ご存知、高山植物の女王「コマクサ」です。
高峰山に咲いていたわけではありません。
私たちは高峰山から下山後、雲上の温泉として知られている「高峰温泉」に向いました。
この「コマクサ」は温泉宿の玄関横に咲いていたものです。
入浴料1人500円を払って、一階のヒノキの湯船が気持ち良いランプの温に入りました
とても良いお湯です。
詳しい事はこちらのhttp://www.takamine.co.jp/bb/index.htmlをご覧下さい。
私が入ったとき、中高年の3人姉妹が先客でいて狭い湯船は満杯でした。
60~70代の姉妹は仲良く賑やかに温泉に浸かっていました。
私もおのずと会話に加わります。
「東京から来て一週間、毎日雨ばかりで今日やっと太陽が顔を出したのでここまで来てみたの」
何やら軽井沢の中心街は晴れた日もあったらしいのですが、
宿のある標高の高い所はずっとお天気が悪かったとか
「昨日、東京にいる娘からお米を送ってくれと電話がかかってきたのよ」
「東京のスーパーでは去年産のお米が昨日一日でなくなったという話よ。知っている?」
「昨日の早朝に横浜の家を出たので知りませんが・・」
そういえば一昨日のTVで今年の新米は放射能検査をするとか言ってましたね
「去年産のお米があっと言う間に売り切れたみたい。それで軽井沢のお米屋さんから送ったのよ」
「へぇ~!3月11日以降、お米を求めてアタフタしたけど、またその二の舞」
検査して安全だといわれても、お上が信じられないから
国民は自己防衛をせざるを得ないのでしょう
この「高峰温泉」からも「高峰山」への登山コースがあります。
大勢の人が降りてきました。
その少し上の方で、蝶の「アサギマダラ」を発見
ヒラヒラと忙しく舞っていて、中々上手く写せませんね
「真田氏本城跡」
ガスっていて「浅間山」が見えないため、往復3時間かかる「黒斑山登山」を諦めて
簡単ハイキングの「高峰山」にしたので、時間は充分にありました。
温泉入浴後は前日の計画通り「上田城」に行く事にします。
「上田城」とナビにインプットしても受け付けないので
ガイドブックに書かれていた「真田氏本城跡」と入れました。
ナビで案内されたのは、上田市の小高い丘の上にある鄙びた所
ここは真田昌幸が上田城を築城するまで、真田氏の本城だった所
別名「松尾新城」と言うらしい・・・
眼下に上田盆地を一望におさめる大規模な「山城」だったらしいが
今では、赤と黒の「六文銭紋」の旗と野仏が佇むだけの静かな遺跡でした。
「上田城跡公園」
更に車で15分、天正11(1583)年、安土桃山時代に真田昌幸が築城した「上田城」は、
上田市の中心街にありました。
現在その本丸・二の丸部分に当たる一帯が、城跡公園として整備されています。
上田城跡本丸東虎口〔こぐち〕の石垣上に立つ2棟の櫓〔やぐら〕と復原された櫓門
その正面奥には城主であった真田氏、仙石氏、松平氏を祀った真田神社があります。
こちらは櫓門北側の石垣に組み込まれた「真田石」
3mの上田城で一番大きな石です。
昌幸が命名し、嫡男・信之が松代転封の際に家宝として持っていこうとしましたが
ビクともしなかったと言う伝説の「石」です。
やぐらは現在「資料館」になっていて | 真田氏の歴史が紹介されています。 |
家紋の「六文銭紋」が至る所で見られます。 | 本当の意味は仏教に関係するらしい・・・ |
徳川の大軍を二度も撃退した名門真田家三代(真田幸隆、真田昌幸、真田幸村)の歴史が
紹介されている「資料館」の窓から「真田神社」が見えました。
我が家の夫は「真田十勇士」のフアンです。
「猿飛び佐助は私も知っているわ。子供の頃の東映映画で忍者物が流行ったのを覚えている」
そんな話をしていると、係員さんが
「あれは立川文庫のフィクションです。本当は6人程度です」と、教えてくださいました。
真田家の年表もジックリと見ます | こちらはシャチホコ |
他に工芸品らしきものは見当たりません。
ここは戦国時代の砦のようなお城だったのでしょう。
資料館を見学してから、「真田神社」をお参りします。
神社の裏の西櫓の手前にある真田井戸
真田井戸の由来です。
忍者伝説が伝わるのも判るような気がします。
今では「兵どもが夢の跡」のような、緑豊かな公園になっています。
結局、真田昌幸・幸村親子は関が原の戦いで西軍につき徳川家康軍を苦しめますが、
西軍は敗北、幸村の息子大助も秀頼と共に自害します。
真田幸村の戦死と共に真田家の血筋も途絶えたとさえ思われますが
