軽井沢の宿で美味しい夕食を戴き、地ビールで乾杯しました
更にお部屋に戻ってから、私が持参したオーストラリアワインを開けて再び乾杯
1年半ぶりの再会に夜が更けるまで話し込みました。
翌日はテニスをする予定でしたが、ラケットは借りられてもシューズがないことに気がつき諦めました
鬼押し出しや白糸の滝は以前見ているし・・・
万平ホテルや軽井沢銀座も何度か行っているし・・・
新潟組の希望で「鹿島の森」に行く事にしました。
静けさと風格をたたえてきた旧軽井沢の面影を残す鹿島の森・・・
その一角にあるリゾートホテルのお庭です。
カラマツ林に囲まれた1万坪の敷地内は萌黄色の色彩にあふれていました
この新緑の中でコーヒーを戴きお喋りを楽しみました。
オープンデッキで緑の風を感じながら飲みたかったのですが、ちょっと寒かったので室内に入りました。
夜更けまでお喋りをしていたのにまだまだ話し足りません
フジの花が咲き、オレンジ色の山ツツジが鮮やかな色を添えています
一番左側に見えるガラス戸の向こう側がレストランです。
前日のお天気に恵まれた日曜日にはここで結婚披露宴が催されたようで・・・
一般客は利用できませんでした。
軽井沢の自然の中で、緑と一体になっての結婚式も忘れられない思い出が残るでしょうね。
マウスオンでご覧下さい
私たちは少女の頃に戻って、このお庭で撮影会を催し、お互いの姿を写しあいました
「ハイ!両手でお尻を持ち上げて姿勢を正し、片足を半歩引いて顔は正面よ~」
みんなの笑顔が輝いてポーズも決まりましたね
50年近いお付き合いの大事な友人達です
30代の頃まではノートを廻して、交換日記などを続けていました。
主人の転勤で札幌に引っ越した時はこのノートが待ち遠しくて・・・
新しい土地での生活に不安がいっぱいでしたから、友の息づかいが感じられる文章をむさぼるように読み、そして私も書きました。
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コーヒーを飲み、ひと遊びしてからレストランでランチタイムです
マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい
パスタセットをいただきながら、語らいは更に続きます。
自宅の敷地内に娘さん一家の家を建てて、老後の計画もバッチリな新潟のS子さんは最近大掛かりな身辺整理を済ませたそうで・・・
古いアルバム類も処分したそうです。
その中に昔廻した交換ノートもあったとか
嗚呼!青春時代の思い出が残るノートをもう一度見てみたかったな~~~
食後のお散歩はホテル敷地内にある「御膳水」に行きました。
明治天皇がこの水をご飲用されたところからこう呼ばれているそうです。
うっそうと茂る緑の中、すぐ近くの「雲場池」まで小川のように繫がっているようでした。
江戸時代にはこの軽井沢も中仙道の宿場町だったようですね。
避暑地としては、明治時代(1886年)、カナダ人の宣教師が故郷のスコットランドの風景に似ているということでこの地に別荘を建てたのが始まりだそうです。
ホテルのロビーでタクシーを待つ私たち。
睡眠不足の上に話し疲れて・・・
軽井沢銀座でのショッピングもパスして、そのまま駅に向かいました。
前回の「越後湯沢」ではちょっと話し足りなかったけど、今回は充分にお喋りが楽しめましたね。
以前には出なかった「孫」の事、自分達の老後の事など・・・
考えさせられるお話しがたくさん出ました。
思い出の品々が捨てられなくて、身辺整理が遅々として進まない私ですが
老いてからでは押入れ整理も大変と聞いています。
今から始めなくては
萌黄色の軽井沢から戻ったら、すぐに入梅となりました
新潟の友人達に戴いたお土産の「笹団子」を食べながら、楽しかった2日間を思い出しています。
親しい友の居る新潟は私にとっては第2のふる郷です。
甘い笹団子の中に懐かしいふる郷の思い出が詰まっていました。
※「鹿島の森」の詳しい情報はこちらをご覧下さい。
更にお部屋に戻ってから、私が持参したオーストラリアワインを開けて再び乾杯
1年半ぶりの再会に夜が更けるまで話し込みました。
翌日はテニスをする予定でしたが、ラケットは借りられてもシューズがないことに気がつき諦めました
鬼押し出しや白糸の滝は以前見ているし・・・
万平ホテルや軽井沢銀座も何度か行っているし・・・
新潟組の希望で「鹿島の森」に行く事にしました。
静けさと風格をたたえてきた旧軽井沢の面影を残す鹿島の森・・・
その一角にあるリゾートホテルのお庭です。
カラマツ林に囲まれた1万坪の敷地内は萌黄色の色彩にあふれていました
