷に出ます。


下流の矢川橋迄の僅か700Mの距離が、東京23区内唯一の渓谷「等々力渓谷」です。

Yさんと一緒に三浦半島の「武山」を歩いていた時
「17日の日曜日に、私が通っている大学の音楽堂で邦楽ミュージカルが催されるのよ」
「一緒に見に行かない?」と誘われました。

「1時半開場だから、午前中は同じ沿線にある等々力渓谷を歩こう」となり
「ついでに五島美術館にも寄りたい」と・・・

Yさんの提案で盛りだくさんのスケジュールが組まれました
すべては土地勘のある彼女にお任せです


等々力(とどろき)渓谷は、矢沢川が武蔵野台地を削って形成した渓谷です。
決して清流とは言えませんが・・・
宅地化が進んだ今でもなお、周辺には深い森林が残り、斜面の各所から湧水が湧き出ています。

詳しい地図と説明はこちらをご覧ください。


渓谷に沿ってしばらく歩き、玉沢橋をくぐるとすぐに、
等々力渓谷三号横穴の標識が見えてきます。

左手の斜面を上がると、古墳時代後期から奈良時代(7世紀後半~8世紀)のものと推定される
横穴式古墳がありますが、残念ながら工事中で中には入れませんでした。

更に遊歩道を進むと左手に稲荷堂と滝が現れるこの不動の滝も湧水です。


よく見ると、苔の間からも水が流れ出ていました。
東京礫層と呼ばれる地層から湧出しているそうですが・・・

矢沢川自体が、世田谷区桜丘五丁目付近の湧水に源を発し、
途中で複数の湧水を合わせて流下してきた川だそうです。


このすぐそばにお団子屋さんのようなお店もありましたが、私たちは先を急ぎました。

ブログ仲間のtonaさんが、国分寺にある野川の源流を紹介していますが
国分寺崖線(通称ハケ、立川から世田谷の等々力渓谷まで約25㎞続く河岸段丘)は
湧水が多いようですね。

「日本庭園」へ

等々力渓谷の終端近くの右岸に日本庭園があります(入場無料)

崖の地形や自然環境を巧みに活かした庭園で、豊かな緑が残されていました。

竹林を登っていくと、その先に色付いた木々が上に書院があり、周囲のモミジが綺麗でした。




書院ではセルフサービスでお茶をいただく事が出来ます。

縁台に座ってお茶を飲みながらイロハモミジの赤と黄のグラデーションに
見とれていたい心境ですが・・・

スケジュールが押していて、急いで写真を撮って先に進みます。

書院の隣は芝生広場、明るい武蔵野台地の風景の中でファミリーが楽しんでいました。
すぐ下に、木々に包まれた渓谷があるとはとても思えません。

ここには洋式もある綺麗なトイレがありました。

満願寺「等々力不動尊」
私たちは不動の滝まで戻り、急な階段を登って「等々力不動尊」に出ました。


不動堂本尊の大日如来像は、新義真言宗の宗祖興大師が山城国(現在の京都府)より、
この地に移したと伝えられています。

真言宗の開祖・弘法大師の才能にあやかって、学業成就、芸事上達のご利益があるそうですが・・・
ここはパワースポットとしても有名のようでした。

ここから幹線道路(目黒通り?)を歩いて等々力駅に戻り、次の目的地に向かいました。

私は今回一眼レフカメラを持って行きましたが、
コンデジで撮ればよかったと反省です

暗い渓谷内、歩きながらの三脚なしでの撮影はブレブレとなってしまいました
Yさん、何度も立ち止まらせてごめんね。


               

11月19日・父が退院
風は強いもののピカピカの快晴に恵まれたこの日、父は無事に退院しました
戻った先が自宅ではなくホームというのが少々切ないのですが・・・

施設の方々が、父の発熱以来日々細かく様子を見て処置し
知らせてくれて助かりました


肺炎&心不全、肺に水もたまっていたようです。
それらもようやく治り、施設側の許可も出て
父は退院できました

この地域の中核病院の周りの道路は「銀杏並木」が断然多いのですが
この所の冷え込みでいっきに黄金色に染まりました


弟一家は皆仕事に出ますので、ウィークデーの病院通いはすべて私がやりました。

なかなか下がらなかった熱の心配と、毎日出る洗濯物は
別洗いしなければならずけっこう大変

私自身の気分転換の必要性を感じ、17日の日曜は父のことを弟夫婦に任せました。

無事に退院を済ませ、施設の看護婦さんとケアマネさんと現場のスタッフさん
そして私の4人で、これからの父の事で打ち合わせをし

その後父の昼食の介助をしたら、90%食べてくれたので一安心

両親や周りのお年寄りを見るにつけ、人間食べることの大事さを思い知らされました。

帰路、青空を見上げたらクラクラきて・・・
の計画も一向に進まず、ぼぉ~としています



コメント (24)
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