しかし、戦国随一の智将・真田昌幸の嫡男・真田信之によってその血は受け継がれました。
江戸時代以降、真田一族は徳川幕府の一藩として生き残ったのです。
「そこが真田昌幸のすごい所なんだ、家の断絶がないように手を打っている」
「自分と三男幸村は豊臣方に付いたけど、長男を徳川に近い本多勝家の娘婿にした」
主人はまるで自分の手柄のように得意になって私に説明してくれました。
(字が違えど名前が同じなのですよ)
徳川秀忠は、真田氏の抵抗にあって「関が原の戦い」に遅れたといわれていますが
これは父家康の作戦だった
智将と言う点では徳川家康も負けて無いと言うのが主人の見解です。
いずれにしてもアノ時代のお話は、特に殿方には心躍るロマンなのでしょう。
大河ドラマ「江」ではこれから描かれる天下分け目の決戦ですね。
楽しみです。
「上田城」からの帰り道、国道18号線は軽井沢近くで渋滞していました。
私たちは並行して走る「浅間サンライン」を通ってホテルに戻ります。
午前中に登った車坂峠の方向はもの凄い雲で覆われいて
「浅間山」はずっと雲の中のようでした。
途中、道の駅「雷電くるみの里」に寄りました。
今までも何度かお土産などを買いましたが、今回は息子宅用のお土産は「お米」にしました。
高峰温泉で聞かされた話しが気になっていたのです。
信州産のコシヒカリ、けんちゃんの田んぼで採れたお米です。
息子宅用に精米5kg、我が家用に精米5kgと玄米10kg
横浜に戻ってきたら、スーパーの棚にはちゃんとお米は並んでいて、
特売の山積みまでありました
杞憂に終ったお米騒動でしたが・・・
毎日食べるものだし、お土産としては悪くないと思います。
お米にした理由を息子に話したら呆れられましたが、「備えあれば憂い無し」ですものね。
赤と黒の六文銭の旗はとてもモダンですね。
大河ドラマ「江」は秀吉の描き方が許せない!と、主人は観ていません。
人転がしと言われた秀吉は、もっと魅力があったはずと・・・
でも晩年はドラマどうり狂った秀吉だと思うので、私は最近観ています。
だんだん面白くなってきていますね。
従兄弟さんが上田にお住まいとか・・・
北国街道も通っていて、見所も色々ありそうな街でした。
私は豪雨で「立山登山」をキャンセルした後、主人と毎年通っている軽井沢に行きました。
高ポッチ高原と高峰高原&高峯山に登り、たくさんの高山植物に出会えて、少し気持ちも収まりました。
海野宿や上田城も観光できましたしね。
いつまでも足腰丈夫で、元気に出歩ける自分でいたいですね。
紅さんもお元気そうで、ホッとしましたよ。
従兄が住んでいるのですが、まだ遊びに行っておりません。
お陰様で歴史まで勉強できました。
「江」に関係してきますね。
上田城とは別に本城跡があるのですか。
真田石の大きいこと!
家紋は六文銭の紋だったのですね。
いろいろ教えていただけました。
naoママさんも良い夏休みをお過ごしでしたね~^^;/
海野宿、上田城、私が訪れたのは1昨年だったかしら・・・。
懐かしく拝見いたしました。
今年は農作業に明け暮れ、出掛けたい頃には大雨洪水雷注意報! 近くの温泉三昧でした。
何処へ行っても温泉豊富な秋田県です。
さぞかし美しい風景が見られたことでしょう・・・
真田氏本城跡は人が2~3人歩いている程度の静かで風情ある遺跡でした。
逆行で、画像があまり撮れなかったのが残念です。
主人は真田家のフアンでもちろん「真田十勇士」も大好き、熱く語ってくれました。
スタッフさんが「十勇士で本当にいたのは6人くらいです」と訂正を入れたくらいです。
私も猿飛び佐助や霧隠才蔵の名前は知っていますが・・・
これを機会に、私も蜷川演出の「真田風雲録」観てみたくなりました。
メールありがとうございます。
私も返信いたしました。
主人と話した事があります。
山梨・埼玉・長野の県境にある「甲武信岳」だそうです。
そして川中島の決戦でお馴染みの川中島で槍ヶ岳を源流とする「犀川」(梓川)と合流します。
新潟県に入ると日本一の長さで有名な「信濃川」になります。
その河口は私が中学時代に住んでいた新潟市にあり、佐渡に行くフェリーの船着き場となっていて日本海に注ぎます。
こうして考えると、川の流れそのものがロマンですね。
山もいいけど、歴史を巡る旅も風情がありますね。
それだけ私も年をとったということでしょうが・・・
寄りました。
本当に何もないところですが、散りかけた桜と、
ひなびた城址跡の取り合わせが何とも風情がありました。
花の季節なのに、訪れる人もなく静かでしたよ。
ご主人真田十勇士のファンですか?