この新緑の中でコーヒーを戴きお喋りを楽しみました。
オープンデッキで緑の風を感じながら飲みたかったのですが、ちょっと寒かったので室内に入りました。
夜更けまでお喋りをしていたのにまだまだ話し足りません
フジの花が咲き、オレンジ色の山ツツジが鮮やかな色を添えています
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一番左側に見えるガラス戸の向こう側がレストランです。
前日のお天気に恵まれた日曜日にはここで結婚披露宴が催されたようで・・・
一般客は利用できませんでした。
軽井沢の自然の中で、緑と一体になっての結婚式も忘れられない思い出が残るでしょうね。
マウスオンでご覧下さい
私たちは少女の頃に戻って、このお庭で撮影会を催し、お互いの姿を写しあいました
「ハイ!両手でお尻を持ち上げて姿勢を正し、片足を半歩引いて顔は正面よ~」
みんなの笑顔が輝いてポーズも決まりましたね
50年近いお付き合いの大事な友人達です
30代の頃まではノートを廻して、交換日記などを続けていました。
主人の転勤で札幌に引っ越した時はこのノートが待ち遠しくて・・・
新しい土地での生活に不安がいっぱいでしたから、友の息づかいが感じられる文章をむさぼるように読み、そして私も書きました。
コーヒーを飲み、ひと遊びしてからレストランでランチタイムです
マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい
パスタセットをいただきながら、語らいは更に続きます。
自宅の敷地内に娘さん一家の家を建てて、老後の計画もバッチリな新潟のS子さんは最近大掛かりな身辺整理を済ませたそうで・・・
古いアルバム類も処分したそうです。
その中に昔廻した交換ノートもあったとか
嗚呼!青春時代の思い出が残るノートをもう一度見てみたかったな~~~
食後のお散歩はホテル敷地内にある「御膳水」に行きました。
明治天皇がこの水をご飲用されたところからこう呼ばれているそうです。
うっそうと茂る緑の中、すぐ近くの「雲場池」まで小川のように繫がっているようでした。
江戸時代にはこの軽井沢も中仙道の宿場町だったようですね。
避暑地としては、明治時代(1886年)、カナダ人の宣教師が故郷のスコットランドの風景に似ているということでこの地に別荘を建てたのが始まりだそうです。
ホテルのロビーでタクシーを待つ私たち。
睡眠不足の上に話し疲れて・・・
軽井沢銀座でのショッピングもパスして、そのまま駅に向かいました。
前回の「越後湯沢」ではちょっと話し足りなかったけど、今回は充分にお喋りが楽しめましたね。
以前には出なかった「孫」の事、自分達の老後の事など・・・
考えさせられるお話しがたくさん出ました。
思い出の品々が捨てられなくて、身辺整理が遅々として進まない私ですが
老いてからでは押入れ整理も大変と聞いています。
今から始めなくては
萌黄色の軽井沢から戻ったら、すぐに入梅となりました
新潟の友人達に戴いたお土産の「笹団子」を食べながら、楽しかった2日間を思い出しています。
親しい友の居る新潟は私にとっては第2のふる郷です。
甘い笹団子の中に懐かしいふる郷の思い出が詰まっていました。
※「鹿島の森」の詳しい情報はこちらをご覧下さい。
素晴らしい緑でした。
庭園にはモミジもあったようです。
秋の紅葉もよいのではないでしょうか?
中学時代からのお友達だとか・・・
よい関係をお持ちのようです。
「越後湯沢」の記事を読ませて頂きました。
我々もこのホテルで「還暦同級会」を行いました。
高校の時の同級生でしたが、約70名も集まり盛大でした。
佐渡からも10名くらい駆けつけてくれました。
卒業以来初めて会う人も多く、女性はほとんど分かりませんでした。一晩中飲み明かした思い出があります。
春先だったので、「アルプの里」にも雪が多くて登れず、駅前の公園を散歩して解散しました。
シダレザクラと谷川岳がきれいでした。
いくつになっても幼馴染はいいものですね。
軽井沢の新緑がとても綺麗です。避暑地なのでまだ寒いんですね。主人の会社の保養所があり、昔夏に何回か行きました。北軽井沢の方だったような気がします。
最近は私も自分たちの老後問題を考えることが多くなりました。両親の次はすぐに自分たちですね。
我が家は息子2人だから、お嫁さんにつらい思いをさせる気にもなれませんので、施設を探すしかないかな~と思っています。
ワタクスもそう思った。そしたら・・・こんなに素晴しい風景に出会えるなんて。ラッキー!軽井沢の初夏ってこんなにも美しかったんだ!
