花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

オフ会の仲間たちと「大森界隈」を歩く

2015年06月28日 | 東京の街
梅雨空が続いた一週間でしたが、今日の日曜日は青空が広がっています
昨日は写真仲間のSさんも誘って、再びワンゲルの会主催の鎌倉歩きを楽しみました。

他には月に二回ご近所仲間4人で通っている「ストレッチ体操」に参加したのみ・・・
雨がやんだらに庭と畑の草取りに追われ、雨が降ったら夫の部屋を整理する日々
孤独な作業の多い一週間でした

遅くなりましたが(一ヶ月前のハイキング等まだまだ紹介しきれない画像が多々ありますが)
まずは一週間前に行ったオフ会の模様をUP致します。

大森駅から池上駅へ(6月20日)

京浜東北線の「大森駅」のホームにはこの様な碑が建っています。

ブログ仲間の銀河さんが、生まれ育った大森界隈を何度かブログで紹介したのをきっかけに
「是非行ってみたい」という声がブログ仲間から出て・・・
「オフ会」という形で実現しました。

ナント、参加者は7名
今までで一番の賑わいとなりました。

ホームの柱や天井のハリはレールで組まれているとか全員集合して、駅の北口から歩いて3分の「大森貝塚」へ


ツァーコンを買って出てくれた銀河さんから、案内コピーを渡されました。

それによると京浜東北線が停まるだけの「大森駅」
●単体駅としては世界一の乗降客
(2013年の1日の乗降客92962人、JR東日本では43位)

●ホームに日本考古学発祥の地の碑がある
(明治10年にアメリカ人のモース博士が大森貝塚発見)

わぉ~、知らなかった
実は私、18歳から21歳まで毎日のようにこの「大森駅」を利用していたのです。

「大森貝塚」

エドワード・シルベスター・モース博士、列車の窓から「貝塚」を発見したとはビックリです。


線路の間際に建つこの碑

小学校の社会で習った縄文式文化時代の遺跡の「大森貝塚」はここなのねと・・・
今では横浜郊外の京浜東北線沿線に住む私、都心に出るたびに見ています。

ところがドッコイ


更に歩いて5分の品川区側にも「大森貝塚」の碑があるそうで・・・
こちらの方が公園として整備されていました。

実際に掘って調査したら貝が出てきたのはこちら側当時はすぐそばが海だったのね~


大田区に住んでいた身には少々残念ですが

大森駅の東側は海だったのが埋立てられ、今は庶民的な街の風景が広がり、
西側は山で、「山王」という高級住宅地になっていることは昔から知っていました。


こちら側が品川区側の碑です。


梅雨の真っただ中でしたが、この日は夏空が広がっていました。
流石に熟女7人のパワーは凄い
公園内のミストの涼しさが気持ち良かったです。

貝塚を見終わってから私たちは目蒲線の「池上駅」方面に向かいました。

「池上通り」のお寺と神社
銀河さんの説明では、「池上通り」は江戸時代に整備された旧東海道以前の古道だったそうです。

それでお寺や神社が多いとか・・・
最初に真言宗の寺「圓能寺」に立ち寄りました。

左側には「成田山大森別院」と書かれています思いがけず本堂に上がり込み、和尚様の説明を受けることに


大正時代に建て替えられたそうですが、関東大震災にもビクともしなかったとか
北条一族が秀吉に滅ぼされ北へ逃げる途中、ここで息絶えた事が寺の創建になった事など

気さくな和尚様の説明を受けました。

それから天祖神社(てんそん神社)横のレストランに向かいましたが・・・
神社下にはこの様な「馬込文士村」と書かれた看板がありました。


そういえば去年のNHKの朝ドラのヒロインのモデルとなった村岡花子も大森に住んでいたような
文士村と言えば鎌倉を想像しますが、ここ大森の山王・馬込の地にも存在したようですね。

銀河さんがランチを予約したイタリアン、もう並んでいる時間があったので銀河さんと二人でこの階段を登りました


村の鎮守様と言った感じの神社にお参りしました。
下りの文士村の散策のこみちには、多くの道祖神やプレートが・・・

ランチを戴くレストランの看板です目の前のプレート、作家の名前が分かりますか?