そういえば私たち子供の頃は十勇士はヒーローでしたね。
あのドロドロドロ~ンの杉浦茂のシュールな漫画、
結構好きでした。
蜷川幸雄演出の真田風雲録も観て、私も十勇士好き
なのかもしれません。
今回のnaoママさんの旅行、私が行ったところが沢山出てきて、
楽しませてもらってます
などいいお場巡りなさいました。
何度もスクロールで拝見できました。
私も歴史物語好きなのですが忘れが早くて・・
長野は一度息子と小学生の孫三人旅で。
千曲川源流行き途中、ドラマの地、城跡道案内で行きましたが、
下山される方に聞きますとただ立て看板のみですと。
あきらめたことありました、さてどこでしたかすっかり記憶消えましたが。
>家紋の「六文銭紋」が至る所で見られます。
徳川(ドラマ紅)
楽しみです。
幼馴染同士が再会し旧交を温める風景はとてもいいですね。
古里を持たない私が淋しさを感じる季節です。
この間、どおりで風邪をひいたようにクシャミが出ましたよ。
毎日顔を合わせ、私を肴に飲んでいる皆様の姿が想像出来ますよ。
日本の歴史有る古い地方には「おらが町の殿様」がちゃんと存在するのですね。
そう・・・
S市は毛利の殿様でしたね。
O君の祖先は「尼子十勇士」の一人と聞いています。
毛利の敵でしたか?
昔勤め先に会津出身の青年がいて、長州の女性とは結婚できないといっていました。
今でもそんなことがあるのかと驚きましたが・・・
新潟のKも、50年ぶりの中学校の同窓会に、ハンちゃんが幹事だったので、義理立てて、
4月に引き続いて、帰ってきました。
11日~18日まで滞在していました。
朝から深夜までのお付き合い、酒を飲まない私には、少々くたびれてしまいましたが、
でも、幼馴染の同級生は、かけがえの無い存在です。
勿論、貴方の事も噂しましたよ~!
盆の間は風邪を引いた様に、クシャミがよく出たでしょう~!
私も子供の頃、真田十勇士を読んで胸を時めかした一人で、
忍者のイメージを、かっこいい者に変えたのは、
猿飛佐助と霧隠才蔵ではないでしょうかね~!
そう言えば、貴方と貴方と一緒に転校して来たOは、
毛利に亡ぼされた尼子家に関係が有るって、言っていたとか!
貴方の旦那じゃあないけど、
歴史って、本当に、興味深いですね~!
日本全国そうなのでしょうが・・・
城跡としては小諸の懐古園の方が規模が大きかったような気がします。
島崎藤村の歌でも有名ですしね。
「小諸なる古城のほとり雲白く、遊子悲しむ」は中学の教科書にも出てきますしね。
上田城の魅力は、真田氏三代の男の魅力だと思います。
こちらは池波正太郎の「真田太平記」でブレークしましたね。
高峰温泉で一緒になった3人姉妹さんは毎年3人で旅行を楽しんでいるそうです。
一番下の方が私と同じくらいの年配で、車の運転を引き受けているとか・・・
女の姉妹がいない私には羨ましい姿でした。
思い入れが激しい人なので、「そういう解釈もある」程度に聞いておかないととは思っていますが・・・
本当にいつ終結するかわからない「放射能問題」です。
安全ラインを繰り上げて、それで「ただちに健康に及ぼす数値ではない」と言われても、国民は疑心暗鬼に囚われるだけで、政府もお役所も信じなくなっています。
まずは情報をキチンと開示して、適切な解決策の説明が欲しい所です。
美味しい新米が食べたいけど、もう少し様子見ですね。
「あぁ~、この冬だんだんさんが楽しんだんだわ~」と思い出しましたよ。
「野天風呂」は冬の方が迫力がありそうですね。
冬の北海道で露天に入ると髪が凍ると聞きますが同じですね。
こちら方面には毎年のように行っていますが、まだ冬は経験がありません。
軽井沢のホテルの支配人さんも「冬がお薦め!」と言っています。
一度是非、冬に訪れてみたいものです。
今年の夏もアルプスには行きそこないました。
ならばと信州に出かけましたが、やはりアルプスの姿は見えませんでした。
たくさんの高山植物に出会えましたから、満足度は半分でしょうか・・・
今回は真田親子の歴史でしたね。
「上田城」へは7,8年位前に桜の咲く頃に行ったのですが
未だ足が悪い時期で、混んでいたのと歩くのが
辛かったので周りの景色など見て無かったです。
残念な事しました。
湯船での三人姉妹の話し、私達姉妹のようです。
先日までの暑さがうそのような涼しさの昨日今日ですが
自然だけでなく歴史にも詳しいご夫婦での旅の様子や
さわやかな高原の便りはうらやましい限りです
それにしても新米が敬遠され古米が売れる世の中、
放射能汚染の問題はいつまで続くのでしょうか
でもお米のお土産、これっていいですよね
今度そんな機会があったら私も・・・です。
厳寒の頃と全く違う風景で、また行きたくなりました。
天空の野天風呂は、やはり真冬だからこその醍醐味かな。
濡れた髪の毛が、バリバリに凍りついたのを思い出します。
色々な所へ、精力的にお出かけで羨ましいです。
上田城は知らないんですよ。
刺激受けては、行きたい行きたいとそそられてます!