新潟・湯沢の写真も見せていただきました。秋と初夏でシーズンが異なるので、2回楽しめました。いい旅をしましたね。
お話が素晴しいです。新潟の方の写真整理よっく解かります。
ワタクスも幼馴染に言われました。
「貴女が居なくなったら、この写真類は息子さんにすればゴミになるのよ。沢山積み上げて」って。
だから、適当な時期に処分しようかなって思っていました。
いちいちご尤もと・・・読み進めてまいりました。同じ様な世代(?)参考になります。
ヨイショっと、今度からお尻上げて写真撮ります^^;;
さぞや楽しかったことでしょうね
梅雨入り前に、
緑の綺麗な爽やかな軽井沢の景色に皆さん癒されたことでしょうね
一晩中おしゃべりを皆さんお元気ですね
私、今ではとても~~朝までは無理です。
でも確かに四人集まればかも知れません
我々も友人との話は、老後の話、孫の話、身辺整理の話
その通りです
例年、この仲間とは秋の旅行が多く、過去に何度か軽井沢を訪れた時も紅葉の綺麗な秋でした。
今回初めて梅雨入り寸前に行きましたが、萌黄色の世界が広がっていて感激しました。
歳を取るごとに、エネルギーに満ち溢れた新緑の美しさが好きになってきています。
一昨年この仲間と行った越後湯沢の同じホテルで、山小屋さんは高校の還暦同級会を催したんですか・・・
佐渡には70代の従兄弟が3人いますが、兄弟揃ってS高校出身です。
長男は佐渡で家を継ぎましたが、弟達は新潟市で教師をしたり横浜でサラリーマンをしたりと都会に出ました。
もしかしたら山小屋さんとは同窓生かもしれませんね。
前回は新幹線で秋晴れの東京駅を発ち、関東平野の紅葉を楽しみながら上越国境の長いトンネルを抜けたら、新潟県側は初冬の寒さでした。
それでもロープウェーに乗り、アルプの丘まで登りました。
実は私の初めての「ヒマラヤの青いケシ」はあそこなんですよ。
「平標山」登山の帰りに寄って見たんですよ。
思えば軽井沢へ行く時は何時も夏か紅葉の時期
こんな新緑を見たことありませんでした。
中学時代の女性4人組、さぞやおしゃべりに花が咲いた事でしょうね。
いくら話しても話尽きないのが、この時代のお友達ですね。
想像に難くありません(笑)
私も明日は横浜鶴見で中学時代の仲間が20人ほど集います。
先日クラスメイトが亡くなりその偲ぶ会です。
双子の兄弟、お兄さんを励ます会でもあります。
こう言う会は辛いですね。
この中学の仲間、小学校も一緒の方が多く、
数名の男女混合グループで軽井沢へは度々出かけます。
男性がアッシーちゃんを買って出てくれ、
宿もTガスの厚生施設利用、立派なホテル並で低料金、
とっても助かります(笑)
そんな施設が箱根や秩父にもあって、このグループの定宿です。
小学校、中学時代のお友達って、一番飾り気が無くていいですよね。
メール、入れました。ご覧下さいネ。
標高が高い避暑地なので、関東南部に比べると植物の芽吹きは随分遅いようですね。
北海道並みかも・・・・
今回集まったメンバーもお嬢さんが居るのは一人だけ・・・
その彼女はもうシッカリと娘一家を敷地内に住まわせてゴッドマザーのように優雅に暮らしていますわ。
後の3人は私も含めて息子しか居ない仲間です。
息子は息子で「別家族」と納得するのに5~6年かかったという仲間もいて・・・
皆それなりに悩みはあるようですが、ままならないのが「人生」なんですよね
親を通じて知った私です。
それで一度行ってみたいと思っていたとか・・・
アノ歴史ある「万平ホテル」と並び称されるホテルのようですね。
オークラ系のようですね。
私の年頭の目標がこの2年間「身辺整理」なんですよ。
でも、思い出の品々が中々捨てられません
今回、娘さんから強制的に整理をさせられ、サッパリしたという友人の話を聞いて、刺激を受けて帰ってきました。
「ステキな姿で写真に写る秘訣」はデジカメ教室の先生に教わったものです。
更に「アゴを引いて顔を少しかしげてニッコリする」というのが加わります
marriさんも試してみてください。
東京からも近くて施設もたくさんあり、女同士が楽しむには良い所です。
一晩中起きて話していたわけではありませんが、朝が辛かったです。
宿では2部屋準備してくれましたが、4人で同じ部屋に寝ました。
本当に話しても話しても終りがない感じでした。
皆「老後問題」は感じていて・・・
でもシッカリと準備しているのは娘さんがいる一人だけでした。
あとの3人は男の子しかいない仲間ばかりで、皆それぞれに不安を抱えていますね。
新緑景色、いいですね。
お友達とのおしゃべり、楽しくてしょうがなかったようですね。
良かったですね。
伝わってきました。
私も、幼なじみに出会うと、話が自然に弾みます。
いいものですね。
笹団子、美味しそうですね。
食べたくなりましたよ。
心和むショットに話、ありがとうございました。