天祖神社横のイタリアンレストランの中は良い雰囲気でした

私が頼んだ大葉とシラスの和風パスタこちらはお隣のラッシーママさんの海鮮トマト味


見た目よりもお味は濃厚で、お値段もリーズナブル
満足いたしました。

食後は「ダイシン百貨店」へ
この日のメインの一つに「ダイシン百貨店」でのお買い物がありました。


まずは大森のアーケード街を歩きます。

私が高校3年の夏に父は本社に転勤となり、池上本門寺近くの一軒家の借り上げ社宅に引っ越し
短大時代の2年間と、OL時代の1年の合計3年間をこの地で暮らしました。

ですからこの商店街は私にとってはお馴染みでした。雰囲気は昔のままですね。
時々銀河さんに呼ばれて、商店の間の階段を下ると違う世界が広がっていました。

京浜東北線と東海道線がひっきりなしに通る公園昭和の香りが漂う飲み屋街


熟女6人の写真はだんだんさんが写したものです。
左から私・bonnjiさん・ラッシーママさん・菊日和さん・銀河さん花水木さん

URLの線が引いて居る方々は、すでに早々とUPなさっておりますので訪ねてみてください。


そしてこちらがTVでも紹介された、地元密着型で奮闘している「ダイシン百貨店」

私が住んでいた50年前は2F建ての雑然とした店構えでしたが、倍の4F建てになってとても綺麗
そして品ぞろえも素晴らしい

一人暮らしのお年寄り用に、玉子も海苔巻きも一個から売られていました。
海苔巻きは一本ではないのよ。一切れです。

そして半径500mは一個でも配達もしてくれるとか・・・
我が家近くにも欲しい「ダイシン百貨店」です。

ここで30分間各自自由に買い物、皆目の色を変えて散りました。主婦ですね~

お料理は簡単に済ませている私、後先のことを考えず・・・
切れていた「オリーブオイル」やパンを買って重くてかさばりふ~ふ~

再集合後は食堂で、皆そろって甘いものを食べました(私はクリームあんみつね)

バスに乗って日蓮宗の大本山「池上本門寺」へ
最後の見学地は、ダイシン前からバスで7~8分行った所にある「池上本門寺」です。


ひとつ前の「税務署前」という停留所近くに住んでいました。
今では大きなマンションが建ったらしい・・・

学生時代は本門寺横の図書館にしょっちゅう通いましたから、本門寺に行くのも殆どそこからで
私は正面の総門をくぐったのは1~2回程度・・・


此経難持坂(シキョウナンジザカ)

経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる、と言い伝えられているそうですが
別途エレベーターもありますから、誰でも行けるお寺です。


こちらは仁王門(三門)

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)
61歳で入滅(臨終)された霊跡です。


そしてこちらが大堂(祖師堂)

日蓮聖人は弘安5年9月、9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ
その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられたそうです。

このお寺の詳しいことはこちらを参考にご覧ください。


関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔で国の重要文化財です。

本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあったとか・・・


五重塔の先はお墓が広がります。「力道山のお墓」が有名ですね。


散歩中のお爺さんが説明を買って出てくれました。

八代将軍吉宗公の長男を生んだ側室のお墓と、次男を生んだ側室のお墓の大きさの違いに驚かされました。
今の時代も皇室と歌舞伎界は男の跡継ぎがいないと大変ですが・・・

我々庶民は女の子がいた方が「老後が安心」と言われる時代になりました

お爺さんは熟女7人相手にだんだん熱が入り、市川雷蔵のお墓にも連れて行ってくれました。
若くして亡くなった時代劇スターの雷さまのお墓の周りには今でもお花がいっぱい

私もニヒルな眠狂四郎の映画を覚えていますわ。
そろそろ陽も傾きだし、疲れも出てきたたので、東急目蒲線の「池上駅」に出て
右と左に分かれて解散しました

有意義な一日を、ブログ仲間の皆さまと楽しく過ごさせていただき
完璧なツアコンを務めてくれた銀河さん、ありがとうございました。

しんがりとなった私の記録、写真だけでさら~っと終わらせるつもりが、
青春時代の懐かしさが先立ち長くなってしまいました。

最後までお読みくださった方には感謝申し上げます

※この日はピンカーンだったのにも関わらず、デジイチのWBを曇りに合わせたまま撮ってしまいました
画像が全体的に赤っぽく撮れてしまい反省です。


コメント (20)
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