花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

軽井沢で休養(1)「富岡製糸場」見学

2014年08月02日 | 旅日記
8月に入り、アブラゼミの声が賑やかになってきました。
暑い首都圏を抜け出して、3泊4日で軽井沢に避暑に行ってきました。

と書くと優雅ですが、実は主人が仕事中に脚立から落ちて「頸椎捻挫」
手が腫れて仕事はすべてキャンセル・・・

暑い中悶々としてTVの前に居座る夫に私の方が根を上げ、気分転換に出かけた次第です。


「富岡製糸場」見学(7月29日)
父の新盆の行事「お施餓鬼」に出席し、
義妹とお坊さんの講和を聞き法要も無事終えた翌日・・・

幸い主人もハンドルは握れるようで、2人で車で出かけました。


関越道・中央道・東名を結ぶ圏央道ができて、本当に便利になり
東名海老名から圏央道を使えば軽井沢まで2時間半で行けるようになりました

朝9時45分に横浜の我が家を出て、途中のサービスエリアで昼食を取り
この日の観光目的地、群馬県の「富岡製糸場」に着いたのは1時前でした。


群馬県では古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する営みが盛んで
絹産業に関する文化遺産が数多く残っています。

これらのうち「富岡製糸場」と、蚕の品種改良と普及に貢献した「田島弥平旧宅」、
全国海外に技術を広めた民間養蚕教育機関「高山社跡」、そして日本最大級の蚕種貯蔵施設「荒船風穴」の
「絹産業遺産群」は今年の6月にドーハで開催されたユネスコの世界遺産委員会で
正式に登録されました(パンフレットより)


富岡製糸場が操業を開始したのは明治5年(1872年)
近代化が悲願だった日本が国の威信をかけて建設した、国営の近代製糸工場です。

「東繭倉庫」
500円払って中に入るとすぐに「東繭倉庫」1Fが事務所で2Fが乾燥させた繭の貯蔵庫です


もらったパンフレットの地図では「乾燥場」と書かれた所が崩落していました
今年の2月の大雪で崩れてしまったそうです


「何しろ世界遺産になったので元通りにしなければならず、数年かかりそう」とスタッフさんが言っていましたが
費用はどこが負担をするのでしょう


「繭倉庫」の建物は木で骨組みを造り、柱の間にレンガを積み上げて壁をつくる「木骨煉瓦造り」
(この頃はまだコンクリートは使われていなかったそうです)


たくさんのボランティアガイドさんが、午前午後とも30分おきに案内をしてくれます。
「横浜から来た」と言うと「ここは横浜と深いつながりがあるのです」とのことでした。


工場建設の指導者としてポール・ブリュナはじめ、当初は10人のフランス人を雇い入れました。

「繰糸場」
繰糸場は繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
創業当初はフランス式の繰糸機300釜が設置された世界最大規模の製糸工場でした。


明治26年に官営から三井に安く払い下げられ、10年後は横浜の三渓園の主・原氏に転売されました。
昭和14年、片倉製糸紡績と合併し、昭和62年の操業停止まで115年間操業し続けた製糸場です。

グンゼの片倉工業が閉鎖後も保全管理していたおかげで世界遺産につながったようです。


この日は暑い日でしたが、当然どこも冷房などありません。
入り口にはミストがしつらえてありましたが、汗が流れ出ました

その分人が少なかったと言えるでしょうか・・・


小屋組には「トラス構造」という従来の日本にはない建築工法を用いているので
建物内部には中央に柱のない広い空間が保たれています。

現在は昭和40年以降に設置された自動繰糸機が保存されています。

「ブリュナ館」
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らした住居は320坪の広さ


のちに建物は寄宿舎や女工に読み書きや裁縫などを教える夜学校として利用されました。


フランス式の労働環境を取り入れた富岡製糸場は、女性が働く環境としてとても先進的でした。
労働時間は一日八時間未満、日曜日は休みで、夏休み冬休みも十日ずつあったそうです。

後に全国でできた「民営」の製糸工場では「女工哀史」などに代表される過酷な搾取と労働環境により
多数の女工が命を落としたり病気にかかったりしました。

富岡製糸場は少なくとも民営化される前までは良好な労働環境が保たれていたそうです。

当時の女工たちが目指したのは「一等工女」
一等工女は給与も服装も特別待遇で、浮世絵に描かれるほどの憧れの存在でした。

他に日本人工女に機器による糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居や
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居などがありますが・・・


こちらは最後の「片倉工業」時代の寮
あちこちに雪害の様子が見られました

世界遺産だからという理由では国からの交付金は支給されません。これはユネスコも同じです。

世界遺産登録の前提となる文化財保護法での文化財補助金という名目で
損壊等の恐れが文化審議会で認められた場合にのみ修繕費用としての助成金が給付されるようです。

基本的に維持は持ち主の負担だそうで、この場合は「富岡市」

市営駐車場の周りは整備されていますが・・・商店街はまだまだ素朴なお店が並びます。


「世界文化遺産」というブランドは獲得したものの、すべてこれからの発展途上の観光地です。
涼しくなったら観光客であふれるかも知れませんね。

私たちも「絹産業遺産群」観光は次回に残すことにして
再び「上信越自動車道」の富岡インターから軽井沢に向かいました


※今回の記事は入場時に渡されたパンフレットを参考にさせていただきました。
コメント (30)
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