お米のお土産!さすがはnaoママさん。
主婦の鑑ですね^^
ここは「北国街道」も通っているようですね。
ご主人様は私と同じように転勤族の子どもだったのですね。
でも、行った先々が風光明媚な城下町ばかり・・・
そして「信州が古里!」とハッキリ言えるのが羨ましいです。
私は東京の新橋で生まれ育った父が、勤めた会社の転勤先の北海道で結婚し、そこで私が生まれました。
そしてその後東京~新潟~山口と廻り、18歳で東京に戻りました。
私にとっての古里は5歳まで居た北海道だと思っていますが、その北海道によく似ているのが信州
その上、北海道にあまりない歴史的な旧跡もふんだんにあって気に入りました。
「八重原米」はまだ食べていませんが、次回は佐久の「五郎兵衛米」を忘れずに買ってきましょう・・・
いつも情報をありがとうございます。
でも、息子に言わせると「お米足りなくなったら政府は緊急輸入するだろう。慌てる事はない」とのこと・・・
私と主人は「もうタイ米はゴメンだ!」と思いましたが、今では安くて美味しいカリフォルニア米やオーストラリア米もたくさんあるようです。
だからといって、息子のように政府を信じて呑気にしてもいられませんものね。
主人は「真田十勇士」というか、真田一族のフアンのようです。
それと敵対する「徳川家康」も尊敬していますね。
デジブックにコメントとグッドをありがとうございました。
古い山城が真田城址、新しい「上田城」は街の中心部にあり、両方とも真田幸村の父、真田昌幸が築城しました。
上田市から上信越自動車道を通って更に走れば妙高から先は新潟県ですね。
地理佐渡さんのご自宅が有る長岡もわりと近いのでは?
昔からあった「北国街道」も上田から糸魚川にでるようです。
牛肉の次はお米かな?という不安感がありますね。
牛肉はあえて食べなくても済みますが、お米はそうも行きません。
懇意にしている専門店があれば心強いですね。
「としあきさん」後ほどお訪ねしてみます。
あの猛暑から一転、涼しさにビックリです
真田氏本城跡まで行かれたんですね
歴史館は近くでしたのに・・
上田市内にも見所は沢山あります
今度は是非桜の季節に出かけてください
真田十勇士、上田市内の町名にも名残りが・・
海野町、三好町、十勇士には関係ありませんが原町など・・
海野六郎、根津甚八、望月六郎はそれぞれ地名があります
この3人は滋野一族、信濃の名族
この滋野、私の実家が有る所が滋野といいます
いろいろ面白いですね
「八重原米」いかがでしたか?
八重原は土地の名前で粘土地の米どころです
佐久市近くにある「五郎兵衛米」これは本当に美味しいです
信州はお米もいいですよ~
それから因みに主人が大分から小2で引越した所が上田です
上田市内でも3回引越しをしていますよ~!
入浴中の会話がとてもリアルに書かれていて楽しく読ませていただきました。
お土産にお米を買われたのもうなずけます。
またまた、米騒動になるのでしょうか。
コマクサはほんとに魅力がありますね。
アサギマダラも美しい蝶、一度お目にかかりたいです。
ご主人様は「真田十勇士」のフアンですか。
忍者者、一時はやりましたね~。
映画で見た記憶があります。
詳しい説明で歴史の勉強にもなりました。
ありがとうございました。
これが結構人気の宿で、自分の都合の良い日が空いているかどうかが問題のようです。
ナビで導かれて行った「真田氏本城跡」から上田城のある「上田城跡公園」までは車で20分くらいかかりました。
「真田氏歴史館」や「池波正太郎真田太平記館」など、他にも見るべきところはありますが、まずは「上田城」ですね。
本当に信州は山や高原も綺麗だし、歴史的見どころもいっぱい!
私も大好きですが、とんちゃんの古里の群馬県も負けていないと思いますよ。
次回は丸沼高原か赤城高原にも行ってみたいですね。
元気に山登りが出来る内はそれが楽しいので、歴史的な遺跡まで興味が沸かないと思います。
山に登って温泉に入って、美味しい物を食べて、温泉の後のビールも美味しいし、それだけで満足ですよね。
今の私は山に登れなくなった時のことを考え、次の楽しみを見つけようとしているのかもしれません。
今日はお昼過ぎから雷雨となり、気温も急降下しました。
窓を開けていると、かすかに虫の音が聞こえてきます。
猛暑も終わりでしょうか・・・?
高原の温泉も良いですが、上田の
真田城址も良いですねぇ。真田石。
当方も見てみたいものです。
なぜか隣の堅にいるのに上田地方
だけは縁遠い気がします。
さて、米に関しては今年は色々あ
りそうですね。当方のサイト上の
ブックマーク欄に「としあきさんの」
とあります所なんですが、越後
小千谷の米作農家です。困ったら
サイトをのぞいてみて下さい。
いわゆるウオヌマコシヒカリを作って
販売しているところです。当方も
贈答用に頼んだことがあります。
泉質もいいようですね。人気があるはずです。
ナビに導かれていった先は幸いにも見応えがあるところになったんですね。
上田城跡の真田石はすごい!
どうやって?という疑問がわきます。
高山植物に歴史散策 本当に信州という地は知れば知るほど深いです。
車で走っていてもどこでも絵になる景色が見られお水も空気も美味しくていつまでいても飽きることがありませんね。
一番住みたいところは信州だと迷わず言い切ることができます。
上田城も知りませんでした。
高峰高原の「ランプの宿」にグループの人達と2回も泊りに行ったのに、帰りは皆でお蕎麦屋さんへ寄ったり、道の駅へ寄って買い物をしたりと歴史をまなぶ旅はしませんでした。
個人で行った時でないと無理なのかも知れませんね。食べる方に皆が興味あったようでした。
思いつきで動いているのでこうなるのですよ。
主人は典型的なB型人間です。
山岡荘八の「徳川家康」を何度も読み返していますのでこの時代の事は詳しいようで、真田氏のこともとうとうと説明してくれました。
桜の頃の「上田城」はさぞかし綺麗でしょうね。
夏のこの時期は殆んどお花は咲いていませんでした。
温泉も山も歴史も豊富な信州、ますます好きになりました。
ホテルと比べれば狭いお風呂ですが、とにかくお湯が気に入りました。
天空の野天風呂にも入りたいので、いつか宿泊も考えたいと思っています。
車坂峠から歩いて20分、狭い道ですが車でも行ける日本秘湯を守る会の温泉です
毎年のように軽井沢には行きますので、この山塊はほとんど歩きました。
夏のお花や秋の紅葉も綺麗だし、晴れていれば北アルプスや八ケ岳も見える良い所です。
元気な内は通おうと思っています。
猛暑の夏もそろそろ終わりでしょうか?
今日からお天気が崩れて気温も下がるようですね。
ホッとすると同時に一抹の淋しさも感じられます。
高峰温泉に入り、ナビの悪戯とは言え真田氏本城跡にも寄って上田城跡にもよる、凄い行動範囲だなと感心しています。
5年前歴史好きな次女の旦那を考慮して次女夫婦と4人での上田・松代・須坂へのドライブを計画したのですが、
急遽次女夫婦が行けなくなって夫婦二人で巡った事がありました。
上田城址では桜の時期だったので歴史探訪と共にお花見の旅でもありました。
上田城址の写真を懐かしく見させていただきました。
今地図を見て、温泉と、ホテルの位置も把握できました。ニッコウキスゲを見ながら、車が多いのが不思議でしたがやっと解りました。
大分前ですが、湯の丸高原へ、レンゲツツジを見にいった事があり、浅間や軽井沢との位置がはっきりしました。
上田城址も、藤がきれいな時に寄りましたね。
お米の事は、心配して当然ですよ。
どこまで、広がっているのかはっきりしないし、この先何が起こるかも解らないですものね。
これ以上の災害が起こらない事を、願うのみです。
なかなか、出かけられなくなってきましたので、思い出しながら、楽しんで、拝見しています。